第189話 事態の急変に困惑するばかり
人は愚かなものだとずっと思ってきた。そのために人は知らずに物事に過ちを犯し、悔い改める機会を得て、そうやって自分自身を確立させながら成長していく。
だからね、ないわ。これはないわ。聖人って誰だよそれ、間違いだらけのおれがそんな存在であっていいはずがない。
手のひらを返すように鳴りやまないおれへの称賛、先までおれを殺したかったのじゃなかったのかよ。
それに横にいる獣人さんたち、跪いて拝んでくるのは今すぐやめなさい。あんたらはかけがえのない生死をともにした戦友、そうやっておっさんの心をゴリゴリと削らないでくれ。
『むむ。確かに主様がエデジーとメリジーを止めたときとよく似た状況でござるな』
「やめてくれよ。あれは管理神様だからなせる業、おれはただのちっぽけなしがないおっさんだぜ」
どこか面白がっているような口調で話しかけてくる風鷹の精霊。
そういえばファージン集落でイ・コルゼーがアルス神教の教典で重要な教条に当たる人魔の争いの章の最終節をご高説されたときに、神々の怒気を触れたときの唯一の救いであり、神々の憤怒による災厄から人々が救われる神の恩愛とか書いてた気がする。
って、ちょっと待てよ。それじゃおれも神になるじゃないか。それは断固として拒否させてもらうぞ。
今はそんなことよりもこの場をどうやって鎮めようか。メリジーさんもエデジーさんも体勢を崩すことなく、神々しい神像と化しているように全然動いてくれない。
困ったな、これはどうしたらいいか? おれには解決できる知恵が回らない。
聖人コールが叫ばれる中、遠く離れた場所から土煙があがっている。ラクータの援軍かなと思って目をやると人族たちはおれと同じ方向へ首を向け、なにやらざわめきだした。
その落ち着かなさそうな様子を眺めていると、どうもラクータからきた援軍じゃないらしい。それはそうと人族からの聖人コールが止まって、とりあえず思考する時間ができた。
人族の連合軍と剣を交えて斬り合うことはこれで終わるだろうが、どういう決着をつけるかはよくわからない。和平条約を結ぶ? それは獣人さんたちがいないと決められないこと、おれはそれに対して意見を出すこともないでしょう。
ここに至るまで、獣人さんたちは甚大な被害を被ってきたわけだし、おれの意見を重んじる彼らに、判断を誤らせてしまうことは言うべきじゃない。
妥協案としてひとまずここで戦闘終了みたいな宣言を双方が出し合い、日を改めてテーブルで向き合ってから協議を行えばいいのかもね。その時にオブバーザーとして交易都市ゼノスからゲストを招き、ここ一帯が平和になれるように、なんらかの決議を人族と獣人族が見出せば問題ないと思う。
そのためにも、今でも城塞都市ラクータにいる獣人さんたちに対して、その身の安全を保障してもらうことは絶対に譲れない条件。これだけは人族の連合軍が約束し、城塞都市ラクータへ帰還したら遵守してもらわないとダメだ。
そういうことを考えつつ、人族の連合軍のほうへ顔を向けると、厳しい視線がおれに注がれていることに気が付き、そこには城塞都市ラクータの都市の長であるプロンゴンと、ラクータ教会のイ・ムスティガル団神官が憎々しげにおれを睨みつけていた。
彼らの周りに護衛する騎士は数が少なく、見放されたのかなと思っているところに、近付いてくる来る土煙の正体はモビスに跨った神教騎士団と、その鎧姿で確認することができた。
「女神様あ!」
声の主はネコミミ巫女元婆さんだ。血相を変え、モビスから降りると彼女はオレの後ろにいる風の精霊に拝跪の礼を捧げる。
彼女に付いてきた騎士たちもそれに見習って、次々とモビスから飛び降り、崇拝する女神様に跪き、頭を地面に打ち付けている。
