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雨が窓を打っている。
重い沈黙があった。
でも、それに引きずられるわけにはいかない。
「……この話、お嬢様は」
伯爵はゆっくりと首を左右に振った。
知らないということか。それでいいと僕も思う。知ったところで無意味な罪悪感を植えつけるだけになってしまうし。
「今のお嬢様はどんなご様子ですか?」
「魔瞳が発動した結果、私の親族があてられてしまいましてね。ドレスの色で揉めていたところだったのでそばにいたメイド長に殴りかかったそうです」
「だ、大丈夫だったんですか」
「むろんです。メイド長はあれでも護身術の心得がありますからね。——ですが魔力を使い果たしたことと、いきなり豹変した人間に驚いたこととで、エヴァは寝込んでしまいました」
僕はホッとした。最悪の事態の中でもマシな部類の着地をしたらしい。
「では、お嬢様をどうしたらいいのでしょうか」
「封印はいずれ解けるときが来るとその術師は言っていました。それまでに魔力をコントロールできるようになればいいだろうと。ですが封印関連の技能者は非常に少なく、1日2日で探すことはできません」
伯爵はテーブルの上に小さな革袋を置いた。こんもりとした球状のフォルムに、僕は見覚えがあった——とても。
「明後日の天賦珠玉授与式で、これを贈るつもりでした」
中から出てきたのは青色の光を——不思議なことに温かく感じられる光——たたえた天賦珠玉だった。その光は強く、戸外が雨のせいで薄暗いこともあって室内を明るく照らし出す。
そこに見える文字は【魔力操作★★★★】というもの。
「エヴァが魔力のコントロールに慣れてきたら星を落としていき、最終的にはなくても、あるいは星1つの【魔力操作】で済ませられるようになってもらうつもりです」
そうか。ちゃんと対応策はあったんだな……天賦珠玉で済むのなら伯爵の財力なら難しくないだろうし。星4つの【魔力操作】はかなりレアだとは思うけど。
そのとき僕は、ハッとする。
「……『新芽と新月の晩餐会』の翌日に授与式が行われていれば封印のことなんて気にする必要はなかったんですね」
だとしたら、それは……僕のせいだ。
「レイジさん、あなたはクルヴシュラト様の命を救ったのです。誰も責めたりはしませんよ。今日のことだって特にケガ人が出たわけではありません」
「しかし……」
「それでも気にしてしまうのでしたら、頼みがあります」
伯爵はにこりと微笑んだ——うわあ、いい笑顔だ。これは僕はうまく誘導されたな。
「授与式までに天賦珠玉を与えることは許されません。ですが、このままエヴァを放置はできないので、彼女の魔力を限界まで抜き出す魔道具を使います」
伯爵が執務机に置いたのは、銀色に、緑色の宝石が5つ埋め込まれたブレスレットだった。
「これがその?」
「はい。魔力を吸収し、吸収すると緑色が青色に変わっていきます。かなりの魔力容量があるので明日明後日ならば問題なく貯めておけるでしょう……が、問題はエヴァ本人です。魔力が欠乏するのは肉体的にキツイですからね」
「ああ……」
僕も魔力切れでぶっ倒れた経験があるのでよくわかる。
「ただでさえ緊張を強いられるこの時期に、肉体もつらいということになります。ですからレイジさんには彼女のそばにいてやって欲しいのです」
「それはもう、言われなくとも」
僕が即答すると、伯爵は首を横に振った。
「あなたが思っている以上に、エヴァはあなたを頼りとしているのですよ」
そう……なのかな? それはうれしいような、気恥ずかしいような。
「わかりました。それではお嬢様の護衛に行きたいと思います」
「よろしくお願いします」
立ち上がり、部屋を出て行こうと思った僕はふと気がついた。
「そうだ。伯爵は2つ、僕に話すことがあるとおっしゃっていませんでしたか?」
「ああ——そうですね。忘れていました」
なんでもない、というような口調で伯爵は言った。
「クルヴシュラト様に授けられる天賦珠玉ですが、どうやら星7つ以上の可能性が濃厚です」
「へえ……」
なんですって?
7つ!?
「どうしました? レイジさんがそれほど知りたい情報でしたか?」
「い、いえ、で、でも、7つなんて聞いたことがなくて……」
「私もありません。ですがそれはあなたが探している天賦珠玉ではないのでしょう?」
「それは——……はい、そうですね」
「レイジさんはなにかしらの天賦珠玉に心当たりがあって、その情報を知りたいのだと見受けられました。ですので、未知の星7つ以上の天賦珠玉については興味がないのだろうなと」
怖いなぁ。そこまで伯爵は考えているんだな。
「興味はありますよ。興味は」
「星7つ以上でも?」
「星7つ以上でも」
なんなら9つ以上でもいいよ。
「そうですか? わかりました。ではくれぐれもエヴァのこと、よろしくお願いします」
「はい」
僕は一礼すると伯爵の部屋を出て、お嬢様の寝室へと向かった。
スィリーズ家の主治医によると、お嬢様はぐっすり眠っているということなので僕は室内に入る許可をもらってお嬢様のベッドサイドまでやってきた。
日中だというのに外は暗く、雨が窓ガラスを伝って落ちていく。枕元の小さな魔導ランプが優しい光を室内に投げていた。
小さなイスを持ってきてベッドの横に腰を下ろした。ほんとうならこんなところにまで護衛の僕が来ていいものではないのだけれど、伯爵が許可をしていたようで、部屋の隅にはメイドさんが2人いるけれども僕は眠っているお嬢様と向き合った。
(……まさかこんな形で、お嬢様のお母様について知ることになるとは思わなかったな)
もしも過去を知ったら、お嬢様はひどく胸を痛めるだろう。自分の魔瞳が実の母を殺したとすら考えるかもしれない——そんなことはけっしてないのに。
(僕が寄り添うことでお嬢様の力になれるのなら、僕は喜んで力を貸そう。もちろんラルクやルルシャさんを捜さなければいけないけど、お嬢様が【魔力操作】に慣れるまでいっしょに過ごす程度なら問題ないはずだ。僕の【森羅万象】があればアドバイスができるかもしれないし)
僕の手には伯爵から渡された魔道具——アクセサリのようにも見えるブレスレットがあった。【森羅万象】を通して見ると、手に接する面に多くの魔術式が書き込まれているのが見える。
僕にはその術式が、お嬢様を縛る鎖のように見えたのだった。
(……伯爵があそこまでプライベートな事情を話してくれたのは、僕を買ってるから……だけでなく、同情心を惹こうとしているんだよなあ。あの人、そういうところあるもんなあ)
もちろん、そんなことを聞いたら「私はレイジさんを信用しているから話すのです。そのようにとられるとは心外です」くらいは眉ひとつ動かさずに言うのだろうけど。




