第114話 ネズミさんはとても賢い
「わたすがウィッテベルス村の長のロピアンでチュ。よろしくでチュ、人族のアキラさんチュッ!」
やったー。異世界で獣人族がおれからすれば種族らしく語尾を付けた人を見つけることができました。
鼠人族のウィッテベルス村長さんであるロピアンは、慇懃そうに手を忙しくすり合わせてくるちょっとお年が召されている女性のお方。
全体的に体が細く、見た目は栄養不足しているかと思うくらいに枯れているイメージが強く、顔は口元が付き出していて、これでお髭が付いていれば、巨大な歩くネズミさんと認定してやってもいい。
それと最後のチュッというのはおれの手の甲をキスしてきた音だ。嬉しくないキスというのは、海外のおじさんと仕事した時に、熱い抱擁でホールドされてから頬に涎がついてのキス以来だな。
「なにか失礼極まりないことを考えてないでチュか?」
「いやいや。ナハハハ」
しまった、嫌そうな顔をしているネズミのおばあちゃんに睨まれちゃったよ。おれって、思ったことが顔に出やすいことを忘れがちだ。気を付けよう。
「アベカから聞きましたでチュッ。わたすら鼠人族に今回の砦工事の監督をやってほしいでチュと」
「ええ。アベカ君を見てたら、あんたら鼠人さんたちはきっと頭がいいんじゃないかなあと思ったんだ。
今回の工事は役割の分担と資材の管理は欠かせないから、できればお任せしたいなと考えている。
どうかな?」
ネズミのおばあちゃんがいきなり顔を下に向けたと思いきや、身体をプルプルと震わせ始めた。
どうしたのかな、お腹が空いてきたならお菓子は上げてもいいが、チーズは持っていなかったはず。
ところでこの世界のチーズは時空間停止時代に、店や家の厨房で見かけることは度々あったけど、いったいどうやって作っているのだろう。
やはり羊などの家畜から乳を搾って発酵させてからの熟成で作っているのか?
もしかすると羊人さんたちは大量生産しているかも知らない。もし羊乳が羊人さんで絞られているのなら、今度ぜひ飲ませて頂きたい。それも直飲みで。ムフフフ
「――アキラさまあっ! わたす、わたす今、猛烈に感動しているのチュッ!」
「うわっ!」
どこから溢れたのか、ネズミのおばあちゃんがおれの肩を枯れた体にそぐわないその力は、妄想の世界から覚めないおれを現世へ連れ戻すのに余りあるほど強烈なものである。
「わたすら鼠人族はよくほかの同胞から非力と嘲笑われるでチュ。このように救世主さまにお認めになってもらえるなんて……
わたす……わたす……もう感激でございまチュッ!」
「うわー! 近い、顔が近いって!」
もうね、皺が目立っているネズミ顔がどアップで近付いていて、その両目からは蛇口を全開したように涙が垂れ流されている。
ネズミのおばあちゃんには悪いけど、これはもうホラーだよホラー。ダレカタスケテ……
――それと、おれは救世主さまなんかじゃないからね!
「申し訳ないでチュ、ちっと興奮してしまったようでチュ……」
「あはは……」
嘘つけ、ちょっとどころじゃねえよ。おれ巨大なネズミに食われるかと思ったよ。
だれでもそうだが得手不得手というものがあって、獣人族ではどのように考えているかは知らないが、すくなくてもおれは鼠人族に思うところはない。
でも獣人族に種族としての風習があるのなら、それもまた尊重せねばならないだろう。
「それでわたすら鼠人族はなにをやればいいのでチュか? 教えてもらいたいでチュ、救世主さま」
「うん。お話する前にその救世主さまというのはやめてもらいたい。おれはそんなご大層なもんじゃないからな」
目が点になったネズミのおばあちゃんは頭を手でポリポリと掻いて、なにやら困った顔の御様子。
――どうしたんだろう、ノミに噛まれたのかな。
「あのう、虎人の村を救ったのはアキラさんと聞きましたでチュ。わたすらを先祖の地へ導いてくれるとも言ってくれたじゃないでチュか?」
「ちょっと違うね。
虎人の村を救ったのは闇の使者でおれじゃないし、あんたたちをアラリアの森への道は切り開いてあげるが導いてやれない。あんたたちの未来はあんたたち自分自身で掴み取るんだ」
「でも、闇の使者さまはアキラさ――」
「闇の使者はおれじゃなーい!
