第192話 帰還に喜びはない
最終章です。
なにやら聖人様を称える儀式が開催されそうな噂を聞きつけ、ゼノス教会に所属する神教騎士団からモビスを譲り受けたおれたちは、陰の日の夜闇に紛れ、ネコミミ巫女元婆さんのイ・オルガウドさんだけに見送られて、マッシャーリアの里へ帰還する。
ネコミミさんは不機嫌そうだったけど、そんな儀式に出る気がないおれはそそくさと逃げることにした。獣人族の戦死者の葬式を終え、ひと段落がついたらゼノスへ行く約束を巫女様と交わして、おれたちは下の里へ帰るためにモビスを走らせた。
帰路はみんな無口であった。
29頭のモビスは手綱に急かされて、ひたすら下の里へ向かって走っているだけ。自衛軍に所属する虎人族と獅子人族は甚大の損害を出し、九割を超える死者ってなんなんだ? ほぼ全滅そのものじゃないか。
敵として戦った獣人部隊の死者の数をアイテムボックスでチェックすると、こっちが出した死亡者の数を差し引くとちょうど千人。こういうときにメニューで表される数値を憎らしく感じる。
――人は数字で数えることはあるけど、人生は数値なんかで量れやしないんだよ。
マッシャーリアの里に着くまでまだ距離はあるが、心の中で着きたくない気持ちは存在する。下の里に着けばムナズックたちは送り火でアルス様の許へ行き、それで彼らの生涯の物語は終わってしまう。
戦いを備えてみんなでご飯を食べ、家族のことを話し、お互いを励まし合ったんだ。それがもう声を聞くことはできないし、楽しく語り合うこともない。
みんな、死んだんだ。戦っているときはそれどころじゃなかったのに、今となって悲しみが込み上げてくる。
――なんだか泣けてきたな。
でも啜り泣きしているはおれだけじゃない、横にいる獣人さんたちからも聞こえてくる。もう少しだけこのままモビスで先を急ぎ、適当な場所でご飯を食べながら休憩をとろうか。
パーティするという気分にはなれないけれど、おれ以外は元の世界では大型猛獣に属する虎と獅子の獣人さんたちなので、ここは焼き肉を食事に出すことにした。
悲しいことがあるときに、お酒というのは楽しく飲めないと思ったから、水魔法の生活魔法で湯を沸かし、お飲み物ということでエルフのお茶を臨時の食卓に添えた。
「……これ、村長の大好物なの」
メッティアはオーク肉の焼き肉を口にすると、ボソッとこぼすように呟いた。
「里でも焼き肉の料理を出すのか?」
「うん。ラメイベスさんがね、よくゾシスリアちゃんたちからせがまれるの。それでエイさんと村長がヤクニクを食べながらお酒を飲むの……
――う、ううう」
お皿を置くとメッティアは両手で顔を覆い、涙でアルガカンザリス村の村長であったムナズックを偲んでいる。
「泣くな、メッティア! 村長は同胞を守るため勇敢に戦った、そういうふうに悲しまれると村長が怒るぞ。オレはみじめな死に方をしていないとな。
飯を食え、腹一杯食え、村長はお前らが笑っている時が一番嬉しいんだ!」
「……すんっ……はい、食べます……すん」
アルガカンザリス村の村人と思われる虎人がメッティアを叱りつけると、彼女は涙と鼻水を垂らして、お皿を取ってガツガツとオーク肉の焼き肉を食べ出した。
周りにいる獣人さんもそれに見習うかのように猛然と口へ肉を頬張る。おれは無言でまだ焼いていない生肉を鉄板の上に並べて調理し続けるだけ。
親しかった人が居なくなって初めて知るこの喪失感。
――過去の自分は幸せだったなんだろうな。
元の世界では身近にいた祖父母が死んだときは子供のときだったし、あれから幾人の親族や知り合いが亡くなったことがあったのだけど、人が死ぬということはよく理解できなかった。
それが獣人族と仲良くなり、他人との付き合いも増え、里で日常の会話を重ねた獅子人と虎人とともに戦に臨んだ。
さきまで元気だったやつが目の前で命を絶たれ、二度と話すことができなくなり、記憶の中でしか思い出せないようになったことに、今は沸き上がる様々な感情をどうすることもできずに戸惑っている。
