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ランキングの日間、週間、月間のすべてで1位で目を疑いました。
なにげに週間1位は初めて(だと思います)ですね……。
応援ありがとうございます! 引き続きがんばりますので、お付き合いのほどお願いいたします。
授与式の当日となった。
この日は、それまでの雨が止んでウソのように快晴だ。
昨日一日、お嬢様はお屋敷に籠もっていた。ブレスレットをつけていても健康そうに振る舞うお嬢様を見て伯爵は目を細めたが——僕はなにも言わなかった。おそらく僕がブレスレットをいじったことはメイドさんからの報告が上がっていると思うけれど、それについては聞かなかったことにしているみたいだ。結果オーライということなのだろう。
「こんなに朝早くから始まってるんですね」
日の出の1時間前に起こされた僕はあくびをかみ殺していた——日の出と言っても雲のせいでいつ日が出たかもわからないのだけれど。
僕の問いに、メイド長は、
「クルヴァーン聖王国は聖王陛下主催の神事が多く執り行われます。神事はとにかく時間が掛かるものです。これからはお嬢様も参加されることになるので、レイジさんも慣れてもらわなければなりませんよ」
「うぅむ……」
慣れたくない。というか慣れるほど参加したくない。
「新芽と新月の晩餐会」のようなイベントと、今回の授与式のような神事はまったく種類が異なるもののようだ。
天賦珠玉は神からの贈り物であり、人民を代表して聖王が受け取る。聖王はそれを人民に配布する——その人民を代表しているのが貴族であるということなのだ。
クルヴァーン聖王国の建国は1千年以上さかのぼる。建国してからの風習だということで、今の世の中には合わないような古式ゆかしい儀式が残っている。
「おはようございます、お嬢様——」
日の出前から湯浴みを3回していたというお嬢様が日の出とともに出てきた。「日が出たときには身体をすべてきれいにしておかなければいけない」みたいなルールがあるようだ。僕ですらお湯で身体を拭いて、身だしなみを整えていたくらいだから。
お嬢様が着ている服は、目にも鮮やかな淡い黄緑——若芽色をしていた。
大きな一枚布を合わせただけのシンプルな服に見える。そう、ギリシャ神話の彫刻なんかが着ているキトンだ。ただしっかりした布の質感と、腰に巻いている茶色い革紐の光沢は、「ああ、すごくお金掛かってるんだろうな……」と相変わらず思わせてくれる。
その上に空色のショールを羽織っているお嬢様は、僕の前世の知識も相まって、神話の世界からそっと抜け出してきた登場人物のようにも見えた。
「……着慣れないのだわ」
「よくお似合いですよ」
「ほんとうはアクセサリを身につけてはいけないらしいのだけれど、腕の魔道具については特別に許可を得たんですって」
飾り気のないスタイルは、これもまた伝統のものなのだろう。「飾り気がないからこそ、どのような布地、染め方をするのかが腕の見せ所なんですよ」とメイド長が鼻息を荒くしている。
……そこに「鼓舞の魔瞳」が掛かったら、そりゃ暴力沙汰になるんでしょうねぇ……。
その後、髪を結い上げられたお嬢様は、ほっそりとしたうなじを見せる、まさに少女から大人へ少しずつ階段を上っているのを見せつけるかのような姿となった。
「行くのだわ、レイジ」
「はっ」
まだ午前8時にもならない時間だというのに、僕はお嬢様とともにお屋敷を出た。伯爵はとっくに聖王宮入りしているというのだから、今日という日がいかに特別なのかがわかる。
馬車に乗って第3聖区を走っていくと、いつもよりも多くの馬車の音を聞いた。お嬢様が「寒い」と言うので馬車の窓を閉め切っていたので、どこの家の馬車なのかはわからない。
「お嬢様、体調はいかがですか」
「今のところは問題ないわ。でも……一日がかりの神事だというでしょう? ちょっと不安があるのだわ」
「今日一日の辛抱です」
「ええ……そう思って乗り切るしかないのね。……でも、あなたが魔道具を調整してくれたからこれでもだいぶ楽なのよ……」
馬車がゴトンと石に乗り上げ、僕はお嬢様の言葉を半分聞きそびれた。
「え? なんとおっしゃいました?」
「なんでもないのだわ。——レイジ、わたくしが出てくるまで、いい子にして待っているのよ」
お嬢様は、まるで母親が子どもに諭すようにそう言った。
僕は、お嬢様を乗せた馬車が城門を通っていくのを見つめていた。昨晩までの雨で濡れた石畳には、ところどころ水が溜まっている。今日の天気ならば昼までには石畳もほとんど乾くだろう。
