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第146話 過ぎた日に幸せはあった

 城塞都市ラクータに新星が現れたのは5歴前、とある少年は城塞都市ラクータの広場で演説を行った。



「なぜ富はゼノスにある? なぜラクータは腹を満たせぬ? なぜあなたたちは不毛な土地を耕している? 人族はアルス様のご恩愛をもっとも受けた種族であるにもかかわらず、なぜゼノスの金の亡者どもが笑い、我らラクータの民は泣いている?」



 ゼノスから派遣された外交官はその日、たまたま用事で広場を通っていたが少年の演説に気を悪くした。ただ、それはどこにでもいる若者によくある若気の至りと思い、外交官はそのまま演説を聞いてやろうと足を止めた。


 少年の声は狂気に満ちた叫びではなく、淡々と城塞都市ラクータの現況を嘆き、人々の奮起を訴え、より良い日々を送るためにラクータに在住する市民の結束を促した。



 ほとんどの人々は少年の演説に耳を貸すこともないまま通り過ぎて行ったが、ゼノスの外交官と護衛の冒険者を含む十数人の人は少年が語り終えるまで反応を示すこともなくただ聞いていただけ。少年が去ると聞いていた人たちもこの場からいなくなった。



 交易都市ゼノスが城塞都市ラクータの勢力圏に大きな影響を及ぼしていることに、良しとしない人がいることはゼノスの外交官として当たり前のように受け止めている。仮に立場が逆転すれば彼も同じようなことを思うだろうと自覚している。



 ゼノスの外交官は護衛の冒険者に、もし同じことが起きた場合は演説者の身元と演説内容を記録することを指示してしてから滞在するゼノス外交事務所へ戻っていく。若者が自分の理想に情熱に燃えるなんてことはいつの時代だってごく自然に繰り返されている日常の光景。ただそれは若者自身に向けるものか、環境に向けているものかの差だけ。



 ゼノスの外交官は記憶の片隅へ少年のことを追いやってから、次の陽の日にラクータの財政担当とラクータが滞っている食糧の買付け金の返済の協議についての考えを巡らせた。




 冒険者からの報告書にゼノスの外交官はいくつかの事項に着目した。


 あの少年はそれからも定期的に演説を行っているらしく、わずかではあるが聞き入るラクータの市民は確実に増えているとのことだった。


 少年はラクータきっての裕福な名門の出身で、その家は代々ラクータの要職についていたと報告書に記されている。少年自身は城塞都市ラクータ公立学び舎の首席で卒業し、その専攻学問は政にあり、中々の秀才だとゼノスの外交官は思う。



 報告書に少年が主張している事項がまとめられていて、その中に看過できないことを記載されていた。


 曰く、ラクータはゼノスの支配から脱すべく、新たに別の都市圏と交易ルートを築くことが必要。


 曰く、騎士団を再生させ、城塞都市の名にふさわしく増強することは不可欠である。


 曰く、ラクータは近隣都市の盟主に返り咲き、人々を導く模範であらねばならない。


 曰く、街道の整備、治水工事や農耕地の開発を都市の公共事業として立ち上げ、市民に安定した仕事を与える。


 曰く、アルス様から愛される人族は全ての種族を導く使命が与えられており、これを遂行しなければならない。



 交易都市ゼノスの外交官として、彼はゼノスの利益を守ることが自分の使命だと自負していた。前回の戦争以来、ラクータの現況を快く思っていない勢力はラクータに存在していることを彼も承知している。


 ゼノスの外交官は冒険者に引き続き少年の監視を命じて、少年の動向を探るために冒険者の増員も許可した。危機の始まりは往々として小さなものから始まることを彼は人生の経験で知っている。



 彼は最後にもう一度報告書に書いてある名前に目を向ける。少年の名はプロンゴンであると彼はその名を記憶に刻み込んだ。


 プロンゴンが城塞都市ラクータの都市の長になったのはそれより2歴後、当時の都市の長が急死し、市民たちから圧倒的な支持を受けての就任だった。




 アルスの女神なんて信じていない、たとえ居てもそれはきっと世の中を知らないただの役立たずだ。


 見てみろよ、この世の中の現状。ゼノスの人々は自然の立地に恵まれて、我が世の春を謳歌している。それに引きかえラクータの一帯はどうだ? 幾筋もの川が走り、雨期ともなればそれが氾濫してせっかく開拓した農耕地を荒らすだけ。女神がいるなら出てきてどうにかしろってんだ。



