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「レイジ、いいのだわ。答えて」
聖王始め、高位の貴族家に見つめられた僕が困っていると、お嬢様が助け船を出してくれた。
「はっ。——まず聖王陛下と辺境伯閣下のアイコンタクトが気になりました。おふたりがこの会に参加することはお二方ご自身も知らなかったご様子でしたが、逆におふたりはこの『余興』についてはあらかじめ情報がおありだったのでしょう。あるいはこれほどの余興ですから、各家の当主様にだけは連絡があったのではありませんか? 聖王陛下は辺境伯閣下の身に危険がないよう——もちろんこの『余興』も十分危険がない予定だったとは思いますが、念のため確認されたのではないでしょうか」
「…………」
うおぉ、灰色熊がこっちをじっと見つめてくる。
「それともうひとつは、シャンデリアのキャンドルが消えたことです」
「……なぜそれがおかしい?」
「私が襲撃者なら、シャンデリアを切って落とします。そうしたほうがより混乱を招きます。『余興』のためにシャンデリアを落とすにはお金が掛かりすぎるし、割れたガラス片が要らぬケガを招くこともあるでしょう」
「うむむ……」
「他には」
「まだあるのか!?」
「ええ。襲撃者の剣筋が明らかに聖王騎士団のものでしたし、また暗殺者がターゲットを放って逃げることはあり得ませんし、まあ、これらは事前に気づけないところではありますが。あとは、自分は事前には知りませんでしたが、暗闇で聖王陛下と聖王子様は光を放っていました。事前にこれを知っていたならクロスボウなどで狙撃するでしょう。あるいは逃走前に剣を投げつけるくらいはするはずです」
「いやちょっと待て。ターゲットが俺たちではない可能性もあるだろう」
「聖王陛下はそうかもしれませんが、聖王子様はターゲットだと思います」
「なぜだ? 襲撃者の多くがこちらのテーブルに向かってきたからか?」
「いいえ」
僕が指差したのは——テーブルの上。
美味しそうにクルヴシュラト様が見つめていた5つのソースの皿だ。
「聖王子様のソースにだけ、毒が混ぜられていますから」
【森羅万象】は今も確かに、そのソースは「人体に極めて有害」という情報を送ってきている。
その言葉を聞いた聖王は——顔から表情が抜け落ちた。
(……ん? 毒皿も「余興」の一種だと思ってたけど、それはおかしいな。毒殺を防ぐのは余興にもなんにもならない。クルヴシュラト様が死んだふりをして反応を見るとかは余興としてあり得るけど、それでも毒をわざわざ入れる必要はないだろうし)
そんなことを考えていたら、
「おい、護衛」
「はっ」
「ここに毒があるってのはマジなのか?」
「はい。確実かと」
そのとき僕は否応なく気づかされた。
聖王の顔が憤怒に染まっている——つまりその「毒」は「予想外」。
誰かが本気で、聖王子様を殺そうとしていたのだと。
護衛の朝は早い。
たとえ前日に聖王子殺害未遂が起きて夜遅くまで取り調べに付き合わされ、その後に雇い主の伯爵に事情を説明しなければならずようやく眠れたのが深夜だったとしても護衛の朝は早い。
屋敷の使用人は寮のようなものが用意されているのだけれど、護衛の僕は個室を与えられている。ベッドから出て行くとたらいに【生活魔法】で水を出して顔を洗う。少々ひんやりするくらいの水で気持ちがいい。
まともな鏡なんてないので、鉄製の板をピカピカにした鏡で髪の生え際をチェック。毛髪量の確認じゃないよ? しばらくは染髪剤を使わなくて大丈夫そうだ。寝癖もない。あとはサササッと着替えれば準備完了。
「おはようございます」
「おはようございます」
すでに何人ものメイドや執事が活動を始めている。まだ日の出の時間だというのに玄関ホールはバタバタしている気配があった。
「あとはよろしくお願いします」
「いってらっしゃいませ」
大勢の使用人が頭を下げて、伯爵と執事長が出て行くのを見送る。……伯爵、僕の報告を聞いてから寝て、今出かけるってことはほとんど寝てないんじゃないかな。あるいは一睡もしていないとか?
