第110話 ネズミの少女は聡明な才媛
豊かな和みで金貨3枚を払い、ホクホク顔の丸い女将さんはデュピラスが次の陽の日に接客はしなくてもいいことを快諾した。
「まあ、アキラ様みたいな上客に恵まれるなんてデュピラスちゃんも本当に運がいいわね」
「はい、おかかさま」
しおらしげに微笑んでくるデュピラスにおれはその手入れがいい髪を撫でながら金貨1枚を手渡す。受け取ろうとしないデュピラスを丸い女将さんは苛立ち気に睨んでいるが、取り上げられないように釘だけは刺しておくか。
「デュピラス、これは支度費だ。次の陽の日にお前を買い占めるだけの金は女将に渡してあるからもらっておけ。おれがいつ来てもいいようにそれで美味しい飯を食って、好きな服を買え。最高な状態でおれを待ち受けろ、いいな?」
「はい……お待ちしているわ、あなた」
旦那の言いつけを聞き入れる慎ましい妻のようにデュピラスはおれから金貨を受け取った。でもちょいとお待ちになって? そのあなたの後ろにハートマークが付いてやしませんかデュピラスさん。
異性から好かれることは男冥利に尽きるものとはおれも知っているし、そうなったらいいなあと妄想したこともあるが、それを目的にあなたのためだけに色々とやっているわけじゃなんですよ。ただ、かりそめにも何度も身体を重ね、一緒にときを過ごしたあなたを放ってはおけなかっただけ。やっとエティと愛を育み始めるおれにはあなたの愛を包み込める余裕なんてないよ。
中年になるまで異性とはすれ違ってきたおっさんをナメないでほしい、ダッシュ逃亡のスキルだけは魂に切り刻まれている。修羅場なんてなればそれこそ管理神様に即移転を祈願するね。あ、もう移転済みだから無理か。
「ほんのちょっとだけの間でいい、あなたの女でいさせてください……」
おれの感情の慌てぶりがデュピラスに見透かされたのか、消え入りそうな声でおれに彼女はそっと手のひらをおれの手のひらに添えてくる。伏せている目はわずかにたたえている光が目尻に浮かび上がっていた。
くそお。なんて情けない男なんだよおれは、自分のことしか考えられないで彼女を悲しませてしまった。これから彼女の人生を変えるのに責任を持つというのなら、それはメンタルの部分まで含まなくちゃいけない。
エティ、悪いが許してほしい。限られた時間でいいから、この薄幸の美人さんにも思うような時を過ごさせてやってくれ。言い訳にはならないけど一番好きなのはお前だからね、エティリア。
「わかった、次の陽の日はお前はおれの女だ。忙しくて来れないときが多いけど、お前といる時だけは出来るだけ優しくするから」
「はい、それで十分です。あなた」
握った手は震えているが彼女は笑って見せた。そのめから流されている涙はおれの心を締め付けて、偽物の気持ちを口にしたおれは自分で自分を苦しめてしまう。だけども、ときには言葉という形にしないと伝えられないことは多々とある。きっと、今がそういうときだとおれは思っている。
「もう、この子ったら大事なお客様の前でなにを泣いちゃってるのさ。ごめんなさいねえ、アキラ様」
場の空気をわかっていない丸い女将さんが道化のようなデュピラスを責めている声におれはちょっとホッとしてしまった。悪い、デュピラス。三次元の女をどう取り扱えばいいかのマニュアルを持っていない中年のおっさんを逃げさせてください。
もうすぐ夜明けが来る。薄暗くなった空を見て、ローインタクシーが使えるのも今の内だ、さっさとマッシャーリア村に戻って野郎どもと土木工事に取り掛かろう。モテる男はつらいというが、マジでつらいです。恋愛の経験をレベルで例えるなら、間違いなくレベル値が一桁のおれには複数の情が厚い獣人さんの女性とどう付き合えばいいかがわかりません。
三十六計逃げるに如かずというし、ここは逃げちゃえ逃げちゃえ。
夜明けにローインタクシーでマッシャーリア村に戻ったおれを虎人の村長さんであるムナズックとエイさんが出迎えてくれた。そうしたものだろう、おっさん二人をみると心が安らいでいるよ。
「ちゃんとお勤めご苦労さんですって言ってくれないとダメじゃないか」
「は、はあ……」
