父の冷血
お嬢様が父の罪を暴いたあと、耳に痛いほどの沈黙が訪れた。伯爵は先ほど以降は驚きを見せずにただお嬢様を見守るように腕を組み、執事長は難しい顔で目をつぶり、マクシム隊長はわかりやすいほどにあんぐりと口を開けていた。
沈黙を破ったのはもちろん、お嬢様だ。
「お父様はリビエレ家が天賦珠玉の横流しの黒幕だとわかっていましたが、手を出せずにいましたわ。いくら『審理の魔瞳』を持っていたとしても相手のウソを証明できるのはお父様だけです。伯爵位より下位の貴族家には強く出られても、上位、この国有数の公爵家には手出しができません。ですからお父様は最初に、クルヴシュラト様の毒殺未遂を計画しました。——マクシム隊長」
お嬢様が急に声を掛けたので、隊長は「は、はい」と甲高い声で反応した。
「先ほど聞いたところレイジは知らないということでしたが、あなたはお父様から『新芽と新月の晩餐会』に行く際、なんらかの薬を持たされていたのではありませんか?」
「え、あ、はい、『万が一にもないがあらゆる毒に効く万能薬で、倒れる者がいたら呑ませるように』って——あっ」
正解だったようだけれど、「余計なことを言うな」とばかりに執事長ににらまれたマクシム隊長は口元を押さえている。
「お父様としてはエベーニュ家のエタン様か、エタン様の護衛のどちらかが毒を見破ることを想定していたのでしょう。万が一、クルヴシュラト様が毒を呑んでしまったとしても、マクシム隊長が治すことができますわ。ですがその場合、マクシム隊長の行動はあまりに怪しくなってしまうのでその後の行動が制限されてしまいます……そして同様に、レイジが毒を見破ったことでお父様の行動は同じように制限されてしまいましたわ」
毒を見破る、毒を治すというのは、なににもまして「お前が犯人だろ」と言われてしまう諸刃の剣だ。ゆえに、伯爵の次の一手はほとぼりが冷めるまで待つしかない——1月くらいは。
「毒を盛った男はすぐに……殺してしまったのでしょう? その男を冷凍魔道具で保存しておけば肉体を保たせることができます。ほんとうは、エベーニュ家に毒を見破ってもらい、お父様がリビエレ家で男の姿を目撃した、などと言い、リビエレ家で男の死体が発見されれば大手を振ってリビエレ家の捜索をする——そういう予定だったのでしょう。男の死体はお父様が確保しているのですから、いくらでも証拠をねつ造できますわ。お父様はリビエレ家が天賦珠玉横流しについて、黒幕である確信を持っていて、調べれば証拠が出ることも知っていたのですね?」
ウロボロスが暴れたのは伯爵にとって奇貨だった。天賦珠玉の授与式の後にでもやろうと思っていたんじゃないだろうか? 伯爵はなによりも、お嬢様に天賦珠玉を与えることを優先しなければならなくなっていたし。
伯爵にはマクシム隊長以外の手の者がいるに違いない。今日、聖王宮でエルさんと話していたときにも外には多くの者が息を殺して潜んでいたしね。あえて言わなかったけど。
屋敷が破壊されたどさくさに紛れ込んで、損壊が進んだ遺体が置かれてあっても不自然さは少なくなる。
「見事な推理です」
伯爵は——穏やかに笑った。
否定も肯定もしなかった。
「もう……すっかり貴族なのですね」
「……お父様の教育のたまものですわ」
「いえ——」
伯爵はちらりと僕を見た。
「……エヴァが、必死で考えなければならないことを覚えたのでしょう。誰かさんのせいでね」
僕ですかね。違いますよね?
「伯爵、僕も一点聞きたかったのですが」
「なんでしょうか。誰かさん」
やっぱり僕ですか?
