第100話 銀龍さんと午後のお茶会
「てめえはどこをどうほっつき歩いてきやがったんだ!」
ニールさんが今までにないほどカンカンに怒ってらっしゃる。焼き肉でご機嫌を取ろうとしているおれの調理の準備を止めたほどだ。こんなに強い感情の銀龍さんはアルス連山を下山してから見たことがなく、いったいおれは彼女になにをしたのかが理解できない。
「...アキラさんが暗い顔で立ち去ったからニール様がずっと心配してらっしゃったの。それでもアキラさんが帰ってくる気配がなく、あたしたちのことをアキラさんから託されているので、ニールさまもアキラさんを探しに行けなくて。...」
ネシアの説明で事情を把握した。ハッハッハ、なんだ。寂しかったのか。どれ、ここは一つ遊んでやろうではないか。
「チッチッチ。さあニール、おいで」
ニールはおれの子犬を呼びつけするような仕草にすぐに応えてくれて、ほとんど飛んでくるという速度で来てくれた。ただし、拳で殴りつけるというオマケ付きで。むしろこっちのほうが本命じゃないかと思うほど、その剛力パンチを受けたおれは目から星が飛び出したくらいの痛さにうずくまっている。
「調子をくれっとぶん殴るぞ!」
拳を上げたままで美しい銀龍さんは怒りを含んだ声で怒鳴りつけてくる。
「はい、すんませんっした!」
もう殴ったじゃないか、相変わらず口よりも手が早い奴だな。一応おれの見守り役という役職についているし、ここはちゃんと話し合ったほうがいい。脳筋に見えて頭の回転と良さはさすがに神話級の化け物に相応しく、分別というものも弁えている。やってることは脳筋だけどそこは目を瞑ろう。
「ってなわけでおれは悩んでいたから一人でゆっくりと考えたかっただけ。心配してくれてありがとうな」
エルフの集落のはずれは木漏れ日が差し込んで、木の葉が風に揺られてさざ波のように止まらない葉擦れの音が絶え間なく鳴り響き、心を穏やかにさせていく。切り株をテーブル代わりにネシアが作った茶葉でお茶を入れ、商品を入れていた空の木箱を椅子の代わりに二人とも座っている。
森の香りと共にわずかに漂う茶の香りの中、おれとニールは会話をつまみに一時のティタイムを共に過ごす。
「すまねえ。魔族もそうだが人型は深く物事を考えんのは知ってんけど、それがどういうことかは俺もしらねえからよ」
「ニール、ううん。メリジーは悩むというか、深く物事を考えたりしないのか?」
ちょっとだけ頭を小さく動かしたメリジーはすぐに破顔しておれの質問に返答した。
「理に沿うならそれで良し、沿わないのなら焼き払う。そんだけだ」
あらら、単純明快なのね。この際だから爺さんらが言っている理を聞いておこうか、おれの生きる指針になるかもしれないし。
「なあ、爺さんも理を使うけど、それってどういう意味?」
「なんだお前、理も知らねえで生きてきたのか!」
メリジーの驚きにおれのほうが驚く。物知りのイ・コルゼーから世界の理なんて言葉を聞いたこともないし、そもそも理を使っているのは二柱の守護とその眷属だけ。
「いやいや、知らないよ。だれにも教わってないよ」
「んなの、この世にいる時からドラゴンは知ってんぞ」
「いや、だから、おれはドラゴンじゃなくて異世界から移転してきた人間だし」
「そう言えば親父から聞いたことあんぞ、お前は異界より来たやつとか言ってたな。その異界ってのはなんだ?」
「あれれ? おれのことは爺さんから聞いてないの?」
「聞いた。世界の理から外れたやつだとよ。そんで主様の許しがあればこの世界で生きんだから、親父も姉さんもお前を受け入れんとよ」
「そうか、あんたらではそういうことになってるんだ。ところで姉さんってだれ?」
「お前も時々姉さんと会ってんじゃねえか、姉さんはティターニアの姉さんだ」
