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第172話 アラクネの里に女神降臨

 城塞都市ラクータの現状について三人で意見を交換するとき、精霊のリスとフクロウは横で遊んでいるので、放っておいてもいいと思います。



 ラクータの教会でアルス様にお仕えする巫女としてのイ・メルザイスは、ラクータの教会を取り仕切る大神官のイ・ムスティガルをできるだけ批判しないように言葉を選んで語っていたが、神職でありながら都市の長と癒着していること、奉納する金銭の多少で信者の信心を測っていることなど、言葉の端々で彼女は大神官を快く思っていないことが伺える。



 イ・メルザイスはラクータ教会に所属する神教騎士団(テンプルナイツ)が世俗に関わることを嫌っている。そのためにイ・ムスティガルの命でラクータの騎士団と共同演習することを猛烈に反対していた。


 それが信者の前で行ったものだから、イ・ムスティガルも一時的に命令を撤退させたが、ある時にいつものようにスラムの住民に炊き出しを行おうとするイ・メルザイス一行を、黒の翼が強制連行してしまった。



 元々黒の翼という集団を警戒しているイ・メルザイスは、毎回のように行く道を変えながらスラムへ向かうのだが、その日は人が少ない裏道で急襲されてしまった。イ・メルザイスは教会から出る前に一部の関係者しか道筋を明かしておらず、ピンポイントに狙ってきたということはだれかが黒の翼へ知らせたとしか考えられない。



 最初は言葉こそ荒いものの、それなりの扱いをした黒の翼がイ・メルザイスに迫ったのは城塞都市ラクータのいかなる政策も、アルス様の御意向を沿ったものであることを巫女の立場として市民に伝えろということだった。



 アルス神教に仕える身として、どこかのコミュニティに肩入れすることをイ・メルザイスは頑なに拒み、そのことに黒の翼の支団長であるクワルドというゴロツキを怒らせたらしい。


 最初は関係のない獣人や人族を連れてきて、目の前でひどい拷問をイ・メルザイスに見せつけいたが、たとえ愛し子が虐待されても、立場を変えない巫女にゴロツキが暴走してしまったのだ。逆上したクワルドがイ・メルザイスの両目を手で抉り出したという。



 クワルドの暴行に大神官のイ・ムスティガルは抗議を申し出たが、時間が立ったため回復魔法でもイ・メルザイスの両目は治せない。巫女の扱いに困り果てたイ・ムスティガルはイ・メルザイスをそのまま黒の翼の本部に預けた。


 黒の翼による暴力は日々続いたが、殺害に及ぼうとするときに、どこからか水魔法が飛んできて彼女を助けたとイ・メルザイスはいう。ひどい傷を受けても徐々ではあるが、なぜかゆっくりと治っていたとラクータの巫女はアルス様に感謝していた。



 それはアルス様じゃなくて、いまもあなたの横でドヤ顔をしているリスの水精霊のマウだよ。



 城塞都市ラクータが人族至上主義で、獣人族にひどい扱いしていることはイ・メルザイスも知っていた。ただ、アルス神教の教義に則り、種族間の紛争には関与しない方針を守るため、日々女神様にお祈りを捧げるしかできないとイ・メルザイスは嘆いていた。


 ああ巫女よ、そのことなら嘆かなくてもいい。お祈りしたところで精霊王とその眷属は関わってくれないことをおれは知っている。




「許せないのじゃ! 世俗の人があろうことに我が神教の巫女に手を出すのはまことに許しがたいのじゃ! こうなったらゼノスにいる我が騎士団を率いて、ラクータへ出向き、あの者どもの罪を問ってくれようぞ」


「やめとけ、無駄足になるところか、逆に出兵の理由に使われるぞ」


「ちょこれーとはなにを言うておるのじゃ、なぜわらわが行けば出兵となるのじゃ?」


 はいはい、可愛いから婆さんは丸い目でこっちを見てくるじゃありません。



「ラクータの巫女様は今どこにいる?」


「愚問なのじゃ、今はそなたの目の前におるのじゃ」


「そう、まさにそれ。おれならラクータの巫女はゼノスの教会に拉致された上でむごい拷問をかけた。アルス神教あるまじき行為、成敗してくれようとな」


「なにを言うのじゃ、手掛けたのは黒の翼という不届き者なのじゃ!」


「証拠を見せろ」


「……」


「言っておくけどイ・メルザイス様が言ってもダメだぞ? それ見ろ、大切なラクータの巫女様はゼノス教会に脅されている、助けに行くぞってことになるからな」


「……」



 巫女様二人とも黙り込んでしまった。おれも話を聞いてからことの重大さに気が付いたが、それでもその場でイ・メルザイスを置いてくるという選択肢はない。そのままにしておけばいつかは殺されてしまい、その犯人を獣人に仕立てれば獣人攻めの理由に使える。しかも神教の後押しというオマケつきだ。