馬車とて、聖王宮のある区画に入ってすぐの停車場で止められ、お嬢様はそこから歩いて会場へと向かうようだ。
(大丈夫かな……)
不安は不安だけれど、中には伯爵もいるので僕はおとなしく待つしかない。
第1聖区と聖王宮を隔てる城壁は、これまでのどの城壁よりも低く、そして薄いようだった。高さは3メートルほどしかないだろう。
城壁はくすんだ金色だったのも、これまでの城壁とは明らかに違う。さらにはそこに、絵が描かれてあるのだ。
(……竜と人が肩を並べて歩いてる……いや、獣人みたいにも見えるけど……)
竜は、僕が以前遭遇したことのある竜とよく似ていた。人のほうは、耳が長いところがエルフっぽさを残しつつ、そのくせ尻尾が生えている。
絵は、壁画のように単純化されているし、開かれているせいでナナメからしか見えなくて、その種族がなにか、といった細かいところはよくわからなかった。
城門は馬車が1台ギリギリ通れる程度で、1台馬車が入ると、向こうから1台が出てくるような形だった。つまるところ今日の授与式に参加する貴族が多すぎて渋滞を起こしているのである。
「ええい、ワシは降りるぞ。いちいち待っとれんわ」
「んもー、お父様、強引よ!」
渋滞を待ちきれず、後方で馬車を降りた人物があった。
貴族特有のきらびやかな服は着ているものの、中の人物は貴族らしからぬ風体だった。
たてがみのような髪は赤く、長く、後ろに垂れている。信じられないくらい分厚い胸板の持ち主で、軽自動車くらい持ち上げそうな筋肉が衣服の向こうに感じられる。
日焼けした顔に、わしゃわしゃの眉毛の下、獣のように鋭い眼光。頬にはバッテンの傷痕があった。どう見ても尋常な人生を送ってきていない御方である。
馬車から降りたその人は、僕に視線を止めた。
「——ほう、あのときの小僧か」
いえ、当方はあなた様のように凶悪なお顔は存じ上げませんが……。
「お父様、ったら、んもー!」
その後に降りてきた人物は、誰あろう、ミラ様だった。
ということは……この人はミュール辺境伯!? っかー、なるほどー、そりゃわからないよねー、素顔見たのが初めてだからねー。
そんなどうでもいいことを思いつつ、僕は慇懃に頭を垂れて歩道を横にずれた。
のしのしという足音が近づいてくるが、ミラ様が「お父様、歩いてるのなんて私たちだけじゃないの。恥ずかしいよ」と言っているが辺境伯はすべて無視している。強い。
デカイ靴と分厚い太ももが僕の前で止まった。
「お主、スィリーズ家の護衛だな?」
「……はっ」
「顔を見せてくれ」
言われて僕は顔を上げた。
……おお、ミラ様は薄紅色の服だ。様式はお嬢様と同じだなぁ……素朴で可愛らしい。
「どうだ。辺境伯領に来る気はないか?」
「……と、おっしゃいますと」
「そのままの意味だ。聖王都など退屈だろう。我が領地は面白いぞ。腕利きも多いし、モンスターも凶暴だ。戦争だって起きるかもしれん。腕試しには絶好の場所だ」
えーっと。
これはスカウトされてるんですかね……? まったく食指が動かないのですが……?
「申し訳ありませんが、自分には荷が重いようです」
「そうか? まあ、ここに残るのもそれはそれで構わぬだろう……今日はなんだか血が騒ぐ」
血が騒ぐ? こんなにいい天気なのになあ……。
「あ、エヴァ様の護衛さん、おはようございます!」
「おはようございます、ミラ様。本日のお召し物も、とてもよくお似合いですね」
ミラ様は最初こそお嬢様相手にテンパっていたけれど、手紙の交換を始め、何度か会ううちにかなり気安い間柄になったようだ。
「うふふ……これ、お母様が授与式に着たときのものらしいんですよ。すごいでしょう」
「それはそれは。きっとお喜びでしょう」
「うん! 今は療養でお屋敷にいるけど、すごくウキウキでこれを出してくれたのよ」
「——ミラ、行くぞ」
「あ、お父様、待ってよ! んもー、自分勝手なんだよね。じゃあね!」
小さく手を振ってミラ様は辺境伯について行かれた。ウチのお嬢様も、ミラ様のお母様のことを言っていたな……身体があまりよくなくて辺境伯領から出られないとかなんとか。
それでも、実の娘が自分と同じ服を着て、晴れの舞台に臨むのならば——それはきっと晴れ晴れしいことなんだろうな。
今日の天気みたいに。
(……とはいえ、警戒はしておこう。ゼリィさんからの連絡だと、街に変化はないみたいだから、きっと何かあるとしたら第3聖区より内側……貴族たちの動向だ)
辺境伯の言ったことが少しだけ気になった。
クルヴシュラト様の毒殺未遂犯の黒幕もわからない今、警戒するに越したことはないだろう。
貴族の馬車と、護衛の騎馬とでごった返す第1聖区を眺めながら僕はそう思った。




