第44話 懲りない精霊王はやらかす
教会は今までにない大騒動になって、信者たちはバクテリアが増殖したように教会へ駆けつけてくる。初老の神官は女神官を従えて祭壇の上でなにやらとご高説をおっぱじめた。
「さあ、皆さま。アルス様に愛されておりますこのゼノスの教会は神の御慈悲を与えて下さった。これもひとえに皆さまの厚い御信心を捧げ続けてきたため、アルス様がこのゼノスの教会をお認めになられたと信じて宜しいでしょう!」
違いますぅ、おれが呼んだらあの幼女が手加減なしに霊気を込めたまま答えてしまったためですぅ。
「いいですか? 教会でもアルス様から直接ご恩寵を賜ることは聞き及ぶことがありません、ここにいる皆さまは神の奇跡の証人です」
神官は両手を静かに頭上へ上げていく、なにか見えないものを凝視するような目の光がとてもじゃないが尋常じゃなかった。
「アルス様にお祈りを! アルス様にご感謝を! アルス様に自分を託して、信じるままアルス様の名を讃えましょう!」
「アルス様にご感謝を!」
「アルス様にこの命を!」
おれの周りにいる狂信者たちが号泣しながら絶叫しているし、血が出ているのにもかかわらず頭を床に強打し続けている。ハッキリ言っておれは怖くて頭を上げることができない。
「おい、これどうすんだよ? なんかすっげえホラーの場面になってんぞ」
『ほらーってのは何なのかわかんないけど、いいわ。陰の日になったら人気の少ない所に迎えを寄越すわ。そこは――』
幼女様からの通信が途絶えた、探知でもしているのだろうか。
そうしている間でも周囲の狂気が熱気を帯びて、神官がなにか吠えているし、女神官は女神像に向かって上半身を激しく屈めるように拝んでは起きると忘我の礼拝を繰り返している。
怖いです、ダレカタスケテ……
『ゼノスね。迎えが行くから町の正門から出て外で待ってて』
通信がまた繋いだらしく、幼女様より指令が入ったのでおれはこの場から逃げ去ることを選んだ。最後にやはり小声で返事だけはすることにした。
「了解、陰の日でゼノスの正門の外ね」
なんとなく悪い予感がしたのでひしめく人を掻き分けて教会の外を目指す。こういう時は大抵アタるんだよな。
『あっ! ちょこれーととアメは約束だから忘れないでよ! 忘れたら祟るからねっ!』
女神像からまた波動が迸って、辺りの空気が震動させている。狂信者たちが女神の愛を渇望して集うこの場で……
鼓膜を破るほど人の声とは思えない奇声が信者から吐き出されて、神官は両目から滝のように涙を流しながら女神像に抱き着いている。
あのクソチビッ子が、わざとやってねえか! てめえの信者はオルトロスより恐ろしいのがお前にはわからないのか!
「ああ、チキショー。とんでもない目にあっ……ごめん!」
人達が教会を目指している中、この場から早く立ち去りたいおれは不意にだれかと接触してしまった。
「狼藉者が! 巫女様に危害を加えるかっ!」
首にロングソードの剣先が首の皮膚に当たりそうくらい接近していて、いつの間にそれが来たのかがわからなかった。おれは迷わずに後ろへ座り込む形で身体を倒し、これでひとまず突然に訪れた危険から脱却した。
「狼藉者め、そこになおれ! 巫女様に働いた無礼の罰を与えてくれる!」
見上げると白銀の鎧を着た女騎士がそこに立っていた。手に持つロングソードはおれのほうに向けていて、いまにも突き刺してくる勢いでおれに威嚇をしている。この場合はどうしたらいいだろうな。
「これこれ、イ・プルッティリアよ。やめるのじゃ」
「しかしイ・オルガウド巫女様、この不届き者は巫女様に不躾にもご身体を当てられました。罰せずというわけにはまいりません」
おっと、ここでノジャが来ました。これが想像通りならロリで来るはず、ちょっと声がお婆ちゃんのそれみたいだが、持ち声が低音だけなのだろう。期待を最大限に込めてイ・オルガウド巫女と呼ばれている女の人のほうに熱い視線を向けてみる。
……
……お婆ちゃんでした。しわくちゃの肌に干乾びた顔、長くて純白の高貴なフードを着込んだ毛の抜けた耳が頭の上てピコピコしている猫人がそこにいて、その肩には黒いフクロウが乗っている。
のじゃに巫女にネコミミ、いい属性は備えているけど肝心なものが抜けている。今ここに必要なのは老女じゃねえよ、こういう時はロリのじゃだろうが! 精霊王と被るけどアルス神教の女神と巫女でおれが共通点を見出すから、今直ちにすぐに出直して来い!