ほほう、あの精霊王はメリジーからすれば姉さん扱いか。見た目は幼い妹なのにお姉ちゃん、プププっ。
「なにを笑ってやがるんだ」
おれのおかしそうな表情にメリジーは不機嫌な顔になってから問い詰めてくる。
「いやね、見た目が子供のなりなのにあんたらからお姉ちゃん呼ばわりされているって、ちょっと可笑しくてね」
「バカ言え、姉さんはすんげえぜ? 親父とサシでタメを張れるのは姉さんだけだ、俺らなんて相手にもなんねえよ」
「それは知っている」
精霊王様の試練のときに思い知らされていた。この世界には絶対に立ち向かえない存在がすくなくとも二柱もいることを。
クッカーにミネラルウオーターを入れてコンパクトバーナーでお湯を沸かす。メリジーが空になったペットボトルをジッと見るものだから、いつもならアイテムボックスに廃棄する習慣を持つことを思い出した。
「見てみる? これが異界のものでペットボトルというものだ」
「おう」
おれから手渡されたペットボトルをメリジーは興味津々に手で取って、材質を確かめたり回したりとまるで玩具のようにペットボトルを弄んでいる。
「それはあげるよ、水を入れると水筒替わりになるから」
「おう、これをくれんのか!」
なんだかすごく嬉しそうにしているメリジーさん。確かに水魔法の生活魔法で飲み水を作ることはできるが、おれは自分の世界から持ち込んだ水が好きた。ほら、水当たりするっていうじゃん?
空のペットボトルなんておれのアイテムボックスには山ほど入っている。管理神と交わした話し合いでなるべく人前では多用することは避けているが、メリジーはドラゴンだからこれに該当しません。
「ペットボトルならいくらでもあるから、もっといる?」
「いや、これだけでいい」
上機嫌でもらったペットボトルを大事そうに魔法の袋に入れるメリジーを見て、なんだか自分が子供の頃を思い出す。もう遠い思い出の中では人からごみ同然と思うようなものでも、それが自分だけの宝物となる物がある。ゴミ置き場に捨てられたグラビア、エロマンガ、同人誌、エロゲーの空箱などなど、あの頃はまだ見知らぬ大人の世界に思いを馳せていたなあ。
そう言いや、初めてエロゲーをやらせてもらった近所のアパートに住んでいた浪人生のお兄さんは元気かな? 目指した大学に入ったのかな? ガキのおれでも絶対に合格は無理だと思った。だって、四六時中にエロゲーしかやらないですもの。
「茶菓子だけど、いい焼き菓子をテンク――」
「チョコレートがいい」
あらら、言い終えるまでにもう答えが返ってきたのね、それならお茶にいれる砂糖は少量にしましょうか。
切り株の上にチョコレートの袋を開けて、淹れたてのお茶をメリジーの前に置いておく。話はもう少し長くなりそうなので、新しいペットボトルで水をクッカーに入れたが、メリジーはもうペットボトルに興味を示さない。
「話は戻るけど、理っていうのはいったいどんなものなの?」
「うーん。細かい所は色々とあんだが理は理、俺が関わりを持つのは贖えない理だ。それはこの世に生きる物が絶対に背いてはならぬ掟、贖えない理を反する者はいかなるものも生かしてはならぬ。そういうのが俺の中に刻み込まれてんだよ」
うん、さっぱりわからん。そんなわけもわからない法が爺さんと幼女の眷属たちに存在している。だけどおれとしては掘り下げてみたい。いつの間にか贖えない理という絶対的な概念に触れてしまい、神話級の化け物に襲われてはたまらない。
「じゃあ、例えばおれが魔法で種族を殺めたり、都市や森を破壊したりするのはその贖えない理に反する?」
「理には反するが贖えない理には反しねえ。お前の持つ力に逆らえねえものが消えてもそれはしょうがねえ」