以後、気を付けるように」
――誰が闇の使者だ誰が……まあ、おれだけどね。
ただその病気のかかった名で呼ばれるのは絶対にやめてもらいたい。黒歴史のページは静かに閉じるべきもので、いつまでも見せつけられるのは精神的にきつい。
「ロピアンのばっちゃん、よく聞いててくれ。
手足をうまく動かすのは頭脳が必要だ。あんたたち獣人さんは体力に優れているのだが、どうも力任せだけで物事を行おうとしている。
そこでだ、あんたたち鼠人さんに楽土の建設と運営の頭脳になってもらう。これまでと違ったやり方で、獣人さんの社会を作り上げようじゃないか、未来の子供たちのためにもな」
「……」
――あれ、どうしたのかな。ネズミのおばあちゃんがブルブルと小刻みに体を震わせている。脳梗塞にでもなったら大変だよ。
そうだ。早急に救急班を作り上げることが必要だから、こっそりと回復魔法の質素がある獣人さんを鑑定スキルで見つけてあげよう。
開花させるにはアルス神教の協力がいるが、そこはネコミミ巫女婆さんにお願いして人材派遣を頼んでみる。
「大丈夫か、ロピアンのばっちゃん。身体のどこかでも悪いならおれが――」
「アキラさまっ!
わたすは今、猛烈に感動しているのでチュッ。わたすら獣人を、わが一族をここまでアルス様みたいに愛でてくれる人族はいなかったのでチュッ。だれがなにを言おうとアキラさまは救世主さまでチュッ!
キュウちゃんと呼ばせてくださいでチュッ!」
「う、うおー!」
ガシっと頭をネズミのおばあちゃんに掴まれて、動けないおれにネズミのおばあちゃんの顔がドンドン近付いてくる。顔のしわがくっきりと浮かび上がるのように見えてきて、おれはこの化けネズミに食われるのか?
だれか助けてくださーい!
「おばあちゃんいい加減にして!」
聞き慣れた声がおれを救出してくれた。持つべきものは優れた生徒だよ、アベカ君。
化けネズミから解放されたおれは、何度か深呼吸を繰り返してから心を落ち着かせた。
その横でアベカ君からきつく叱咤を受けている化けネズミのおばあちゃん、しゅーんと小さくなっているおばあちゃんは孫から怒られて、気落ちしていると思うがおれは助けない。
マジで先は心臓が止まると思ったくらいに怖かったからな。
「先生、おばあちゃんが申し訳ありませんでした。本当にすみません」
「すみませんでチュ……」
「あ、もういいっていいて。いいからあんたたちの仮住まいに行こうか? そこでおれが知ってることをざっくばらんだけど、鼠人さんたちに教えるからね」
優秀な生徒とその恐怖な祖母に謝られて、トラウマになりかけたがモーホー村長の体験よりは幾分ましだから、おれとしてもこれ以上話がこじれないように進めていきたい
「はい、先生」
「宜しくお願いしますでチュ、先生」
真面目な顔で声を揃てくる可愛いと怖いネズミさんたち。
どうやらおばあちゃんの生徒ができたようですが、人はいくつになっても人生は勉強だ。問題ない。
――マジで優秀だよな鼠人さんたちは。
教えたことはスポンジのように吸収して、わからないことがあればドシドシとどんな細かいことでもわかるまで質問してくる。
全員にノートとペンを配って、筆記するように伝えたがそれをしっかりと実行している。ようやくおれにも先生のし甲斐がわかったような気がしてきた。優秀な生徒に先生もまた優れなければならない。
知識を言葉に変換するときは、その意味を正確かつ簡潔に話さなければならないから気苦労が絶えない。
今までおれを教えてくれた先生の方々よ、遅まきながら教えて頂いてありがとうございました。
現代に住んでいたおれは建築工事が、組織によって成り立っていることをよく知っている。職人は持つ技が素晴らしいし、いかにハイスピードで工程を縮めるには技術と建材も大事なのだが、工事そのものを管理することは必要不可欠です。
そのために鼠人さんたちには管理のノウハウだけを叩き込むことにして、技術についてはこの世界で使われる建材と関連するために、それは失敗の経験を重ねたうえで独自の発展を遂げればいい。
