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クルヴァーン聖王国の聖王は、幼少期こそ名前が与えられているけれど一度即位すると「聖王」となり、名前を捨てる。そして死ぬまで「聖王」を名乗るのだそうだ。
特徴は透き通るような水色の髪と目。この色は「聖水色」と呼ばれ、子を成す相手がどんな種族であってもこの組み合わせになるか、あるいは相手の遺伝を完全に受け継ぐかのどちらからしい。
ある意味これも、魔瞳と同じ特殊な遺伝なんだろう。
「聖水色」は男女ともに発現するために、女性が王となることも十分あり得る。ただし、「聖水色」が発現しない場合は「聖王子」「聖王女」と呼ばれることなく王家の親族として生きていくことになる——その場合は「公爵家」を名乗ることもできない。「聖水色」を持つ者だけが公爵家になる。もちろん、「聖水色」は途中で途絶えるわけだし、途絶えると先祖返りは起きないという。だからエベーニュ家は公爵家ながらハーフリングの家系なのだろう。
——「聖水色」は聖王国にとって特別な色であり、また最も貴き色であるのです。
家庭教師の先生はそう言っていた。
「——本物の聖王陛下!?」
「——どうしてこんなところに」
「——聖王子様のお付き添いなのか!?」
ざわつきは最高潮だ。
だが僕のいるテーブル——会場内ではいちばん位の高い場所——にいる子どもたちはその場に片膝を突いて頭を垂れ、僕ら護衛もまたそれに倣った。
続いて他のテーブルでも同じことが起きると、広い会場は沈黙に包まれ、全員が頭を垂れることとなった。
外ではわずかな残照も途絶え、新月の夜にふさわしい闇が満ちている。
だけれど会場内は煌々としたシャンデリアが光を投げている。
こつ、こつ、と足音がして聖王子と聖王の足音ふたりぶんがこちらに迫ってくる。
すごい。なんていうかオーラがすごい。「頭が高いぞ」と「黒子のバスケ」の赤司くんに言われたらきっとこんな感じなんだろうな、って……ああ、この世界にいる誰ともわかり合えないのがつらい!
「あ、あの。皆、顔を上げましょう。我もまた皆と同じ晩餐会の参加者でありますから」
堅苦しい言葉遣いと言い慣れなさと、聖王子本人の幼い声とが入り交じってとんでもないミスマッチが聞こえてくる。
でも、誰も顔を上げない。しんと静まり返った会場内に「あわわ……」という聖王子のかわいそうな声が聞こえてくる。
「——聞こえなかったのか、お前ら。顔を上げろ」
ガラスがあったら震わせそうな重低音が響くと、真っ先に公爵家の2人と侯爵家の1人が顔を上げた。ああ、顔を上げていいんだなと思ってお嬢様や僕、その他の人たちも一斉に顔を上げる。
言ったのは確認するまでもない、聖王本人だ。
直視するとこれまたオーラがすごい。なんか輝いて見える。え、魔力なの? ダダ漏れなの? やばくない、聖王?
「すまねえな。俺が来ると言ったら大混乱になるだろうからあえて伏せて置いたんだ。俺はクルヴシュラトの護衛だ。そう思っておいてくれ」
言わずに来ても大混乱ですが?
みんなそう思っているだろうけど言えない。だって相手は聖王だもん。
クルヴシュラト様はみんなが起き上がったことで明らかにホッとした様子。僕らのいるテーブルまでやってくるとイスに腰を下ろした。
で、聖王はクルヴシュラト様の後ろに仁王立ちし、テーブルにいる面々を見渡した——ってマジで護衛扱いなんですか? いいんですか? みんな座るに座れなくて所在なさげに突っ立ってますよ?
「……陛下、ご冗談もほどほどになされい」
灰色の熊がしゃべったァァァァ! と思ったらミラ様の後ろにいたバーサーカーだった。なーんだバーサーカーがしゃべったのか、だったら安心安心。
なわけない。
護衛がいきなりしゃべるとかマズイ。とてもまずい。
「なんだぁ? お前だって我が子かわいさに自ら護衛を買って出たんだろうがよ、ミュール辺境伯閣下」
聖王が眉根を上げながらじろりと見やる……ってバーサーカーは辺境伯本人だったの!?