 まったくラクータのやつら、辛辣極まりないぜ。



「理解してもらえたな? 要するにラクータとしては巫女殺しなり、巫女攫いなりをこっちに都合よく押し付けたわけだ」


「イ・オルガウド様、申し訳ございません! あたしがゼノスに来たばかりに……ちょこれーと様、あたしを元の場所に戻してください、そうすればきっと――」


「きっと殺されてしまい、その犯人は獣人族でした。さあ、神教をあげて獣人族を成敗しましょうってことになるからダメ」


「……う、うう、あたしはどうすれば……アルス様……」



 涙というのは涙腺から出るもの。手で顔を覆い、イ・メルザイスは泣いていて、ネコミミ巫女元婆さんは寄り添うように彼女の肩に手をかけてから慰めている。



「なあ、イ・メルザイス様の身柄をおれに預からせてくれないか?」


「ちょこれーと、そなたはなにを言うておるのじゃ?」


 おれの提案に二人の巫女が顔を同時に向けてくる。



「イ・メルザイス様はここゼノスだけじゃなく、獣人族のところにいてもダメだよな」


「……」


「預けるのにちょうどいい場所をおれは知っているんだ」


「どこなのじゃ?」


「異人族、アラクネの里だ」


「いじん族……アラクネ?」



 そうだよ、あそこなら人族も獣人族も関係ないし、当分の間は見つからない。人族ではアラリアの森へ入っていけないからね。たとえ大陸最強の神教騎士団とは言え、地竜ペシティグムスと異人族相手に大苦戦どころか、勝負できるかどうかすらわからないはず。異世界のドラゴンはとても怖いですよ。




 おれからの説明を聞いた二人の巫女は、同意したというよりほかに手がないという印象を受ける。



「ちょこれーと、イ・メルザイスのことを頼む」


「任せてよ」



 教会は大変なことになっている。陽の日の朝となり、女神様の奇跡が再びということで信者が集まってきている。そのためにおれと巫女二人は教会の裏門から抜け出し、抜け道を使って市外の人がいない場所に来ている。神教騎士団の三人は護衛で付いて来たかったらしいが、それはネコミミ巫女元婆さんにお願いして追い返した。


 彼女たちに風鷹の精霊(ローイン)を見せるわけにはいかないのでな。



「じゃあ、巫女様」


「ちょこれーと様、なんでしょうか」

「ちょこれーと、なんなのじゃ?」


 うん、これはおれが悪い。お二人とも巫女様ですからちゃんと名で呼ばないといけません。



「オッホン、イ・オルガウド様。まもなくラクータは獣人を征服ないし討伐のために出兵されると思うから、それが何らかの形で決着がつくまでおれはここに来ることもないだろう」


「……」


「今まで色々とありがとうございました」


「礼を言うでないのじゃ、また会える、きっと会えるなのじゃ」



 嬉しいことを言ってくれる婆さんだ。おれだってこのままで縁を終わらすという選択はないと考えている。だけどお礼は人としてちゃんと伝えとかないとダメって、そういう教育を受けてきているからね。



