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* エヴァ=スィリーズ *
倒れ伏した騎士団長の背中から、ポヮ、と虹色の光が浮かんでくる——それは天賦珠玉の光だ。【聖剣術】の光だ。
闇が手を伸ばし、光を絡め取ると、小さく硬質な音を立てて光は散って消えた。
「あぁ——……」
誰かがため息ともつかない声を漏らす。この国最高の天賦珠玉が今、消え去ったのだ。
(どうしてこんなことに)
いったいなにを間違えてこうなったのか。
自分がなにか致命的な失敗をしてしまったのか。
ただすべての歯車が少しずつ間違えて、この結果を生んだのか。
——エヴァ嬢。
ぐいぐいと距離を詰めてくる、犬のような少年だった。
それが今はあんな姿に変わってしまっている——その残虐な事実にエヴァは目を背けたかった。
「ミラ、ここか」
「——お父様!?」
すぐそこへ、巨大な気配がやってきていた。
ミラの父である辺境伯だ。
「暗くて足元が見えねえな」
「こ、これはいったいなんなんですか!」
「俺が知るわけねえだろ。ただ、状況はよくねえな」
「どうするの……?」
「とりあえず武器が必要だ——おい、誰か剣を貸せ。ん、まあぼちぼちだな」
近くにいた貴族の男子から剣を巻き上げたらしい辺境伯は、
「距離を取るぞ、とにかく離れろ。あのバケモノの相手は陛下とエルに任せるしかねえ」
「——しかし、辺境伯閣下。臣下の我々が逃げてもいいのでしょうか」
エタンが聞いている。
「勇敢なのは結構だが、戦う力を身につけてから言うもんだ。それにお前たちの仕事はクルヴシュラト様をお守りすることだ」
そう、ここにも聖王子がいる。エタンはハッとしたように、
「そのとおりです。失礼しました。——クルヴシュラト様、なるべく離れましょう」
「…………」
「我々になにかできることはありません」
「そう……でしょうか?」
「えっ?」
そのとき優しげなクルヴシュラトの表情が引き締まった。
「……あの天賦珠玉は、我が授かるはずのものでした。であれば我ならばなにかできることがあるのではないでしょうか?」
「そ、それは……」
誰にもわからないが、あり得るかもしれないと思わせるには十分な内容だ。
『ソノ通リダ』
いつの間に——距離を詰められていたのか。石段を降りたことさえわからなかった。
聖王子の5メートル先に闇がいた。
(また、このニオイ……!)
暗闇だというのに、闇はなお暗く感じられる。そこから生ぬるい風が吹いてきて、焦げ臭いニオイが周囲に充満した。
『古ノ盟約ニ従ワナカッタノハ、其方ラダ』
「盟約」、などという言葉にエヴァは聞き覚えがない。
だが向こうはその「盟約」とやらに重きを置いているらしい。
『代償ハ大キイ。先ホドノ天賦珠玉ハ盟約不履行ニヨリ消滅サセタ』
先ほどの天賦珠玉——それは【聖剣術】のことだろう。
星6つの天賦珠玉が、長年に渡って受け継がれてきた希少中の希少である天賦珠玉が、騎士団長の死とともにいともたやすく消し去られたのだ。
物言わなくなった騎士団長のそばで、聖王が膝をついている。自信満々で尊厳の塊であったようなこの国のトップが、うちひしがれている。【聖剣術】が効かなかったこと、それに騎士団長の死が心にこたえたのだろう。
だが、
『マダ足ラヌ。其方——盟約ヲ負イシ一族ダナ。嗚呼、嗚呼、嗚呼……同胞ガ叫ンデイル、聞コエルカ、其方ガ美味ソウダト、叫ンデイル……』
闇が、クルヴシュラトへと歩き出そうとしたとき、聖王は弾かれたように立ち上がった。
「クルヴシュラトに手を出すなァァァァ!」
ぶん投げた錫杖が闇の後頭部目がけて飛んでいく。振り返った闇はその錫杖を受け止めると、ビリッと鈍い金色の電撃が周囲に跳ねた。
「貴様らは、聖王家の血を未来永劫吸い続ける気か!!」
がらん、がらがらがら、と錫杖が転がっていく。
『下ラヌ。ナラバ盟約ナド破棄スルガヨイ』
「望むところ——」
「陛下! お待ちください!」
エルが後ろから聖王に抱きついてその場に留める。
「かの世界の者どもの罠です! 連中は、盟約の破棄こそ最も望むこと!!」
「盟約に縛られてるからこちらの攻撃が、聖剣が弾かれたんだろうが! 盟約を盾にして連中はああやって好き勝手やっているんだぞ! すべての枷がなくなれば、我が聖王騎士団が裏の世界の連中など滅ぼしてくれる!」
「陛下!! あなた様は我が子かわいさに、思考が曇っているのです!!」
「うるせえ!! かりそめの命しか持たぬ貴様になにがわかる!」
エルは突き飛ばされ、背後にごろんと転がった。
『盟約ヲ、破棄スルノダト宣言セヨ』
「ああ、そんなもんいくらでもしてやる——俺は、クルヴァーン聖王国の王として」
なにか、マズイ。
今目の前でよくないことが行われようとしている。
エヴァは震える喉に力を込める。
止めなければ!
「だ、ダメ——ッ!?」
闇がこちらを見ていた——いや、そこにあったのはルイの顔だった。生気のないルイの顔が闇に浮かび上がってエヴァを見ていた。「なぜお前はそこにいる」「なぜお前は俺の背中を押した」「なぜお前は生きている」——そんなふうに言われた気がして、エヴァの勇気が急速にしぼんだ。
(わたくしでは、ダメなのだわ。わたくしには、なにもできないのだわ。わたくしなんて、結局は貴族という身分がなければなにもできないただの子ども——)
恐怖に胸を衝かれ、エヴァはその場にへなりと、座り込んでしまった。
ついに、聖王はその言葉を発した。
「盟約など破棄してやるッ!!」
けれど、エヴァは心に叫ぶ。
(助けて。助けて。助けて、レイジ!!)
そして、闇が嗤った。
『ソノ言葉、聞キ入レ——』
だが最後まで闇が言い切ることはなかった。
ガラスが割れるような大きな音とともに、光が射し込んだのだ。
「うおおおおおおおおっしゃああああ!! 割れた割れた割れた! クッソ硬いんだよも〜〜〜!!」
そこにいたのは、
「……ああ」
今エヴァが、最も切望し、来て欲しいと願っていた——頼れる護衛だった。
「レイジ!」




