第111話 おっさんだってたまには熱くなる
エイさんの家で奥方であるラメイベス夫人が調理した美味しい食事を食べながらおれたちは、アベカ少女も交えてこれからのことについて話し合うことにした。食卓には見た目も香りもとてもいい品々が並べられていて、アベカ少女は固唾を飲んでそれらを見たことのない鋭い目で眺めている。
それを見たおれはエイさんに目配りして、食事の開始を促した。
「オホン。それではみなのもの、食べようではないか。腹が減っては戦は出来ぬからな」
この場合はそれが正しい比喩かどうかは別問題として、空かせた腹を満たすべきなのは確かなこと。エイさんの奥さんの料理は中毒性があって、しばらく食べていないと食いたくなってしょうがない。
「い、頂きますっ!ハムっ」
さっそくアベカ少女がそれに食いつき、柔らかく煮込んだオークの角煮を口の中に放り込んで、昇天したかと心配したくらいに超絶幸福の表情を見せていた。気持ちはわからないでもないが、そこまでいくとそれはちょっと大げさに見えてくる。
パクっ。おれもオークの角煮を舌の上に乗せてから噛まずにその美味しさ味わってみる。
よく煮込まれているオークの肉は噛まずとも口の中で溶けそうになるくらい柔らかかった。森の香草が持つ香りは鼻の奥に染み込んできて、そのまま脳の中まで上り詰めていく。口の中で広がっている塩味の利いた肉汁のうまみが味蕾の中に染み込んでいき、味付けに使った森の酸っぱみのある果実が僅かな酸味を利かせて、それが絶妙なバランスを醸し出す。おれにしかわからないだろうが、奥方に差し上げた醤油が隠し味として煮汁の中で垂らされていて、それがおれにどうしようもないほど帰郷の念を思い起こさせられた。
お父さん、お母さん、お元気でいらっしゃいますでしょうか? 予約してあげた海外旅行のツアーは楽しめたか? あなたたちの愚かな息子は元気に異世界で暮らしております。おれが残した銀行の預金とか実家の部屋にある貯金箱いっぱい貯めた500円玉を遠慮なく老後のために使ってくれていい、親孝行らしいことはしてあげられなかったから。
もう、お二人の顔を忘れそうになる時が多いのですが、スマホで時々チェックはしているから忘れかけの時に思い出すためにちゃんと見ていますのでご心配なく。
それと実家の部屋と仕事先で借りた部屋に、お気に入りの自分を慰めるグッズや積んであるエロ関係の同人誌は絶対に捨ててください、そういうものは使用済みで金にはなりません。パソコンはパスワードを掛けてあるので解除できる電脳達人を呼んではいけません。仕事関係の資料は何一つ保存していないから、もっぱら個人の趣味が詰まってある中身をとにかく見ないように廃棄してください。
あと、各地で訪れた風俗店の気持ちよさランクと体験談をつらつらと書き記した漫遊日記は読まずに焼却処分してください! これだけは本当にマジで切に願う。お父さんがそれを活用しそうで怖くて、あなたたちの高齢離婚の原因を息子として作りたくありません。
できの悪い息子は今でも遠い彼方からあなたたちの幸せを祈っております……
「泣くな、料理くらいで」
ハッ! おれ、泣いていたのか。
でもよ、エイさん。横に座っているムナズックもおれと同じのように涙を流して、両手を握りしめて天を仰いでいるじゃないか。それとすまなかったな、アベカ少女よ。大袈裟ななんて言ったことを心から詫びよう。これは料理なんかじゃない、人の心を惑わす魔法がこもった品、おっさんが責任を持って片付けてあげるからきみはもう食べないように。
ラメイベス夫人は絶対にウラボスクラスだ。料理だけでもおれはその美味しさに脱力して勝てそうにない気がするし、ニールなんて夫人の料理に惚れ込んでいるから、ラメイベス夫人に危害を加えようとするやつがいたら、躊躇することもなく一撃で殺害することに及ぶだろう。
あんまりにも食事が美味であったので話することはできなかった。それを食後のデザートの時間に持ち込もうと思って、ムナズックとエイさんには年代物のエルフの果実酒を用意して、アベカ少女は炭酸飲料水を取り出し、ラメイベス夫人とおれはコーヒーということで、飲み物とともに夫人が作った酒のアテと焼いてくれたパンみたいな菓子が食卓に置かれてある。