「ああ、そうだね」


「ゼノスの教会としてもこのまま傍観する気はないのじゃ、わらわはわらわで動くつもりなのじゃ」


 婆さんはなにをする気なのは知らないけど、それは彼女の判断だから口に出して何か聞くつもりはありません。



「じゃあ、行くよ」


「ふむ?」


「じゃ、カガルティア」


「達者でな、マウ」


 おれがタクシーを呼ぶ前に、精霊たちは別れを済ませてからリスはイ・メルザイスの頭の上に乗った。もちろん彼女は気付いていない。



「さあ、来い! ローインタクシーっ!」


『へい、毎度ありでござる』


 巨大な鷹が目の前に現れました。戦いますか? 死ぬからやめとけって。



「な、なな……」


「婆さん、森の守り神って知ってる?」


 ネコミミ巫女元婆さんが強烈な霊力に震えている。ローインはエデジーと比べたらどっちが強いかは今でも知らないけど、神の眷属だから弱いはずがない。



「あ、ああ……エルフの守り神、風の大精霊ローイン様……」


「こいつがそうだよ」


『こいつとはひどいでござる。拙者、ローインという名があるのでござる』


「……」


 二人の巫女が沈黙を保っている。イ・メルザイスは目が見えないけど耳は聞こえているからローインの名を聞いてびっくりしているでしょう。



「アラリアの森へ、アラクネの里まで二人でお願いします」


『へい、毎度ありでござる。本日はお二人様の御料金と精霊王様のお怒りをお鎮めする供え物を頂くでござる』


 やっぱり怒ってたのか、しゃあねえな。獣人さんたちのことが落ち着いたら爺さんと幼女の所へ会いに行こうか。



 呆けているネコミミ巫女元婆さんからお別れの挨拶もなく、ただ彼女から見られるまま、人族二人と精霊二匹がアラリアの森へ飛び立った。




「ええ、アルス様の客人としてこの里で預かりましょう。人族ごときに攫われるなどさせません」


「ありがとうございます、ダイリーさま」


 事情を聴いてくれたアラクネの女王様は、快くイ・メルザイスを引く受けてくれて、王様のジョジッスもその横で忙しく足を動かしていた。今のおれならジョジッスが言いたいことはなんとなくわかる。


 朕に任せろ、こやつをひっ捕らえようとするバカどもが来れば皆殺ししてくれようぞとな。



 ジョジッスとは実戦形式の訓練を重ねてきた心が通じ合う親友、おれが右手の親指を立てるとジョジッスも前足を上げてきた。


 任せたよ、ジョジッスさま。



 当のイ・メルザイスは最初こそ慣れない魔力に驚き、マウも水魔法を撃つ用意をしていたが侍女さんたちの接待を受けて、今は落ち着いて食事を取っている。


 彼女のためにもう一つしておきたいことがある。



「エデジーさん、お願いがあるんで来てください」


 ふわりとそよ風が吹くと、美しい女神様が降臨なさってくれた。



『お久しぶりね、ちょこれーと。用がなくてもちょくちょく呼んでくれてもいいわよ』


「はは、畏れ多いことを」


『ずるいわ、ローインばかり。あにめなる物語がすごく面白いっていつも自慢されているの、精霊王様もそれを聞いてカンカンに怒ってるわよ』


「あのアホ鳥め……一度シメないとダメだな」


『それで呼んだ用事はなあに?』


「実はですね、ラクータの巫女……」



 イ・メルザイスのほうに顔を向けようと風の精霊(メガミ)さんから視線を外すと、ようやくこの場に起こっている異常の状況に気が付く。巫女様はもちろん、リスの精霊もアラクネの女王様と王様、それにこの場にいる全ての蜘蛛たちが平伏していた。


 蜘蛛たちがプルプルと震えるところを見るのは久々だ。




「――というわけですよ」


 おれの説明を聞いていた風の精霊(メガミ)さんがどこかへ行こうとして館の玄関へ身体を向いた。あ、言うまでもなくおれ以外のみなさんは今でも平伏中。



「あのう、エデジーはどちらへ?」


『ラクータというところへ行って平地にしてきます』


「いやいやいや、ちょいとお待ちになってくだせえ、種族の紛争に女神様は手を出さないでくだせえよ」


『ちょこれーと、これは種族の紛争じゃないの。あたくしの祝福を受けた巫女に手を出した者に対する罰なの』


「ならなおさらです。女神様の処罰を受けたなら、ラクータ一帯の種族は女神様のご不興を買ったということで皆殺しにされてします。それだけは勘弁してよ」



 マジでやめてくれ。ことが種族の紛争に止まらず、ラクータを含む、この一帯人族や獣人族がアルス神教の指令で世界の敵になったらどうしてくれる、ゼノスまで巻き込まれたら目も当てられないじゃないか。あそこの勢力下にはおれの第二の故郷もあるんだぞ。



『それならちょこれーとはなんであたくしを呼んだのよ』


 あ、不貞腐れ顔の女神様はちょっとかわいい。スマホで記録しようかな……って、スマホはニールが持っていた。



「実はお願いがあるですけど、ラクータの巫女のお付き精霊を強くしてほしいのです。精霊王様の――」


『ラクータの巫女よ、あなたにあたくしのさらなる祝福を与えましょう』


「アルス様、アルス様……」


 え? 巫女の強化って精霊王(ようじょ)のお仕事じゃなかったっけ? イ・メルザイスも呟くだけじゃなくて、女神様のご降臨だからさ、お顔を……目が見えなかったのね、ごめんなさい!