 シンセザイ山に強力なモンスターがひしめき、そこから鉱石を採掘しようと思ったら護衛の騎士団だけでも莫大な経費がかかる。昔に栄えた鍛冶産業もゼノスのために今は大した利益も上げられないままラクータの財政に貢献することはない。その鍛冶を行うためにゼノスから鉱石を輸入しなければならない、こんなバカげたことがあるか。



 幸い、商人たちの支持を得て、ゼノスとは別に新たな交易ルートを築きあげることに成功した。獣人が作る特産品は高値で売ることができ、冒険者たちがシンセザイ山から得たモンスターの素材もゼノスで売るより倍近いの値段で買い取ってくれる。


 騎士団を商人たちの交易団に付けることは正解だった。おかげで騎士団も就任以前より三倍はふくれあがって、騎士の雇用機会を増やすことであいつらから感謝されている。


 どれもおれがやったことで役立たずの女神が恵んでくれたことじゃない。



 夕日が傾いて、薄暗い執務室でプロンゴンは斜陽に目を向けたまま小さなしゃれこうべを撫でている。




 プロンゴンの両親は多忙だった。嫡男の彼は両親の顔をはっきりと記憶になく、食事の時間になれば食べきれない料理を一人で食べて、学問を習うため厳しい家庭授業を受けていた。同年代の子なんて周りにいないし、使用人たちは態度こそ丁寧であるが愛情のかけらを感じることもなく、プロンゴンはただ過ごす用事が決められている毎日を無感情でやり過ごしていただけ。




 手入れが行き届いたただ綺麗だけの庭の隅に小さな小屋があり、そこに雑用させるために雇い入れた獣人の家族三人が住んでいた。父親は庭にある樹木を切り揃えたり、モビスの糞尿の始末をしたり、母親のほうは使用人たちのための所用で毎日忙しく動き回っている。プロンゴンと同年代である娘は父親の横について行き、健気に父親の仕事を手伝っているところをプロンゴンは何度も見かけていた。



「食べる?」


 少ない休み時間に庭でボーっと座っているプロンゴンに誰かが声をかけてくる。頭をあげるとそこには汚れた服を着た可愛らしい獣人の子供が庭の木に生えている果実をさし出していた。



「……」


「これ、美味しいの」


 しつこく勧めてくる獣人の子供に、同年代の子と話す経験がないプロンゴンはどうしたらいいかわからなかった。とりあえずプロンゴンはその果実を受け取り、獣人の子供が見守る中、その果実をかじってみた。


 すっぱかった。食卓に並べられている食後のデザートで食べるものに比べると食べられたものじゃない。



「美味しいでしょう!」


「……ああ、美味しいね」


 花が咲いたような女の子笑顔にプロンゴンは眩しさを覚えられずにはいられない。酸っぱかったけど、プロンゴンは生まれて初めて食べ物を食べた気がした。



 それから授業の休みの合間や女の子が父親のお手伝いしていないときに二人は庭で遊ぶようになった。女の子の名はスクア、美しい名とプロンゴンは思っていた。


 スクアはプロンゴンが持ってくる食べ物やプロンゴンが話す色んな物語を喜んでくれていた。活気あふれるスクアはいつも彼の手を引っ張り、庭の中で二人は走り回って、なんの感銘も与えてくれない庭はプロンゴンにとって色鮮やかな世界となった。



 一度だけプロンゴンは陰の日にスクアを訪ねて小さな小屋まで行った。ガラスのない窓から中を覗くと親子三人が仲良さそうに少ない食事を途切れることのない会話で楽しく食べていた。なぜか心の痛みを覚えたプロンゴンは静かにその場を去っていく。次の食事からプロンゴンは使用人に言いつけて、部屋で食事を取るようになった。



