第107話 不幸話はどこにでもある
「お頭、こいつが俺たちが買った女を奪うんです」
「娼館のしきたりも守れないクソ野郎だぜ、思い知らせてやろうぜ」
おっ、大将が出てきたからゴロツキどもがいきなり勇ましいな。どこかの衛兵さんかお前らは。
「……アキラさんじゃねえか、こんなところでなに騒ぎを起こしてんだ」
プーシルが苦い顔でおれに挨拶をしてくるからここは気持ちを込めて答えてやらないとね。
「これはプーシルの大将さんじゃないか、ペンドルさんは元気かな? ちょいと馴染みに癒してもらってから会いに行くつもりなんだ」
出来るだけ爽やかな笑顔を作ったつもりだが、どうもそれが逆効果になっているようで女将さんがガクブルになってブルブルとお肉を震わせている。バイブ機能でもついているのかな、さすがは娼館を取り仕切る女将さんだ、中々の高性能をお持ちとみた。
「アキラさん。悪いが娼館には娼館のしきたりがあるんだ、そいつあ守ってもらわんとな。そこの犬のケモノを手下たちに戻してもらおうか」
今こいつ、デュピラスのことを犬のケモノって言いやがったな? マイ・ラマンがおれの腕をしがみついて震えているじゃないか。ああもう許せねえよ。
「……それは貴様のしきたりか、おれのしきたりか、どっちだ!」
おれの出す剣吞な雰囲気にこの場にいる全ての人たちが凍り付いている。その中でプーシルだけが何とか踏みとどまるようにして返答してくる。
「無茶をいうんじゃねえよ、アキラさん。この街のしきたりを守ってもらわねえと俺らもほかの奴らにナメられて食っていけねえ」
言えるだけのの勇気は褒めてあげるよ、プーシルくん。悪いがモフモフに係わっちゃおれも引けないことを思い知らせてやらねばならない。
「それは貴様らの都合でおれには関係ないよね? 貴様とペンドルの顔を立てて今一度聞いてやる。ここは貴様らのしきたりで行くか、それともおれのしきたりで行くか、それだけを答えろよプーシル」
ワスプールとの話し合いで城塞都市ラクータとことを構えようと考えていたおれは確かに気がたかぶっている。それを和らげるためにデュピラスのことを求めたいと思っている気持ちは否定できない。
「……」
「……」
全ての人が固唾を飲んでおれとプーシルの睨み合いを見守る中、フッと最高点まで高まったおれのやる気がストンと落ちた。気持ちが冷めたんだ。
もういいや、こいつら面倒くせえ。せっかくできた伝手が無くなるのはもったいねえが、ペンドルごと殲滅っちゃおうか。
「……アキラさんのしきたりで行く」
まさにククリナイフとハチェットの柄に手を掛けようとしたときにプーシルの重たかった口から言葉が発された。それは絶妙なタイミングで、次の瞬間には彼とゴロツキどもの首を刎ね飛ばそうと思っていたからだ。
「そ、そんなあ、お頭……」
「なんでこんなやつに……」
「こいつはアキラさん、ペンドルも一目を置くやつだ。こいつとやり合うのなら止めねえからその後でちゃんとペンドルに釈明するこったな」
「マジっすか! こいつはペンドルさんの知り合いっすか!」
「やっべー、ペンドルさんに怒られるとこだったぜ」
あれれ、場の空気が変わったよ。プーシルに諭されたヒャッハーさんの中年二人は卑屈な笑顔を作ってからおれのところまで来ている。
「すんませんでした」
「許してくだせえよ、ペンドルさんに怒られっと俺たちも大変なんすよ」
すっかりやる気を削がれたおれはヒャッハーさんの中年二人に黙って頷くと、二人は大喜びをして両手を合わせてから揉みしだいている。なんだか見たことのあるような光景におれは記憶の糸を辿ってみる。あ、移転する前に勤めていた頃の仕事をもらうためやトラブルを丸く収めようとしていたおれじゃねえか。
「先は女を取って悪かったな」
「いえいえ、アキラさんの女と知らずに寝ようとした俺たちが悪いっすから」
「そうっすよ、アキラの兄貴は楽しんで行ってくださいよ、俺たちはもうこれで」
逃げ去って行こうとする可哀そうなおっさん二人の肩を掴むと、そのまま未だにバイブ機能を全開させている女将さんのところまで連れて行く。
「女将さん、この人たちにおれからのお詫びということでいい子を付けてやってよ。この人たちからもらったお金は返してあげてね」
ブルブルと頷いているのか、それとも震えているのかがよくわからない女将さんはひたすらガクブルしているだけ。これだけ細かい動きができるなら、お口でしてもらうのはさぞかし気持ちいいことでしょうが、この女将さんは体格から見ても年齢的にみてもおれはご遠慮というか、ご勘弁願いたいところだ。
「気前いいっすね、アキラさん」
「ごっちになりやす、アキラの兄貴」
「え? ああ、楽しんで行ってよ」
低俗な笑いを浮かべるお礼を言ってくるヒャッハーさんの中年二人の後ろに立つ大男のプーシルは恨めしそうにおれへ捨て台詞を吐きつけてくる。
「ペンドルに言うからな、アキラさん」
プーシル、言いたかないけど言わせてもらうね。
お前はガキか。
台所をガクブル女将に借りたおれはマイ・ラマンのために料理を作っている。本日の献立はオーク肉のカツにして、油は以前に有り余っていたオークの脂肪から作ったラードを使う。カツの衣は小麦粉と卵を使用して、アラリアの森で採れた旬の野菜も一緒に揚げて、デュピラスのために食卓の品数を増やす。
「アキラさんって、強かったのね」
「そんなことは――ううん、そこそこ強いかな」
