第124話 トンカツが流行るといい
期間限定の恋人と時間を惜しむかように激情に駆られた情事は互いの肉体が溶け合って一つになると感じたくらいに求め、求められ、窓の外が薄暗くなってきても彼女はしがみ付いてきて離そうとしてくれない。
ごくごく当たり前だけど人は独り、出会いがあれば別れがある。それが生き別れなのか、死に別れかの違いだけ。デュピラスにとって、アキラという男は彼女の中でどんな人であるかは彼女しか知らないし、彼女にそれを問うてみるほどおれも愚かじゃない。ここまで来て、エティリアに義理立てするための別れと考えるほどおれも偽善者にはなれない。
大体、こんな冴えないおっさんがモテるわけがない。
傲慢と思われてもいい、彼女がどんな思いを抱き、どういうことをおれに伝えたかったのはいまさら知る必要もないでしょう。すくなくとも短い時間とは言え、彼女はおれの生涯に忘却できないシーンを残している。その時間は本当に打算も駆引きもない愛情の悦楽に満ちていて、ただそれだけでよかったんだ。きみを女性として好きになった気持ちは嘘じゃなかったよ。
次に会うときはきみが犬人族の素敵な女性でおれはしがない人族のおっさんだ。ありがとう、そしてさようなら、デュピラス。
シーツに包まって、ベッドの上から目に涙の粒が零れることを耐えながらも作り笑顔で小さく手を振って来る彼女の姿は、おれの手で閉まっていく扉の向こう側に消えていく。
薄暗い空は陰の日の到来を意味している。娼館の前で待っていたプーシルから待ち合わせを教えてもらってから彼はどこかへ行った。このまま妖精の小人さんに会いに行ってもいいが、ちょっとだけ傷心のおれは街の中をふらついてみようと思った。
何度もゼノスに訪れているがここを一人で見物したと思い出せるのは最初の時だけ。あとはなにかの用事するばかりで、世界の観光を目標としている自分に申し訳なく思えてきた。そうだ、広場へ行ってガンシャウのジュースでも飲んで来よう。
そこは人の列が並んでいて、生きのいい若い女の子が大声で接客をしていた。こういう時は行儀よく列に並ぶことが正しい選択だ。ちょっとずつ前に進みながらようやく自分の順番となり、注文しようと思ったときに女の子がおれの顔を見て、より大きい声を張り上げてきた。
「あー、あの時のおじさんだ。また来てくれたね、ありがとう」
「え? ああ。よく覚えていたね、一回しか買ったことないのに」
「えー、そりゃ覚えているよ。おじさんがあの時に買ってくれたおかげで今も大忙しいなの」
「そうなの?」
「うんっ。ガンシャウって聞くだけでみんな敬遠してたのね。おじさんが本当に美味しそうに飲んだからその後みんなが試す気になって、そうしたらバカ売れなの。それ以来うちも広場の名店になっちゃったよ」
「よかったじゃないか。じゃあ、コップ付きで一杯貰っちゃうかな」
「お買い上げありがとうっ!銅貨10枚ね」
後ろに並んでいた女の子二人組が煩わしそうにしていたので、商売を邪魔してはいけないから手を振って来る若い店長さんに同じように手を振ってから広場の中心へゆったりとした歩調で歩き出す。
当てもなく広場の中を一人で歩いている。家族連れや恋人同士で広場は賑やかで、どこの屋台も客を呼び込もうと売り物の良さをアピールしている。そういえば忙し過ぎて気にはしていなかったが、女神祭のほうはどうなったのだろうか。気になってきたのでどこかの食べ物の店で聞いて来てみよう。
「よう、いらっしゃい!」
威勢のいいオッサンがテーブルのほうに来ました。店がガラガラなので聞き込みに向いてると思ったから入ったのだが、ちょっと早まったかな?