『さあ、ラクータの巫女、お顔を上げなさい。あたくしが見えるはずよ』


「え? 見える……あたし、目がないのになんで……」


『あなたを守ってきたマウなる水の精霊とあなたをつなぎました。マウが見えるものはあなたも見えるのよ』


「あ、ありがとうございます。アルス様の御恩愛を預かり、このイ・メルザイスは今後も心身をアルス様に捧げてお仕えしとうございます……う、ううう……」


「巫女、よかったね」



 リスちゃんはイ・メルザイスの肩に乗って、その体の色は茶色から黄金色に変わり、眩いくらいに光り輝いている。



「えっと、精霊王様に言わなくてもエデジーさんでできたのですね」


『強すぎる精霊を人は恐れます、そのために巫女に付いている精霊は彼女たちを守れる程度にしてきたの。それが今回のように裏目に出るとは思わなかったのね、今後はちゃんと考えておくわ。ありがとう、ちょこれーと』



 ありがたい女神様だ、多種族で崇められるわけがわかった気がする。精霊王(ようじょ)が出なくても、彼女は女神様として十分に種族を慈しめると思う。



『ほかになにかしてほしいことはあるの?』


 あ、手がひらひらと動いている。神様にご協力を頂いたんだからここはちゃんと奉納しなくちゃ、チョコレート30袋を献上させて頂く。



「女神様のご恩愛、ありがとうございました」


『ラクータの件はあなたに預けるけど、あたくしはこのまましておく気はありません。いずれは処置するわ、今はあなたのしたいようになさい』


 女神様(エデジー)はおれにお告げを残すと、チョコレートを抱えたまま玄関からアルスの森へ高速飛行で消えた。



「あのう、もう女神様はいないから顔を上げたら?」


 アラクネさんたちと巫女に風の精霊(メガミ)さんがいないことを教えた。だけどみんなは動こうとしない、なんでかな。



「アキラ様、アキラ様……」


「ちょこれーと様、ちょこれーと様……」


 拝む対象はエデジーさんからおれに変わったんだね……って、違―うっ!



「あのう、おれは神様じゃないからね? いつものようにフレンドリーでお願いします。頼むからみんなしておれの気力を削がないでください」


「アキラ様、アキラ様……」

「ちょこれーと様、ちょこれーと様……」


 聞いちゃいねえよ、どうしようかな。しかも巫女も、蜘蛛たちもおれの足に縋ろうと、ちょっとずつ距離が縮まっているぞ。狂信者、怖ええっ!




 都市ゼノスとの折衝と城塞都市ラクータの偵察を終え、獣人族と人族の種族紛争は戦争勃発という最悪の状況を迎えることになった。


 たぶん、これは必然の流れかもしれない。ラクータは獣人族を従えようとちゃんと準備してきたが、獣人族は有効な対応策を打てないまま、時間だけ費やしてしまった。



 おれは自分なりに色々と動いてみたけど、流れを止めることはできなかった。ただ、結果として自分が無力だったとは思わない、都市そのものを相手にそれなりの成果は出せたと思いたい。バラバラの獣人族は一つに団結し、ゼノスを味方に引き込み、アラリアの森という避難場所を作ることができた。


 この後はニールと合流してマッシャーリアの里へ帰り、彼ら自身の命運がかかっているので獣人族と協議を行い、彼らの意向を尊重していく道を選んでほしい。この先のおっさんは体を張ったアドバイザーに徹せねばならないのだ。



 その前にアラクネの里で神様の御使いにされそうな状態をどうにかしましょうか。





ありがとうございました。



第5章はこれで終わりです。長い間をかけてようやく第0話を書ける章に辿り着けました。

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