おれの軽口におっさん二人は返事に困ってしまい、お互いの目を見交わしているだけ。ああ、なんだかマジでホッとするね。
「さあ、砦を築くぞ!」
やたらとテンションが上がってきているおれをおっさん二人は困惑しつつも歩き出すおれの後ろについてくる。むあははは、おれ、城を作っちゃうよ。
スコップみたいな道具はあるけど所詮は模型なのでちまちまとククリナイフを使って土を掘る。方形に掘り上げたところが堀となって、掘り上げた土で手を使って土塁を作る。版築土塁でもいいのだがこの世界に枠型を使う概念があるかどうかは知らないし、その材料を揃えるのは大変になるのでここはたたき土塁でいこう。
掘はできれば水堀にしたいところだがこの近くに川はなく、生活用水となる湧き水しかないのでこの際は空堀でもいい。ただ、堀底はホウジョウ流の畝掘を取り入れて、逆茂木などを設置すれば敵の侵入を遅らせることができる。
よし、簡単だが地面に砦の模型ができたので横で見ていただけのムナズックとエイさんに説明しようか。
「というわけでご理解頂けましたかな、お二方。あ、模型の土塁はごく一部しか作っていないけど、砦はちゃんと四周を囲むように作成してよ。土塁の土は掘り上げたものを使うとして、土塁を叩く際もしっかり叩いて乾燥させてから次の層に取り掛かるように」
「……」
「……」
「もちろん、土塁の上に塀を作ることでそこから矢を射ることもできるし、時間がないなら柵でもいいから作っておく。砦の四隅に櫓を築造して、大手門と裏門にはタモン櫓を作ろうぜ。櫓の工事はおれが戻ってきた時でいいからね」
「……」
「……」
「あ、それと大手門は模型のように枡形虎口にしてね。それなら普段は出入りする人をそこで確かめることもできるから詰め所も作って。アラリアの森に向けている裏門は喰違虎口でいく。馬出にしようと思ったけどきみたちは騎馬兵がいないからやめた。あ、モビスだから騎モ兵か。キモ兵って、プププっ」
「……」
「……」
「大きな工事になるはずだからちゃんと集団を作って、集団ごと仕事を仕分けてほしい。女性たちも炊き出しとか手伝ってもらうように。まあ、あんたら獣人さんたちは力強いから男も女も関係ないけどね」
「……」
「……」
「さあ、ご質問はありませんか?」
「いや、婿殿。質問だらけだがなあ」
「そうだな、なにを言ってるのが全然わからなくって困っている」
「さいっでっか……」
ガクンとうなだれてしまうおれに目が点になっているおっさんが二人。そうだよな、やったこともないことを一度だけの説明で理解ができるはずもない。しかもそれぞれの専門的な集団を作って仕事を分けて行うことは獣人さんたちにとっては未体験で、なにをどうすればいいかをきちんと理解ができるまできめ細かく話し合うことが不可欠だ。集団の指揮担当者を決めていかないといけないし、物資の分配についても決定していかなくてはならない。
だけどこれは避けてはいけない通っていくべきモフモフ天国への道、土塁の砦すら作れないようじゃ、コンクリート製の獣人の城を築くことはできない。そう、獣人さんの本拠地となるべき湖畔の城はコンクリートで築き上げるつもりなんだよおれは。
材料の仕入れ先なら目途が付いている。そう、アルス連山の西側の森林でひっそりと隠れて暮らしているドワーフがセメントを持っているはず、あいつらの家は全てがコンクリート製なんだよ。しかもあいつらはラノベ通りの酒好きで、ドワーフの村で一番大きな建物が酒場であることもチェック済み。今のおれには交渉となるべき商品もある、それがエルフの果実酒、しかも年代物のやつだ。
「ムワハハハハ、我が野望、ここにて成せりとみた!」
「なるほど、エイ殿が言われるアキラの奇行とはこれか」
「そうだ、これがまさしくそれなのだ。普段は気前も良く知能も高い男なのだが、時々焼き切れてしまうところが実に残念なエティっちの婿殿だ」
こらー、聞こえてんぞエイさん、だれが焼き切れてしまって残念なやつじゃ。
うん、おれだな。
「だいぶ理解することができた、ありがとう」
「さすがは鼠人族一の才女と言われるアベカ殿であって、話が明快にして簡潔でとてもわかりやすいのだ」
