第199話 親友に別れの予定を語る
入城するときに装甲戦車のプロトタイプ試作三号車のことで、詰め所にいる騎士たちからしつこく質問されたが、ギルドカードに記載されたおれの名を見てからすぐに通してくれた。
交易都市ゼノスはいつもと同じように賑わいを見せている。行き交う人々と大通りをいく走車、その中をゆったりといくおれたちの走車はやたらと目立っていて、周りから視線が集まって来るのはよくわかった。
商人ギルドにいるワスプールをに訪れ、美人の冗談が好きな秘書さんに呼んでもらい、早退したワスプールと一緒に彼の商会に来ている。
商会の会長夫人コロムサーヌは大喜びで再会したエティリアと倉庫のほうで、入荷した異人族の商品を降ろしながら商売を交えた雑談に花を咲かせている。
「たまげたよ、ギルド内で騒然となっているから何ごとかと思えばアキラの乗ってきた走車だったとは。つくづく騒ぎを起こすのが好きのようで安心したよ」
「心外な! できるだけひっそりと生きたいのがおれの信条なの」
机に置いてあるお菓子を口に放り込んで、ワスプールの興味津々な視線を見つめ返し、温めのお茶を一口だけすする。
「ラクータと獣人族に起きた紛争の結末はここにも伝わっていると思うけど、きみのことだからもうなにか聞いているはずと思うが」
「ええ、勿論です。城塞都市ラクータが連合軍で獣人族に攻め入ったことは、ここ一帯の均衡を変える可能性を秘めていたから、商人ギルドは注意深くことの成り行きを見守っていたし、親友の命が係わっているからさすがに無視できませんよ。でも、さすがに女神様と銀龍様、それに人々を救済する聖人様が現れたとは思いませんでしたので、はっきり言ってたまげました。聖人様はやはりアキ――」
「それ以上は言わせないよワスプールくん! これは獣人さんたちにも伝えてあるけど、その呼び名でおれを呼ぶな。あれは色んな状況が重なり、やむを得ない事情となってそうなってしまったこと。詳しいことを言えないのは、おれもつらいと日頃から思っているけど、それを親友のきみに察してほしい」
「……」
静寂とまでいかなくても静かになっている応接間へ、商会の職員が商人と話し合う声、外ではしゃぐ子供の声が時折り、叫んだり、笑ったりと声量を変化させている。
見つめ合うおっさん二人に言葉などいらない。ワスプールが聖人と呼ばれたおれを見る目がどう変わるか、それによって付き合い方が変質するから。
「……私はアルス様を深く信じていますし、教会の教えに沿うように生き方を努めたいと今でもそう思っている。ですから聖人様がいらっしゃるなら、聖人様を慕うことはごく当たり前のことで、疑うことは致しません」
「……」
どうしようかな。
普段のワスプールはクールですました顔をしているから、理性的な人柄だと思っていたけど、よもや狂信者だとは思わなかった。
親友に神扱いされるのは正直きつい、どうやって彼を説き伏せようか。
「しかしながたアキラとはそれなりの付き合いして、獣人族のことでお手伝いもさせてもらったし、ゼノスで少女たちを救い出して、ファージン集落へ送り届けたのは立派と思う。でも失礼とは思うが、どうしてもアキラが教典で書かれているような聖人様には見えない。それが噂を聞きつけてからの葛藤で、これからアキラとどうやって話せばいいか、ずっと思い悩んでいたんだ……」
体を屈めて頭を抱えてしまったワスプールを見て、おれは思わず顔にニヤッと笑いを浮かべた。
聖人様には見えないというのなら話は早い、聖人じゃないことを彼に伝えればいいだけだ。
「ワスプールくん、一つ聞きたいことがある。人はなにかになるために生きているときみは思うか? 例えばワスプールくんは商人ギルドの副ギルド長になるため、産まれてきたと自分で思うか?」
「……いや、それは商人ギルドからの辞令があったからだが」
「そうだよワスプールくん、実によくできた答えだ。おれは女神様と銀龍様とちょっとした縁があることは否定しない。しないのだが、それがすなわちおれは聖人であることとは関係がない。あくまでその場でそういう雰囲気で、聖人なんて御大層な者と呼ばれてしまったけど、そこにおれの意思と能力は存在しないんだ」
「……」
「ワスプールが知っているように、おれは煩悩を持つ凡庸な人族だ。そりゃ人族の中では強い方だが神々に比べられるもんじゃないし、そういう神の視点で全てを見通す知恵も持っていない。きみが知るアキラというのは日常の生活で悩み、笑い、生きることが精いっぱいただの人。だからきみも今までと変わらずに接してくれれば、おれはとても嬉しく思うよ」
「……アキラはアキラということだな?」
「ああ、おれはおれだ。聖人様とかいう神様なんかじゃないからな」
本当の聖人様は管理神様。それはアルス神教の教典に書かれていないから、おれもワスプールに打ち明けるつもりはない。
神話というのは隠された真実がそこにあり、人々が自分の目で確かめられることだけを書き記して、その時代や背景に合わせて都合のいいように解釈されるものと思う。
たぶんネコミミ巫女元婆さんは、自分の考えでラクータ一帯における人族と獣人族の争いを、新たな神話を書き留めるとおれは予測しているが、それを止めるつもりなどない。
だって銀龍メリジーと風の精霊エデジーは実際に現れたし、彼女たちが連合軍を滅ぼそうとしたところ、攻撃を中止させたのはおれであったのもまた真実。
ただそれを成したのは聖人チョコレート様であり、人族のアキラという男ではないことだけ釘をさしておく。それがおれにできること。連合軍の攻勢を止めたのは、神々と讃えられている銀龍に風の精霊、それに得体の知れぬ人にあらざる者だ。