「なににする? 兄さん」
「じゃあ、おすすめにしてくれ」
「おすすめ? なんじゃそりゃ」
「え? おすすめはないの。じゃあ、一番売れているもんをくれ」
「うちはどれも売れてないよ、わははは」
「おい」
わははじゃねえよ、売れてないのに危機感を持てよ。
「もういいや、一番高いものを頼むわ」
「毎度ありー」
ガラガラなので好きな場所に座ることができた。店そのものの雰囲気は清潔でテーブルも椅子も手作り感があって悪くないがなぜお客が来ないのが不思議だ。
うん、ごめん。おれって、やっぱり節穴の目をしてたわ。
マズい、なにこれマズい。こんなもんに金を出して食わせるな! 店長を呼んで来い! あ、目の前で期待している瞳でおれを見ているだわ。なにか言ってほしいだろう、ここはかれのためにも率直に応えてあげようじゃないか。
「マズい、非常にマズいとしか言いようがない」
「やっぱりか……」
ガクンと頭を垂れてしまった店長さんにおれはテーブルにあるお湯に浮かべている肉と野菜の煮込んでいる? という料理の悪さを指摘してあげようと話しかけた。
「見たところ、塩水のお湯だわこれ。これに肉と野菜をつぎ込んでいるだけの食べ物にだれがたべたいというのか」
「いやっ、それは素材の良さを生かそうと……」
「バカタレいっ! 素材そのままじゃねえかこれ、塩だけで味付けしやがって。アク取りもしてないじゃねえか。くせえよ、臭くて食えたもんじゃねえよ」
「あ、あく? なんじゃそりゃ?」
「だあーっ! 料理の基本もわかってねえじゃねえか。もういい、肉の煮込みとはこういうもんだ。とくと味わえい!」
アイテムボックスから香しい匂いが漂うウラボスが丹念に仕上げたシカ肉と牛肉の季節野菜入りの煮込みを出す。さあ、お前もこれを食べて、そのまま桃源郷へ行っちまいな。
「どうだ。これが煮込みの傑作、この世でまたとない至高の一品だ」
「う……ううう……死んだ親父と会ってきたよ。お前は店を潰す気かと叱られたよ……」
あう、涙を流している店長が行ったのは三途の川、とにかく呼び戻せてよかったぜ。昇天してしまいそうな勢いだったのでジャブ一発で目を覚ましてやった。
「こんなの、作れそうにないぜ……」
「そうだ、諦めろ。お前に煮込み料理を作る才能はない」
「そ、そんなあ。親父が残してくれた店を潰す気はないよ」
「バカタレいっ! いままでやって来れたほうがおかしいわ!」
店長の男泣きを見て、なんとなくだが何とかしてあげたい気になってきた。そういえば、この地方で揚げ物の料理はあまり見かけていない。あることはあるのだが、その種類は限られていて、理由はわからないが主に揚げ菓子のほうに集中している。
それにオークの解体ではっきりとわかったことがある。オークの脂身は商業価値がなく、いつも捨てられていたんだ。アホだねえ、脂身と言えばラードだろう? もったいないことこの上なしだ。
「店長っ! この店をやっていくつもりはあるんだな?」
「もちろんだ! 俺は下手だけど料理は大好きだ、みんなの幸せな顔を俺はみたいんだ!」
「よしわかった、その心意気を買ってやる。今からおれが新しい商品を開発してやるから目ん玉ひん剥いてよく見ろ。与えられた機会は一回のみだ、アルス様にお祈りを捧げてよく勉強しやがれ」
「はい!」
うん、なかなか素直なおっさんだな。これなら教え甲斐があるというもんだ。
オークの脂身と水を用意してからオークの脂身を切り刻んで、水とともに厨房にある鍋に入れて中火にかけて温めていく。アクは取り除き、残った油を出し切った脂カスは何かの料理に仕えるのでこのままにしておく。
友人の話によると東南アジアのある島ではラードと醤油にご飯をかけて、この脂カスをそのご飯を上に乗せた食べ方があるという。なんでも脂身は安いからそれが貧しい家庭の料理だったとか、食ったことないから知らないがそんなものは果たして美味しいのだろうか。
