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僕は、どうも伯爵は、お嬢様による爵位返上も見越しているのではないかという気がしていた。
人材斡旋所潰しのこともそうだし、お嬢様が街を散策したいと行ったときに好きにやらせてくれたこともそう、今回の天賦珠玉授与だって授与式をブッチしてもいいだなんて発想は——あまりに貴族社会の軽視だ。
つまり伯爵は、貴族としての立場よりも、お嬢様が人間的に成長することを優先している——いや、あまりに先を急いでいる感じがある。
(伯爵は去年のあの日、襲撃を受けて僕が救ったときに、もう、今生をあきらめたのかもしれない。次に襲撃があったらもう助からないかもしれない。であれば1日でも早く、お嬢様が自分の足によって立てるようになって欲しいとそう願っているんだ)
そんな話、一度も聞いたことはないけどね。
まあ、あの人は言わないだろうね。
(言わなければ言わないで、伯爵がもしも亡くなったときに僕は絶対「伯爵を守れなかった」って自責するもんな……そうしたら「お嬢様が大人になるまではそばについています」とか絶対言い出すもんなー! 僕! 伯爵はそこまで見通してそうなんだよなー!)
この世界、単なる武力だけでは強い弱いがわからないことが多すぎる。貴族怖い。正確には頭のいい貴族怖い。誰だよあの伯爵に権力持たせたの……。
「……レイジ」
僕がつらつらと考えていたら、お嬢様もお嬢様でいろいろと考えていたようだ。
「わたくしはスィリーズ伯爵の娘。その道をまっとうするのだわ」
「……そうですか」
「貴族でなければできないことは多いでしょう? そのすべてをやり遂げてから自由になるのでも遅くはないから」
そう言い切ったお嬢様に迷いはなかった。両手をぎゅっと、膝の上で握りしめていた。
「そ、それでレイジ……」
「はい?」
「わたくしは、あ、あなたにも、今後も……その、ずっとついてきて欲し——」
ぐぅー。
僕の腹がすごい音を立てた。
「…………」
「…………」
いや、しょうがないよね? 朝からずっとなにも食べてないし、なんだかんだ身体を動かしたり血を流したりしたしね!? だからお嬢様、そんな、ある一定の性癖を持つ人には「ご褒美」と思われがちな軽蔑視線を僕に送らないでよ!
「はあ……目覚めて最初の言葉が、空腹だったのだわ」
「はははは……すみません」
「今から料理人になにか作らせるわ」
「いえ、大丈夫です。僕が厨房に行ってパンでも勝手に食べますよ」
「そう……」
「……それよりお嬢様、さっきなにか言いかけてませんでした? お腹の音がすごくて後半聞き取れなかったんですが」
「!!」
するとお嬢様は、この暗い室内でもはっきりとわかるくらい赤くなると、
「わたくしも寝るのだわ!」
急に立ち上がって大きな声を上げた。
「そ、そうですか? それじゃ部屋まで送ります——」
「要らないわ! ひとりで行くの!」
「えぇ……」
護衛は僕ひとりとか、護衛は主のそばにいるもの、とか言ってなかったっけ……。
なんかよくわからないけどぷりぷりしたお嬢様は部屋を出て行ってしまわれたので、僕はその後に続いて部屋を出て厨房へと向かった。パンは残っていなかったけれど、青リンゴっぽい果実だけは大量にあった。
「……ってこれ、僕が鉱山から逃げ出したときに森でかじってたあの青リンゴっぽいアレじゃん」
なんだか懐かしい気持ちになりながら青リンゴっぽいアレをたらふく食べた。みずみずしくて酸味が効いていて、僕はすっかり目が覚めた。
(……僕は卑怯だ)
いつか僕はお嬢様の前を去る。なぜなら僕にはやらなければいけないことがあるから。
(選択肢はあるとか言いながら、あんなふうに言われてお嬢様が「じゃあ逃げる」なんて言わないことくらいわかっていた……)
僕はいなくなってしまうから、僕もまた彼女に、自分の足で立ってもらうように無意識のうちに仕向けていたのだ。
お嬢様の護衛でずっといられたら、どんなに楽だろう。
あるいは僕のやるべきことが全部終わったらここに帰ってこようか。
(……今は、それを考えるときじゃないな)
