第204話 おっさんが異世界を往く
さあ、最終話です!
お土産を満載したワスプールとコロムサーヌの夫妻、それにたんまりとエルフの果実酒をせしめた妖精族ノームのペンドルは、獣人族が催した盛大な送別会で呑んで騒いだ。
その後はしっかりと睡眠をとり、ちゃんと体調を回復させてから、マッシャーリアの里の人たちに送られ、走車に土産の品々を満載して、交易都市ゼノスへ向けて、帰って行った。
いずれは再会することもあるでしょう、しばしの別れは友情を惜しませるものだ。
エルフの集落から完成した鉄製の慰霊碑が届けられた。銀星の都市にも同じものを設置する予定はあるけど、ようやく土木工事を終わらせた上の里では建築班が出発し、これから建物の工事が始まり、大まかな建物が建設されてから、上の里に慰霊碑が置かれる計画とピキシー総務課長から話をうかがった。
建設課が組んだスケジュールで、慰霊碑は下の里にある広場で近々置かれる予定。その慰霊の式典に出席してから、おれはここを出るつもりだ。
「今なんて言ったか、婿殿」
「おれは旅立つ。どこへ行くじゃなくて、当てもなくアルス・マーゼで冒険するつもりだ」
「アキラッちゃん、ここであたいたちと暮らすじゃなかったの?」
ウラボスであるラメイベス夫人の目に、初めて見る小さな水玉が流れる。悲しませるつもりはないだけど、獣人さんたちの中でもこの気のいい夫妻にだけ伝えておきたい。
「婿殿、エティはどうするんだ。あの子を悲しませるのなら、たとえ大恩のある婿殿でも許さんぞ」
「怒られても仕方ないと思ってるよ、エイさん。エティとは話しているけど、悲しい思いをさせてしまうのはどうしようもない。すまないがおれのわがままを許してほしい」
エイさんの目には烈火ごとくの怒りを見せているが、静かに固い決意を湛えるおれの視線を受けて、大きくため息をつくと、武人は食卓においてある酒を一気にあおった。茫然と座っているラメイベス夫人におれは願い事を伝える。
「ラメイベスさん、美味しい料理をいっぱい作ってくれ。ファージン集落がおれの故郷なら、ここもまた故郷と言える場所なんだ。おれにとっての郷土料理はあなたが作ってくれたもの、旅路の時でも思い出して食べたい」
「……お願いしても残ってくれそうにないね。ええ、楽しみにしていなさい、これでもかと作ってあげるわ。無くなったら帰りたいと思わせるように腕を振るうわね」
ウラボスは涙を拭うと、母性愛のある柔らかい表情に優しげな微笑みを見せてくれた。
それを見るとついつい思い出してしまう。とうさんとかあさんは元気かな、体が動くうちは二人でもっと海外旅行とか行ってくれたらいいなあ。
「婿殿、我らアラリアの獣人族は大恩を受け、ラクータのくびきから救ってくれたことは子孫代々まで忘れぬ。婿殿が離別の意を伝えるつもりがないなら、みんなに代わってお礼を申し上げる」
「エイさん、おれはエティのために好きでやってたことだから、そんな気を遣わなくてもいい。とにかく楽土を成せたのはみんなの力、それを共に歩めただけでもおれは幸せだ。こっちこそ色々と仲間のように受け入れてくれて、ありがとうございました」
深く頭を下げてくるエイさんにおれも本心で返礼した。辛いことや泣きたいこともいっぱいあったけど、獣人さんたちと厳しい道を共に進めたことに、おれは心から誇りに感じている。
「二人はなにをしてるの? ご飯を食べないと冷めるわよ。さあ、早く食べなさいな」
ラメイベス夫人の催促はありがたく受け入れよう。彼女の料理は確かに熱々が一番おいしく、武人さんとワインもどきを酒杯になみなみと注いで、ここにいないムナズックの分を酔いしれるまで飲み干してやろうぞ。
慰霊の式典は陰の日に開催されることを、アジャステッグがわざわざエティリア商会まで知らせに来てくれた。
「ちゃんぴおんは絶対に出席だからな、忘れんなよ」
「わかってるって」
ガタイのいい獅子人の将軍様は、肩を抱きついてきて放してくれない。
