第118話 触れてこそのモフモフ
長く生きることは、感動も情熱も希望も、人生そのものが擦り減らされていくみたいなもんだと考えたことがある。よく丸くなったなあいつとかのセリフを聞いてみたりするものだが、丸くなるのは体型で人の性格はそうそう簡単には変わらない。ただ、尖るということは体力と精神力を結構使ったりして、社会で色んなものを背負い込んだおっさんには、ヒャッハーになれるほど気力が漲らない。
それはこの世界に来てから身体が作り替えられ、体付きと体力が若返ったようになってもだ。いいたとえで深謀遠慮、その実はただの無気力であるおれは、自分の前で獅子人の長が吼えていようか、牙を見せてこようか、それに張り合う気にはなれない。
「ビビッてなんも言えんのか? 玉無しの人族がっ! 怖くないのならなにかほざいてみろ!」
「なにか?」
「なんだとお……おれ様とやり合う気なんだな?」
益々気炎をあげる若い獅子人の長は立派なたてがみを揺らして、両手の拳を固く握りしめている。それは別にいいのだが、おれは心配そうに見つめてくるエティリアと再会を祝う熱い抱擁を交わし合いたい。戦えというのならその後でもいいじゃないかな。
「アジャステッグ、それまでとして頂こう。アキラさんは我が族の客人です。手出しは無用で願おう」
「はんっ。こんな弱そうな人族を客呼ばわりして、貴様らウサギどもの先も見えてきたわ。せいぜい人族どもの慰み者になるが関の山だろうが、おれ様らが救い出してやるからそこで黙って見ていろ」
ピキシー村長はおれのために獅子人の村の長を止めようとしてくれているけど、アジャステッグという若い村長さんは聞き入れるどころか、無礼な言い草で兎人の村長さんを貶している。同胞を思う気持ち獅子人の村の長は評価するけど、礼を欠いていることに変わりはない。
ガタイのいい獅子人族たちは、若い長の咆哮を迎合しているかのようにおれたちを取り囲んでいる。セイとレイは得物こそ抜いていないものの、強い気を発してエティリアとピキシー村長さんを、自分の身体の後ろに隠すようにして守ろうとしている。獅子人さんたちもさすがに手は出してこないと思うが、そろそろおれがカタをつけてやらないと、うちの暴れんぼの堪忍袋の緒が切れてしまう。
「おい、そこのバカ獅子。勝負をしたいと言うなら受けてやってもいいが少しだけ待ってくれ」
「まさか逃げるとか言い出さないだろうな」
「それこそまさかだ。だが命のやり取りまですることもないからおれの言う方法でやらせてもらう。それでいいか?」
「はっははは、いいだろう。だが人族は卑怯だ、せこいまねするなら無効だからな」
言葉こそ荒いが獅子人族は誇り高いのだろうね。おれの提案を受けるとアジャステッグという獅子人の村の長は、両腕を組んでからおれを待つようにじっとしてその場から動かない。全ての視線がおれに集中する中、ずっと彼女にしたかったことを実行する。おれは両手で彼女を包み込むように抱きしめた。
「ただいま、エティ。会いたかったよ」
「あ、あなた……うん。おかえり、あたいも会いたかったもん……」
今なら世界がどうなろうとおれの知ったこっちゃない、おれは愛しい人が与えてくれる香りと温もりを身体で感じていたいだけ。柔らかい体毛におれのざわついた気持ちが落ち着きを取り戻し、長い髪に手で触れると心が安らいで行く。そうだ、エティに触ってこそのモフモフ。その魅力の前にほかのことなんて、どうにもなってしまえってもんだ。
犬人さんたちと別れたおれとニールは一路、獅子人の村へ目指すことにした。途中で出会う獣人さんから情報を聞き込みして、時には食糧や武器を分け与えていた。バラバラでマッシャーリア村へ向かって進んでいる違う獣人さんの種族からは、おれとニールを疑われたことも多々とあった。
そんな中で顔の見知った獣人さんたちの集団と出会うこともある、パットラス村の羊人族たちだ。パットラス村の長はピキシー村長から話を聞くと村を引き払って先祖の地へ帰ることを決意した。このままでは子供たちが人族の影響下に置かれてしまう可能性のあるこの地で住んでいくことに、種族が生きていける限界を感じたとおれに教えてくれた。
野球の監督として子供から大歓迎されているおれは、この子たちの成長を願うためにだれからも脅かされない安全の場所を作ってあげたいと思っている。そこには誰もが平和でいられることが当たり前のように、子供たちは白い球を追いかけて、大人たちがそのそばで笑い合っている。そんな夢のような日が実現することを、おれは今の獣人さんたちと一緒に命を燃やしたいと自分の心に誓う。
おれが最初に作った羊人の野球チームがマッシャーリア村でほかの獣人チームと、野球の練習試合することを教え子たちに厳命してから多めの食糧とダンジョンの武器を村の長に渡しておいた。なにがなんでも生きて再び出会うことの約束を交わして、ニールとおれは獅子人の村カリゴートルへ急行した。
生きろ、生きてこその華。未来は生きることで切り開かれる。
獅子人族のカリゴートル村に着いてすぐ、おれとニールは獅子人たちに呼び止められた。村の入り口で獅子人の衛兵に詰問されているところに、騒ぎを聞きつけた村の長であるアジャステッグと足止めされていたエティたちもここに来た。
