第187話 シルバードラゴンと女神様
この世界のドラゴンはどういう理屈で飛んでいるのはよくわからない。空中に浮かんでいる流線型でスマートな銀龍メリジーは羽ばたいているけど、どう見たってあれは揚力を得るためのものじゃないよな?
まあ、ここは異世界だし、ファンタジーということで片づけておこうか。
それよりも目の前にいる、冷たい目で見つめてくる女神をどうにかしないといけない。このまま放っておくと、気温が絶対零度までに下がってしまうじゃなかろうか。
だけど最初から事の成り行きを説明しようとしたら長くなるはず、そんな時間はなさそうに見えるけど、これどうしようかな。
『ケモノビトを殺めるは種族の争い、それに口は出さんが見守る者を殺そうとしたのは許せん!』
ほらあ、銀龍メリジーがめっちゃ怒ってますよ。
「皆の者、立ち上がれ!」
人族の連合軍から声が聞こえたので、そっちのほうに向くと法衣を着た大神官のハゲのおっさんが神教騎士団に守られて、両手を大きく広げている。
「教典で書かれた魔族を守る邪龍メリジーがここにいる、これは獣人どもが魔族に操られている証拠だ。邪龍メリジーと魔族は獣人どもを使って、アルス様が祝福するこの地を侵略しようとしている。さあ、皆の者よ立ち上がれ。アルス様のご恩愛に報いるため、我ら人族は魔族の手先である獣人どもやその親玉たる邪龍メリジーを撃ち滅ぼせねばならんのだ!」
大神官イ・ムスティガルが妙な宣言をし終えると、その周りで神教騎士団の騎士たちが忙しく動き回っている。
急に珍事が始まったもので、たぶんおれだけじゃなく、銀龍メリジーと風の精霊エデジーも、この出来事を訝しんでいると思う。その証拠に二人とも動かずに、人族の動向を見ているだけで先から動いていない。
それにしてもハゲのおっさんは滑稽な喜劇を上演してくれるものだ。そこに彼らが敬愛してやまない女神様が居るにもかかわらず、彼女を見分けてお祈りを捧げることもなく、守護の眷属である神の系譜ともいえる銀龍メリジーを邪龍呼ばわり。
その上に獣人族を魔族の手先と断じ、魔族が侵略してくるとブラフをよくもまあ、この場でいきなり仕立て上げられたもんだ。
まったく人の知恵にはいつも感心させられるよ。
『ローイン』
風の精霊エデジーが声を出すと風が巻き起こり、大きな鷹がこの場に現れた。
『エデジーでござるか、なんの用でござるか? むむ、これは……人族とケモノビトは戦ったでござるな』
風鷹の精霊は首をちょこまかと動かして、状況を把握してから自分に言い聞かすように呟いた。
『ローイン、あなたはなにか知ってるようですね。さあ、事情を説明なさい』
『・・・・・・』
女神に問われた風鷹の精霊がいきなり早口でなにか話し出して、耳を立てようと思ったが、なにを言っているのかがさっぱりわからん。なんだあれは、精霊語なのか? 移動中によくあいつと話しているから、ローインならこちらのことはよく知っているはずだ。
「勇者様が魔族の首魁たる邪龍メリジーに倒されてから幾星霜、我らアルス神教は、勇者様が残しておられた遺志である魔族の打倒を継ぐべく、いくつもの秘術を創り上げたのだ。皆の者、渡した魔晶を手に取れ!」
先からずっと演説を続ける大神官のイ・ムスティガルは懐から大きな魔晶を取り出し、それを高く掲げてみせている。銀龍メリジーの存在に圧倒され、座り込んでいる連合軍の兵士たちも胸元から、手のひらの大きさくらいの魔晶を大神官と同じように上へあげた。
それにしてもアルス神教というのは勇者を崇拝していたのか、これはとんでもないことを聞いた。てっきり女神様が唯一神だと思っていたが、裏ではそういう主義を持っていたんだな。
