第132話 交渉に準備は欠かせない
「初めに申し上げたいことがあるだけど、おれは戦争なんて望んでませんからね。これだけはしっかりと伝えておきたいです」
「貴方はそういうかもしれないけど、やっていることは戦争そのものじゃないかしら?」
銀色の髪がわずかに揺れた。
マダム・マイクリフテルは少しだけ笑って、おれの言葉を否定するかのように返事したが、それは彼女の真意じゃないこともこっちは承知している。
「そもそもことの始まりは。、城塞都市ラクータの人族至上主義による獣人に対する搾取と差別からきているんだ。これをどうにかしない限り、獣人たちに生きる未来がないと思っているけど、そうじゃないかな」
「ええ、それはわたくしも思うの。だけど、ラクータ一帯の獣人族が城塞都市ラクータの勢力下にある以上は、ゼノスとしてもそれをどうにかしようとは思ってません。流れてくる獣人ならゼノスは受け入れることはできるけど、種族全体でとらえる場合は、たとえ獣人族とラクータが戦争になったときに、ゼノスはどちらにも加担するつもりはないの。戦争の難民なら収容する用意はあるわ」
「それはわかる。ゼノスにとって、獣人族側に立った場合は城塞都市ラクータとの紛争は避けられないし、全面戦争になったら交易都市ゼノスにとっても被害が出るだけで、何の益にもならないでしょうね」
「ご理解してくれてありがとう。個人として心情的には獣人族に傾いているわ、わたくしも獣人の血を引いていますから。でも、それだけでゼノスの市民たちになんらかの不利益を与えるわけにはいかないの。わたくし、これでも交易都市ゼノスの都市の長ですから」
立場の表明したことで、マダム・マイクリフテルはおれからの提案を待っているように、目を逸らすことなく口に酒杯をつけた。ここで彼女にとって魅力的となるお話を提示しないと、会見はすぐに終わってしまう。
「いま、獣人族はアラリアの故地へ帰ろうとしている。みなさまも知っているようにアラリアの森は手つかずの資源がいっぱいだ。獣人族が再び森に帰れば、そこからの資源がこっちに流れてくるようになる。獣人を代表していないけどおれは、この経済の発展を共有できる仲間を募る獣人の声を伝えたいと考えている」
「貴方はご存じないでしょうが、獣人族はアラリアの森に帰れないの。詳しいことは教えてあげられないけど、獣人族はアラリアの森に拒まれているのよ」
なるほど。マダム・マイクリフテルも森のヌシ様のことを知ってるんだね、それなら話は早い。
世の中は論よりも、証拠を提示することが説得の決め手となり得ることは多々とある。ここで変な遠慮することなんてない。幸い、この別室は大きさがちょうど入るくらいだし、切り札をお見せしましょうか。
さすがに都市の長だけであって、獣人さんたちみたいに跪くことはないが、ここにいる全員のど肝を抜かすことには成功している。
いやあ、ペシティくんの角は使いやすいね。
「……これは竜の角だね、アキラのおっちゃんは竜を倒したのか?」
ペンドル氏が険しい目線を投げかけてくるけど、おれはドラゴンスレイヤーじゃない。ペシティくんは死んでないのに、なんでみんなしてペシティくんを殺したがるかな。
うーん、理解できない。
「これはとあるドラゴンの角だ、詳細は言えない。これを知っているなら、おれがなにを伝えたいのはわかってくれるはず」
「ええ、よくわかりましたわ。獣人族が故地へ帰れる話を信じましょう。ところでこの角はわたくしにくれるのかしら?」
あげないよ! これは楽土の御神体。
都市の長にもなれば厚かましくなるのかな、取られる前にさっさと収納しよう。
「あら、案外おケチな人なのね」
「いやいや、これは使う予定があるのでさしあげられません。別なものをさし上げますよ」
マダム・マイクリフテルは拗ねた顔をしてくるが、ちゃんとペシティくんとお約束しているから、そんな顔をしたってさしあげませんよ。
