第176話 友の商会で会話を交わす
暑い日差しの中、ワスプール商会にある応接室は涼しさを感じさせてくれる。天井が低いことから小屋裏が設けられていると思うし、窓に面しているのは広い庭でその外側に人工的に作られた小川が流れている。
「アキラから聞いた話で、ラクータは兵を引く気はないだろうな」
「そういう情報をラクータで得てきたから、いまさらあいつらも後戻りはしないでしょう。獣人族が村を捨て、アラリアの森へ入ろうとしたため、ラクータとしても貴重な資源を失いたくないと思うはず」
「今となっては獣人族が村から退去してよかったと思うよ」
「いや、退去したから出兵を決意したのでしょう。ただいつかは起こることでそれが早まっただけと考えている」
夫人のコロムサーヌは同席しているが、おれとワスプールの話を聞き入るだけで先から言葉を発することはなく、愛飲するエルフのお茶も手付かずに冷めてしまった。
「アキラはやはり獣人族と行くのか」
「それが筋を通すということだろう。ある意味では最初に言い出したのはおれだったし、森に入れるようになったきっかけを作ったのもおれだ。責任を取らなくちゃね」
「責任か……」
「ごめん、ちょっと言い間違えた。おれが獣人族を巻き込んでしまったというか、したいことをしているから責任じゃないよな。おれがするべきをやってると表現したほうが正しいかな」
そうだ。これはおれが獣人族の力になりたい、彼や彼女らの手助けしたい、エティリアを幸せにしたいと思ってやっていることだ。だから途中で下車することなく、最後までやらなくちゃいけない。
「ここまで来たらもう止めないけど命は大切にしてくれ。アキラと私は親友だから心配をかけさせるな」
「ありがとうよ。なに、ラクータとは戦う気がないし、戦っても勝てない。サッサとアラリアの森へ逃げて、引きこもりをするつもりだ」
「そうしてくれ、わが商会でなにか役に立つことがあれば遠慮なく言ってほしい」
「気持ちはありがたく受け取っておくよ。森にこもったら不足するものがあれば言いにくるから」
風鷹の精霊を呼び出せるおれはいつでもゼノスへ来れる。獣人族が上の里へ撤退し、ラクータの軍勢が引いたときにこの紛争は決着するのでしょう。そのときになれば、またいつものように自由にローインをお呼びすることができる。
下の里そのものはラクータにくれてやってもいいが、里にある資源は全て持って行く。出兵そのものを骨折り損のくたびれ儲けにしてやれば、ラクータのやつらも骨身にこたえるだろう。軍事行動というのは兵糧やお給料でなにかとお金がかかるから、都市経済がそこまで豊かではない城塞都市ラクータにとって今回の出兵が経済的な打撃となってくれれば、今後は積極策が取りにくくなると秘かに期待している。
「アキラ様、どうか同胞のことをよろしく願い致します。ワタクシは何一つ力添えもできずにアキラ様に押し付けているようで心苦しいですが、どうか同胞を助けて下さい」
「コロムサーヌさん、頭を下げないでくださいよ。おれもあなたの同胞たちも無茶するつもりはありませんから心配しないで。なんせ、ラクータの兵が来ればおれも獣人さんたちもすぐに森の中へ逃げるからね。逃げ込んでしまえばいくら騎士団でもあの森を突破することはできないはずだ」
森のヌシ様である地竜ペシティグムスのことを知るコロムサーヌはようやく眉間のしわを緩め、いつもとは程遠いだが、その美しい顔に笑いを見せてくれた。
十分とは言えないかもしれないけど、大量な食糧と開拓用道具をワスプール商会で買い付けることができたし、マダム・マイクリフテルと会えたのも、ゼノスにいた少女たちをファージンさんの所へ届けてくれたのも全部ワスプールのおかげ。
親友と言ってもここまでしてくれる人なんて少ない、彼には本当に感謝している。
「とにかく今は獣人族とアラリアの森へ撤退することの詳細を話し合っていく。ラクータが収穫なく軍を引いたらまだここに来るから、会えないのはちょっとの間と思う」
「ああ、うまく行くようにとアルス様にお祈りを捧げる。アルス様に愛されるゼノス教会ならきっとお祈りが届き、願いをかなえて下さるから」
「アキラ様と同胞にアルス様のご恩愛がありますように、ワタクシも教会へ行ってお祈りしてまいります」
「ハハハ、ソウデスネ」
精霊王のおかげでゼノスの教会はまたお祭り騒ぎなんだよね。そりゃ信じている神様が奇跡を示したらそうなるだろうと思うけど、原因はおれであることを口を裂いて言えない。
ワスプールたちと別れの挨拶を済ませて、ゼノスを出てから人がいない場所でローインを呼び出し、超高速の高空飛行で下の里の近くで着地した。乗車料金であるチョコレートを支払い、精霊が去った後、走って里へ帰ったおれの前にイ・プルッティリアが厳しい顔で詰問してくる。
「アキラ殿、城塞都市ラクータがこちらに兵をさし向けると聞いたが本当のことか」
「あ、うん。教会の建設を中止してイ・プルッティリアはゼノスの教会へ帰ってもいいよ。送ることはできないけど、今ならモビスを乗って行けば巻き込まれずに済むと思うんだ」
神教騎士団で巡回神官のイ・プルッティリアはこっちの願いでネコミミ巫女元婆さんから派遣された人、彼女がこの紛争で危険にさらされる義理はない。まだゼノスの動きが活発化されてないから、ゼノスの教会へ無事に帰還を果たしてほしい。