「今は時間あるか? ちょっと一杯飲みに行こうや、ちゃんぴおん」
「うーん、どうしようかな」
店に来客は多く、エゾレイシアくんたち従業員は忙しく接客しているし、おれも新商品であるキッズ用のスニーカーを棚へ並べているところだ。
「あなた、店はあたいが見るから、アジャステッグ様と飲んできていいもん」
「すまねえなあ、エティリア。久々ちゃんぴおんと飲みたいんでな」
接客中の奥さまからお許しを得たことで、将軍様は嬉しそうに彼女へ挨拶を交わした。納品しに店を訪れた羊人の女性と、スニーカーの出来上がりやデザインのことで、お話するエティリア商会の会長さんは立派で頼もしい商人さんだ。
まあ、エティリアがそう言ってくれるなら、ここは素直に甘えて獅子人の将軍様と飲んで来ようか。
酒場の中でも獣人さんやエルフさん神教の騎士さんがたくさん。みんな笑顔ではしゃぎながら楽しそうに飲んでいて、中には食事だけのお客もいるけど、ここはラメイベス夫人直伝の料理が出されるので、気持ちはすごく共感できる。
店の売り子は和服が制服でどの子もはつらつで注文を取ったり、料理を運んだりしている。モフモフやエルフさんが視野いっぱいで、おれがとてもハッピーな気分になったところに、店内でも一等の麗しい犬人である着物美女が横に来てくれた。
「いらっしゃいませ、アジャステッグ様。あら、珍しいお客様を連れて来てくれたわね」
女将さんのデュピラスは笑顔でアジャステッグくんに挨拶を済ませると、ごく自然におれの横に腰かけてくるが、その距離が異様に近い。
密着してると言ってもいいほどで、なんだか嗅ぎ慣れた劣情を催すようないい匂いが鼻につき、思わずシンボルが起立してしまいそうだ。
しょうがないじゃん! この麗しい女性と何度も何度も愛し合ってきたから、おっさんの体が反応しちゃうんだよ。
「かー、今をときめく酒場の女将はちゃんぴおんが意中の番候補かよ。みんなに知られたら泣く野郎が多くいるぞ、ちゃんぴおんが相手なら引き下がるしかねえよな」
「ええ、アキラ様がその気になってくれるなら私はいつでもいいわよ」
くっそー……デュピラスは絶対にわかってての確信犯、テーブルに置いているおれの手に、自分の手のひらをさりげなく上から重ねてくるんだもん。
おしとやかで一歩下がって歩くタイプかと思ってたけど、おれの人を見抜く目はまだまだ鍛えなくちゃいけないぜ。
「野郎どもが狙ってるエティとデュピラスを射止めるか。羨ましいぜ、ちゃんぴおん」
「……まあいいや、それよりエルフの果実酒とお薦めの料理を頼む」
「はい、少々お待ちくださいね」
これ以上の話が続くと、アジャステッグくんのからかいが終わりそうにないので、デュピラスに注文したけど、彼女は売り子にそれを伝えるだけで離れようとしない。
「えっと、接客しなくてもいいの?」
「ええ、やっとあなたが来てくれたですもの、ほかのお客様は店の子に任すわ」
艶やかな笑みを浮かべて、デュピラスは添えてくる手を退かそうとしないどころか、なまめかしく指を絡めてくる。この美しいモフモフさんは絶対にわざとおちょくってるよな、アジャステッグくんがこっちを見る目が丸くなっている。
「女将の冗談かと思ったけど、こりゃ本気かもしれんな。ちゃんぴおん、あんた冴えない顔してえれえモテてんな」
「うっさいやい、冴えないは確かだけど関係ないわい!」
こうなったら酒場でアジャステッグくんととことん飲んで、それでデュピラスがかもし出す蠱惑的な艶姿を吹っ飛ばしてやる。
ドワーフほどではないが獣人さんも明るい人が多く、横でチラチラと視線を向けてくる戦友もいるので、そのうちに誰かがこっちに加わって来るのでしょう。
「デュピラス、おれのおごりでここにいる人たちに酒をじゃんじゃん持って行ってやれ!」
「はいな、ありがとうございます」
大声で宣言すると割れんばかりの歓声が酒場で湧き上がり、みんなが上機嫌になって酒杯を掲げてくる。いいんだよ、金貨ならまだあるからたまにはハメを外してやる!