なんでここにゼノスの神教騎士団はいるかは知らないけど、後始末について、巫女のイ・オルガウドさんに手伝ってもらうというのはアリかもしれない。なんせ、下の里を出てから緊張続きで今にも倒れそう。その証拠に一緒に戦った獣人さんたちはすでに座り込んで、しゃべる気力もなくてへたばっているご様子だ。
「ちょこれーと、ラクータ教会の騎士団から急報が来たのじゃ。ラクータからの軍勢が獣人の村へ向けて進軍し出したというのじゃ。なぜ女神様がここにおられる? なぜ竜の使い様である銀龍メリジー様がここにおわす? ここでいったいなにが起きたのじゃ!」
「あ、うん。話せば長くなるがどこから話せばいいのかがわからん」
色々とお聞きしたい気持ちはわかりますけどね、おれに向かって膝を大地についたままで話しかけてくるのはやめてもらえないかな。なんだか巫女様がおれを拝んでいるような気分で落ち着かないんだよ。
「イ・オルガウド様、ラクータ教会に所属する、ラクータ支団第五小隊の副隊長が事情を説明されると申し出ております」
「おお、急報を出して知らせてくれた副隊長なのじゃな。っちに来させるのじゃ」
なんだ、ラクータ教会に所属する神教騎士団の中にも、獣人族よりのやつはいたということかな。
「イ・オルガウド様、お久しぶりでございます」
「挨拶などどうでもいいのじゃ、はよう説明するのじゃ」
「はっ! 事の始まりはすでにお知らせように私たちはラクータを出て――」
中年の神教騎士が元婆さんの巫女に拝跪の礼を取ったまま話し始めている。もう一度辺りを見回すと、ハゲの大神官と怒るラクータの都市の長以外、ここにいる全ての人は女神様のほうへ元婆さんと同じような姿勢を取っていた。
これ、いつまで続くのかな。
本当は沈黙の女神様と竜の使い様へ話しかけたいけど、彼女たちがしゃべり出すと大変なことになりそうな予感がしたので、彼女たちと会話を交わすことを断念した。神様のお言葉って、信者のとってはお告げになるもんな。
その代わりじゃないけどおれは風鷹の精霊にお願いしたいことがある。
「ローイン」
『なにか用でござるか?』
「ここにいる怪我人を治してくれないかな」
獣人さんたちはもちろん、今でも戦場で怪我をしている人族たちがいる。一連の流れで獣人さんたちを治す暇はなかったし、人族だって女神様の出現以来、怪我人を治癒させる時間がなかった。このまま放っておくと死人が出るかもしれないので、それは寝覚めが悪い話だ。
『ケモノビトでござるか?』
「いや、ここにいる全ての怪我人だよ」
『ふむ。アキラ殿は人が良いでござるな』
「皮肉を言うなよ。戦いは終わったんだ、死んでいい愛し子はここにいないと思うから」
風鷹の精霊は頷くと両翼を広げ、体を一回転させ、心地よい涼しい風が吹き渡って行く。戦場で倒れていた人族たちはもそもそと起き上がり、状況を確かめるように首をキョロキョロさせていた。
そのまま倒れている人族もいるが、たぶんそれは物を言わぬしかばね。ムナズックのように戦死した獣人さんの死体もたくさんあるので、あとでアイテムボックスに収容し、里へ連れて帰ってやりたい。
先の光景を見ている人族がいたらしく、大きな声で女神様へ感謝を捧げるとともに、聖人を称える声がまた湧き上がった。
お願いだからもうやめて、おれは聖人なんかじゃありません。聖人なら事態がこんなごじゃまぜになるまで悪化させたりはしませんし、神ならざる人の身だからこういう最悪な状況となりました。
良心が痛むので、そういうご大層な名でおれを呼ばないでくれ。
「ローイン、悪いけど下の里へ逃亡しているアジャステッグくんたちの様子を見てきてくれないか?」