「……ええと、天賦珠玉の授与式でなにかが起きることは、伯爵は知らなかったんですよね? でも伯爵は、授与式に参加していなかった。それはなぜですか」
「ああ、簡単なことです。授与式には多くの神官が出向きますからね。リビエレ家に天賦珠玉を横流ししていた神官の私室を調べられるチャンスだったんです。リビエレ家と内通していた密書を発見しましたよ——文面にはその密書は『すぐに破棄しろ』と書いてありましたが、リビエレ家に裏切られないためにも、神官としても持っておきたかったのでしょう」
なるほど。神官を調べるのに授与式はベストな環境だったのか。伯爵には授与式を待つ理由があったんだな……。
「その後、闇のドームが出現したので、私は異常を察知してなにか武器になりそうなものを探して、たまたま見つけた石を持っていったのです。あの石には特別な力があると前々から評判でしたから」
まあ、結局のところ伯爵の細腕では破壊できなかったので、僕が代わりに壊すことになったのだけれど。
「伯爵、なぜその神官はリビエレ家に天賦珠玉を渡したりしたんですか。大罪でしょう?」
「それも簡単なことです。お金ですよ。……エヴァも心しておくように。世の中の大半はお金で片がつきます。そして人々はお金によって身を持ち崩し、人生を狂わせるのです」
お嬢様と伯爵の視線がぶつかり合う。
今、お嬢様がなにを考えているのかはわからない。僕にこの推測を——そしておそらく真実を——打ち明けてくれたときには、今にも倒れそうなほどに青ざめていた。だけれど今、お嬢様は覚悟を決めた顔をしている。
「お父様。不正をただすためにお父様もまた不正に手を染めたのですか。人の命を奪ってまで」
こんな言葉をお嬢様に吐かせなければいけなかったのか——僕は何度も自問自答した。僕だって伯爵の行動がおかしいことにうっすら気づいていたし、どこかもやもやした疑念を抱えていた。でも、僕より先にお嬢様が気がついてしまった。僕がお嬢様に余計なことを話さなければ、伯爵はきっとキレイなウソで誤魔化しただろう。
まだお嬢様は12歳だ。
いくら「大人」になったとはいえ、なってすぐに「大人」の汚さを見せ、義務を負わせなければいけないのか。
(僕がもう少し賢かったら、お嬢様が気がつくこともなかった)
それでも——お嬢様は後になって、数か月か数年かはわからないけれど——自分で真相にたどり着いて、伯爵にこうして正面から疑問を呈したのではないかと僕は思うのだけれど。
本音を言えば。
僕の見えないところで、知らないところで、聞こえないところで、やって欲しかった。
それが僕の偽らざる気持ちだった。
こんなの、つらすぎる。
「……毒を盛った男は、もともと処刑されるはずの男でした。天賦珠玉の横流しに関わっていた貴族家の男で、なぜか捕まらずに逃げおおせました。男は自分の罪を理解しており、その咎が、自分の金で贅沢をさせていた妻や子どもにも及ぶとわかっていました」
伯爵はそこで言葉を切った。
きっと伯爵は取引を持ちかけたのだろう……お前が命を差し出せば、妻子は不問に付すと。
「お父様、罪は法によって裁かれなければなりませんわ」
「そのとおりです。きっとリビエレ家も裁かれましょう」
ああ……この人はお嬢様を「大人扱い」すると決めたのだ。それは言葉遣いからも明らかだ。
そして「大人」として扱う以上は、もうけっして本心を見せないと決めていたのに違いない。
たとえ、たったふたりしかいない父娘であったとしても。
「…………」
お嬢様の横顔がゆがんでいた。泣きたいのをこらえているような顔だった。
お嬢様は、伯爵がすべてを話してくれるのだと期待していたのだろう。だから正面きって話をしたのだ。
僕はそれは「分の悪い賭け」だと感じていたし、残念ながらその予感は的中したというわけだ。
「エヴァ。誰しもが認める『正義』は存在しません。あなたが『不正』と信じて叩きつぶした人材斡旋所も、身を売ってでもお金を手にしたい人にとっては『正義』だったんです」
「口先だけの詭弁で誤魔化さないでください」
「あなたは今回、自分で動いてどんな『真実』を知りましたか? すべてはレイジさんから聞いた『情報』でしかないでしょう?」
「それは……」
「レイジさんがウソを吐いている可能性は?」
「——ッ!?」
びくりとしたお嬢様が、怯えたように僕を見る。
(……伯爵、それはないでしょうよ)
今回のことは、ある意味で「親子ゲンカ」なのだと思っていた。お嬢様が怒り、伯爵が許しを乞う。そんなふうに簡単に収まったらどれほどよかっただろう。
僕だって伯爵の立場を理解している。伯爵は、真にこの国を思うからこそ、この国の中枢である「一天祭壇」の不正をなんとしてでも排除するべきだと思ったのだ——自分が罪に手を染めてでも。
でも、そのことと、僕とお嬢様の関係性はまったくの無関係だ。僕を巻き込むのなら、僕にだって考えがある。
「伯爵。今日をもってスィリーズ家の護衛としての任務を降ります。契約期間中のことですので給金はすべてお返しします」
「!?」
お嬢様が今度は驚きに顔を染める。
「だから、僕とスィリーズ家との関わりはもはやなくなり、利害関係が消失しました。——お嬢様、僕はなにひとつあなたにウソを吐いていません。今朝、あなたに告白した僕の秘密を知っているでしょう?」
伯爵は、僕とお嬢様の仲をどうしたいのだろうか。こんな言葉だけで壊すことができるとでも? ——いや、他にももっと意味が?
