少女の黎明
僕がスィリーズ家のお屋敷に戻ると、なんとお嬢様は玄関ホールで待っていてくれた。こともあろうに、そこにテーブルを運ばせてお茶をしつつ本を読んで……いやいや、急な来客とかあったらどうするの!? みたいな感じではあったけれど、
「レイジ! よく戻ったのだわ!」
その後ろに犬の尻尾がちぎれんばかりに振られているのを幻視してしまうような歓迎ぶりに、注意することもできなかったよ……。これ、伯爵が知ったら怒るよな。「はしたない」とか言って。次には「ずいぶん娘に好かれましたね(2度目)」が来るに違いない。
ともあれ、僕はお嬢様といっしょに部屋へと移った。もちろん、玄関のテーブルは撤去させて。
「それで……聖王宮ではなにがあったの?」
「気になりますか?」
「当然よ! レイジはわたくしの……」
言いかけたお嬢様は視線を逸らしつつ、
「た、大切な護衛なのですから」
お嬢様、護衛を大切にされても困るんですが。いや粗末にされるよりはいいですけど。
「そう長くはいませんでしたし、巨大蛇のことも聞かれませんでしたね。ああ、一応昨日の功績で聖金貨1枚をいただくことになりました。それよりも聖王陛下はリビエレ家のことで忙しいようです」
「盟約」や「裏の世界」のことは伯爵が必要と判断したら本人から話すだろう。ヒンガ老人の——ルルシャさんのことは、話さなければいけないのだけれど、昨日あんなごたごたがあってすぐに話すことはできないと僕は思った。
もう少し、時間を置いてからだ。
「リビエレ家……?」
「はい」
それについては話しても問題ないだろうから、僕はお嬢様にこれまでの経緯と含めて話をした。一応、僕が知っている情報のすべてを。
「…………」
お嬢様は、その可愛らしい眉をゆがめてじっと考え込んだ。
「……レイジ」
ややあって、お嬢様は言った。
「……わたくしの思いつきを聞いてもらえる?」
お嬢様の表情は青ざめていた——僕は数分後、その理由を知ることになる。
お嬢様は、やはりお嬢様だった。
貴き血を——本人はそれを嫌がるところもあったけれど——持って生まれ、そして知識を与えられ、なによりも公明正大な精神を身につけた。
たとえそれが、父を傷つけかねないことであっても。
日中はちょくちょく、屋根の上から周囲の状況を確認したけれど、クーデターのようなものは起きていない。むしろ静かすぎて怖いと僕は思った。
伯爵が帰宅したのは夜もかなり遅い時間になってからだった。
僕だけでなくお嬢様までもが伯爵の帰りを待っていたことに、伯爵はその切れ長の瞳を細めた。
「……どういうことですか?」
「まずはお帰りなさいませ、お父様」
「ありがとうございます、エヴァ。今日は寝不足の上、少々神経を使ったので、早く寝たいと思っていましたが……そうはいかないようですね」
「お父様がお疲れであることは重々承知しておりますが、どうしても確認したいことがございますの」
「わかりました。セバス、お前ももう少し付き合ってください」
「はっ……」
執事長は僕をじろりとにらんだ。伯爵の健康を損ねるような真似をする人間は味方であっても容赦はしないのがこの人だからね。
玄関ホールにいたメイドや他の執事たちははらはらした顔をしていた——彼らにはなにも説明していないので、この緊迫した空気に驚いている。
「それと、マクシム隊長も同席するように、お願いします」
「はっ」
伯爵の護衛で登庁していたマクシム隊長も来ることになった。
そうなると伯爵の私室は手狭で、来客用の応接室に僕らは向かった。
向かい合うソファに座ったのは伯爵とお嬢様のふたりで、執事長とマクシム隊長は伯爵の後ろに、僕はお嬢様の後ろに立つ。なるほど、伯爵は目に見えるほど疲れ切っているようだ——だけれどこちらも、この話を1日でも先延ばしにできないと考えている。
明日、なにが起きるかもわからないからだ。
「お父様、リビエレ家についてはどうなりましたか?」
「…………」
伯爵はお嬢様の斜め後ろにいる僕をじろりと見る。
(そうですよ? 教えたのは僕ですよ? でもこれはお嬢様が知っていてもいい情報じゃないですか)
そうしていたのはほんのわずかな時間で、伯爵は何事もなかったかのようにこう言った。
「クルヴシュラト様の暗殺未遂疑惑、それと『一天祭壇』に関わる神官を買収し、星の多い天賦珠玉を横流しした罪により、リビエレ家は聖王陛下のコントロール下に置かれることとなりました。かの家の当主は最後まで抵抗し、他の公爵家もフォローしようとしましたが、お屋敷の捜索の結果、神官買収の証拠が出てきました。言い逃れはもはやできません。巨大蛇様々ですね。まあ、早々に聖王騎士団が討伐してくれなかったら被害が拡大して、リビエレ家どころではなかったかもしれませんが」
「……騎士団が討伐?」
その言葉の一部に、僕は引っかかった。
「ええ。そう聞いていますが……現に騎士団が巨大蛇の残骸を接収していますし」
そうなのか。冒険者ギルドは騎士団との争いに負けたのかな。
「……なにかありますか、レイジさん?」
僕は無言で首を横に振った。ウロボロスのことは今は問題にしていない。
するとお嬢様が、
「お父様、『クルヴシュラト様の暗殺未遂』と『天賦珠玉の横流し』の2つに関しては、別々の事件です」
「……それはそうですね。ですがそれが?」
「黒幕も違うということです。お父様は無意識に『暗殺未遂疑惑』と『天賦珠玉を横流しした罪』と2つの言葉を分けてお使いでしたね」
このとき——初めて、伯爵の顔に動揺が表れた。
目が、見開かれたのだ。
「なにも意識せず聞いていれば、ともにリビエレ家が行ったものと考えてしまいますわ。クルヴシュラト様のソース皿に毒を盛った犯人が、死体となってリビエレ家で発見されたこと。そしてその結果、捜査の手が入って神官買収の証拠が見つかったこと……この2つがつながっているのでなおさらそうです。ですが、2つの事件は違いますし、実際に関係がなかったものとわたくしは思っています」
お嬢様は淡々と語る。それは、言葉に感情をのせるまいとしているようだった。
「お父様はクルヴシュラト様の暗殺未遂が、リビエレ家の手によるものではないと知っていたのでしょう? ですから、無意識に『疑惑』という言葉になったのです。なぜならば、お父様が、毒殺未遂事件の黒幕だからです」
次話はお察しのとおり「父の冷血」で、本日18時に更新予定です。