「邪龍め! 今こそ貴様を滅ぼし、我ら人族が率いる多種族がアルス様に導かれ、アルス連山を越え、魔族を滅して、アルス様のお恩愛をこのアルス・マーゼ大陸に余すことなく照らさせてくれようぞ! どうだ、恐れ入ったか、慄いたか、跪いてその罪を悔やみながらここで滅されよ!」
なんだこのロープレのようなイベントは。やるならさっさとやれや、この三流神官が。あまりの滑稽っぷりに、銀龍メリジーは呆れかえって物を言えなくなっているはずだぞ。
もうね、見上げてみたらあいつが口をパクパクさせているじゃないか。
「見て驚くがいい。我らアルス神教が長い年月をかけて、勇者様を超えるため練り上げた滅神の秘術。この秘術を食らったらアルス様とって無事では済まされん、お前のような邪龍などひとたまりもないわ!」
ええっと……滅神の秘術とか、食らったら女神が無事じゃないとか、本当にアルス神教は女神様を敬う気はあるのか? こいつらは宗教の名を借りた政治団体のなにかと疑いたくなる。
「恐れながら滅ぶがいい、邪龍メリジーっ! 神聖なる滅神陣……」
神聖なのに滅神って、突っ込みたくなるけどそれどころじゃない。人族の連合軍の頭上に巨大な光り輝く魔法陣が出現し、回転し始めたかと思いきや、徐々にその回転速度を上げていく。
「輝く破邪降魔の光よ!」
ハゲのおっさんが叫ぶ言葉の意味をちょっと思考すると、神を滅ぼし、破邪して魔を降す……それってただの皆殺しやんけ!
なんてくだらんことを思っていたら巨大な魔法陣から、おれの使用する上級光魔法が児戯に見えるくらいの神聖魔法が撃ち出され、それは一直線に銀龍メリジーへ向かっていく。
おいおい、あれは宇宙に浮かぶスペースコロニーを改造したビーム砲的な攻撃魔法じゃないのか! ラクータのやつらはこういう奥の手を隠していたのか。最初からぶっ放されたらきっとおれたちは一撃で全滅したんだろう。
こんなの食らったら銀龍メリジーだって……
……ご無事でした。
上へ見上げると、銀龍メリジーは自分の体を超える径の神聖魔法を、こともなげに片手で受け止めている。
マジか、守護の眷属ってどんだけだよ。
『人族風情の魔法がどうした、こんなカスカスの魔法ごときに守護の眷属たるわれに効くはずもないわ! 焦熱の吐息!』
やけどすると思うほどの熱気に襲われ、銀龍メリジーの口から吐き出された炎の塊は神聖魔法を一瞬でかき消し、空の彼方へ飛び去って行く。
あれがこっちに飛んで来たら、たぶんここ一帯が焼失してしまっているのでしょう。
……おっかねえ! まさか守護の眷属がここまで強いなんて思わなかったな。
『……罪のない愛し子を殺め、我が代理の巫女を痛めつけ、あろうことに守護の眷属に刃向かうとは……』
凍り付くような低い声を出したのは風の精霊エデジー。彼女は両手を広げると、変身したかのように体が倍に膨れ上がり、女神像と同じのように右手に槍斧を握り、左手は丸い盾を装着している。
アルス神教で敬われている女神様が、その御姿でここに降臨しました。
『ラクータの人族は我ら守護の眷属を逆らい、気を狂わせた者どもか!』
顕現した女神様のお姿に連合軍の人々は動揺した。切り札である神聖滅神なんちゃら魔法が撃ち破られた上、崇拝する女神様に罵声を浴びせられ、その慌てぶりはおれから見てもバカにしか見えない。
「化け物に気圧されるな! ぼくらを導くべきのアルス様が魔族の首魁である邪龍といるはずがない! あれはアルス様の御姿に似せた邪神、獣人を誑かす人族の男はその手先、もろとも撃ち滅ぼしてアルス様の神威を知らしめろ!」
都市の長プロンゴンが怒声をあげると、連合軍の人々は魔晶をもう一度掲げた。ハゲの大神官と神教騎士団が両手で魔晶を包み込むようにして、なにかを唱え始め、それに合わせたかのように巨大な魔法陣がまた回り始める。
今度の目標は風の精霊エデジーとおれのようだが、女神様が動じることなく突っ立ているだけ。大丈夫なのかおい、コロニーから打ち出されるビーム砲だぞ?
