第137話 大神官は無毛の頭
都市メドリアは豊かな都市ではない、それは隣接している都市ケレスドグも同じようなものだ。特別の産業がないので不毛な土地を細々と耕し、市民たちは飢えない程度の貧しい日々を生きている。
メドリアもケレスドグもこれをどうにかしようと、三代前の都市の長たちが共同してメドケレス川の治水工事に乗り出した。数万の市民に三年の税を免除させての賦役、工事が完了すれば荒れた大地にも水が潤い、大規模の耕地が出現してメドリアとケレスドグに豊かな未来が約束されるはずだった。
おりしも大雨が続き、不安そうに暗い空を見つめる賦役を課せられたメドリアとケレスドグの市民たちにメドケレス川は水の大蛇と化し、川の近くで運河の工事に待機していた彼らに襲いかかった。
人も夢も希望も明日も、一瞬のうちにして流されてしまった。
残ったのは夫と父を失った女や子供、それに悪化するだけの都市財政だった。
城塞都市ラクータからの財政援助を断ることなど、メドリアとケレスドグにできるはずもない。たとえそれが獣人族に対する厳しい施政や人族至上主義がついて来るとしてもだ。
メドリアとケレスドグは獣人族を仲のいい隣人と考えていた。だから獣人族から連名で相互関係を申し込まれていた時は、メドリアの都市の長であるケキハゴト本当に悩んだ。だが彼には食べさせないといけない市民がいるし、なにより城塞都市ラクータの軍事力に抗うことは無理だ。
ケキハゴトにできたことは獣人族の代表に会わずに追い返すことだけであった。
「次はお知らせの使いを出しますから出兵を頼みましたぞ、ケキハゴト殿」
「わかった……」
城塞都市ラクータからの使者はメドリアへの出兵要請、その数は一万、敵となる目標は獣人たちが集結するマッシャーリア村だ。同じ要請はケレスドグにも行ってるだろうとケキハゴトは考えている。
出兵に使われる兵糧も資金も装備も城塞都市ラクータが用意するから、ラクータへ兵力を集結せよとの要請である。だが、要請とは名ばかりにその実質は命令に近い。出兵しなければ次の食糧援助は中止するとの条件付きであったから、メドリアの食糧事情がラクータに頼っている以上は従うほかなかった。
「ゼノスで女神様の奇跡が現れるというに、わしらの都市に降り注ぐのは苦難ばかりだな。女神様のご恩愛はどこにある! これでどうやってアルス様に感謝を捧げろと言うのだ!」
ケキハゴトは罪のない執務机を叩かずにはいられない。男の市民を多く失った彼には食事を必要とする未亡人と孤児を数多く抱えていて、それらの市民のことを思うと彼は心を痛む。
獣人族たちにケキハゴトは心から謝っている。メドリアが生き延びるためにはここ一帯の獣人族が城塞都市ラクータによって支配されるか殺されるかだ。それが城塞都市ラクータの既定方針だから。
往時のメドリアの街並みに行き交う人族と獣人のありし日を懐かしく思いながら、彼はメドリア騎士団の団長を呼び出すために机の上にあった呼び鈴に手をかける。
「メドリアとケレスドグの弱兵に頼らなくても自分たちで獣どもを倒せますよ」
城塞都市ラクータ騎士団黒の翼支団の団長であるクワルドはつまらなさそうな口調で都市の長であるプロンゴンに話しかけていた。
「それは知ってますよ」
「ではなぜ役立たずにこの獣どもを従わせる聖戦に来させるのですか?」
眠たそうな目をクワルドに向けるプロンゴンは諭すような話し方で説明する。
「まさに聖戦だからですよ。いいですか? 獣人はなにもできない、未来を考えられないから我々人族が導いてあげないと滅びてしまうのです。それではアルス様のご恩愛を預かれません。そのために我々は獣人の目を覚ましてあげる義務があるのです、お前たちは人族の許で生きることが幸せであると。これはアルス様のお導きによる聖なる戦いなのです。これに加わることでアルス様からより一層のご恩愛を授かり、それゆえに人族であればだれもがこの戦いに参加する義務を背負っているのですよ」
「なるほどですね。それで役立たずでも来なければなりませんかね」
「いいですか? 我々はアルス様の名のもとにいずれは交易都市ゼノスを含む幸せの地を築かねばなりません。まずは獣人を従え、メドリアとケレスドグを従属させ、力を蓄えた後にゼノスにいる金の亡者たちに人族の偉大さを知らしめる必要があります。マッシャーリア村への出兵はその第一歩にあり、アルス様に導かれている我々に敗北などあり得ません。そうでしょう、イ・ムスティガル大神官様」
純白のローブで身を包んでいる頭髪が全くない老人はプロンゴンの言葉に大きく首を振った。
「まさしくプロンゴン殿の言われた通りだ。人族こそがアルス様のご恩愛を預かる種族であり、我らは全ての種族を導く任をアルス様から授かっている。ただ、近頃はアルス様と言えど、間違ったご意思を示されている。本来ならこのラクータの教会に示すべく神意をゼノスの獣巫女に下されてしまわれた、嘆かわしい限りだ。そのためにもプロンゴン殿による獣の支配をアルス様にお見せする必要がある。人族こそがアルス様の本当の愛し子であられることを神に知って頂こうぞ。我らラクータの教会も全面的にプロンゴン殿に協力致しますぞ」
