第95話 異世界の人魚は裸族さん
事前調査というのがある。勤めていた頃は建築工事が始まる前によく現場の現況を確かめに行ったものだ。
ここはモフモフ天国の予定地、水の資源が豊かで肥沃の土地を称えている場所。その建築計画地の近くを流れる川をその上流を辿っていく。川の源流に着いたおれは驚愕を隠せずにそれを呆然と眺望することしかできなかった。
「これ、湖じゃなくて絶対に内海だよな。果物の湖なんて目じゃないよ」
琵琶って美味しいよね。
目の前には広がる大きな湖というより、淡水の海が際限なく地の果てまで続いているように思われた。だって、対岸が見えなくて水平線だけがあるだけですもの。本当にアルス・マーゼ大陸って壮大な大地だよな。
水辺まで駆け寄るとそこで靴と靴下を脱ぎ、素足で湖に入ってみることにした。
「うほお、結構冷たいな」
この辺りに人影はなく、ムクムクと湧き上がる突然の思い付きに抗いきれなかったおれはあっという間に素っ裸になり、装備や下着などを岸辺に置くとそのまま湖の中へ飛び込んで、本当に久々に遊泳を楽しむことにした。
お前ら! おっさんのバタフライを見たいか!
フルチンで水中に潜り込んではムハっと出てくる姿は自分で想像するだけで気持ち悪くてゾッとするが気持ちがとてもいいから気にしない。だれも見てないしな、ムハッー! トビウオのアキラだ、避けて通りな、ムハッー!
……うそーん! だれか見ていたよ、どうしてくれるんだ。
水面にいくつもの髪が長そうな頭がこっちのほうを覗いていた。そいつらは泳いでいる素振りもなく、スーッとこっちのほうに水を掻き分けるように寄って来る。怖いよ、この世界にも幽霊はいるのかな?
「ねえ、そこでバタバタと動いているあなた。変な技で動いて進んで行ったよね。あなたは人族なの?」
んん? 届かない距離で幽霊さんが女性の声で話しかけてきた、しかも共通語で。よく見るとピンク色の髪と素肌の肩を水面の上まで出している彼女は清楚で凛々しい顔立ちをしていて、青い瞳が絶えずにこっちに好奇心満々の視線で見つめてくる。
「あ、ああ、人族だ。そういうきみたちは何者だ?」
彼女が答える前におれの近くの水面下で水の振動を下半身のセンサーくんが感じ取っていたので、思わず下のほうへ注意力を向けてみた。
……一瞬にギョッとしたが、水中には上半身は女性で下半身が魚さんをした生き物が数匹もおれの剥き出しの下半身に熱い眼差しを注いでいる。
あ、おれ、パンツを穿いていないや。
「う、うおーーーーっ!」
おっさんの絶叫が果てのない湖を響き渡っていく。
「クスクス。それが人族の交尾の道具なのね」
魚の下半身で水辺に座っているピンク色の髪した彼女が急いでパンツを穿くおれの大事な分身に指でさしてから問いかけてくる。彼女とともに来た六人のマーメイドさんもおれの分身から目を離そうとしない。
おまけに彼女たちも上半身は裸で、困ったことに大きくないお胸様にはちゃんと薄いピンク色の先端が付いていて、プルプルと震えるお胸様たちに聞き分けのない分身がムクムクと勝手に起立しちゃいました。
「あら、それ、大きく立ったわね」
いいからマイ・サンを交尾の道具っていうな! 立ったっていうな! 大きいって褒めてくれてありがとう! って、ちがーう。
「そうよ、わたしたちはマーメイド族。わたしはマキリ、ここに昔から住んでいるわ」
おれが質問したことにピンク色の髪した彼女はマキリと名乗り、自分たちは問い掛けにあったマーメイド族であることも答えてくれた。それにしても手のひらにスッポリと収まりそうなお胸様がとても魅力的で、彼女は胸を隠そうとしていないから倫理観が多種族とは違うのかな。
「どうしたの? 先からずっと胸ばかりを見ているけど、子を孕んでいないからお乳はでないわよ?」
「いや、お乳が出る出ないとかの話じゃなくて。きみたちは服とかで隠したりはしないの?」
危ない危ない、この子は今まで会ってきたどの敵よりも手強かった。言葉だけでおれの理性が刈り取られそうになったじゃないか。お胸様たちは素敵で魅惑的ではあるけど、今はそうしている場合じゃない。
「変な人族ね。わたしたちの言い伝えにある人族のオスはお乳が大好きだそうよ、おばあちゃんから聞いた話では先祖様のお胸が痛くなっても吸い付くことをやめなかったらしいわ」