この世界で生き、こういう悲しい出来事はまた起こるかもしれない。普通に生きる人たちにとって、モンスターに出くわせば殺され、盗賊に襲われることだってある。
医学が発達していないこの世界では病に侵されれば、人なんて簡単に死んでしまう。
強さがなければこの世界で命というのは脆くて儚いもの。
だれかが助けてくれる義理もないし、だれかを助ける義務もない。神みたいな存在からチートを授かったおれは、それを正しく理解していなかったのだろう。
――まったく無知とは幸福で愚かしいことよな。
始まりはモフモフさんに対する人族の扱いを見逃せなかった。だがそれはなにかの考えがあってのものじゃなく、ただ異世界好きな自分が、物語の中にしかいなかったモフモフへ送る自己中心の妄想だけであった。
きっかけはエティと出逢い。
彼女を幸せにしたいと思って、獣人さんのためとおれが自分の考えで色々と動き回った。本当、深慮もなく思い付きだけで行動したもんだ。
結果だけを見ると、獣人族をラクータの人族から解放することができた。それについての後悔はない。
反省するとなれば、これからはもっとこの世界のことをよく知り、なにかを成そうとするときは、それにかかわる人たちと話し合い、より良い道を探し求めることなんだろう。
つまるところ、おれはまだまだ未熟だし、欠点をたくさん持つただの人族ということ。
聖人なんて恐れ入る存在じゃないし、アルス神教の教えを借りれば聖人とは管理神様そのもの。神じゃない人であるおれは聖人であっていいはずがない。
休憩が終われば下の里へ帰る。今はなにを考えてもネガティブの発想しかできないだろうし、おれより獣人さんたちのほうが同胞の死を悼むことになるのだろう。
ただ伝えてあげたいことは、ムナズックたちは文字通り命をかけて、獣人族の未来を切り開いたということ。それだけはちゃんとみんなに語り継がせてほしい。
おれたちが到着したとき、アジャステッグくんはおれたちを助けに行くため準備していた。エイさんたちは救助した城塞都市ラクータの策略で追い立てられていた獣人さんたちを、銀星の都市へ避難させようとしているところだった。
「ちゃんぴおん、無事に逃げてきたか! これからちゃんぴおんたちを助けに行こうと思ったがよくぞ戻ってきてくれた」
「……」
明るく快活そうに笑ってるアジャステッグくんに返事することができない。
おれといた獣人さんたちは、ほんとんど全滅したことを、どうやって話を切り出して、彼に伝えてやればいいかがわからない。
「婿殿、無事でよかった。
これから人族が攻めてくるだろう? 撤退の用意を済ませたからあとは放火するだけだが……
ムナズックたちはどうした? 一緒に帰って来なかったのか?」
「……」
武人のエイさんは労うようにおれの肩を叩き、微笑みながらこの後のことを聞いてくるが、ムナズックたちのことはどうしてもおれの口から言えそうにない。
――チートを持っているからってそれがどうした? 心が醜くキモいおっさんだおれは。
こういうときこそ勇気を出して話してあげないといけないのに、責められてしまうじゃないかと思うと、足が震えて逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「村長は……ムナズックさんは討死にしました。ここにいるあたしらが生き残りです、ほかのみんなはもう……
う、ううう……」
「……」
健気な少女に助けられて、彼女からの知らせにアジャステッグくんとエイさんは固まったように絶句し、確認するように帰ってきたほかの獣人さんに目を向ける。
おれと泣き崩れているメッティア以外の戦友たちは、悲痛な表情で少女の言葉を肯定するように頷いた。
メッティアの泣き声がこの場を支配し、だれも言葉を喋ろうとしない。
「――くそどもがあっ!