「人族はおれ様らに手出しは無用だ、アラリアの森に帰るのはおれ様ら獅子が必ずやり遂げる。虎人がいう闇の使者様と共にな。だからお前とそこの小綺麗女とここから出て行け、おれ様らの同胞のことは放っておいてもらおう」
なにかと難癖を付けてくる若い獅子人の村長だが、おれは彼を嫌いにはなれない。その奥底に存在しているのは同胞に対する気遣いであり、獣人の苦境への彼なりの思いやりと読める以上は、なぜもっと早く立ち上がらなかったかと思うくらいだ。
だが止めに入ったピキシー村長たちが、おれとニールのことで巻き添えを食らったともなれば対応も違ってくる。獣人さんにとって、強さというのは一つの基準であることを鼠人さんから聞かされた。それならここでの解決策は手っ取り早く強さで決しようとおれはそう決めていた。
「もういいのか、人族」
「ああ、すまないな。気を使ってもらって」
エティリアとの熱い抱擁は衆人の目を気もせずに、ひとしきりその体温を満足するまで感じ取ってから、おれはずっと待ってくれているアジャステッグという若者に身体を向き直した。
「気にするな。どうやらお前は本当にわが同胞と熱い絆を持っているようだ、人族らしからぬお前には感謝もしよう。だがおれ様らの行く末は同胞らで決める。人族が混じることはおれ様が許さん!」
「うん、獣人さんのことは獣人さんが決めることにはおれも大賛成だ。でもね、おれにも譲れない一線がある。エティを幸せにするのはほかの誰でもない、このおれだ!」
身長は2メートルを超えていると思われるアジャステッグから睨みつけられているおれは、それに負けじと彼に強い気持ちを込めてから決意のある視線を送り込んだ。
「ふっ。お前は面白い人族だな、獣人で一等強いおれ様ら獅子人を恐れないとは中々肝の太い奴だ。いいだろう、認めてやろう。勝負はどのように決したいんだ、拳か? 剣か?」
「命のやり取りはしたくない、漢ならここは拳でどつきあいだ」
アイテムボックスから羊人に作ってもらったグローブを取り出して、一組をアジャステッグのほうに放り投げる。彼はグローブを受け取るとそれがなにかがわからず、少しだけ困惑そうにグローブをいろんな角度から観察している。
「ボクシングだ。基本のやり方はニールに教われ、おれはリングを作る」
ニールはおれが話したことを聞くと、面倒そうな表情を見せつつもアジャステッグの所まで行った。この世界で最高のボックシングチャンピオンに教わるんだから、しっかりと学べよ。獅子人の村長さん。
木杭四本を地面に打ち付けてからロープを張り、簡易のリング作りをセイとレイに手伝ってもらった。ニールと弟子さんの練習用に、エルフの集落で高齢長老者さんにゴングを魔法鍛冶で作ってもらって、それをピキシー村長さんに鳴らすようにお願いした。
「ここを押すとストップウォッチの操作ができるので、ここがこの記号になったらゴングを鳴らすようにピキシーさんに言ってくれ。ちなみにその記号はおれの故郷では3という数字だ」
「……あなた、やっぱり獅子さんの長と戦うの? あの人たちは同胞の中でも一番強いもん、あなたに危ない目を合わせるのはあたいが嫌だもん……」
「心配してくれてありがとう、エティ。できると思ったからやってるだけで無理ならやらないよ」
「うん……無茶はしてほしくないもん」
今でも不安そうに見てくるエティリアにおれはスマホの操作を頼んでいる。エティがいつも心配してくれていることにおれは感謝の気持ちを伝えてやりたい。だけどねエティ、漢にゃどうしてもやらねばならないときがあるんだ。ここにいる獅子人たちを納得させるのは言葉によるものじゃなくて、身体を通しての言葉だけが必要だ。だからおれはここで引くつもりはない、これまで頑張ってきたきみやピキシー村長さんのためにもね。
「やり方と規則はニールに教えてもらえたか」
「……ああ、それはわかった。だがあいつはなにもんだ? おれが逆立ちしても勝てない強さだぞ、なんで弱そうなお前にあんな強い奴が一緒にいるんだ?」
アジャステッグの尻尾が落ち着きなさげにちょこまかと動いている。この若者が持つ野生の勘を褒めてやりたいくらい、こいつはニールの強さを無意識に見抜いていた。でも強さの基準を取り違えたこいつに思い知らせねばならない。神話級の化け物たちの陰に隠れがちだが、おれは多種族の中でもきっと上位に来る強さを持っていることをお前はその身体で思い知れ。
「きみもボクシングは初めてだからうるさいことは言わない。とにかく噛み付きと足蹴りは無しだ、両手だけを使えよ」
「フンっ! 人族ごときに我が牙を使うこともない、片手で一瞬に終わらせてやるよ」
獅子人の若者が鼻をピクつかせてからその両目で凄んでくるけど、おれは笑い出しそうな衝動をグローブを口元に当てたことで押さえつけることができた。元の世界でほぼインドアオンリーのおれに、ボクシングを習うことなどあるはずもないが、ネットやマンガで得た知識だけは豊富にある。初めての第一歩は技術も経験もないのだが、基礎能力だけはある。それは今のおれとよく似ているから、目の前で吼えている獅子に負ける気がしない。
それにね、アジャステッグくん。あなたは知っていますか? きみが吐いたセルフはおれの居た世界では負けのフラグが立つってもんだぜ。
さあ、ゴングを鳴らせ。ボックスだ。
ありがとうございました。




