29
護衛の打ち合わせが終わると早々に僕らは引き上げた。急使が来て、伯爵に呼び出されたのが理由だ。
エタン様の護衛さんがどうして僕なんかに手を振ったのかが気になっていたけれども、打ち合わせの時間が終了するとともに向こうもすぐに引き上げていたので話しかけるチャンスもない。
屋敷に戻ると、伯爵が難しい顔をしていた。
「マクシム隊長、レイジさん。打ち合わせ、ご苦労様です」
「とんでもないことです。職務でございます」
伯爵の前でマクシムさんは跪くけれど、僕が突っ立ったままなのはいつものことだった。雇われてはいるけど忠誠を誓っているわけではないからね……。
今日の打ち合わせに関する報告をすると、僕だけ残るように言われてマクシムさんは部屋を出て行った。
珍しく執事長もいない……なんだろう。
「レイジさん、今日は急ぎ話しておかなければならないことが2つあります」
「急ぎ……明後日の授与式のことですか?」
「いえ。……関係はしていますが、直接的にはそうではありません」
「?」
わからないでいる僕に、伯爵は「審理の魔瞳」を一度光らせた。
「レイジさん、この目についてはどこまでご存じですか?」
「はい。魔力を通すと特殊な力を発揮する瞳、ですよね。血筋によって親から子に受け継がれるもので、親が持っていなくとも先祖返りで発現することもあります。ただ聖王家の『聖水色』のように先祖返りが発生しないものもある……と」
「そのとおりです。エヴァの魔瞳については私が話しましたね?」
「はい。『鼓舞の魔瞳』ですね」
目が合った者の戦闘意欲をかき立てるようなものだったはず。実際に使ったところを見たことはないのでどれほど効果があるのかは【森羅万象】でもわからない。
だけどお嬢様なら、そんな魔瞳を使わなくとも男どもの戦闘意欲をかき立てることくらい朝飯前な気がするね……あと数年経って美人に成長したらさ。
「その魔瞳がどうしました?」
「先ほど発動しました」
「発動……前からできましたよね」
「できることはできましたが、効果は微弱で、さらには魔力を大きく消耗するものだったんです。というのも、さる高名な封印術師に依頼して魔瞳を封印しておりましたから」
「封印?」
どういうことだろう、初耳だ。【森羅万象】ならばその封印くらいわかりそうなものだけれど——僕は何度もお嬢様の目を見てきたわけだし。
いや、ひょっとしたら目には封印の術式を掛けていないのかもしれない。体内の魔力供給部分とかだったら、かなり慎重に見なければ【森羅万象】だってわからないだろう。
「……エヴァの母親については話したことがありませんでしたね」
伯爵が重苦しい口調で言う。——聞きたくないな、と正直に思った。このタイミングでお嬢様の母親の話なんて。
でも、きっとそれは必要なことなのだろう。伯爵はムダを最も嫌うから。僕が、今このタイミングで、お嬢様の母親の話を聞かなければならないと伯爵は判断したんだ。
「エヴァの魔力量は一般的なヒト種族と比べると極めて多いのです」
「え」
そうと感じたことはなかった。もちろんお嬢様が魔法を使っているのを見たわけではないのだけれど。
それでも、冒険者ギルドにいるような歴戦の魔法使いとか、聖王騎士団所属のベテラン魔法使いなんていう人たちは、漏れ出すほどの魔力を持っていて、それは【森羅万象】ではっきりと感じ取れる。
「その魔力は、生まれて間もないエヴァの魔瞳を起動させるには十分なものでした。制御できない魔力が魔瞳に流れた結果——彼女は最も近くにいた人間の、戦闘意欲をかき立ててしまった」
まさか——それは。
推測を口にしたくはなかった。この話の先にある、苦い結末につながることはわかりきっていたからだ。
「……お母様、ですか」
伯爵はうなずいた。今までに「報告会」で何度も伯爵とはふたりきりで話をしたことがあった——何度も伯爵がうなずく姿を見てきた。だけれど今日のそれは、見たことがないほどに疲れ切っていて、やりきれない怒りをたたえていて、そして悲しげだった。
「アデールは……妻は、『鼓舞の魔瞳』によって意識を失うほどに混乱し、診察に来た医師に殴りかかったのです。その際、赤ん坊だったエヴァを放り出してしまった。幸い医師は軽傷でしたが、エヴァは腕の骨を折ったのです」
「それは……不幸な事故でしたね」
「そう。事故です。誰が悪いわけでもありません。私のように魔瞳を持つ者は魔瞳からの影響を受けませんし、エヴァは魔力を使い切ったせいで気絶するように眠っていました。……ですが、妻は我に返ると取り乱しました」
伯爵は一回言葉を切り、それから——イヤなことは一気にすべて話してしまおうといわんばかりに言った。
「妻は立派な女性でした。ですから自分自身を許せず、屋敷を出て行ったのです」
「そんな……伯爵は呼び戻さなかったんですか?」
「何度も呼びましたよ。ですが、封印術によって彼女の魔瞳が安定したと言っても、戻ってくることはありませんでした」
「今回の天賦珠玉の授与式に呼ぶのはいかがですか」
「……それができればよかったのですが」
ああ、そういうことか——。
伯爵が力なく首を横に振ったので、僕は理解した。
もう、彼女はこの世にいないのだと。
「……実家に戻った妻は産後であったこともあり大きく体調を崩したようです。それから3年後に、亡くなりました。最後の最後までエヴァにしてしまった仕打ちを悔やんでいたようです。これならば貴族の力を使ってでも、無理矢理にでも呼び戻すべきでした——すべては後の祭りでしたね」
「相手は家格が下の貴族家だったのですか?」
「いいえ。平民ですよ」
純粋な驚きが、僕を襲った。伯爵ほど完璧に貴族社会を渡り歩ける人が、平民の奥さんを持っていただなんて。
「私は平民の家へ貴族家の人員を差し向けることで起きる無用な混乱を避けたくて、アデールが自主的に戻ってくることを促していましたが、それが失敗だったんです。……エヴァには、妻の身分のことを話したことは一度もありませんでした。だからエヴァが『平民も貴族も平等な社会』なんて言い出したときには息が止まるかと思いましたよ。そんな社会であったのなら、アデールを救えたんじゃないか、と責められた気がしましてね……もちろんただの、思い過ごしですが……」
伯爵は笑った——こんなに寂しい笑顔を僕は見たことがなかった。