……デュピラスがそこまで計算しての誘惑なら、きっとこの子は名物の女将さんになれるでしょう。
この三歴の間に亡くなり、調べられる限りの名を刻んだ慰霊碑が、夜の広場でかがり火の明かりによって照らし出され、泣いている獣人さんもいれば、慰霊碑で死んだ人の名を探す獣人さんもいる。
広場の中ではみんなが地べたに座り、それぞれの思いで総務課が用意した鍋物を食べて、帰って来ない仲間の過去を悼んでいた。
獣人族の式典に弔辞などない、ただ死者を心から弔うだけ。
死線をくぐり抜けた27人の戦友、それにメッティアと一緒におれたちは静かに酒杯を掲げた。終わりが見えそうになかったあの戦いの中で、一人また一人と倒れて、帰らぬ人となってしまった。
生き残ったおれたちは、激戦の中で救いの手を差し伸べられなかったことも、勇敢に戦って命を散らせた彼らのことも、生涯に渡って忘れることはないと誓える。
酒を飲み干すと戦友たちとメッティアは家族の許へ帰って行き、おれはエティリアのそばに戻る。
これでラクータとの紛争は歴史となったのだけれど、獣人族の未来にいなくなった人たちの霊を礎にしていることは、ここにいる生者の心に刻み込まれるだろう。
素朴で純粋なアラリアの獣人族とファージン集落の人々、彼や彼女らと日々を共に過ごせたことに、この世界で生きることを許可してくれた管理神様へ感謝を捧げよう。お別れはもうすぐやって来るけど、記憶に残ったことは消えない。
横で座っているエティリアは物言わずに手を握ってきて、なにも言わずにただ止まらない涙を流しているのみ。
彼女が思ってることを確かめるのは無粋な真似だから、今は一刻でも長く彼女のそばにいるだけ。それが彼女に最後までしてあげられる、おれからのささやかな優しさなんだから。
もう少しで陽の日が訪れ、マッシャーリアの里にまばゆい朝日がさし込むでしょう。指を絡めたまま眠り込んでいるエティリアの手を放し、指を一本ずつゆっくりと起きてしまわないように外していく。
不意に彼女は背中を向けるように寝返りした。少しの間にその小さな背中を眺めていたけど、このままではいつまでも終われそうにないので、ベッドを揺らさないように床へ降り立つ。
足音を立てないように気を付けながら扉へ歩いて行き、後ろのほうから聞こえるのは小さな嗚咽。
思わず立ち止まり、涙をこらえて聞き入ってしまったけど、寝たふりの彼女にかける言葉はない、ただ心の中で自分だけが聞こえるように、彼女へ別れの気持ちをつぶやく。
『エティ、きみとの出逢いは世界を越えないとできないことだった。そんな奇跡みたいな出来事だからきみと一緒にいられた時はおれの宝物、この先もずっと忘れない。いつか、遠くから眺めるだけでもまたきみに会いたい……ありきたりの言葉しか今は思い浮かばないけど、世界の誰よりも幸せに生きてください』
扉を開け、大きくなる泣き声がしてくる。立ち止まりそう足を心で叱咤して、エティリアと愛を交し合った二人の寝室をあとにした。
満天の星が煌めく夜空は寒さが際立っている。
居間で装備を整えたおれはローブをアイテムボックスから出すと体を抱えるように羽織り、これからは自分が選んだ一人の旅、体調はちゃんと管理しなくちゃね。
もっとも不老と健康のユニークスキルがあるおれは体調を落とす方が難しいけど、それでもこの先は独り、自分のことを労ることに心がけておこう。