萌えがなく、燃えもなく、残っているのは萎えだけだよ。おれに新境地に目覚めろってか? ごめんけど無理です、萎え属性なんてジャンルは売れもしません。そんな属性は特殊愛好者にしか受け入れてもらえないから。
失礼極まりのないことを考えているおれに巫女のお婆ちゃまが鋭い目線で見つめてくる中、萎え属性のないおれは女騎士のほうを見た。
長くてサラサラしているブロンズの髪がそよ風でふわりと少しだけ乱れてしまう。目は少し吊り上げていて、人当たりのキツさが強調されてはいるけど、調和のあるすっきりした美麗な五官はこの女性が美人であることの証となっている。
目的地の探索は下のほうへとおれの有能な眼力で続けることにした。
あ、もういいや。
まったく起伏のない胸板を目にした瞬間におれはそう諦めた。別に巨乳でも貧乳でも性格が良ければお近付きになって友達から始まって、貧乳様はお友達で終りますがいい友人でありたいとおれも思う。だがこいつにはおれが許す気になる要素がない上に性格も悪そう。
いきなり人に斬りつけてはいけませんよ。
「おい、狼藉者め、この神教騎士団のイ・プルッティリアのどこを見てなにを考えておる?」
違うよ、テンプルナイツはそうじゃない! 概念だけがこっち来ても肝心な十字架が抜けているぞ。
すごい目で睨みつけてくる女騎士にオークの皮でもぶつけてやろうかと反論する前に、巫女のお婆ちゃまが言葉をかけてきた。
「そなたからわらわと同様、アルス様のお恵みを感じるのじゃが……面妖なのじゃ、これは巫女にしか授かっておらぬゆえ……」
ヤバい、この巫女はおれが幼女の祝福持ちだと感覚だけで見抜いているぞ! ここは逃げに一手、面倒ごとに巻き込まれるのはごめん被る。
振り向くとおれは飛び去るようにこの場から一目散に逃亡した。まったく幼女のせいで教会のやつらに目を付けられそうだ、宗教関係者はしつこさと強引さが際立つ。粘着されたらおれの幸せな、観光の、観光による、観光のための世界をあっちこっちへ回る生活が断絶されそうで嫌だ。
巫女のお婆ちゃまの肩に乗っているフクロウが逃げているおれのほうに頭を向いて、その鋭い視線をずっと注いでいた。
「あっ、なんて逃げ足! 追うぞお前ら!」
「やれやれ、相も変わらず血の気が多いのじゃ。そなたはわらわと教会へ同行するじゃなかったのか?」
女騎士のイ・プルッティリアは部下を連れて怪しい男を追跡しようとしたが、ゼノスの巫女であるイ・オルガウドに言下で制止された。
「はっ! 申し訳ありません! イ・オルガウド巫女様」
「よい。だがこのままアルス様になにか繋がりがありそうなその男を放置するわけにもいかないのじゃ」
ゼノスのお婆ちゃん巫女は少々考え込んでから神教騎士団ゼノス支団第一隊の隊長である悪夢のイ・プルッティリアに指令を出す。
「その男のことを探るのじゃ、だがなるべく気付かれないようにな。悪夢と呼ばれるそなたなら不可能ではないのじゃ」
「はっ! ご命令とあらば」
「ほれ、教会へ参ろう。神官が待っているからなにが起こったかも聞きたいのじゃ」
こうしてアキラが危惧した通り、アルス神教で第九順位のゼノスの巫女である教会の重鎮から注目されることになった。
今、都市ゼノスはアルス様の奇跡で大変な賑わいになっている。ゼノスの教会から本山やほかの教会へ知らせの早馬が飛ばされたらしい。女神像が子供の魔力認定に巫女の指名や恩恵品である世界樹の素材が下賜される以外にご神威を示したのはほとんど前例がないだそうだ。
もうすぐに各地から教会関係者がここ都市ゼノスで集まり、ゼノスの教会による女神祭が催されることになっていると酒場で噂になっていた。
女騎士のイ・プルッティリアに尾行させているのは察知しているが、気配遮断を合わせておれの忍者っぷりを甘く見ないでほしい。