「それは心強いお言葉、この神のしもべであるプロンゴンはアルス様のご神意に忠実に従います。どうかイ・ムスティガル大神官様も変わらずぼくに神への道にお導きください」
「ほほほ。プロンゴン殿はまことに人族の導き手として優秀なお方であるな。ラクータの教会としてもぜひこの地にアルス様のご恩愛が全ての種族に行き届くように協力して頂きたいものよ」
「それがご神意ならばこのプロンゴンも従いましょう。イ・ムスティガル大神官様になにか必要なものがあればなんなりとお申し付けください」
クワルドはプロンゴンとイ・ムスティガルの会話に表情を変えないでずっと耳を立てていた。この俗物の大神官様が年端のいかない少女を好み、美味しい酒と目を眩むような財宝に目がないことはそれらを教会の裏口から送り届けた彼が一番よく知っている。
アルス様か……ゼノスの奇跡とか聞いてあきれるぜ。そんなご大層なもんがいるなら殺されそうになっている獣どもを助けてみろってんだ。
口に出せば神への不敬とそしりを受けることをクワルドは心の中で思っていた。彼が信じているのは力だけ、弱い者は食われるだけと信じて疑わない。獣どもが死ぬのは弱いから、人族のことに対抗できるだけの能力を持っていないために使役されるなんて当たり前。
今度の戦いをクワルドは楽しみにしている。そこでカッサンドラス以上の武功を立てて、自分こそが騎士団長に相応しいことを知らしめてやると野望に燃えていた。
「いいか、絶対に手を出すな! とにかくなにか動向があればすぐに知らせろ、これはゼノスにいる連中にもそう伝えろ」
「はっ」
城塞都市ラクータ騎士団の団長であるカッサンドラスはこれからゼノスや獣人たちの偵察に向かうつもりの部下たちに厳しく訓令を下している。前回は命令を違反した者たちが任務に途中で死亡したことはすでに騎士団の内部で知れ渡っている。
獣人たちがマッシャーリア村へ移動していることは周知の事実で、騎士団員たちは自分たちの経験で近い内に戦いが起こるだろうと推測していた。だが、彼らの認識では個々の戦闘ならともかく、集団戦となれば獣人たちでは人族の敵になれない相手と思っている。
そういう慢心がカッサンドラスに見えて、彼はどう対処したほうがいいと思い悩んでいた。
確かに獣人だけならカッサンドラスも負けないだろうと思っている。だが今回は予測不可能の人外が獣人側に付いており、プロンゴンと一緒に城塞都市ラクータ騎士団の副団長であるカンバルチストから話を聞いたときは、それは人外ではなくて人族か、知恵のある獣人であることを断言された。
カンバルチストは若いが騎士としてはかなり有能だ。だからプロンゴンに仕える役人どもが彼の処断を唱えたときはカッサンドラスも強く抵抗を示した。幸いと言うべきか、プロンゴンの判決は謹慎だけで、カンバルチストはしばらくの間を自宅で過ごすことになった。
無論、そこには騎士団への恩を売り、有能なカンバルチストを使う思惑もあるのだろうが、カッサンドラスとしては部下が軽い罰で済んでよかったと思っている。
「団長、ラクータの教会との協議が終わりました。次の陽の日にて共同演習を行えるとのことです」
「うむ、ごくろうさん」
都市の長のプロンゴンからラクータの教会に仕えている神教騎士団ラクータ支団と合同で訓練することを通達されて、その協議にカンバルチストを行かせた。イ・ムスティガル大神官というハゲの俗物をカッサンドラスは好いたことがない。ただイ・ムスティガル大神官はラクータの教会の最高責任者であるため、最低限の敬意だけは払っている。
「そういえばこの頃巫女様をお見かけしないな。どうだ、お前は会えたか?」
「いいえ、お会いすることはありませんでした」
「そうか。詳細についてはまた聞く、下がって休め」
「はい」
カッサンドラスは今でもカンバルチストは獣人への出兵に反対していることを知っている。だが彼らは城塞都市ラクータからの雇われ騎士、命令を反対する権限など与えられていない。騎士団の団長としてもカッサンドラスはこの戦いに大義を見出すことはできないが、ラクータの教会からも聖なる戦いというアルス様のお導きということであれば彼も拒否することができない。
「聖戦か……こんな一方的な戦争のどこにアルス様のお恩愛があるのやら」
ゼノスや獣人の動向を探るための偵察部隊はすでに出発の用意を整えた。再度マッシャーリア村へ派遣する強攻偵察中隊の編成もすぐに終わりそうだ。
城塞都市ラクータ騎士団の団長としての責務を果たし、名誉と伝統を次の世代へ受け継がれていけるようにカッサンドラスは大きく頭を振り、獣人たちを憐れむ心を振り払おうと思った。
ありがとうございました。