慰霊碑の前に来ると刻み込まれている名前に手で触れた。ムズナックを始め、多くの獣人の名がそこにあり、すでに還らない人々が精霊王のところで、永い眠りについていることでしょう。
これから自分の思いで観光にアルスを歩き回るおれは、彼や彼女たちがもう見ることのない風景を見て、食べることのない美味な食べ物を口にする。
それは生者だけができること、死者はなにも言わないし、求めてこない。だからとういうわけじゃないけれど、生きれる限りは精一杯生きるつもりだ。
「ありがとうみんな、ちょいとぶらっとお出掛けしてくるわ。いつか珍しい酒を持ってくるから、それまでの別れさ」
もう戻らない日々のことを思うと、涙が少しだけじんでくる。虎人の初代冒険者ギルド長なら、きっと肩を叩いて旅の安全を祈ってくれるし、一緒に戦ったあいつらは笑顔で見送ってくれる。たとえここに彼らがいなくても、おれは今でもそう信じて疑わない。
フッと視線を感じたのでその方向に目をやると、離れた場所で銀龍メデジーがおれのことを見つめている。彼女となら別れの言葉もいらないし、かけるつもりもない。
彼女は爺さんに託されて、おれの人生を見守る者だから。
片手をあげてから何度か振って、それが彼女としばしのお別れに対する挨拶。銀龍メデジーは立ったままで動きそうにないため、おれは彼女から視線を外し、前を向いて大手門のほうへ歩いて行く。
「アキラさんじゃないですか、この時間にどちらへ?」
「ちょっとな、遠出するもんでこの時間なら混まないだろう」
「そうですな。この頃は冒険者が増えて、出入りの記録が大変ですよ。ゼノスの人族が来ればどうなることやら想像できません」
「お疲れさま」
「いえいえ、アキラさんもお気を付けて」
自衛軍の若い兵士が詰め所で対応してくれている。出入り管理を記載する管理簿に自分の名を書き残し、これよりマッシャーリアの里から世界へ旅立つ。
独りになったおれはどこへ行く? 当面の行き先はすでに決めている。西だ、西方移民団が向かうフロンティアの下見を兼ねて、その道のりを自分の目で確かめたい。
そそのかしたのはおれなんだから、その先にどんな危険が潜んでいるかは見ておきたいし、障害となり得るものを取り除けるのなら、移民団がスムーズに先へ進めるように手を打っておきたい。
それより先のことは、なにも考えない。
せっかく冒険できる世界に来て、突出した能力が身についているなら、ここは男らしく冒険に生きようじゃないか。見たかった風景で感動し、思わぬ出会いで人と触れ合い、そこから始まる心がときめく物語はあるはず。
それを追い求めるがため、おれは異世界で新しい人生を始めようと決意したんだから。
ローブのフードを深く被せ、うっすらと明けてくる空の彼方を見晴らし、大きく空気を吸い込んでからゆっくりと口で息を吐く。この先は独り身だけど、静止画なんかじゃないアルス・マーゼ大陸はきっと素晴らしい風景を見せてくれる。
辛いお別れの記憶を心に仕舞い込んで、ときめくこの気持ちで未来へ向かって歩き出そう。
さて、今日もおっさんは異世界を往く。
本話が最終話でした。長い間お読みになって頂き、ありがとうございました。
たくさんのブクマとご評価、ご感想を頂けたこと、心より厚く御礼申し上げたく存じます。
後書きはあるのですが、本文をここで終わらせたいので、活動報告のほうにて記させて頂きます。
皆様にご感謝を!