出陣だっ! 獅子人族の誇りをかけて、ムナズックたち同胞の敵を討ってやるぞ!」
辺りの静けさを切り裂くように、若い獅子人の将軍様は声を張り上げた。
「もういい、戦いは終結した。人族の連合軍は引いたんだ。
もう決着はついたよ、アジャステッグくん」
「……終わったと? ちゃんぴおん、あんたなにを――」
「終わったんだよ、もう戦わなくてもいいんだ……」
やっとおれにも言葉を発することができた。
エイさんとアジャステッグくんからの視線をそらして、遠く離れた戦場だった方向へ思いを募らせる。
――みんな、帰って来たよ。
尊い犠牲なんて偽善めいたことは言わないけど、みんなの死は確かにこの里の礎になったんだ。
だからもう、安らかに眠ってくれ。
マッシャーリアの里の重い空気に悲しみが混ざり込む。
自衛軍は半減した仲間のことで嘆き、27人の生き残りが戦いの経過を彼らに言い聞かせている。おれは逃げるように一人で大手門の横にある塀の上で、ただ時間が過ぎていくことを気にせずに腰をかけているだけ。
もうすぐ陰の日は終わり、陽の日の夜明けが来るでしょうが、心は果たして朝日が昇るように晴れるのだろうか。
「……婿殿、今はいいかな」
「エイさんか、ちょっと待てな」
塀の上から降りると、ガタイのいいエイさんと向き合った。
武人の両目はうっすらと明ける夜空でもわかるくらい腫れていて、さてはこの兎人の武人さんも涙を流したのだろう。
「話は聞いた、婿殿に感謝を申し上げたい。よくぞ我ら獣人族をお救いくださった」
「やめてくれよエイさん。みんな死んだんだぜ? おれは――」
「――婿殿っ!」
目に涙をためている武人さんは、おれの行動が止まってしまうくらい、大きな声を張り上げてから肩を握りしめてくる。
「婿殿はよくやったんだ。
数万の軍勢を僅か数百の同胞と一緒に引き止め、追われる同胞が逃げれるように時間を稼いで、ラクータとの戦いを終わらせてくれた。
婿殿はよくやった。だれもできないことをしてくれたんだ。胸を張ってくれ、そうでないとムナズックのやつが報われぬ」
「……そうか、そうだといいな」
「ああ、我らは婿殿に大きな借りができた。さすがは聖人様だ」
「え? ちょ、ちょっと、その聖人様はやめてほしいけど」
――しまったあ、戦友に口止めすることを忘れた。
「女神様と銀龍様を従えて、人族の連合軍を――」
「はいその話はそこで終わり、ほかの人にその話を流してはダメだぞ」
おれの慌てっぷりにエイさんは口を閉じ、いつになく優しそうな目で見つめてくる。
――そうだね、くよくよしてもはじまらない。
ムナズックならきっと笑えと言ってくれるはず。
獣人族は誇り高き種族、悲しまれるほど情けない人生の歩みを送っていない。最後の最期までムナズックたちは武器を手にし、精鋭である人族の騎士団を相手に勇猛に戦い抜いた。
盛大な送り火で女神のところへ送ってあげよう、肩を並べて共に戦えたことを誇りに。
「すでに上の里へ使いを出した。まずは全ての同胞がここマッシャーリアの里で集結し、同胞を偲んでからアルス様の所へ送ってあげるつもりだ」
「ああ、それがいい。それならムナズックたちも喜ぶだろう」
「ところで聖人さ――」
「はいストップ! 聖人は無しだ、ちょっとみんなに念を押してくるからもう行くわ」
慌てて走り去るおれを笑顔でエイさんは見送ってくれた。夜明けは近い、もうすく次の陽の日がそこまで来ている。
――さあ、気持ちを切り替えようか。
獣人族の里が進行中の工事、ラクータとの和平交渉、ここ一帯の都市会議に対する提案。
一番大事なのは恋人のためにエティリア商会のお手伝い。
まだまだやらねばならないことがいっぱいあるし、会わねばならない人たちがいる。
アラリアに住む獣人族へ事後処理の協力を滞りなく済ませると、前から決めていた自分の道を行くつもりだ。
――果てしない世界アルスを観光する。一段落がついたら、おれは獣人の里を出て、一人で気ままの旅に身を任せよう。
ありがとうございました。