「そう、どんなものをくれるの、楽しみにしていいのかしら」
「ええ、今から出しますので楽しみにしてくださいよ」
食卓の下方でアイテムボックスのメニューを操作して、その数を200個に設定し、この場で転がせるように一気に真珠を放出した。
部屋の床がね、真珠がいっぱいなので歩くことはできません。
ワスプールがわたしの分はって訴えるように、なんだか情けない顔をしているけど、心配するな! おれもお金が欲しいから、ちゃんとこれとは別に200個は用意してある。
「……これは全部わたくしにくれるってことでいいのかしら?」
「そうですよ。ほら、人を説得するのにお金はかかるでしょう」
マダム・マイクリフテルが獣人側に付くことを決めたくても反対派は必ず存在すると思う。その場合は説得するのに実弾は必要。これらの真珠ならその実弾になれると思うから、ここは惜しまずに提供することが大事だ。
「そうね、ありがたく頂戴するわ……あなたたち、光る石をなおしなさいな」
「はい」
侍女さんたちはマダム・マイクリフテルの言いつけで、せっせと床一杯に落ちている真珠を拾い上げては魔法の袋に入れていく。
うーん、仕事を増やしてごめんね。
でも、こういうときはちょっと派手にやった方が効果的なんだ。あとでエルフの果実酒を手土産で持たせるからそれで許してくれ。
「これならわたくしも話が進めやすいけれど……」
「わかってますよ、一時じゃなくて長く続けられる利益となるものですね」
「アキラは人の気持ちがよくわかるのね。そうよ、ゼノスが獣人族につくためには、長期的に利益をあげられると思えるような手段が必要だわ」
「アラリアの森から森林地帯を通り、シンセザイ山脈を越えて、ゼノスの勢力圏に届く新たな交易路を作るつもりだよ。都市ゼノスは中継地で到着地点はテンクスの町になると思うけどね。それならラクータの勢力圏を通らないで双方の品物が届くはずだ」
「……確かにシンセザイ山越えは日数を短縮できるし、ラクータの勢力圏を外れると思うわ。だけどね、貴方は御存じないかも知らないけど、シンセザイ山は鬼が住む山。今でも討伐不可能の大鬼が住んでいるわ」
収集癖という言葉がある。
別におれも死体が好きなわけじゃないが、大物と聞けばどうしても置いておきたくなる。だからね、ニールに討伐されたあのオーガは今もおれのアイテムボックスで安らかに眠っている。
もしそれがなにかに役立つのなら、その死体は喜んでマダム・マイクリフテルにさしあげよう。
「それはこいつのことか?」
床の上に現れたのは片目の大鬼と呼ばれるオーガの死体。それを見て、侍女さんたちからどよめきが湧き上がった。
「うそ……」
「こいつは片目の大鬼だわ」
「あたしたちじゃ相手にもならなかったのに……逃げることが精いっぱいだったのに……」
彼女たちからの声で推測すると彼女たちも片目の大鬼の討伐に向かったらしい。でも、相手にならず逃亡したみたい。まあ、気持ちはわからないでもない。あれをやったのはニールであっておれじゃない。たぶん、おれでも倒せたと思うが大苦戦を強いられたに違いない。
「アキラ、このオーガをどうするつもりかしら?」
「さしあげますよ、おれはいりません」
「こちらで討伐したことにするけれど、それでいいの?」
「どうぞご自由に。おれは冒険者じゃないのでね」
「そう、ありがとう。新たな交易路を楽しみにしているわ」
「はい。出来次第にそこを通って、新しい商品をゼノスへお届けしたいと思うので」
柔らかし笑みを見せるマダム・マイクリフテルはおれの要求を待っている。こちらが用意した条件を飲んでくれたので、需要をはっきりと言葉にせねばならないんだ。