けっ、おれが教えたのに褒められるのはおれじゃない、不公平じゃないか。まあ、そのアベカという少女が聡明であることは認めよう。いや、むしろその頭の良さに驚いているのが事実だ。
丸い耳はないし、フードを被って顔に髭は生えていないから、この世界の鼠人族はおれが想像したのと違うことは、以前に鼠人族の村ウィッテベルスを訪れたときに確認済みだ。
尻尾は無毛で細長く、小さく尖った耳が特徴を持っている少女はほっそりとした体付きして、胸装甲こそないが引き締まった体にすらっとした足、八等身のその体型はモデル向きと言っても過言ではない。ただし、身長がない鼠人族はどうしても子供のモデルさんになってしまうと思う。
おれのことを尊敬する目で見てくる少女は、もらったノートとペンでおれが言ったことをちゃんとメモにして、わからないところがあれば的外れのないように聞いてきていた。それらをまとめた後にムナズックとエイさんへ肝要なところはしっかりとおさえた上で的確に伝えている。
「あ、あのう、どうされましたか? ワタシの身体が何か異常があるのでしょうか」
心配そうに聞いてくる少女におっさんはにこやかに答えてあげる。
「いや、なんでもないよ。それよりきみは本当に頭がいいんだね」
「い、いいえ。そんなあ、頭がいいだなんて嬉しいです」
頬を染めて、両手で赤くなっている顔を手のひらで当てている少女はとても可愛らしかった。大丈夫、おっさんにはロリ属性は所持しておらんし、胸装甲のない女性とはいい友達でありたい。うん、そうだ、おっさんのことはお父さんと呼んでもいいよ。娘よ、きみには飴をあげよう、お食べなさい。
飴はとても喜ばれて、少女はおれの周りをうろついている様子をおっさん二人が微笑ましく見ている。懐かれちゃったよおい、いいけどね。
おれは聡明なアベカ少女を連れて、ムナズックにエイさんともう一度模型の所まで行く。実物を見ながら説明すると印象を深めるのに役立つことを知っているからだ。すでにある程度を得たアベカ少女は模型を見ながら理解ができなかった点だけを聞いてきて、それをノートの中に記入していく。
すごいぞこいつ、枡形虎口を見ただけでそれが侵入してきた敵を殲滅する場所だということを看破している。いい子を見つけちゃったよ、この素晴らしい子に仕事を押し付けちゃおうっと。
「たたき土塁の理想な角度は45度だ、それ以上になると崩れる恐れがある」
「45ど?」
ムナズックはおれの言ったことに首を傾げてしまっている。それを説明するために地面に木の枝で正方形を描いてから対角を一本の線を引いて見せる。
「この内側の線が示しているのが45度ということだ」
ムナズックとエイさんはなおもわかるようなわからないような顔をしていたので、おれはお助け衛門を呼ぶことにした。少女はネズミビトだしな。
振り返ってみるとアベカ少女はナイフで木を切り刻んでいて、それがどんどん立方体になっていくのでおれは彼女のことが器用だと思った。
「これを地面の図と同じように切ると……」
アベカ少女は立方体の木を地べたに置くと対角にそれを半分に削った。おお、まさしく立体的な45度の三角形ができたよ。こいつ、本当に頭が良くて手先も器用だ。いい子に巡り合えた、これで砦工事の工事監理者がただいま持って決定いたしました。
「これでいいですか、アキラさま?」
「まさにそれだ、その木の角度で土塁を作ってくれ。土塁が出来上がったら表面に草を植えるとさらに崩れにくくなるから覚えてね。それと一番大事なことだけど、おれを呼ぶときは様付けは無しということで」
「は、はいっ、わかりましたあ。あ、アキラ、さん」
うんうん、いい子だ。お父さん、苦労して育てた甲斐があったよ。おれはお父さんじゃないけどね。
「おお、先まで訳の分からないことばかりだったがこれならすぐにわかる。やはりオレたち獣人のことわざの口よりも手というのは正しい」
「口先だけでは全然わからないかったが、このように形にできるとよくわかるというものだな」
ムナズックとエイさん、てめえらはおれにケンカを売っているんだな? そうだな?
買ってやんよ、そのケンカ。
ニール風で妄想してみたが、そういえばあいつはどこに行ったんだ。
ありがとうございました。