『慌てなくもいいでござる』
「あ、ローイン」
気が付くと風鷹の精霊が後ろにいた。
『エデジーが持つは絶防の盾、守護の眷属でも破ることは難しいでござる。その槍斧は種族を滅ぼすための滅殺の槍斧でござる。ここにいくら人族が集まろうと、エデジーに敵うことはできないでござる』
「あ、そうでっか……」
もう、おれにはなにがなにだか全然わからない。
でも確かにおれの視線で守護の眷属を考えるのはよくないことだけは、はっきりと理解できた。銀龍メリジーも風鷹の精霊ローインも仲良くしてくれているけど、元々守護の眷属というのは、短い生涯しか過ごせない種族と、思考する範疇そのものが違う。
眷属が重んじるのは世界の理であって、多種族が自分の都合で作る法など、きっと無意味なことでしかないでしょう。
神視線なんておれにはできないように、おれの視線で考えろというのは、神に等しい守護の眷属に無理を押し付けている気がする。今後はそれを気を付けながらお付き合いさせてもらおう。
「神聖なる滅神陣、輝く破邪――」
『静まりなさい』
まさにハゲの大神官が神聖滅神なんちゃら魔法を撃ち出そうとしたときに、風の精霊エデジーは左腕を横方向へ振り払った。たったそれだけの動作で、輝く魔法と巨大な魔法陣が消失した。
キャンセラーかよおい!
最大の技がまるで通じないことに、ハゲの大神官と神教騎士団は放心したように手から武器が抜け落ちると、辺りをけたたましい金属音が響き渡り、未知の恐怖に怯えている連合軍の兵士たちはほぼ全員が武器を手放した。
『見守る者に手をあげ、我に刃向かった罪を知れい!』
数えられないくらいの多重魔法陣を起動させると、銀龍メリジーの周りに光球が次々と出現して、それらが寄り集まる無数としか表現できないその光魔法は、星の光なんかじゃなく、もはや小さな太陽と言えるかもしれない。
『てめえらはまとめて殺してやる!』
開口する銀龍メリジーの口の中から火球が輝き、次第にふくれあがるそれは、先に吐き出したそれと比べられない密度を誇る。その焦熱の吐息で焼かれたら、人族の連合軍はしかばねすら残すことがないのでしょう。
『種族の争いは命の能力を高めるもの。他者をいたぶり、我欲を満たすものにあらず』
手に持つ槍斧を斜め上に構えると、風の精霊エデジーの前で竜巻が巻き上がり、どういうわけかは知らないけど、竜巻が周りにあるものを吸い上げることはない。女神様からの霊圧が高まるにつれ、竜巻がどんどん大きくなって行き、それは今にも天を衝かんばかりだ。
『愛し子を殺めるものは消え失せなさい』
アルス神教の教典に女神は霊風を操り、神敵を滅すると書かれている。
ここに至って、人族の連合軍は目の前にいるのが本物の女神様と思い知り、跪く人がいれば、泣いて許しを請う人もいる。教会で見かけたように痛さを忘れ、大地に額を連打し、血を出しながら神の慈悲を願う人たちも多くいた。
だが怒れる女神様にそれは届くことがなく、冷たく眺めている女神の眼差しは、その眼光だけで全てを凍り付かせそうだ。
なるほど、アルス神教に描かれている神話は強調されたものじゃなく、真実を切り取ったものだったんだな。もう少しでおれはこの世界で神々と唄われる者が人族を、大量虐殺する場面を見ることになるのでしょう。
ありがとうございました。
やっと第0話に辿り着けた、終章まであと少しです。