おお、基準のその一がわかった。自分の力でなにかをするのはいいということらしい。まあ、ある意味では自然競争だもんな。
「おれが持つ知識でこの世界にないものを作るのは?」
「そいつが今の世界を変えるとか母なるアルスを汚さない限り、贖えない理には反さねえ」
要するに異世界の知識で世の中の今にある仕組みを大きく変えない限りは理の内にあるということだな。それにしても母なるアルスはアルス星のことかな? でもいまそれを聞くと理の知識から逸れるので後で質問しよう。
「じゃあ、今までに贖えない理ってやつを反した人物とかいるわけ?」
「ああ、勇者だ。マーブラスのおっさんもそうだ」
メリジーは木製のコップを手に取り、優雅な姿勢でお茶を飲むためにそれを口に付けている。森の中で美女とのお洒落で素敵な時間を過ごす、元の世界にいた頃は考えもつかないことだ。その美女がドラゴンという人外でないのなら、口説きようもあるのに残念です。
「勇者はなにをして贖えない理を外れたのかな」
「勇者は不思議な力を持つ。やつは自在に吸い込んだ魔素を扱えるんだよ、魔法を無尽蔵に撃ちやがんだ」
「すごいなそれ、敵なしじゃないか」
「別にやつだけにそれが可能なわけじゃねえ。親父と姉さんは言うまでもないが俺やエデジーもいつもやってんし、当時の魔族の長にもその力はあんよ」
マジですか、魔力切れがない魔法使いって、ある意味で最強じゃね? それと貴重な情報をどうもありがとう。あんたと女神さんは魔法撃ち放題ことが判明しましたので逆らいません。
「じゃあ、なんで勇者だけが贖えない理に反した?」
「そいつは人族を取りまとめるとほかの種族を征服し始めたってわけよ。それはいいが魔族にも攻め込もうと我が神山を削り出して魔族領への道を作り出そうと母なるアルスの大地を壊し始めやがった。それも母なるアルスの魔素でな」
ここで基準二が少し見えてきた。要するにアルスに存在する魔素の力でアルスの大地を破壊すると贖えない理から外れるということか。
「なるほどね。もしもだ、勇者ってやつが魔素を吸い込まずに自力でアルス連山を削るのなら贖えない理には反しないのだな?」
「ああ、そんならいいぜ。己の力ならなにしようが構いやしねえ。もっとも人型ごときの力でそれが出来るとは思えねえよ」
「へえ、もしもそういう存在が現れたらどうなる?」
「……」
メリジーが急に俯き加減に考え込んでいるようだ。こういう姿の彼女をみるのは初めてで、ちょっと面食らってしまったおれは声をかけるタイミングを失い、黙り込んでお茶を飲むことしかできない。
うん、やっぱりエルフのお茶は口当たりが爽やかで香りもいいなあ。
「……なるほどな、贖えない理とはこういうことのためにあったんだな。でかしたぞ、あきらっち!」
いきなり嬌声をあげておれの手を握って来るメリジーにおれは返事できないまま見つめ返している。落ち着いてね、銀龍さん。あなたのお手手はがドラゴンに連想できないくらいに柔らかくて暖かいですので、このまま握ってくれてもいいですよ。
「説明してやんよ。俺らも贖えない理はなんのためにあんのは考えていなかった、あるものはあるもので考える必要がねえと思ったんよ」
「は、はあ……」
「だがお前のいうことに気が付いた。贖えない理とは母なるアルスを怒らせないため、母なるアルスの生み出す人にあらざる者を出させねえためにあんだよ」
「あ、あのう……」
先も思ったけど母なるアルスってなあに? 人にあらざる者ってなあに? お助け衛門、教えて? この場合は銀龍メリジーなんですけどね。
本編の100話目です!
見てくれてありがとうです。
飽きずに読んでくれました皆様に厚くお礼を申し上げます。
ありがとうございました。