それでも武技の実力では彼女のほうがおれより上であることはわかっているから、とにかく清廉潔白の騎士団が行きそうにないイカガワしい場所や、人が多くて気配が入り乱れてしまう酒飲みの場所へ彼女とはかくれんぼして遊んでいる。
おかげさまでこの世界に来て初めて魅力のある犬人の美人さんとくんずほぐれつでベットでのハッケヨイ・残らないを愉しみました。
モッフモフはいいものですな。エヘッエヘヘヘヘッ
調子に乗って金貨で飛ばしたのでおかげで美人の馴染みもできた。
「また来てちょうだいね、忘れちゃいやですわ? チュッ」
「ああ、また会いにくるぜ。マイ・ラマンよ」
頬に微かに残る柔らかさと香り、服を整えてくれた美人で犬人の馴染みさんがしっとりと別れを惜しんでくれていた。
犬人の馴染みの娼婦さんはデュピラスという名で、けしておれの愛人さんではありませんよ。
豊かな和みという娼婦の館の裏門を使って、忍び足で女騎士が今も娼婦の館の正面を見張っているのを見届けてから、ゼノスの正門から通らないで美人の馴染みさんに教えてもらった抜け道である雨水の排水路より都市ゼノスの外へ抜け出した。
夕焼け空が美しい、赤く染まった雲が燃焼しているようだ。ゼノスの正門へ時には匍匐前進して人との接触を断ち、離れた所で草むらに身を隠す。アリの行列のような走車や人が都市ゼノスへ入市するために並んでいるのがわかる、女神祭とやらに参加する人たちと思う。
おれは軽く食事を取ってから一眠りしてお迎えを待つ予定、やはりアリエンテさんが作った牛肉の煮込みはとても美味しかった。
――うーん、遠くのほうで何か騒がしいな。
まだ眠り足りない両目を擦りながら、辺りを見ようとした。もう陰の日になるというのになぜ空がこんなに明るいのだろうか? 光のあるほうに頭を向けると、そこには見たことのある女性が空中に浮いていて、おれのほうに優しく微笑んでいる。
幼女の代理にして女神と崇められている風の精霊さんだ。
周りの騒ぎがどんどん大きくなっているので思考が急に冴えてきた。
『アキラ、だったわね。あたくしがあなたを迎えに来たよ』
おっとりとした緊張感のない語調でしゃべる精霊さんは見た目が女神様のまま。これを人が離れたところからこの光景を見てしまうとなると――
まさに女神様のご降臨!
はたから見ればそうとしか思えないぞおい!
もう幼女に係わる者ってなんなの? 気配りができないわけ? こんなところでなにをやらかしてくれるの?
「もう行こう、やばいから行こう! 人が集まっちゃうよ」
焦るおれをよそ目にちょっこんと首を傾げて女神様のご代理は思考し出したようで、少し間を置いてからコロッとおかしそうに笑って見せる。
『そう、そんなに精霊王様に会いたいものね。こんなに再会したいとわかったらきっと喜んでくれるわ』
違うから! おれはただ、今にも這いずるようにしてここへ来ようとするゾンビになっている狂信者どもが薄気味悪く見えるのだよ。
「もうそれでいいから連れて行ってくれ、今すぐに!」
『まあ、せっかちさんなのね。いいわ、あたくしと空の旅を楽しみましょう。今日はお月さんが輝いててとても綺麗よね。森に行くまでに大きな湖があるわ、そこの水面に映るお月さんが本当の月と変わらないくらいに――』
「だー! それは後で聞くからさっさと行くの!」
流涙しながら這いずって来る信者たちの顔がうっすらとわかるくらいに接近してきて、このままだと信者たちに捕まってしまう。
『わかったわ、楽にしててね』
のんびりの口調で精霊さんが話し終わるとその姿が四散する。おれは見えない風に抱擁されたように、急速に上空へ上昇しながら前へとアルスの森に向かって飛び去っていく。
風の精霊さんは本当の風となっておれを運んでくれている。たぶんだけど、地上ではソニックブームが発生したと思えるくらいの猛烈なスピードで夜空を飛行していた。
ありがとうございました。