『ふむ、様子見だけで良いでござるか』
「ああ、無事だとは思うけど一応心配だし、その途中で走って逃げている獣人の少女がいれば、ここに帰ってきてくれと伝えてほしい。名はメッティアだ」
『了承でござる』
風となって消えた風鷹の精霊はこの場からいなくなる。幸いというべきかな、ゼノスに所属している神教騎士団たちは、女神様へ向かって顔を地面になすりつけているので、大きな鷹の行動に気付いていない。
怪我が癒えた人族たちはうろうろと歩いている。たぶん女神様と竜の使い様が降臨されたときに気を失い、なにが起きていたかが理解できていないのだろうね。
美しい風の精霊エデジーと銀龍メリジーを見上げたが、彼女たちは口を閉ざしたままおれが見ていることも気付いていない様子だ。
風の精霊エデジーなんて、教会で見るよりもはるかに神々しく、気高く荘厳なその雰囲気はまさに女神様。普段のチョコレートをねだる姿からは想像できない。
銀龍は目を凝らさないとその鱗が浮かび上がってこないくらい、まるでつなぎ目がない一体化した白銀色の皮膚は太陽の光に反射して煌めいている。スラッとした四肢と長い首、その巨体からすれば小さ目な頭に二つの角が後方へ伸びている。
これがいつも談笑しているメリジーの本当のお姿なのか、拝めることができてよかったよ。
神々に心を奪われているときに大きな衝撃が体を襲い、これは魔法攻撃だと一瞬でわかった。口から血を吐き出し、体が地面に倒れる。
「お前のせいでスクアの地が遠ざかった! スクアに詫びて死んで行け!」
声の方向に身体を向けるとプロンゴンというやつが黒く光る片手剣を掲げておれを斬りつけようとしている。その後方でハゲの大神官が体に魔法陣を起動させ、右手をおれの方向に掲げていた。さきの魔法攻撃はあいつか。
それはそうとプロンゴンはなにを言っている。スクアの地? スクアってなんだ? あいつの左手は子供のしゃれこうべを持っているがあれはなんだ?
咄嗟過ぎて避けることも忘れ、振り下ろされようとしている黒く光る片手剣に目をやる。あれはダンジョンからトレジャーハントしたもの、もし首でも斬られたら即死と思ったおれは、異界の服がついている不壊属性で受けとめると判断して、右腕をあげた。
「死んでスクアに詫びろ!」
だからスクアって誰だよ!
ドオォーーン
ドオォーーン
二連発の乾いた銃声が鳴り響き、倒れ込んで右手をあげているおれも、剣を振り下ろそうとしているプロンゴンも、再度魔法を撃とうとしたハゲの大神官も、その音で進行中の行動を停止させられた。
次の瞬間、プロンゴンとハゲの大神官の頭が砕け散り、肉片を四散させ、受けた衝撃で体が後方に飛んでいく。右手が握っていた片手剣も、左手で持った子供のしゃれこうべもプロンゴンと一緒に宙を舞った。
『エデジーっ!』
時空間が停止していた時代で見ていたもののように、動かなくなっている銀龍メリジーが大声で叫び、呼ばれて風の精霊エデジーが姿を風に変えてこの場から消え去った。
なんだ、またなにが起こったというのか? もう色々あり過ぎてわけがわからん。
「メリジー、なにがあったんだ!」
おれを見ることなく、銃声した方向へメリジーは鋭くて射殺さんばかりの眼光を飛ばしている。
『お前は感じないのか、人にあらざる者が現れたんだよ』
「え? 人にあらざる者って……」
それって、前にメリジーから聞いた母なるアルスから生み出される、守護と同等の化け物のことだよな? なんであんな者がこんなところにいる。
茫然と立っているだけのおれは、なにも見えて来ない草原へただ目を向けていた。
ありがとうございました。