「たわけたことを抜かすな!」
「あう」
険しい面構えで怒鳴りつけてくる女騎士さんはおれの前に来て、両目から射殺すばかりの目線を飛ばしてくる。周りにいる獣人さんたちはやっている仕事を止めて、おれとイ・プルッティリアのほうへぞろぞろと近付いてきた。
「私は巫女様から獣人族の苦境に手を差し伸べようと仰せつかった、危険だからといって引くわけには行かぬのだ!」
「わかったわかった、イ・プルッティリアはおれたちと一緒に上の里へ行こう。そこも教会を立てなくちゃいけないからな」
「私は巫女様から託されて、獣人族の安否に責任を持つ巡回神官でもある。今後はそういうことを私にもちゃんと伝えろ!」
「わかったから一々怒鳴るなよ、耳が痛くてしようがない」
「そうしてほしかったらお前がしっかりしろ!」
「はいよ、ごめんね。獣人さんたちと打ち合わせがあるからもう行ってもよろしいでしょうか、巡回神官様」
「フンっ!」
鼻息荒いよ女騎士、そして両腕を組んでからプイっと顔を背けるな。思い込みの激しいやつだな、これからは今までより距離を取らせてもらおう。こういうやつは性格が面倒で対応に疲れる。
周りに集まっている獣人さんたちはおれと神官様がケンカでもしているかと不安そうに見ていたので、片手をあげて、問題ないのジェスチャーをして見せたら獣人さんたちは自分たちの仕事に戻っていく。
人との付き合いが増えると、コミュニケーションを取ることも多くなって、円滑な人間関係を保つには、気遣いは不可欠であることをこの件で再確認することができたってわけだ。
獣人さんたちの状況を確認し終えたら、エイさん宅でラメイベス夫人の料理を食べてから、まだ戻っていないエティリア一行と合流しよう。
「お代わりする? アキラっちゃん」
「いいえ、もうお腹いっぱいです」
エイさんは不在で、ちょうどスープを仕込んであったのでラメイベス夫人はラーメンを食べさせてくれた。とても美味しかったのはありがたいことです。
家の中は荷造りで梱包中の箱が散らかっているから、エイさんがラメイベス夫人に言付けたのでしょう。長年に渡って住み慣れた家を出るのはさぞかしつらいだろうが、今は生き延びることが大事だからわかってほしいところだ。
「気を遣わなくてもいいのよ。ここは主人と結婚して以来ぞっと住んできて、セイもこの家で育てたわ。だけどね、今は家族と一緒にいて、同胞と一緒に生きていくことがあたいの望み。生きる試練なんて今までいくつも乗り越えてきたの、ちょっとのことくらいで動揺はしませんよ」
「お強いですね」
「いいえ、これが生きることなの。みんなは口に出さないけど、ラクータにいる同胞のことは気になるの。でもこれは獣人族の運命なら受け入れるべきことは受け入れ、納得できないことはとことん抵抗してみせるわ。だからね、アキラっちゃんもそこまで重く考えないで、できることをしてくれただけであたいたちは嬉しいの。無理はしてほしくないのよ」
「ありがとうございます」
「変な子ね、お礼を言うのはこっちのほうよ。おかげで先祖の地へ戻ることもできるし、こうして人族から捕らわれないようにしてくれたから本当に感謝してるわ」
獣人族に対する責任感というか、焦燥感に苛まれつつ、日に日に心に圧しかかって来る苛立ちをラメイベス夫人の言葉によって軽くすることができた。読心することができるウラボスは人の気持ちをよく理解し、気持ちを落ち着かせてくれる。
「ラメイベスさん、ごちそうさまでした。エティとセイたちに会いに行きます」
「いいえ、お粗末さまでした。頼んでいるようで申し訳ないけれど、あの子たちのことはよろしくね」
美味な食事にあり付けたので気力を回復させることができた。エイさんの家を出て、挨拶してくる獣人さんたちに会釈しながら里の裏門へ向かう。人目を避けるために森の浅い場所からローインを呼ぶつもりだ。
ピキシーさんを含む元村長たちは獣人さんたちに撤退するための荷をまとめさせ、ようやくここへ来て一息がついたのに、文句を言う獣人さんがいないことにホッとしたような思いを抱く。
歴寄りや子供も多くいるから走車を使わねばならないけど、倉庫には大量の食糧が備蓄されているのでピキシーさんたちは走車の分配に苦慮しているらしい。
いざというときは獣人さんたちを先に行かせて、おれが残されてる物資をアイテムボックスに収納することもできる。重要なのは獣人族が逃げ切ることだから、そのほかなんて些細なことばかりだ。
「来い! ローインタクシーっ!」
『へい、毎度ありでござる』
「ニールたちと合流するからいつもと同じように近くで降ろしてほしい」
『了承でござる』
アジャステッグくんの話によると、すでに城塞都市ラクータ方面へ10人一組の偵察隊を編成している最中とのこと。エティリアたちとともの下の里へ戻ったら、歴寄りや女子供を先に上の里へ向かわせる準備はピキシーさんたちが手配しているところだ。
できることは全てしたつもり、あとはラクータ一帯で起きる人族と獣人族による紛争の終着点を待つだけ。
森の中で獣人族がいつかは変わる情勢を待ちながら、自分たちの新たな生存圏を構築していけば、きっと追い風が吹く時代は来る。
ありがとうございました。




