第53話 巫女さんは若くなっても婆さん
『ゼノスの巫女、貴方は精霊王様の祝福で不老になったが不死というわけではないわ。見た目が若くなったとしても寿命が延びただけで死は訪れるの』
若返った自分の両手で顔などを触れながらネコミミ巫女さんは風の精霊の言葉を聞いて、大きく頷いてみせた。
「これこそがアルス様の奇跡であらせられる、命の長短の問題ではございません。わらわは命のある限り、アルス様にお仕えする巫女としてこの奇跡を語ってまいりたいと存じ上げます。アルス様にご感謝を!」
深くその頭を下げるネコミミ巫女さん。風の精霊はおれを一目で見て、自分の役割を果たしたことと言いたかったのだろう。
『そこのちょこれーとなる者に力を貸しなさい。それが精霊王様とあたくしの願いであると知りなさい』
「はいっ! それがお告げであればこの身命を懸けて果たしましょう」
いや、命は懸けなくていいから教会からおれのことを隠匿してくれるだけでいいからね。せっかく長らえた寿命は大切にね。
『ゼノスの巫女、貴方のこれまでの働きは精霊王様も喜んでいます。これまでのように頑張りなさい。全ては愛し子のために』
「はい! アルス様が愛でる全ての命のあるものにご慈愛を!」
我が子を慈しむように触れている手を巫女さんの頭から手を離すと風の精霊はその姿を風の中に紛れていつものように四散した。この場にいるのは未だに陶酔しているネコミミ巫女さんとおれだけとなった。
「理解してもらえたかな? 婆さん」
もう若い頃の麗人に戻っているが婆さん呼びに慣れているおれは今までの呼び方を変えないことにしようと思っている。
「……」
返事がない、ただのネコミミさんのようだ。
「……アルス様にご感謝を……」
ボソと囁かれたアルス神教のお祈りの言葉、風の精霊に来てもらっても味方になってもらえないのか。この巫女様との接触は失敗したのかな。
「アルス様にご感謝を! わらわにアルス様を引き合わせてくれたのじゃ。ちょこれーと様、そなたこそはアルス様の使いに違いないのじゃ!」
あ、おれに向かってこのネコミミ巫女さんは地に伏せて礼拝しているぞ。願っている成り行きとは違う方向へ発展しそうなので、必死になっておれは巫女さんに説明を努めることにした。それにどうやら精霊王の関係者でおれの名はちょこれーとで定着しそうだ。
「そなたは数奇な運命と辿る者なのじゃ」
異世界から移転してきたこと、精霊王と神龍と出会ったこと、管理神によってこの世界で生きるなったことのあらすじをざっくりとこのアルス神教の巫女様に話した。慈愛の巫女ことイ・オルガウド婆さんはこの世界で初めておれの全貌を知る人となった。
「同じくアルス様の祝福を受けるものとしてそなたの力になることをアルス様に誓ったのじゃ、なんの心配もすることはないのじゃ」
そっとおれの頭を胸に抱えるようにして抱きしめてくる。その仕草は母の絶えることのない我が子慈しむ愛情を彷彿させている。
「それでわらわに何を望むのじゃ?」
「アルス神教の関係者から目を付けられたくないのでおれのことを隠し通してくれ」
それこそがこのまさしく神が掛かっている芝居を打った意味なんだ。それでわざわざ女神様に来てもらったもんね。
「うーむ……できればわらわとともにアルス様に終生を捧げてほしいのじゃ」
「ごめんなさい!」
お断りだよ。せっかくに異世界移転が宗教関係者となりましたって、どんな物語になるというのだよ。すくなくてもおれは嫌だね。
それでも引き下がらないネコミミ巫女さんはおれの手を掴んで離さないし、その目に切実に同志になろうよと訴えてくる色合いが濃く帯びている。
「……アルス様のお告げ」
「うぐっ!」
「おれの手助けになること」
「うぐぐっ!」
ぬあははは、ネコミミ巫女さんがとても苦しんでいるね。使命と願望に挟まれて心が揺れ動いているのがよくわかるよ。
「身命を懸けて果たすじゃなかったっけ?」
「わかったのじゃ! そなたの願いはアルス様の願いなのじゃ、背くわけにはいかぬのじゃ!」
勝った。これでおれのことを付け狙いそうな巫女を強力な味方を付けることに成功した。しかも彼女が女神の奇跡を受けたということでカモフラージュ役をも果たしてくれそうだ。この界隈でおれが多少のことをしてもこれでアルス神教から疑われる確率が減るはずだ。
そして、ずっと気になってはいたが黒いフクロウがすごく大きくなってないか? 風の精霊の前では恐れをなしたように蹲っていたが、今は婆さんの肩に乗っかっているが比率がおかし過ぎる。推測するにはネコミミ巫女さんが精霊王の祝福を受けたので、フクロウの精霊さんもその恩恵を受けたのだろう。
「婆さん、あんたにずっと精霊が付いていたのは知っているか?」
「精霊? なんのことじゃ?」
婆さんは首をちょっとだけ傾げて見せた。うん、やはり若返ったネコミミはどんな仕草でも似あっている。若いってのは素晴らしいね!