——明日は大変なことになりますよ……。
「新芽と新月の晩餐会」の報告は、「余興」については軽く触れ、その後の「毒殺未遂」について多くの時間を使った。伯爵は僕が見聞きした情報をすべてメモにとっていた。というのも今日、伯爵は聖王に呼び出され「人間ウソ発見器」なので犯人のあぶり出しを命じられるのはほぼ確実だという。
(ご愁傷様。がんばってください)
心の中で同情し、馬車に乗って屋敷の敷地を出て行く伯爵を僕は窓越しに眺めていた。東の空は薄曇りで、今日は晴れ間も少なそうだった。
僕は僕でお嬢様の今日のスケジュールを確認したり、食事を取ったりとしているとお嬢様が起床したという報せが入る。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、レイジ」
朝食のテーブルでお嬢様と今日の予定について確認する。お嬢様はひとりで食事をし、僕はテーブルを挟んで向かいに立っている。
相変わらずの美しい見た目と所作で、食事をしているだけだというのに絵になるのだから美男美女は得だなぁとかそんなことを僕は思っている。
「——以上が本日のご予定です」
「レイジ、昨日はどうだったの? わたくし、先に帰ったでしょう」
「取り調べに付き合ってだいぶ遅くなりましたね。伯爵は僕の帰りを待っていてくださったようで……」
「むう、お父様ばかりずるいのだわ。わたくしは早く寝ろとみんなに言われて」
「別に優しさから待っていてくださったわけではないと思いますけど。それより変な夢を見たりしませんでしたか? 怖い思いをして」
「子ども扱いをしないの、いい? それに怖くなんかなかったもの。レイジがいれば安全だと思っていたし」
「……それはそれは、過分なお言葉です」
お嬢様、僕のことを信頼しすぎなのでは。僕なんてすぐそこにいた灰色熊が乱心を起こしたらどうしようってびくびくしてたよ。あんな毛皮かぶってる人間、まともじゃないよ。
「それで犯人は誰だったの?」
「まだ見つかっていません」
「ええ? レイジがいるのに?」
「……僕はお嬢様の護衛で、ただの毒の発見者です」
「それはそうだけれど、昨日、レイジが襲撃者を制圧して、それから聖王陛下や聖王子様に向かってお話ししていた姿はみんなすっかり感心していたのだわ!」
お嬢様が目をキラキラさせて言う。
「エヴァお嬢様。今のお話は初耳でございますね」
おっとぉ。執事長がメガネの位置をずらしながら食いついてきたぞぉ?
(お嬢様黙って! 黙って! しー!)
伯爵への報告に執事長も同席してたけど、自分の手柄自慢みたいになりそうなところは省いたんだよね……あと聖王としゃべったとか知れたら、聖王の熱烈な狂信者の執事長が嫉妬の炎をメラメラ燃やすことはわかりきっていたし。
「どうしたのだわ、レイジ? まさか報告していないの?」
「しましたよ! 必要十分にしましたよ! あ、そうだ、今日僕はお嬢様の護衛からは外れますので騎士の誰かがついてくれます」
「——え?」
途端にお嬢様の表情がくもった。
「前に話していたのですが、お嬢様と僕とでいくつか潰し……解放した『奴隷商』について、尋問に僕が同席することを許されています。それが本日実施されるようで」
「そう、なの……」
どうしたんだろう。「それならわたくしも連れて行くのだわ!」みたいに言われることは覚悟していたけど(そのときは執事長の力も借りて全力で拒否するつもりだった)、こんな反応は……。
「——お嬢様は不安を感じておいでです」
ヒッ、メイド長!? いきなり僕の耳元で囁かないで!
メイド長はするすると音も立てずに後ろ足で下がると、入口そばの定位置に立った。この人もしや隠密なのでは……? でもメイド長の動きを見た後に訓練してみても、それっぽい天賦は得られなかったんだよね……。
(不安、か)
それはそうだよな。お嬢様だって12歳の女の子だ。
僕がいたから「怖くなかった」というのは、逆に言えば僕がいなければ「怖い」になるのかもしれない。
「……お嬢様、なるべく早く戻りますから」
「ほんと……?」
叱られた女の子みたいな顔をしないで、お嬢様。
こんなところ伯爵に見られたら僕、どうなるかわかりませんよ? ただでさえ「てめぇはなにを泣かしてんだよぉ?」って目で執事長とメイド長からにらまれてますからね?
「ほんとうです」
「約束できる?」
「約束しましょう」
僕は右手を伏せて差し出し、人差し指と中指をくっつけた。これは「二言はありません」、つまり「指切りげんまん」みたいなものだし、ある意味で「誓い」にも似ている。
「……わかったのだわ。わたくしは、今日はミラ様にお手紙を書きます」
「ええ、そうしてください」
お嬢様の小さな手が僕の二本指をぎゅっと握りしめた。
温かく柔らかい手だった。