「なんとうらやまけしからんことを……じゃなくて、サラシというか布で巻いたりはしないのか?」
「なんで? 体を隠すの意味が分からないわ」
仲間同士でおれの言葉に首を傾げ合うマーメイドさんたち。
確かに胸を晒すことが恥ずかしいというのは多種族の倫理であって、アラクネは服というものを自己アピールの道具として使われているが、それは胸を人前で曝け出すべきじゃないという考えからではない。
モンスターを先祖に持つこれらの種族では裸でいることが常識であって、これらの種族からすればおれが言う服などで体の一部を人前から隠すことがそもそも考えに入っていないということだ。
要するにそういう目で彼女たちを見ているおれが異常そのもの、異性へのセックスアピールに対する思考が多種族のそれとは相違があると見てもいいだろう。うん、多種族の常識は異形族の非常識か、いいね。こっそりとじゃなくて堂々とお胸様を拝まさせて頂けるんだ。それはいいねえ。
「ソウダネ。文化が違うというか、そういう習性を持っているのなら尊重しようじゃないか、ナハハハハ」
「変な人族だこと。といっても人族に会う自体が先祖以来のことだけど」
「そうなのか。あ、おれの名はアキラと言うんだ、よろしくな」
「へー、アキラという名なのね。覚えたわ」
にっこりと無邪気に可愛く笑ってくるマキリ、とりあえずアラクネの時みたいに争いが起こるような出会いじゃなくてよかった。おれとしてはこの世界を駆け巡りながら色んな種族と仲良くしていきたい、それがおれの異世界移転だと思っている。
「アキラはどうしてここまで来たの?」
率直なマキリの疑問におれはこれまでの出来事を話すことにした。ここに栄えるであろうモフモフ天国に是非とも彼女たちにも一員に加わってもらいたい、もっとも人魚さんはモフモフじゃないけど。
「獣人たちが近いうちにこの辺りで住みつくことになると思う。おれは下見というか、この一帯の環境を見に来たんだ」
「へえ、ケモノビトさんたちが帰って来るの? でもヌシ様がそれを許さないと思うけど」
明るかったマキリの顔にわずかな陰りを見せている。ほかのマーメイドさんたちも同様に暗い顔をして、下に俯いたり、溜息をついたりした。どうしたんだろう、彼女たちの取った態度におれは疑念を持った。
「どうしたんだ? 落ち込んだように見えるのだけど」
「ええ、そうよ。ケモノビトさんたちと先祖様は大の仲良しなのよ。ヌシ様に森から追い払われたときは悲しかったって伝え聞いているの。だから、アキラからケモノビトさんたちが帰って来ると聞いた時は嬉しさよりもヌシ様に襲われないかと心配なのよ」
「本当に仲が良かったみたいだな」
「先祖様からはケモノビトさんとは交流していたと聞いている、わたしたちが使う言葉もケモノビトさんが先祖様に教えたみたいなの。ヌシ様に迎え入れられるといいのだけどね……」
気落ちして肩を落としているマーメイドさんたちを励まそうと、おれは彼女たちに証拠を見せることにした。これを見たのならきっと獣人族が無事にここで生活することができると理解してくれるはず。
取り出したのはもちろん森のヌシ様、地竜ペシティグムスに勝った証拠である大きいな竜の角。
「アキラ……あ、あなた、それはヌシ様の角じゃないの。どうしてそれを……」
「ああ、誤解のないに言っておくけど、森のヌシ様は今でもとても元気に生きている。この角はヌシ様と勝負して勝った証、獣人族がここに帰って来れる証明だ」
おれの得意げな自慢話にマーメイドさんたちは目の色を変えて、全員のおれを見る瞳がキラキラと輝き出した。ん? なんだかこの場がピンク色に染まり始めているぞ? マーメイドさんたちがうずうずし出して、どの子も持つ色気がムンムンと辺りに溢れ出している。
これは知っている雰囲気だぞ、この子たちは発情しているんだ。どうしてこうなった?
「アキラ、あなた強い人族なのね! いいわ、とてもいいわ。あれも大きいし、マキリ疼いて切っちゃったの」
「強い人大好き! この人族の子が欲しい、きっと強い子を成すわね」
「シャースラン、この人族と交尾がしたいの」
あっるええ? ジリジリと迫り寄る裸さんのマーメイドちゃんたち、上気して赤く染まっている頬に舌なめずりしているその姿はまるで獲物に襲い掛かろうとしている肉食獣そのもの。おっさんはここで異種間交尾を成し遂げるという自己歴史を刻み込むのか!