「……ごめんなさい、レイジ。取り乱したわたくしが悪いのだわ。あなたがウソを吐くはずなんてないもの。だから、護衛を辞めるなんて言わないで」
「そうですよ、レイジさん。あなたが護衛を辞めたら、あなたの望むものも手に入らないでしょう?」
「いえ、伯爵。今日ひとつ手に入れました」
「……なんですって?」
エルさんとの会話については伯爵も知らないはずだから、虚を突かれたような伯爵の顔を見られて正直少々気分がよかった。
「だからどのみち……そう遠くないうちにはここを離れる必要があったのです」
「……レイジ、どういうこと?」
「お嬢様、これはまた後で話します」
「…………」
お嬢様は「納得できない」という顔をしていたが、
「きっとよ」
と最後は納得してくれた。
だけれど、
「それは、ある意味で都合がよかったのかもしれませんね」
お嬢様の納得を壊しかねないことを伯爵は口にした。
「どういう意味でしょうか」
僕はこのときこそ——ほんとうの意味で「冷血卿」とはなんなのか、その本領を知ることになる。
「6大公爵家というのはなかなか厄介で、証拠が出そろってもなんのかんのと言って反抗するのです。そのために聖王陛下が出張ってもそう簡単にはお取り潰しとはなりません。ましてや今回のことは、私が——たかだか伯爵家がだいぶ出張りましたから、リビエレ家以外の公爵家からも反発が強いのです」
「……いったい、なんの話ですか?」
「つまるところ、なんらかの形で『痛み分け』のような形……見せしめのようなものが必要なのです。それが、たとえば、活躍した英雄の身柄であったりですね」
伯爵は、僕が今まで見てきたなかでいちばんの——爽やかな笑顔を浮かべた。
「時に、レイジさん。あなたは私に隠していることがありますね?」
ぞわりと僕の背筋になにかが這ったような感じさえあった。
そうだったのか……伯爵はもう僕の秘密を知っているのだ。僕が本来、黒髪黒目であることを。
「エベーニュ公爵家が、黒髪黒目の『災厄の子』を我が家が飼っているというふうに言っています。そしてあなたを差し出すのならば、我が伯爵家の落ち度は見なかったことにしよう、と……確かにあなたが、もう、護衛でないのならば、守る理由もなくなりますね?」
そのとき、窓の向こう、こんなに夜も遅いというのに多くの人々が騒ぎ立てる気配があった。
「ふむ……明日の昼にしてくれと話したのに、なんとも気の早いことです。エベーニュ公爵家の手勢がやってきたのでしょう」
もう、話はついていたのか。伯爵とエベーニュ公爵家との間には。
この人は一体、何手先まで読んでいるのか。お嬢様に糾弾されることを知っていた? いや、知らずとも、もしかしたらこの人は——。
(自分からお嬢様に告白するつもりだった?)
それだけの覚悟をもっていたのなら、伯爵からすればお嬢様が自ら真相を見抜いたことはむしろ——喜びだったのか?
「エヴァ、レイジさん。あなたがたはどうしますか? 今もってなお『正義』を叫びますか? それとも『不正』を知りつつ『大義』をなすための手伝いをしますか?」
それはつまり、伯爵はお嬢様と僕に「仲間になれ」と言っているのだ。そうすれば——僕を守ってやると。