 プロンゴンがスクアと遊んでいることは使用人の間に広まっている。それを聞きつけた筆頭使用人は彼を諫めようとプロンゴンが食後に庭へ出ようとしたときに現れた。



「坊ちゃま、汚らわしい獣とお遊びしてはいけません。これ以上ご勝手をなさりますと旦那様に言いつけますわよ」


 無性に腹が立ったプロンゴンは冷ややかに筆頭使用人へ目線を向ける。こいつはなんだ? なぜぼくに命令する? ぼくがスクアと遊ぶのはなぜいけないんだ。



「……父上や母上に言ってみろ。誰が言ったってかまわない、父上や母上に知られればお前ら使用人は全員すり替えてやる。だれ一人残らずだ」


「ひっ!」


 プロンゴンから鋭い視線を浴びた筆頭使用人は小さな悲鳴をあげてからそそくさと走り去っていく。このときにプロンゴンは立場で人を脅すことも動かすこともできると知った。


 使用人の間では公然の秘密となり、プロンゴンはスクアと遊べることが今まで生きて、唯一の楽しい時間と思えた。




 いつものようにお菓子を持って庭に来るとスクアを見つけることはできなかった。今日は授業をさぼろうとプロンゴンはお菓子にかかっている砂糖の膜が溶けだして、手がべたべたしても彼女を待ち続けていた。甘いお菓子はスクアの大好物だからプロンゴンにとって、手が汚れるなんてなんでもないこと。



「坊ちゃん……」


 スクアの父親と仲良くしている庭師がなにか言いにくそうな顔をしていて、待ちぼうけているプロンゴンに声をかけてきた。



「スクアが死んだ。親父の手伝いしようと木の上から落っこちて首を折って死んじまいました」


「……」


 なんだこいつ、なにを言ってる。スクアなら朝のときにお菓子を楽しみにしてるって笑ってくれたじゃないか、なにを言ってる。


 お菓子を持ったままプロンゴンはスクアたちが住んでいる小屋へ駆け出した。小屋の扉を勢い良く開けるとスクアの両親は号泣しながら床に寝ているスクアの横にいた。



「スクア、約束したお菓子を持ってきたよ。ねえ、食べてよ」


 声をかけても安らかに寝ているスクアはプロンゴンに返事してくれない。



「坊ちゃま……」


 スクアの母親は声をかけてくれているがプロンゴンの耳には入ってこない。


 そっとスクアの頬に手を当ててみる。あんなに温かったスクアの肌が今はとても冷たい。いつもがぶりつくお菓子に反応してくれない。おどけて笑ってくれた声を聞かせてくれない。静かに悲しい物語を聞いて、流されていた涙と輝くその瞳も今は閉じっているだけ。


 この無色の世界で色を与えてくれたスクアは、死んだ。



 うろ覚えの記憶の中でスクアの両親はこの庭にスクアを埋めさせてほしいと願っていた。獣人の葬式を出すお金がないらしい。ここなら、生前のスクアが気に入ったここならきっと永眠はできると両親は泣きながらすがってきた。プロンゴンは頷いた。


 いつの間にかスクアの両親は姿を消した。娘を亡くしたこの傷心の地にいたくないと庭師が教えてくれた。スクアたちが住んでいた小屋は取り壊され、スクアの両親の代わりに雇い入れたのは人族。獣人親子のことはプロンゴンの両親に知られたみたい。でも、プロンゴンにとってはそれはもう興味のないことだった。



 スクアが埋められた場所はスクアの両親以外にプロンゴンだけが知っている。そこは庭の隅でスクアが大好きな花畑の中。二人でいるときはスクアがよくお花で冠を作ってくれた。




 名門の子供は昔に戻って、部屋で食事を取りながら学問の習得に勤しむ。綺麗な花が咲き誇る庭へ足を向けることはない。


 彼は疑問に思う。なぜスクアは親の手伝いをしている? なぜ自分みたいに美味しい食事や暖かい布団で寝られない? なぜスクアはぼろきれみたいな服を着ていた?



 子供は少年となり、城塞都市ラクータ公立学び舎に入った。そこで彼は同級生で優秀な獣人と出会えた。二人は首席と次席を争うほど学問に優れ、時には種族について激論を交わすこともしばしばあった。


 ある日同級生の獣人は学び舎に来ていないことに少年は気付く。同級生に聞いてみるとなんでも学費を払うことができなくなり、今は退学して学費を稼ぐために働いていると聞いた。



 同級生だった獣人と再会したのは城壁の補修工事の現場。線の細い獣人の少年は重い建材を運びながら懸命に働いている。



「ツォーテック!」


「……プロンゴンか、学び舎に行かないでなにをしている」


「ツォーテック、お前は優秀だ、こんなところでくすぶる奴じゃない。学費ならボクが貸すよ、学び舎に戻れ」


「ははは、ありがたいけどそれはダメだ。おれたち獣人はな、施しを受けないんだ。何かをしてもらうなら同等の代償を支払ないといけないんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」