思わず後退りしてしまったが、上半身が裸のおれに後ろから冷たく柔らかい感触が添えられてくる。二つの先端を背中の皮膚が感じ取っていて、それは固く尖った感触のいい小さな肉の粒。
「あら、オスの良い匂いがするね。とてもそそられるのよ」
しまったあ! 前の裸族のマーメイドちゃんたちに気を取られて、いつの間にか回り込まれたことに気付くことができなかった。退路を裸族のマーメイドちゃんの抱擁によって断たれた意志が弱いおっさんは、ここで色気たっぷりの発情中である人魚ちゃんたちと入り乱れた情事が始まるのか!
始まりませんよそんなこと。流されそうになっていたがマーメイドさんたちの肉体の構造もわからないことだし、せっかく異種間交流ができたのにもうちょっと友誼的に仲良くなりたいと思っている。だから泣く泣く彼女たちの口に飴を放り込んで、やる気を食い気に変えることにした。
それは大当たりして彼女たちは菓子類に飛び付き、焼き菓子のお代わりを懇願してきている。とても残念ではあるがハッケヨイ・ノコラナイのくんずほぐれつ肉体のぶつかり合いはそれで無しとなりました。シクシク……
チョコレートは媚薬効果があるという噂を高校のときのメンズトークで聞いたことがあるので、ここでそれを試す気にはなれない。そのために彼女たちにチョコレートを食べさせてあげるのは控えた。
いずれは獣人さんたちはここに移り住む。もし彼女たちと肉体の縁を持ってしまったら、開放的で情熱的な彼女たちはおれとの情事を隠さずに誰かに漏れてしまうことになるだろう。そうなると殺戮獣のセイがおれに襲いかかって来るという未来図は火を見るよりも明らかで、その末路が異世界移転終了の鐘というエンディングでは格好悪過ぎる。
そう、これは情事から始まる死亡フラグなんだ。危ない危ない、危うく手を出しそうになったではないか。
なにより、日に日に情熱的になっていく恋人さんは浮気オーケーといいながら、陰から涙目で見つめてくるに違いない。なるべく彼女を悲しませたくはないので、おれはマーメイドちゃんたちに手を出さない。
そうやって血の涙を流して強引に自分を納得させたおれは、なおも食べ物をせがんでくるマーメイドちゃんたちに目をやると、小柄なマーメイドの尾びれに巻いている丸く輝く銀色の宝石を見た。あれは見間違いでなければ真珠というものだ。
「あれは……」
「モグモグ……うん? シャースランの巻いているあれ?」
焼き菓子を夢中に食べながらおれに答えてくれているマキリは、小柄なマーメイドの尾びれに巻いている真珠の飾りをひと目だけ眺めるとこともなげに言い放つ。
「シャースランは光物が好きだからあんなものを集めているけど、湖の底にたくさんある貝から簡単に取れる光る石なのよ。魔力を取り出せるだけの石、あんなの誰もいらないわ」
よおおし! 人魚さんたちとの交易品をここでゲットだぜ。この世界で真珠の価値をおれは知らないが、とりあえず入手してからエティかワスプールに聞いてみよう。この世界で宝石としての価値がないのなら、おれのコレクションで集めてもいい。なんせ、アルスの真珠は大きくて綺麗なものだから。
それにしても気になるキーワードが出てきた、魔力を取り出せるってなんのことだ? 気になるなあ。
「シャースランちゃん、もしも、それをくれるなら蕩けそうな美味しいものを作って差し上げよう」
「あげるから食べさせて」
即答だった。もうね、間がなくておれの手にシャースランちゃんから尾びれで器用に渡された真珠の輪を握っている。
「わたしたちも採って来るから食べさせて!」
マキリの掛け声に次から次と湖に飛び込むマーメイドちゃんたち。シャースランは涙目になって、慌てて這うようにその後を追いかけていく。
「ずるーいよみんな。あたしの美味しいものなのに!」
最後に流涙しながらシャースランは大急ぎで湖に潜り込んでいった。そう言えば真珠もそうなんだけど、人魚の涙ってアクアマリンという宝石になるのじゃなかったっけな。
一人で岸に残されているおれはしょうもないことを考えているだけだった。
ありがとうございました。