おれは死亡する寸前まで追いつめられたから、断じて管理神様みたいな聖人という、万能にして万物の頂点に立つ、くだらなく面白くない存在なんかじゃない。
冴えなくて小心者のおっさんは、行く先の知れない世の中で迷いながら、親しい人たちと楽しく生きていたいんだよ。
「そうか、アキラがそういうならそうだろう。いずれにしてもここ一帯に平和が訪れたことは喜ばしいこと、それはアキラが努力して勝ち得たものだと思う。だれがなにを言おうと、最初から見てきた私にはそうしかおもえないからな」
「まあ、頑張ったのは確かだし、ワスプールがそう思うならおれが否定すべきことじゃないよ」
他人から見た自分は、本人が自覚する人格ではないことは当たり前すぎて、それで他人の見方を変える気はさらさらない。好きなように解釈してくれればいい。
それはそうと落ち着きを取り戻したワスプールに、おれから伝えなくちゃいけないことがある。
「ワスプール、獣人族の楽土建設は進んでいるから、前に約束したようにご夫婦を招待したと思うけど、行くか?」
「ええ、無論ですよ、ぜひご案内してほしいものだ。それはいつ頃になるのかだけ教えてほしい、商人ギルドへ休暇届を出さないといけないから」
「ゼノスで用事を済ませたら出発するつもりだからもうすぐだな、きみは副ギルド長だけど休みは取れるのか? 色々と一緒に回ってほしい所もあるし」
「大丈夫ですよ、心配しないでください。拒否されるようなことがあれば、商会のほうが忙しくなったことだし、副ギルド長なんて今すぐでも辞めさせてもらいますよ。あははは」
天候が涼しくなったので、応接間のほうは窓を閉めても暑さは感じさせず、さし込んでくる日差しは眩しさがなく、穏やかな笑いを見せるワスプールは、こともなげにとんでもないことを言い放った。
そんなことすれば美人の秘書さんが泣くじゃないか。
「アキラのことだから、ヌビエリ君のことをどうこうと思っているだろうと思うが、彼女はもうすぐ私の商会に移籍してくるので変なことを考えないように」
「え? 奥さんがお許しの愛人さんかよ、コロムサーヌさんは人ができてるな」
「そういういかがわしい関係じゃない。エティリア商会と取り引きしたおかげさまで、うちもゼノスが公認する商会となれました。取引先がたくさん増えてしまい、コロムサーヌだけでは大変な状態になっているからね、有能な人材がほしいということだよ」
結構なことで商売繁盛で笹を持ってこいってか。もっともこの世界で商売の神がいるかどうかもわからないし、すくなくともアルス神教でそういう神様が教典に書かれてないことは確かだ。
ワスプールに承知してもらったほうがいいことを、この場を借りてそれとなく伝えようかな。
「獣人族がアラリアの森で色々と植物や素材を採集しているけど、ゼノスやラクータと交流が始まれば、色んな人が獣人族の里へ行くと思うだが」
「ええ、アキラの言わんとすることはわかる。ワスプール商会はエティリア商会と、独占的な取引をいくつもさせてもらってますので、それ以上の儲けをしたいとは考えていない。ラクータの商人はともかく、ゼノスの仲間が繁盛できれば私も嬉しく思いますよ。これでも商人ギルドの現職副ギルド長だから」
そういう考えはわりとおれは好きだ。
全体的に栄えることができればコミュニティそのものが発展する。ましてや都市ゼノスは交易で成り立つので自分のことだけじゃなく、商人の仲間に気を遣えるワスプールくんは偉い!
だからね、おれの今後のことを親友にちゃんと言わないといけない。
「ワスプール、獣人族のことが一段落したらおれはここから離れて世界を回るための旅に出る」
親友にして商人ギルドの現職副ギルド長は、コップを口元に当てたまま、なにか考えているような目でおれを見つめる。
「それはエティリア様を連れて長旅に出るということかな? それは私の商会としてちょっと困る事態になるね。エティリア商会とはこれから取引を増やして、獣人族がここ一帯の重要性を高めたいとマイクリフテル夫人がおっしゃられたからね」
「エティリアは連れて行かない。おれだけがここから離れるんだ、ワスプール」
「アキラが一人で旅に出るということか?」
「そうだ」
目を丸くした親友がようやくおれの伝えたいことを理解できたみたい。
「それでお帰りはいつ頃になるのかな?」
「わからない、世界の色んな場所を回るつもりだ。数歴か、それ以上の歳月がかかるかもしれない」
「翻意してここにとどまる可能性は?」
「ない」
いい年をしてワスプールは目じりにわずかな雫を光らせている。テンクスの町にある商人ギルドで出会って以来、彼に色んなことで助けてもらえた。
最初の活動資金である魔法の袋の販売、獣人族の手助けは彼はいなくては成せなかったし、ディレッドたちをファージン集落へ送ってもらったのもワスプールが居てこその話。
異世界に転移してきて、色んな出逢いがある中、ワスプールは本当にファージンさんたちと比類するくらいの良き友だ。友人を作るのは難しくないけど、親友と呼べる人と出会えること自体が奇跡だと、おれは転移するずっと前からそう思っていた。
「たまにならひょっこと顔を出すから」
「そうしてくれ」
ソファーから立ち上がったワスプールはおれの所まできた。起立したおれは右手で彼と握手し、左手でその肩を抱き寄せて、男同士の抱擁は熱い友情の証。
酒を飲みかわすことは少なくなるけれど、下の里へ帰還するまでの旅の間は、時間が許す限り吐くほど豪飲してやると決意した。
ありがとうございました。