「ツォーテック!」


「じゃなプロンゴン。おれも頑張って働いて学費を稼ぐよ。お前が先に卒業するだろうがすぐに追いつくからな、頑張れよ」


「ツォーテック!」



 同級生だった獣人の少年が病を患ってこの世を去った風聞を聞いたのは少年が首席のまま進級したその後だった。獣人の少年は独り身で冒険者だった親が残した金で学び舎に来ていた。



 こんな世の中はおかしい。獣人たちはラクータへ来て、肉体労働や冒険者で日銭を稼ぎ、中には商会を作った獣人もいるがそれは珍しいことだ。人族の契約書を理解できないでそのままサインして安い賃金で働かされていることはよく聞く話、現に少年の両親はそうやって数多くの安い労働力を手にしている。



 城塞都市ラクータでは有力なお家と知られる少年の実家へ少年の両親を訪ねてくる人族の商人やラクータの役人。みんななにかしら利益を得ようと必死だ。少年の父親はラクータで要職に就こうと金をばら撒いては獣人労働力のあっせんで暴利をむさぼっている。


 獣人という種族っていったいなんだ。




 少年が卒業する間際に父親に連れられてラクータの教会に来ていた。アルス神教の総本山から派遣され、新しく赴任してきた大神官に面会するためだった。



「ほう、そちらが御嫡男ですか。アルス様のご恩愛を」


「ありがとうございます。イ・ムスティガル大神官様はこの田舎にある都市ラクータへご着任されて、何かと大変だと伺いました。つきましては金貨1000枚と御身をお世話する獣人の女性を10人ほどご用意いたしました。大神官様が心置きなくご布教されるためにぜひご笑納くださいませ」


「これはありがたいお心遣いですな。そなたのように御信心が深いお方はアルス様もご恩愛を授かりましょうぞ」


「ありがたきお言葉。アルス様にご感謝を」


「アルス様にご感謝を」



 なにがアルス様にご感謝をだ、賄賂と美女に喜ぶんじゃないよ。俗物どもめが。



 少年は口調だけ丁寧な挨拶してからこの場を去り、陰の日で人がまばらな教会にある女神像の前に来ていた。



「おい、だれも救わない女神。お前に仕える色ボケのじじいをどうにかしろ、獣人の苦境をどうにかしろよ。聞こえたらおれに返事してみろ」


 月明りに照らされている女神像を少年は冷笑してみせた。



「貢物を貪るだけの役立たずの女神に人など救えるか、人を救うのは人だけだ……そうか、そうなのか」


 いきなり歓喜に満ちた顔で少年は女神像を見上げている。



「役立たずの女神、お前の神託は受けたぞ。おれが、このおれが人を導く。人族も獣人族もおれが救えばいいのだな」


 懐から金貨一枚を取り出すと少年はそれを女神像に足元に投げ捨てた。



「ほら、おれからの御奉納だ、ありがたく受け取れ。ご神託をどうもありがとうよ、役立たずの女神に感謝だ」



 教会から出た少年は自宅へ向かって走り出す。向かう先は庭にある花畑、獣人の子供が眠っている場所。




 掘り起こした子供の頭蓋骨についている泥を丁寧に払い除けてから少年はそれを自分の頬に当てていた。柔らかい月の光が白い頭蓋骨を照らしていて、少年は花畑に跪いたまま子供の頭蓋骨に話しかけている。



「やあ、スクア。久しぶりだね、きみは変わらずに可愛いよ。ぼくだけ年を取ってきみはあの時のままだね」


 しゃれこうべからの返事がなくても、少年にはちゃんと会話が成立していると認識していた。



「ねえ、聞いてよスクア。ぼくは決めたんだ、きみたち獣人族を助ける。もう、きみみたいな可哀そうな子を出したくない。女神も人族も獣人族もみんな役立たず、ぼくだけがみんなを平和で幸せな世の中へ導けるんだ。だからきみに誓うよ、どんな手を使っても、どんなことをしてもぼくはラクータでもなくゼノスでもなく、ここ一帯の都市を一つにまとめて、全ての人が生きていける世の中にするよ。だからぼくと一緒に行こう」



 もう一度しゃれこうべを自分の頬に当てる少年。目を閉じてから優しい口調で呟くように自分に語りかける。



「そう、それはとても幸せな場所。その名はスクア、ここは幸福な地スクアになるんだ」


ありがとうございました。

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