「これから始まる獣人族の移動と、アラリアの森で消費される食糧などの必要物資を交易都市ゼノスから買付けしたい。もちろん交易都市ゼノスの同意のもとでね。それによって、城塞都市ラクータへ売られていた食糧は交易都市ゼノスとして、民生を圧迫しない程度の量を減らさざる得ません。そのことを城塞都市ラクータ側へ、それとなく知らせてやってください」
「そう。前向きに検討しましょう」
「あと、これは大事なことですが、時期が来れば獣人族は城塞都市ラクータと相互関係を破棄します。そのときにできれば交易都市ゼノスから支持する声明を出してほしいです」
「支持する声明だけでいいのかしら?」
「ええ、それだけでいいです。これは城塞都市ラクータの人族と城塞都市ラクータの勢力下にあった獣人族の紛争です。交易都市ゼノスが実質的これに加わることをしてほしくない。というよりしないでください、できるだけ穏便に済ませたいと思うので」
「配慮してもらえることに礼を言うわ。こちらとしても城塞都市ラクータに刺激する程度の嫌がらせをしてみたいもの。ちょっとね、ラクータの人族は同胞をイジメ過ぎたわ」
都市の長であるマダム・マイクリフテルのほうから手をさし出してきた。これで会談は終わりということだろう。
細部に渡って検討するべきこともあるでしょうが、最初の会談としてなら、すくなくてもこちらの要求を呑んでくれた。今回はこれで良しとしよう。
マダム・マイクリフテルが動きやすくためにも、都市ゼノスの市民に、これとわかる利益となるものをバンバン出していかないと、彼女も都市院や市民からの支持を得られない。
おれはそれについて思案していると、なんとなく売れそうな物を思い付いた。キーワードは酒場、エルフの酒を都市ゼノスに流して、飲兵衛どもの心をがっちりと掴んでやるぜ。
「ところでこの後はどう動くつもりかしら? よければ聞かせて」
場の雰囲気が和やかになり、みんなは酒を飲みながら雑談している。その中でマダム・マイクリフテルが質問してきたので、さわり程度のことをお伝えしようと考えた。
「ゼノスの巫女様にお会いしようと思うんだ。元々女神様にとって人族も獣人族もみな愛し子であるはず、こういう争いは必要でなければ女神様は喜ばないと思う。だから、巫女様に相談しようと思ってる」
「そうね、ゼノスに女神様から奇跡を授かり、しかもご降臨くださりました。アルス様の喜ばないことをしてはいけません。そういう意味でもわたくしは同胞を助けたいと思ってるわ」
おっと、女神降臨の話が出た。
これ以上アルス様について深くなるような話は止めて、違う話題に切り替えよう。こういう時はお酒っと。
「アラリアの森に獣人さんたちの楽土も、近い内に建設が始まると思うんです。色々とここでお買い物したいと思うんで、そのときはよろしくです」
「ええ、都市ゼノスは交易によって成りたつ都市なのよ。たくさんお金を落として行ってね」
マダム・マイクリフテルの頬は仄かに赤くなっていて、エルフの酒はうまいから気持ちはわかる。まあ、心配しなくても侍女さんがちゃんと送ってくれますから、ここは遠慮なく新しい酒を出してあげましょう。
そうしないと、会話が弾んでいるワスプールとペンドル氏にうまい酒を飲まれてしまう。
「そうそう。近い内にゼノスから帰りたい獣人さんたちを連れて、アラリアの森へ向かうつもりだけど、その時の食糧や日用品をこっちで買いますね」
ただ伝えるつもりだったのに、マダム・マイクリフテルはおれに頭をさげてきた。なにがあったのだろうか。
「アキラ、話はペンドルちゃんとワスプールからも聞いています。同胞を助けてもらい、都市の長としてじゃなく、わたくしマイクリフテルは貴方に感謝します。どうか、同胞の力になってください」
困ったな、こういう時は頭をかくしかないのかな。いろんな獣人から感謝を言われるけどね、好きでやってるからどう対応すればいいか今でもわからない。
だって、モフモフって正義じゃないですか。
ありがとうございました。