「謙遜なのね、人族にしては」
「人族と言っても色々いるからね。そうだ、多めに作っておくから狐人のねえちゃんにもあげてよ」
「姉さんはオークの肉が大好物なのよ、喜ぶはずだわ」
「そりゃよかった」
料理の下準備しているおれの背中を大きな二つの美肉が押し付けられてきて、背中を通り過ぎる美しい毛並みをする腕はおれの腹を抱えるようにして抱きしめてくる。
「ありがとう、アキラさん。助けてくれて本当に嬉しかったわ」
「いいさ、当たり前のことしただけだから礼はいうなよ」
「大好きよ」
「その言葉だけで充分だ。さあ、おれにご飯を作らせろよ、あんまりの美味しさにデュピラスがびっくりするぞ」
抱き締めてくる犬人の美人さんの両腕は強さが増すばかりで一向に離れる気配を見せていない。おれの背中の服がじわりと濡れてくるのは肌で感じていたが、それを口にするのは無粋というもの。我慢している啜り泣きにおれは料理の準備の手を止めない。
だれでも泣きたいときは思う存分泣けばいい。
「さきはありがとう、大泣きしたらなんだか気持ちが落ち着いてきちゃったわ」
「そうか、そういうときもあるからな」
湯船に浸かっているおれとデュピラス、背中にいる彼女は割れ物を扱うような手付きで優しくおれの胸を触ってくる。
「そうね、そういうときもあるわ。それにしてもアキラさんって料理が上手なのね、とんかつは食べたことないけど、とても美味しかったわ」
「そ、そだね。作り方は教えるよ」
もうね、今は後ろにいる美犬人さんがエティリアに負けないくらいの食欲を持っていることが発覚した。一枚で1キロはあると思われる大きめに揚げたトンカツは、瞬く間にその艶のあるお口の中に消えていき、毛並みがとてもきれいな尻尾は次のトンカツを要求して、扇風機のようにブンブンと振りまわっていた。
異世界のキャベツのようなアラリアの森から採れた生野菜を添えたトンカツを、この身体が細い美犬人さんは5枚も一人で召し上がった。狐人のお姉さんの分である2枚のトンカツをもの欲しそうにデュピラスは眺めていたけど、どうにか彼女は欲望を抑えたのでおれもホッとしている。揚げ物の食べ過ぎは胃にもたれます。
「あら、また作ってくれるって言わないのね」
「……」
少しだけ恨み言のスパイスが混じったデュピラスの問いかけにおれは答えることができない。エティリアのことが脳内でよぎってしまったから。
「ごめんなさい、意地悪を言っちゃったみたいだわ」
「デュピラス謝ることない、おれも謝らないから」
「そうね、可愛らしい兎人の彼女さ……」
これ以上言わせてしまうと話がおかしい方向に発展してしまいそうなので、おれは振り向くと彼女の唇を奪うようにしておれの唇を重ねた。
デュピラスはいきなりのことでびっくりして目を開いたが、身体がおれを拒むことはなかった。ただ、すぐに閉じられた彼女の目から流れ出す涙を見て、ギュッとなった自分の心をどうすることもできない。
デュピラスとこれからエティリアには不誠実なことをしようとおれの身体が欲しているが、心はできるだけエティリアに誠実でありたい。たとえ、それがどうしょうもないおれの醜い偽善で、隠しきれない欺瞞であることだと知っていてもだ。
「なあ、生まれ育った村へ帰りたいと思わないか? 答えたくないなら何も言わなくていいからな」
熱く互いの身体だけを求め合った情事の後に、おれの胸に頭を預かっているデュピラスへそれとなく聞いてみた。彼女は首を上げないままでおれの右手の手のひらを自分の指で触りながらその問いに小さな声で呟いてくる。
「そうね、帰れるのなら帰りたいわ」
「それなら――」
デュピラスの右手はおれが言いきる前に指でおれの口を塞いでくる。彼女が頭をおれに向けてきて、見せてくるのはとても悲しそうな笑顔。
「ないのよ。私の住んでいた村はもう、どこにもないのよ」
「そ、かあ」
おれはなにも言えない。軽い気持ちで彼女を村に連れて帰り、獣人たちの楽土を見せたいと思ったから。
「私が小さなときに村の長が人族に誑かされて、村の土地も持ち物も全部人族に持って行かれたわ。私たちも売られる形でゼノスに連れて来られたの。それでもね、父さんも母さんも私だけは奴隷にしたくないと命を掛けて働いたわ、疲労で命が無くなるまでね」
「……」
重い、重いよデュピラスさん。あなたが今に見せる微笑みはおれが生まれて初めて見たくないと思った感情の籠らない無機質な微笑なんだよ。
「人族が憎いと思ったのにそれがどう? いい仕事を見つけようとしたのにここの女将に私も騙されて、いつでも人族に自分から股を開いているわ。バカみたいでしょう、私たち獣人って」
「もう、言うな。これ以上は言わなくていい」
笑みで顔が凍り付いた彼女は美しい、だけどそれは儚くて壊れそうな美しさだ。こんな美人にそれは似合いそうもない。
「なあ、デュピ――」
「ねえ、アキラさん? お前を助けるなんて馬鹿げたこと言ったら軽蔑するわよ。そんな戯言なんて床の上で誰でも私を抱きながら言ってくれるわ。そんなことはしなくていいから、夢だけ見させて? いつか、私も娼館で使い捨てられて死んだ獣人の姉さんたちみたいに、身体がボロボロになってから放り出されるまでの間だけあなたがくる夢を見させてくださいね」
それは絶望としか聞こえてこない渇仰。彼女は全てを諦めて、ただただいつかこの世から消えることを願っているのみ。
ありがとうございました。