「カガルティア、顕現することはできないか?」
「やったことないですけど、なぜか力が溢れていますからできるかもしれませんね」
婆さんはおれが誰と話しているのがわからず、不思議そうな表情でおれを見ている。はい、アホの子を見るような眼差しはやめてくださいね。
黒いフクロウに掛かっていたモヤが消えたように、婆さんは自分の肩に乗っているフクロウにびっくりした目で見つめている。
「それが婆さんに付いていた精霊だよ、カガルティア、挨拶したら?」
おれに促されて、地面に降り立った森の賢者さんは自分が守護している巫女さんに頭を下げてから言葉を彼女にかけた。
「初めましてじゃないですけど、あなたとずっと話したかったですよ。イ・オルガウド巫女。わしはゼノテンスの大森林に住んでいた水の精霊カガルティアです」
「そなたがずっとわらわを助けていた精霊なのじゃな?」
「ええ、風の精霊エデジーに祝福されて以来、あなたとずっと共に生きてきたのです」
「だれかがわらわを助けているのは知っていたのじゃが、そなただったのじゃな」
人ほどの大きさのフクロウと若くて綺麗な猫人が寄り添って抱擁している。まあ、ファンタジーの世界ではありふれているだろうから気にしない。
二人の邪魔にはなりたくないが、あとはあの気の強そうな貧乳の女騎士をこの巫女さんがどうにかしてくれると助かる。
「あのぅ、婆さんや」
「なんなのじゃ」
ひょっとしてこの巫女さんは容姿が若くなったことでお婆ちゃん扱いされることに少々不機嫌になったかもしれない。でもしかーし! 中身が婆さんなのでおれは気にしない。
「そのイ・プルッティリアとかいう女の騎士をどうにかしてもらえるとありがたいなんだけど」
「ああ、わらわに任せるのじゃ。イ・プルッティリアにそなたを付けることは取り下げるから心配はないのじゃ」
これで宗教関係者の件は解決することができた。あとはもう一仕事を済ませるとおれはうさぎちゃんと彼女の村へ旅立つことができる。さぞかし色んな意味で楽しい旅になると思う。前方をを見ていると先まで水の精霊カガルティアに触ったり、話をしていた巫女さんがおれの前に知らない間に忍び足を使って立っている。
彼女は目を閉じてから自分が思っといたことを回想するように独り言を囁いている。
「そなたの言うことはわらわには到底信じられぬことばかりなのじゃ。アルス様が風の精霊エデジー様だったり、お隠れなった二柱の守護様は今でもおられたり、一番信じられぬのはこの世にはアルス様を創造されたカンリ神様があらせられることなのじゃ……」
「まあ、それは教典には何一つわかるようなことを書いていないし、それを照らし合わせられる伝説もこの世界にはかけらすらないから無理もないよ」
おれが答えた言葉に綺麗なネコミミ巫女元婆さんは目を見開き、一途な思いの眼差しでこれまでの信心が揺るがないように真心を込めておれに疑問をぶつけてくる。
「結局のところ、そなたはいったいなに者なのじゃ?」
若い婆さんの問い掛けには明快な答えをおれは持ち合わしている。
「ただの観光がしたい旅人だよ」
婆さんが先に都市ゼノスへ戻ることで打ち合わせ済みだ。名が知られているゼノスの巫女イ・オルガウドがアルス様の祝福を再び受けたことは騒ぎになるはず。それを隠れ蓑にしておれも都市ゼノスでみんなと合流するつもりだ。
「そなたは精霊王様が本当の女神様と打ちあげる気はないというのじゃな?」
「その話には混ざる気はないよ。風の精霊エデジーが精霊王様をお慕いする気持ちはわかるけど、アルス神教は長い歴史があって、今更女神様はほかにいますということになれば、はいそうですかというわけにもいかないだろう」
風の精霊に合うまでの慈愛の巫女婆さんの反応を思い返すと女神の真実はアルス神教にどのような影響を及ぼすかは簡単に想像できる。そもそもあの精霊王がそんなことを気にするようには思えない。
「そうなのじゃが……」
迷いを断ち切れない巫女様の気持ちを重んじると割り切れないものがある。アルス神教においてはそれだけの地位と責任を背負っているお方だから。
「婆さんの良いようにしてくれていいから。婆さんには悪いけれど信用してもらうために風の精霊に来てもらっただけで、アルス神教の教えに異議を申し立てたいというわけじゃないよ」
「うむ。そうじゃな、そうなのじゃ。わらわが考えるべきことなのじゃ」