ラルクとルルシャさんの情報が入るまでは聖王都にいることになると思う。「銀の天秤」のみんなとの再会はうれしいけれど、今すぐいっしょに行動はできないだろうし。
(考えなきゃいけないことがいっぱいだ)
僕は青リンゴっぽいアレをかじった。
夜明けが近いのが、空気の変化で感じられた。
スィリーズ伯爵は夜明けとともに帰ってきて、そしてすぐに僕を執務室に呼んだ。
入っていくと執事長は席を外すように促され、室内には伯爵と僕のふたりきりだ。伯爵は昨日の授与式で使ったきらびやかな服を着たままで、その格好で一晩を過ごしたものと思われる。見た目からして疲れ切っているけれど、そんな姿でもイケメンはまた違った角度の魅力を醸し出すのだからズルイと思います。
「まずはレイジさん、昨日はお疲れ様でした」
「伯爵も。なんだか大変だったみたいですね」
「大変……。そうですね、大変でしたね」
応接スペースにはソファが向き合って置かれており、伯爵は珍しくぐったりと背もたれに身体をもたせていた。
「レイジさんも聞きたいことは多いと思いますが、急ぎの話から先に伝えましょう」
「はい」
「今日の正午過ぎに、レイジさんは聖王宮へ召喚されました。私もいっしょに行くので、準備をお願いします」
「僕が……聖王宮にですか?」
「あの闇のドームのこと、星8つの天賦珠玉、調停者のこと——つまり昨日起きたことのすべてについて強力な守秘義務が課されます」
「それはまあ、そうでしょうね」
「最悪、聖王都から二度と出させないというような、契約魔術が施される可能性もあります」
「なんですって!?」
腰を浮かせた僕だったけれど、逆の立場になって考えればそれはそうかもしれない。
昨日のあれやこれやは考えるまでもないくらいにクルヴァーン聖王都の機密中の機密だろうし。
「そのようなことがないよう私も努力しますが、どうなるかは予断を許しません」
「……どうしてですか」
「なにがですか? 契約魔術の必要性については賢いレイジさんならばわかるでしょう」
「どうして伯爵は僕にそんな情報を与えたんですか? 今この瞬間に逃亡を企てる可能性だってあるでしょう」
「正直な予想を言えば、50%の確率でレイジさんは午前中に聖王都を発つだろうと思います」
「じゃあ、どうして——」
「聖王陛下もそのようにお考えのようでした。だから半日の猶予をくださったのでしょう」
「……陛下も?」
僕は頭がこんがらがってくる。聖王は僕を呼び出す。一方で僕が逃げるかもしれないと思っている。来て欲しければ時間の余裕なんかなくして「すぐに来い」で済むじゃないか。
「あなたにそれだけの恩を感じているのでしょう」
「恩……ですか」
「調停者を食い止めたのはあなたの功績です」
「聖王陛下も十分強かったでしょう?」
「あれは理を破壊したからです。——順番が前後しますがその話をしましょう」
伯爵は小さく咳払いをした。
「あの闇のドームはこちらの世界と、我々が『裏の世界』と呼んでいる世界との中間地点に当たるものです。あのドームを作ることで『裏の世界』からこちらに干渉ができるようになると聞きました。あのドームは理によってこちらの世界の者も、『裏の世界』の者も互いに攻撃できないようになっています」
「え? 調停者はどうなんですか?」
「調停者だけは例外で、『盟約』に従う限りのあらゆる行為を認められている——と、私も昨晩初めて聞きましたよ」
伯爵も知らなかったほどのトップシークレットなんだ。
「レイジさんがあれを割ってくださったおかげで、理が崩れ、聖王陛下の攻撃も通じるようになったということでした」
「あの石はなんだったんですか?」
僕がドームに着いたとき、スィリーズ伯爵は石を叩きつけて割ろうとしていた。
「私も詳しくは知りませんが、『一天祭壇』ができたのと同じ時代の石だそうです。聖王宮の資料庫に大事に大事にしまってありましたよ」
その「大事に大事にしまって」あった石を盗み出したんですね?
とは聞けなかった。伯爵、にっこり笑って僕を見てるんだもん。聞くなっていう顔だよこれは。
「数千年の昔……我々が『神聖古代』と呼んでいる時代の話です。『一天祭壇』を所有する聖王家一族にはある『盟約』が課された。それが星8つの天賦珠玉です」