「アキラっちゃん、ショウユとおサトウが無くなりそうなのよ。お代わりはもらえるのかしら?」
「はいっ、無論です。もうラメイベスさんが欲しいだけを言ってくだされば」
「まあ、嬉しいことを言ってくれるのね。どう? あたいん家の婿にならないかしら、アキラっちゃんがいればあたいも料理の素材と調味料に困らないわ」
「料理の素材と調味料はともかくとして、婿の件はどうかご勘弁してください心からお願い致しますっ」
即答です。セイが嫁だなんてなんの冗談だ、おれにはロリ属性と共にヤンデレ属性も持ち合わせておらんわ。美人で巨乳はおれ好みで否定はできないが、このままここで縛られて心が枯れたまま日々を過ごされて行くことは想像もしたくないわ。
「まあ、セイっちも嫌われたものね、なにしたかしらあの子は」
ラメイベス夫人が少し顔に翳りがさして、落ち込んだ素振りを見せたからおれはすかさず釈明をすることにした。
「いや、セイが良くないのじゃなくて、あの子はいい子だと思います。ただおれにはエティがいるので平等に愛を差し上げられないじゃないかなと思って」
「あら、それなら悩むことはないわ。力のある男はいくらでも奥さんを持っていいのよ」
一夫多妻制ですか。確かに財力と体力さえあればハーレムルートへ突入することも可能だが、嫁が多ければ多いほどおれが動けなくなる。世界観光が目的のおれにはそれは無しだ。え? 連れて行けばいいじゃないかって? バッカだな、出会いの機会を無くしてどうする。独身のほうが色々とやりやすいじゃないか。
それにハーレムと言っても相手にも性格と気持ちがある同等の人、思考するまでもなく日々の暮らしに女たちに揉まれて情けなくオロオロする自分が目に浮かぶ。人の気持ちを無視して自分の欲だけに突っ走るには積み重ねてきた歳月と形成された情けない性格が邪魔してくるが、なんだかんだでおれは結構こういう自分のことが好きだったりするんだ。だからせっかく移転はしたけれども、ハーレムは無しという方向で生きよう。
「いや、無理ですね。一人の女性でも持て余しているおれに、嫁さんたちがワイワイしているところなんて想像できませんよ」
「あら、誠実なのね」
「それは違います。小心者で気弱なだけなんです」
「ほほほ、アキラっちゃんは面白いなのね」
小気味よく笑っているラメイベス夫人におれは肩を竦めて見せた。この話はここで終わるのだろうが、おれの言ったことはムナズックとエイさんを通して獣人さんたちに伝わることだと思う。それこそ妄想でしかないけれど、獣人さんたちがおれに感謝して美しい獣人の女性を送り込んだりしてきたら、おれはとても困ってしまう。
「オホン。さて、これからのことについてお話をしようと思うが、婿殿はどう思われているのかな?」
中年のおっさんが二人で年代物のエルフの果実酒を飲んではラメイベス夫人の作ったつまみを召し上がっている。おれとアベカ少女は夫人の焼き上げた菓子パンを残さず平らげてしまった。
「当初の目標である地竜ペシティグムスの説得と物資の確保は完了した。村に獣人さんたちが続々と集まってきているところをみると、ピキシーさんとエティたちも成果を上げていると思う」
「そうだな。オレたちの村が人族に襲われたこと、闇の使者様がお救いしてくださったこと、オレたちに楽土への道が開かれたことも含めてここ一帯の同胞に伝わっているからな」
ムナズックが暗そうな顔でアルガカンザリス村の出来事を呟いた。それを聞いたおれには別のことを連想する。獣人たちに知れ渡ったということはそれが人族にも伝わっているということだ。
タイムリミットへの競走が始まっている。そこに獣人さんたちが先に辿り着けば逃げ切ることができ、さもなくば残されるのは滅亡。死に絶えることがないとしても人族の元で日が差さない未来しか残されていない。森の外の世界はアルス女神の領域、種族の競争には手を出さないことがこの世界の決まり。