これにはさすがのお嬢様や公爵家の令息たちもびっくりしている。
なんだよなんだよ、ってことは護衛本人がVIPっていうケースは他にもあるんじゃないの? ルイ少年の護衛はアルテュール様で身元がはっきりしているし、シャルロット様の護衛のイケメンは……と言うと、ぽかーんと口を開けてイケメンが台無しになっているのでこれは大丈夫そう。護衛としては大丈夫かどうか定かではない。
で、エタン様の護衛のハーフリングさんは……うん、こっちをじろじろ見てるね。思うところは同じか。僕にはなんの秘密もないですよ、びっくり箱じゃないですよ、という意味をこめて両手をちょっと挙げて首を横に振った。それが通じたのか「うむ」ってうなずかれた。「うむ」ってなによ「うむ」って。
「ならば我らは護衛の役に徹しましょうぞ」
「ああ、俺もそのつもりだ……おいお前ら、いつまで立ってんだ。さっさと座れ」
どこの護衛が「さっさと座れ」なんて客に言うんだか。
だけどまぁ、権力者というのはこういうものかもしれないな。下々の気持ちなんてわからないのである。
気がつくと、会場の隅に楽隊が出てきて音楽を奏で始めている。ヴァイオリンによく似た弦楽器で、会話を邪魔せず耳にしていて心地よい音楽だ。屋敷の召使いが聖王にイスを持ってきて勧め、聖王は「どこの護衛が座るんだよ」と言って断り、召使いを青ざめさせている。ほらね、下々の気持ちなんてわからないんだよ。
いよいよ晩餐会が始まるのだろう。式次第のようなものがテーブルに置かれてあり、料理のメニュー名と、会の途中に主催からの挨拶があるという。主催は、高位貴族が行うことになっているようでルイ少年の実家であるロズィエ公爵家の名前が書かれてあった。
もしや公爵本人が来るの? 当主がさらに追加されるの? 聖王だけでなく辺境伯本人がいるということを知って他のテーブルでは息苦しそうな子がちらほらいるんだけど、彼らに呼吸をさせる気はないんですかね。
「え、ええと、今年12歳となった皆様、初めまして。我がクルヴシュラトであります。後ろの聖……護衛についてはあまり気になさいませんよう」
誰も口を利いてなかったからね、聖王子様ががんばって会話の口火を切ったぞ。でも聖王を気にするなって言われても無理だぞ。
「クルヴシュラト様、お久しゅうございます」
「ああ、ルイ。久しぶり」
ふたりは面識があるのだろうか、なんとなく気安い会話をしている。
「ん? 髪の色を変えたの?」
「!? え、ええ、こ、これはですね……気分で」
痛いところを突っ込まれてルイ少年が冷や汗をかきながらエヴァお嬢様を気にしている。クルヴシュラト様もそれに気づいたのか、エヴァお嬢様へと視線を向け——固まった。
「——聖王子クルヴシュラト様、お初にお目に掛かりますわ。わたくし、スィリーズ伯爵家長女、エヴァと申しますわ」
イスに座っているので小さく頭を下げたお嬢様だったが、クルヴシュラト様はお嬢様に目が釘付けとなっていた。
「? クルヴシュラト様、どうなさいました?」
「……あ、あわわ、あの、その……お名前を聞いても?」
「ですからエヴァ=スィリーズでございますわ」
「そ、そうか! エヴァスィリーズというんですね、ちょっと長い名前だな。どこの家なのかな——あいてっ!?」
聖王がクルヴシュラト様の頭にゲンコツを落としていた。いやいや、護衛が護衛対象に危害を加えるなよ。
「落ち着け、クルヴシュラト。嬢ちゃんは……そうか、ヴィクトルの娘かよ」
「はい。聖王陛下におかれましては我がスィリーズ家に大いなる光を——」
「止めろ止めろ、そういうのはいい!」
聖王に話しかけられたお嬢様は、イスから降りてひざまずき、頭を垂れたのだけれど——それを遮ったのは聖王本人だ。
「座れ座れ。今日はお前らが主役なんだ」
主役より目立つ存在がそれを言うなというのは多くの人が思ったに違いない。
「……ありがたき幸せに存じますわ」
お嬢様がイスに戻ると食前酒が運ばれてきた。
テーブルには白の皿と、鏡のように磨かれた純銀製のフォークやナイフが並ぶ。テーブル中央にはなにもなく、ここには大皿に盛られた料理が運ばれてくることになる。
食前酒は様々に色づいたグラスで、入っている飲み物はリンゴを発酵させたシードルのようなものだ。シードルよりも甘みが強い。
お嬢様は、食前酒にほんの少しだけ口をつけてグラスを戻した。その一挙手一投足を見つめてぽーっとしているルイ少年とミラ様。
微笑ましいことだ。護衛にもちょっとは食べさせてくれないかなぁ、そんなことないだろうなぁ、なんて僕が思っていると聖王が口を開いた。
「ときにヴィクトルの娘、お前婚約はまだか?」