管理するに当たって、おれは勤務時間と食事の配給に重きを置いておきたい。
勿論、資材や日程などもしっかりと管理しなければならないが、それは経験と協議を重ねることによって、さらによくなれるとおれは考える。極論すればマッシャーリア村での砦の築造は失敗しても仕方がない。
その経験がモフモフ天国で生かされるから、結果的に失敗にはならない。
だが人材というのはそういうわけにはいかない。
経験を積むのは人であって物ではないので、疲労だけは避けねばならない。労働時間に伴う適切な精神的休息と睡眠や食事は絶対に取らなければならないし、行っている仕事の意義を個人が把握することも必要。
個人から集団へ昇華することで獣人たちは今までにない力を持ちうるとおれは考えている。
だからその頭脳たる鼠人さんたちは自分たちの役割を理解し、なおかつ楽土へ届く道で果たすべき義務と権利を熟知せねばならない。
「仕事の班分けはほかの獣人さんの長としっかりと話し合いして、納得いくまで説明を続けてくれ。
今に獣人さんたちが集団として組織を作り上げられないのなら、それ先へ到底進めることができない」
「でもうちたち鼠人を軽んじる風潮があるのですが、その場合はどう致しましょうか」
鼠人にしては美女たぐいのやり手キャリアウーマンみたいな、ちょっとだけ年がいってるの女性が発言してきた。
獣人たちの種族同士での付き合い方や双方に対する見方はまだおれにはわからない。だけど、例えば元にいた世界でも、社会や人種同士で偏見や差別することは多々とある。
それはなにも異世界に限ってのことではない。
「そういうときはその種族の長に自分の村人を諫めてもらうようにしておくから、きみたちは自分の役割に誇りを持ってやればいい。それに最も大切なことを忘れないようにしてくれ」
「最も大切なこと? それはなんでしょうか」
キャリアウーマンマウスがおれの言葉を反芻してきたので彼女にこれから言うことを叩き込むことにする。
「――楽土だ。
今からなすことすべてが楽土への道であり、その中に個人の幸せも含まれて、輝かしい未来へ飛躍するために楽土こそが目的そのものである。
それはきみたち先祖の悲願であり、後の世代へ手渡すべく宝物にもなりましょう。楽土へたどり着くことをきみたちの大義という。だから、今を恐れるな」
鼠人さんたちは筆記する手を止めておれのほうに目を向けてくる。
どの鼠人さんも円らに輝いている両目がとても可愛らしく、おれのさらに続けられる言葉を待っているように全員が沈黙していた。
「きみたちには楽土が築き上げたらもっとも大事な役が待っている。今からやることはそれを学習するためにあるようなものだ」
「……」
「行政、政。きみたちには出来上がる楽土の都市運営の先駆けになって頂く」
「ぎょうせい……まつりごと……」
鼠人さんのだれかがそう呟いた。
聞いたことがない言葉に、鼠人さんたちは興奮しているようにソワソワし出していた。
「そう。楽土が永遠に続くため、これをしっかりとした組織で都市機能を管理で行わせる。
誰もがこの都市で生を受け、すくすくと成長し、愛する家族を作り、次の世代へ種族の灯を灯し続ける。
そのためにきみたち、鼠人たちが誰よりも先に進んでいくんだ」
「おお、我々が先駆け……」
「わたしたちが都市を作り上げる」
「頑張ろう、うちたちが楽土を築くよ!」
これで煩雑な管理という仕事をネズミさんたちに押し付けは完了したようだ。言葉とは巧みに使うべきもんだ。
――うひゃっひゃっひゃ。
もっとも知っている限りのことは贖えない理に反さない程度には教えるし、ネズミさんたちに適正の仕事と思っているのは確かだけど。
――ところでこれ、内政チートじゃないよ? だって、やるのはあくまで獣人さんたちであり、おれはお手伝いしかしないし、楽土でのルール作りにも口は出さないつもりだからね。
ありがとうございました。