森の中に逃げ込んでしまえばそこは神の世界、地竜ペシティグムスがきっとこの人たちを守り抜いてくれると思う。そこへ醜い欲望のために入り込んだ人族を待ち受けるのは、どう足掻いても立ち向かえないほどの強者が彼らを黄泉へと追い払うだろう。まあ、この世界に黄泉なんてものはあるかどうかはしらないけどね。
「元気出してよ。これからあんたらは先祖の地へ帰るんだぜ? 亡くなったあんたらの同胞はおれも可哀そうと思うし、それが尊い犠牲なんて戯言は言わないけどさ、生きて生き抜いてその人たちに明るい未来を作って見せてやるのがあんたらの責任であり、その人たちに対する弔いじゃないかな」
見るべきなのは未来、亡くなった人たちは帰って来ない。極大の回復魔法だって欠損しか治せないから一つしか命は惜しむべき。おれは親しい人を亡くしたことはないから偉そうなことは言えないけど、それでも懸命に日々を生き、望まない死を迎えた獣人さんたちが安らかに眠ることができるように、安心の出来る永住の楽土を苦難の道にある獣人たちと共に築き上げたい。
「もう、ことは始まった。これから先は元に戻ることはできない、人族がそれを許すとは到底思えないんだ。泣きたいのなら、嘆きたいのならあんたらの楽土を作り上げてから泣け、そこでいくらでも嘆いてくれ。あんたらの先祖の悲願であるアラリアの森に帰ろう、そこで子供たちの未来を切り開いてやろうよ。あんたらのように人族に虐げられる日々がもう過ぎ去っただって昔話のように語ってやろうよ」
よくみると全員が黙ったままでおれを見ているだけとなっている。いかん、時間が残されていないことを考えると我ながら熱くなり過ぎた。恥ずかしいよ、おっさんはクールでいくべきなのに。
「……あ、アキラっちゃん」
「はいいいいっ!」
最初に口を開いたのがラメイベス夫人。怖いなあ、なにを言われるのだろうか。
「もう、セイっちの婿になってえ。あたいん家の子になって。こんなにもあたいらのことを考えてくれるなんて、もうあたいらの同胞になってええ」
「いやいやいや、セイは無理って言いましたし、今の話と関係ないですやん」
興奮したラメイベス夫人はおれの手を包み込むようにして強く掴んで離してくれない。その力があんまりにも強烈なもので慌てたおれは身体強化をかけた。でもこれで謎は明かされました、セイの剣術は父親が鍛えたものだが、身体能力は母親の遺伝子が受け継がれていたんだ。
周りに目を配るとエイさんは満足げになぜか頷いているし、ムナズックは感動してまた泣いてしまっているし、アベカ少女は尊敬を飛び越えて崇拝の目線をこれでもかと送り込んできている。これはアカンパターンだな、どうしてくれようか。
「すまない、ちょいと気持ちが高ぶってなんか偉そうなことをほざいてしまったよ」
「いい。婿殿が我ら同胞のことを心底から心配していることがよおくわかった。むしろお礼を申し上げたいと思っている」
「本当にねえ」
エイさんとラメイベス夫人の夫婦が夫唱婦随でしきりと称讃してくるものだから、話が先から全く進まない。ここで流れを変えておかないと愛しいエティリアに会うのが遅くなる一方だ。
「お、オホン、話を戻そう。これからのことだが砦作りはあんたらに任す、おれはピキシーさんとエティに会いに行く。ほかの獣人さんの長たちがどう考えているかを知りたい」
「そうか、それがいいかもな。砦のことは我らに任されよう」
エイさんが胸をドンと強く叩いているが脳筋には任せられません。奥方のラメイベス夫人も懐疑そうな視線を自分の夫に送っているからおれの考えに間違いはないはずだ。
「うん、そだね。砦の工事はエイさんたちにお願いするが、取り仕切るのはアベカお嬢にお願いするよ」
「え? ワタシにですか?」
きみに一任するからそこで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしない。この世界で鳩のような鳥を見たことないし、豆鉄砲なんてものがあるはずもないから、この比喩は心の内で自分に言い聞かすように呟いてみた。
ありがとうございました。




