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エヴァお嬢様のテーブルにいる面々は、「伯爵」よりも上位の家の人たちだ。お嬢様が今まで出会ってきた人たち——それはおそらく大半が伯爵よりも下位の家の子たちだから、お嬢様はこうも正面から誰かの悪意に接したことはなかったのだろう。
(心拍数の上昇、皮膚の発汗、体温の上昇……お嬢様、テンパってるな)
【森羅万象】でお嬢様を確認するとそんな情報が返ってきた。まあ、わざわざ確認するまでもなかったかもしれない。お嬢様の表情はしっかり凍りついてる。
「……スィリーズ家が、貴族社会に軋轢を……ですって?」
ことさら丁寧であろうとしたお嬢様の声はむしろ冷え冷えとして、僕が「血は争えない」と思うほどに伯爵閣下のそれを思い起こさせた。
シャルロット様は息を呑んでたじろいたが、すぐに前のめりになると、
「え、ええ、そうですわ! 伯爵位でありながら領地を持たず、中央政治に関わるその姿は『好んで争いを待つ武器商人』とも呼ばれていることを知らないとは言わせません——」
「シャルロット嬢!」
声を上げたのは、クルヴシュラト様だった。呼応したかのように楽隊の音楽が途切れ、しん、と静まり返る。
「……そのような口さがない者らの悪口を、フレーズ家の令嬢ともあろう方が信じていると……?」
きっとクルヴシュラト様は見た目だけじゃなく心根も優しいんだろうな……って僕は思った。声音は震えているし、怒っているのか、あるいは大声を上げてしまった自分と周囲の反応を恐れているのかはわからなかったけれど——それでもクルヴシュラト様がエヴァお嬢様のことを気遣って発言したことは事実だ。
クルヴシュラト様の後ろに立っている聖王は、わずかに口角を上げていた。僕は見ていたけれど、クルヴシュラト様が言わなかったら聖王がなにかを言っていただろう。
とはいえ、一度吐いた言葉を呑み込んでなかったことにはできない。シャルロット様ははるかに格上の聖王子様に怯みながらも言った。
「恐れながら、クルヴシュラト様……スィリーズ伯爵が多くの貴族を処刑台に送り込んだことは事実でございましょう? 結果、多くの領地で流通が滞り、貴族たちは私財を投じて混乱収拾に当たらねばなりませんでしたわ。もちろん、領地を持たない貴族には関係なかったことでしょうが」
おお、そんなことがあったのか。
でも伯爵は「一天祭壇」のために行動し、ひいては国全体のために汚れ役を買って出たんだよなあ……それを言わずに自分たちの被害だけを言うのはどうなんだろうね。
(あ、そうか、伯爵が「祭壇管理庁」の「長官特別補佐官」だってことは一部の貴族以外に秘密で……伯爵が貴族たちの汚職を摘発したのも「公金横領」や「脱税」、「贈賄」なんていう「一天祭壇」とは関係ない罪状なんだよな。それもこれも「一天祭壇」が「汚されていない」という体面を保つために)
シャルロット様は侯爵家だけど、知らないのかな? いや、当主は当然知っているだろうけど、他の人には言っていないのかも。
「さらには混乱に乗じて流通を操り、大金を儲けた貴族もいたとか?」
…………。
はい、ウチの伯爵ならやりかねないですね。そもそも混乱を起こしている側なんだから、その後になにが起きるのかも予測しやすいし。
そういうことやるから「冷血卿」に磨きが掛かるんですよ、伯爵……。
「……お父様。シャルロット嬢の言葉は……」
あわてたクルヴシュラト様の口調が、ふだんのものに戻ってしまっている。そんな気弱な姿は庇護欲をそそるんだけど——それはまあさておき、聖王は難しい顔をして黙り込んでしまった。
(表じゃ言えない、ってヤツかぁ……)
伯爵をかばって真実を話せば「一天祭壇」に泥を塗るし、シャルロット様の言葉に乗れば汚れ役を買って出ている忠臣を裏切ることになる。
「……ある一面においては事実を語っているな」
聖王の言葉に、パァッと表情を輝かせたシャルロット様だったけれど、
「だが政を行うものは、物事には両面があるということを知らなければならん」
「両面、ですか……?」
きょとんとするクルヴシュラト様の頭を聖王がくしゃくしゃとなでた。
「お前たちは貴族社会に足を踏み入れたばかりだ。これから天賦珠玉を選び、多くのことを学び、時に戦い、時に失敗し、時に喜び、時に苦しみながらも——貴き血を持って生まれた以上はその宿命と戦わねばならん。——シャルロット嬢」
「は、はいっ」
聖王に直接名を呼ばれたシャルロット様は背筋を伸ばした。
「あまりウワサ話に振り回されるな……その話はフレーズのオッサンに聞いたことではないんだろ? それじゃあ、帰って同じ話をしてやれ……それであいつがなにを言うか、一言漏らさず聞いて心に刻め」
「は、はい……?」
「俺からはこれ以上言えねえよ。それにお前たちはそんな争いをしている場合じゃ——」
「——聖王陛下。護衛がいささか話しすぎかと」
「……そうだな」
熊の辺境伯に言われ、聖王は腕組みをしてツーンと黙ってしまった。
「?」
お嬢様たちはなんだか不完全燃焼のままで終わった会話にもやもやしているようだが、そこで楽隊が新たな音楽を奏で始め、次の大皿料理が運ばれてくることとなった。
他のテーブルでもちらほらと会話が始まりだしたけれど、お嬢様は難しい顔で黙っていた。伯爵は「冷血卿」の側面についてなにも教えていなかったのだろうか? いや、さすがになにも言わないということはないと思うんだけど……。
エタン様の提案「友誼を結ぼう」はなんだかんだ流れてしまい、そこへ辺境伯の娘であるミラ様がようやくエンジンが掛かってきたのか言葉を発した。
「それにしても美味しい料理がいっぱいです。わたくしの領地ではなかなか食べられないものばかりで……」
会話が始まったことにホッとしたクルヴシュラト様がそれに乗る。
「今日の料理はロズィエ家が手配したのだよ。ねえ、ルイ?」
「あ、はい。……お口に合ったのなら幸いです」
ルイ少年は、さっきまでの俺様風を吹かすのを止めたのか、やたらしおらしくなってそう言った。お嬢様のこと——というかスィリーズ伯爵家の裏を知って驚いた、あるいはショックだったのだろうか?
「ミュール辺境伯領はどんなところなのかな?」
「はい。とっても田舎です。広い牧草地帯と、農場、それに山岳地帯には古代人の残したダンジョンが多く眠っていて、冒険者の往来が活発です」
ダンジョン!
なんという心躍る響き。僕が知ってるダンジョンは奴隷として働いていた「六天鉱山」だけど、あれとはまた全然違うんだろうなぁ……どんなところなんだろう。




