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* エヴァ=スィリーズ *
聖王宮に入るのは初めてだったし、第1聖区までとは明らかに違う雰囲気にエヴァは圧倒された。建物の数は極限まで少なく、ひとつひとつの間には緑がこんもりと茂っている。まるで森に迷い込んだかのような感覚さえあった。
湧き水を流している小川があちこちにあり、それを渡るための仰々しいまでにしっかりとした石橋を渡っていく。
今日、天賦珠玉を授与される12歳の子女が集められた控え室は、木々を縫って進んだ先の四阿だった。
「エヴァ嬢!」
聖王宮に勤める神官に連れられてやってきたエヴァに気がついたのはルイだ。彼もエヴァと似たり寄ったりの服装ではあったが、使われている布地が明るい黄色であることと、腰には宝剣が吊ってあることが違う。男子は宝剣を持ち込むことが許されており、剣は神事でも使用されるとのことだ。
四阿とは言ってもそこそこに広く、長椅子がいくつも置かれ、知り合い同士らしい少年少女が集まって会話をしていた。
「ルイ様、おはようございますわ」
「おはよう。——そ、その、お前はなにを着ても似合うな」
「ありがとうございます」
エヴァは優雅に一礼した。
初対面のときこそ無礼極まりない態度だったルイも、2回目に会うときにはぶっきらぼうながらそれなりに丁寧な態度になっていた。
「そのブレスレットは……? 装飾品としては少々、無骨なようだが」
ブレスレットの宝石は、5つある緑色の宝石のうち、2つが青くなっていた。あと3つぶんの吸収余力がある。
「特別に許可を得てつけさせていただいておりますわ。ところで、他の皆様は——」
「なあ、ちょっと話さないか」
エタンやシャルロットはすでに来ていたが、彼らが相手をしていたのは聖王子クルヴシュラトだった。クルヴシュラトも今日、天賦珠玉を与えられるので同じ控え室にいるということだろう。
クルヴシュラトの周囲にはエタン、シャルロット以外にも多くの子女が集まっているのだが、エヴァが入ってきたことに気づいたらしい彼は「あ」と口を開けたが、ルイに連れられ四阿の隅にエヴァが向かってしまうともの言いたげな口を閉ざした。
「——ルイ様、わたくし、クルヴシュラト様にご挨拶を……」
「それは、後でもいいじゃないか」
いつになく強めの口調に——初対面のときの強引さをエヴァは思い出す——エヴァは渋々従い、ルイの隣に腰を下ろす。
(レイジがいればきっと、間に割って入ってくれたのだろうけど)
あいにく彼はいないし、自分は体調がさほどよくない。
「エヴァ嬢、俺は聖王騎士団のアルテュール隊長の指導の下、剣の稽古を始めることになったんだ。俺はきっと強くなる。真面目に取り組むし、なんせアルテュールが直接教えてくれるんだからな」
「……さようですか」
「貴族には勉強も必要だが、一方で武力も必要だ。貴族本人が剣を振れなければ強い武人などついてこないだろう。現に、聖王陛下は槍の達人だそうな」
それはアルテュールの受け売りだったので、エヴァにはあまり響かなかった。そもそも貴族の当主が強くなければいけないとはエヴァ自身も思っていないし、彼女の父であるスィリーズ伯爵もそれほど強いとは言えないだろうし。
とはいえ、聖王の名前を出されると否定しづらいので黙っている。
「俺は強くなる。だからお前はもっと勉強をがんばれ」
「……はい、それはがんばっておりますが」
「お前に足りない武力は、俺が補えばいいじゃないか」
「?」
疑問符を浮かべて首をかしげるエヴァだったが、それもそのはずで、ルイは自分の中で勝手に完結している理論を勝手気ままに話しているだけなのだ。
相手が全然話についてきていないというのにルイは、
(首をかしげているエヴァもまた美しいな……)
などと思っている。
「ん? ……エヴァ嬢、なんだか顔色が優れないな」
そこで初めてルイは、エヴァの顔色に思いやる余裕ができたようだ。
「……少し体調が優れませんで」
「それはよくないな。どれ」
ルイは腰の革紐で吊っていた宝剣を、鞘ごと取り外してエヴァに差し出した。
「これを持っているといい。多くの武具魔術を施した剣なのだが、俺もこれを持っているとあまり疲れないようだ」
「ですが、このような大切なものを——」
「お、お前なら持っていてくれても構わない」
半ば押しつけるように手渡された宝剣は、エヴァの両手を——冷え切っていた両手をじんわりと温めてくれるようだった。確かにこれは心地よい感覚がある。
きっと相当な値打ちものだ。こんなものを持たされては困るというのが正直なところではあったのだけれど、
(温かくて、なんだか眠く……)
壁際のイスで、背中が壁についていたのでエヴァは眠気に襲われた。ちょうどそこへやってきたミラが、ルイに話しかけたので誰もエヴァを気にしなかったこともある。
「……エヴァ様?」
「しっ、体調が優れないらしい。少しの間なら休ませてやろう」
気がつけばうつらうつらしていたエヴァを、ふたりはそっとしておいた。ルイもミラも、心根は優しかった。
ちりーん……ちりーん……。
それからしばらくして小さな鈴の音が近づいてくると、四阿の少年少女はざわつき始めた。
「——ウサギだ」
「——ほんとだ、ウサギがいる」
「——おい、あれは特級祭司のエル様だぞ」
見た目はウサギながら、今日は空色の——聖水色のマントを羽織ったエルが多くの祭司を引き連れて歩いてきた。
「え、皆様。お待たせいたしました。これから授与式の会場にご案内しますが、お履きものはこちらですべて脱いでいただきますよう、え、なにとぞよろしくお願いいたします」
靴を脱げ、と言ったエル本人はもちろん裸足で——そもそもウサギではあるのだが——エルが引き連れている祭司たちも全員裸足だった。
貴族の子どもたちは難色を示したが、真っ先にクルヴシュラトが靴を脱ぐと、次々と脱ぎ始めた。
「え、こちらの冠を頭にお載せください。魔除けの青柊の葉でございます」
エルのマントによく似た空色の葉——自然界にこんな色の葉があることを、ハーフリングのエタンをのぞくここにいる貴族の子どもたちは知らなかった。その茎を編んだ葉の冠をかぶせてもらう。
「——エヴァ様、行きましょ! 起きるお時間ですよ」
エヴァがハッとして目を開けると、にこやかに笑っているミラの顔があった。
「あ……わ、わたくし」
「なんでも靴を脱がなきゃいけないみたいです。私、もう脱いじゃいました」
「そう——」
ミラに促されるまま靴を脱ぎ、ほっそりとした足を地面につけると、ひんやりとした感触が伝わってきた。向こうでは森を歩き出した少年少女たちの「ひゃあ」だの「痛い」だのいう声がにぎやかに聞こえてくる。
「大丈夫か、エヴァ嬢」
「はい。先ほどよりずっとよくなりました——こちら、お返しします」
エヴァは宝剣をルイに戻すと、彼に言った言葉に偽りはなく、しっかりした歩調で歩き出した。
「そうか、それならよかった——って俺を置いていくなよ!?」
さっさと進んでしまうミラとエヴァを追いかけるルイだったが、
——パキッ。
そのとき追いかける向こうで小さな音が鳴ったことに、気がついた。
なにか硬質なものが割れるようなそんな音だった。
「……気のせいか?」
ルイは知らなかった——宝剣に掛けられている武具魔術のすべてを。
そのなかに、「魔法力回復」という、魔術が込められていたことを。
彼が立ち去ったその足元に、青色の宝石の欠片が転がっていた。