これで油は用意できたのでこの店長に教えるのはオーク肉を使ったトンカツだ。トンカツさえできればそのバリエーションも多くなる。これなら高い技術もいらず、このおっさん店長でも十分にやっていけるのだろう。
準備したのはオークの肉と小麦粉と卵、前にデュピラスに作ってあげたのと同じ。デュピラス、おれと別れてちゃんと立ち直れたのだろうか……いかんいかん、彼女の強さを信じよう。おれの好きだった女だ。きっと前に向いて歩んで行けるはずだ。
オーク肉の赤身と脂身との境にある筋を厨房に合った包丁の先で数ヵ所切り、これが筋切りだ。オーク肉を包丁の背で伸ばすように軽くたたいてから塩を振りかける。叩き終えたオーク肉に全体的に小麦粉をまぶしてから余分な粉を落とす。溶き卵にむらなくつけてから、本当ならパン粉がいいのだがないものはしょうがない、もう一度小麦粉をまぶす。しっかり衣になるように軽く押さえて落ち着かせる。これで準備が完了してあとは揚げるだけ。
ラードを鍋で熱してから先ほど準備した小麦粉付きのオーク肉を鍋に入れ、トンカツがきつね色になって沈んでいたトンカツが浮いてきたら、頃合いを見計らってからトンカツを鍋から引き上げる。これで調理完了だ。
ソースとかあればいいのだがこれはこの店長の探求心にお任せしよう。ソース作り自体はファージンさんの奥さんであるシャランスさんとウラボスも自宅で作っていたが、おれはもっぱら食べることに集中していたので作り方は全然わかりません。えっへん!
「食ってみろ」
トンカツを食卓においてからおれは店長に食べることをすすめた。彼は言われたままにナイフとフォークを使って、トンカツをひと切れに切ってから口に入れる。
「……これは美味しい」
「そうか、じゃあこれも食ってみろ」
店長の前に置いたのはパンで挟んだトンカツだ。これなら片手で食べられるから、広場で回っている人とかで需要も増えるというもんだろう。
「あ、食べやすいこれ」
「そうか、それは広場で売ってもいい商品だ。それと食材は置いて行くから精進せよ、オークの脂身は捨てられることが多いので普通は手に入らない。商人ギルドにワスプールという人がいるがその人に言ったら何とかしてくれるだろう。アキラの紹介って言えば取り付いてくれるはずだ」
「は、はい。ありがとうございます」
「トンカツはソースをかけると美味しいが悪いけどおれはソースは作れねえから、そこは自分で頑張れ。あとは新鮮な野菜を添えるなり、別の料理と合わせるなり、工夫を凝らせばトンカツは可能性のある食べ物だ」
「はい! 勉強します」
テーブルいっぱいに乗せているのはオーク肉と脂身だ。この量ならしばらくは研究に仕えるだろう。本当に店を繁盛させたいのならあとは店長が自分でなんとかするはず、おれが手伝えるのはここまでだ。
「肉と教えてくれた料理法でいくら払えばいいのだろうか……」
おずおずと聞いてくる店長、おれがお金を取るとでも思っていたのでしょうね。フっ、おれがそんな小さな漢に見えたのかね? 目の前に小さな不幸があればいつでも手を貸すのがおれの信条だぜ? 見くびってもらっちゃあ困るねえ。
「いらないよ。その代わりと言っちゃなんだが、今度お前の店に来るのを楽しみにしてるぜ? 美味しいトンカツを食わせてくれよ」
「……はい、教えてもらえてありがとう。必ず美味しい物を作るからまた来てくれ」
右手を軽く上げるとおれは泣いている店長を背中にして颯爽とこの店から出た。人助けじゃないけど、やはり何かを教えるとか人の役に立つとか、そういうのは気持ちいいねえ。
空もだいぶ暗くなってきたし、約束までの時間はまだあるけど、そろそろペンドル氏に会いに行って酒でも飲もうかな。そういえばおれはなんで先の店に寄ったんだろう……
あっ、女神祭のことだ。
スコスコと店に戻ったおれに店長さんはびっくりしていたが快く女神祭のことを丁寧かつ細かく教えてくれた。まったくおれってやつはいつまでもしまらないな。てへ
ありがとうございました。