婆さんが何かするなのだろうが聞くつもりはない、聞いてもおれはそれに加わることはしないから。
「じゃあな、婆さん。用があれば会いに行くからね、ないとは思うが」
「あいわかった。そなたの頼みならほかのことを差し置いても叶えてつかわすのじゃ。そなたのおかげでアルス様とカガルティアともちゃんと会えたなのじゃ。全てはアルス様にご感謝を」
「ああ、アルス様にご感謝を」
都市ゼノスの女神祭はその熱気を絶頂に達するほど高まった。アルス神教における第九順位のゼノスの巫女がアルス様の再祝福を与えられて若返るという前代未聞の事態に、人々は狂わんとばかりにアルス様の奇跡に感動して連日教会へ詰めかけることとなる。
都市の中には沢山の多種族が各地から馳せ参じており、あわよくば自分も女神の奇跡にあやかろうとゼノスの教会にある女神像を詣でている。一儲けしようと都市の至る所で屋台が立ち並んで、宿が足りないと言うことで自宅を臨時の宿にして貸し出す人までいる始末だ。
さすがは交易の都市ゼノスだ、商魂が逞し過ぎるぜ。
女神祭の本祭は次の陰の日に教会のほうで決定した。ゼノスの教会の周囲では篝火の薪が組まれていて、広場の中央では最大規模の篝火が焚かれることになっている。アルス神教の本山から大神官が総出でここ都市ゼノスまでお越しになると酒場で人だかりがこのうわさで持ちきりだ。
「ありがたやありがたや。これでゼノスも聖地として神教から指定されるかもしれないな」
「ああ、よもや俺達が住んでいる都市がアルス様から気に入られるとは思わなかったぜ」
饒舌には潤滑剤は欠かせることはできない。酒場の酔っ払いたちがウェイトレスたちが次々と持ってくるお酒に酔い痴れ、陽気にはしゃいでは女神を讃える声を上げる。中にはテーブルに上がって踊り出しては転げ落ちるというバカ者もいるが、それを咎める人はなく、そいつにお替りの酒を奢るという豪気ものがいる。
というか、そいつは銀龍メリジーことニールである。なにをやってやがるんだあいつは。
ニールに近付くとおれは酒場の騒ぎ声に負けないように大声をあげた。
「ニール、なにをしている?」
「おお、アキラじゃねえか。飲んでるかてめえ、人族が作る酒はうめえな!」
おれの首を腕で捕まえるとその大層豊かで柔軟な胸を顔に押し付けてきた。なんということか、銀龍メリジーがのんべえになってしまったようだ。いいぞ、もっと酔ってくれ。
「エティたちはどうした? まさかほっぽり出してお前だけここで飲んでるんじゃないだろうな」
「アホ言え。あいつらなら、ほれ、そこで男に囲まれて楽しんでんじゃねえか」
ニールが指さす方向を見るとエティと従姉妹のゾシスリアにモージンが数人の男に取り囲まれて、どう見ても揶揄われて困り果てているようにしか見えない。
「あーもう、お前に頼んだのがいけなかった。まったく使えないやつだな」
「なんだとてめえ! 俺にケンカ売ってんかこら、買ってやんから来いや!」
酔っ払いに絡まれたおれを周りの男が彼女へ向かって焚きつけている。
「やってやれえ、ねーちゃん!」
「先の奴らみたいにぶちのめせ!」
それらの声に気を良くしたニールが腕の袖を捲ってから両腕を上げて、拳を握りしめるというファイティングポーズを格好よく取っている。よく見ればその横には失神している数人が床で嘔吐物に塗れている。
「来いや、戦いの何たるやを俺がみっちりと教えてやんよ」
「……神龍に言いつけてやる。アルス連山に追い返してやる」
ニールの耳が異様にいいのは知っているので、彼女にしか聞こえないように呟いてみる。
「きたねえぞてめえ、そういうのは無しだ、卑怯だぞ!」
案の定、彼女にしては情けない声で反論してきた。
「知るか。帰りたくないならエティ達を救えよ」
「チッ。わかったよ。貸しだからな! 忘れんじゃねえぞ」
違うよ、こういうのはてめえのケツはてめえで拭けということだよ。人のせいにすんなや。
「てめえら消えろ! 俺の手を煩わせんじゃねえよ!」
あっという間にエティ達を囲んでいた男どもは残らずニールに蹴られて酒場の外へ飛んで消えた。
「きゃーっ、ニールお姉さま素敵!」
「ニール様最高です!」
「ニールっち、ありがとう」
エティたちの歓声にいい気になって右手を高々と挙手しているファフニール、おれから見ればこうなったのはお前のせいであって、飛んで外へ消えた男らこそ被害者だからな。
ありがとうございました。




