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闇のドームの中、射し込んだ光は一筋の道のように美しい床面を照らし出す。神殿のような造りになっているそこにいたのは——人の形をした闇と、キトンのような服を着た少年少女だった。
レイジ、とお嬢様が呼んでくれたのを僕の耳はとらえていた。へたりこんだ、お嬢様のまつげが涙に濡れていた。
「……ウチのお嬢様になにをした?」
その闇が、まともじゃないことくらいわかる。だけど一方で、この騒ぎを引き起こしたのがその闇だということも明らかだった。
【森羅万象】は、その闇をなんらかの「生き物」だと判断しているが、一般的な生き物とは違うようだ。詳しいことは僕の知識が追いつかないのでわからない。
「レイジさん」
僕の後ろからスィリーズ伯爵が現れる。
このドームの手前で出会ったのが伯爵だった。伯爵はこの授与式に参加せず——貴族や神官たちが一斉にいなくなるのを見計らって、聖王宮内で調べ物していたと言っていた。クルヴシュラト様に与えられる天賦珠玉について調べておきたかったらしい——おかげで伯爵はこの闇のドームに取り込まれることなく済んだのだけれど。
魔法や素手では破壊できなかったこのドームも、伯爵が持ってきた「石」でなら破壊できた。今その石は僕の手にあり——その色は階段の上にある祭壇とよく似ている。
あれが「一天祭壇」か。
で、この手の石も祭壇絡みのなにか……。
(なんかいろいろ隠されてるっぽいけど)
今はなにより、
『侵入者ダト……? ッ、其方ハ!?』
「侵入者はそっちでしょうが……ね!!」
僕は地面を蹴って走り、人型の闇との距離を一気に詰める。
「おおおおおお!!」
石を握りしめた僕の右拳が、人型の腹に突き刺さる。
『ゴボッ、ガッ』
闇は何度もバウンドして吹っ飛んでいく。
「——攻撃が通じる!?」
「——【聖剣術】すら効かなかったのに!」
「——あれは何者だ」
観覧席にいるらしい貴族たちがざわざわしているけれど、そんなことよりやることがある。
怒りを——お嬢様を泣かせたクソッタレをぶん殴ったことで少々収まった怒りを抑えて、僕は首だけ振り返る。
「お嬢様、お待たせしました」
できるだけ安心させたくて微笑みかけると——お嬢様の目にはみるみる涙があふれそうになった。
お嬢様は、貴族だと言っても12歳だ。
いきなりこんな闇に閉じ込められたりしたら、そりゃ怖いよな。
それなのにお嬢様は涙をこぼさないギリギリのところで踏ん張った。
「……レイジ」
「はい」
「わたくしを——わたくしたち全員を、守るのだわ」
やはり、ウチのお嬢様は人使いが荒い。
僕以外に聖王騎士団だっているはずなのに——というか騎士団はなにをやってるんだよ、なにを——全員を守れ、ときた。
だけど、
「承知しました」
自分だけでなく、みんなを救いたがるお嬢様は嫌いじゃない。
『ナゼ、此処ニイルノダ、災厄ノ子ヨ……!』
吹っ飛んだというのに何事もなかったように立ち上がった闇が叫ぶ。「災厄の子」って僕のこと? ん? ……あ、もしかして黒髪黒目のこと? ええぇ……あんな得体の知れない闇にも僕は忌み嫌われてるわけ?
『サレド、盟約破棄ハ成ッタ』
身体からどんどん闇が噴出する。光は僕が開けて入ってきた一か所のみ。
『ヴァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
耳をつんざくような絶叫とともに、闇の右腕がろくろ首のように伸びていく——向かう先はクルヴシュラト様だ。
「シッ」
僕はすかさずその前に身体を滑り込ませ、石で手を弾いた。
『グウッ』
やっぱりこの石は効くんだな。伯爵がこっそり持ってきただけはある。っと、今度は左手が飛んでくる——、
「ふんぬ!」
辺境伯が剣を振ってそれを斬り飛ばした。
「ふぅむ……ふつうに剣は通るようだが。どう思う、スィリーズ」
辺境伯が問うたのは、いつの間にか、ぬるりとこちらへやってきていたスィリーズ伯爵だ。
「盟約に縛られているこの空間は、本来、調停者——あのバケモノに攻撃は通用しないはずです。ですがレイジさんが希少な聖遺物を使ってこじ開けた穴のせいで、盟約は不完全のようです」
「ちょっとちょっと伯爵!? なに、さらっと僕がやらかしたみたいなふうに言ってるんですか!? あとワケわからないワードが多すぎます!」
「ちゃんと説明しますよ……生きて帰れたら、ですがね」
「むむ……」
「そういうことだ。行くぞ、小僧——他の者はあの穴から外へと逃げよ!」
辺境伯が走り出したので僕もそれに続いた。後ろでは、子どもたちがワァッと光射すほうへと走っていくのが聞こえる。
「ぬおらああああ!」
『小癪ナ』
辺境伯の肉体に比べるとやたら心細く見える宝剣は、無数の斬撃となって闇を——伯爵に言わせると「調停者」を襲う。
それを調停者はすさまじいスピードでさばいていく。
(全部かわすのかよ)
だけど、
「こっちがお留守だぞ、っと」
僕は石で調停者の背中を思い切り殴る。
『ッグウ……』
「追撃はこちら——」
左手の指先にはそれぞれ火の玉が出現する。これで一気に【火魔法】5連発だ。
『助けてくれ、助けてくれェッ……』
「うおあ!?」
ビ、ビビった、いきなり調停者の背中にルイ少年の顔が現れるんだもん。
『ギャア!!』
あんまり驚いたから【火魔法】を手加減なしでぶっ放してしまった。調停者が火だるまになって転げている。
「ルイ様ぁ——!! クソ、バケモノめ! ルイ様をそんなふうに使って!」
「……小僧、貴様はなかなか鬼畜だの」
一応善人ぶって言ってみたけど、辺境伯には通じなかった。
僕は【森羅万象】ですでにわかっていた。あのルイ少年はニセモノだと。本物のルイ少年はあの闇の奥底にあって——もう、死んでいる。
「さて……それでは聖王陛下、なにが起きているのかご説明願おうか」
辺境伯が階段の上を見やると、呆然とした聖王と、その横に巨大なウサギのエルさんがいた。
「——俺は……」
「え、聖王陛下は非常によろしくない決断をされました。それこそが盟約の破棄です。え、かの世界とこの世界をつなぐ盟約が破棄されれば、多くの闇の者どもがこの世界を、え、侵攻するでしょう」
……なんですって?




