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「レイジ、これ、おかしくない? わたくし、お化粧は初めてだから……」
「——まったく問題ありません。ですが、くれぐれも晩餐会で流し目などはなさいませんよう。明日から婚約申し込みの書状が山のように届くことになりますから」
「え? もう、レイジまでそんなこと言うんだから!」
照れくさそうにお嬢様は言ったが、そこにいつもの勢いの良さはなくてどこか照れていた。散々、メイドたちから褒められまくっていたのだろう。
化粧や着付けを担当していたメイドは誇らしげに腕組みしている。プロ級である。
(いやほんと、流し目というか視線すら向けないで欲しいよ……)
スィリーズ家の「目」は、あまりにも特殊なのだ。
緋色の瞳には「魔性」が宿る。
これは——高位貴族たちには知れ渡っているが下位貴族では知らない者もいるらしい。僕は伯爵から聞く前から【森羅万象】でわかっていたけれども。
伯爵本人が持つ目は、魔力を通すことで相手のウソを判別できる「審理の魔瞳」。
お嬢様が持つ目は、魔力を通すことで相手の戦闘意欲を向上させる「鼓舞の魔瞳」。
天賦珠玉という、それさえあれば誰でも魔法が使えてしまう存在があるからこそさほど注目はされないが、スィリーズ家の血筋にはこういった特別な「魔瞳」、緋色の目が現れるのだった。
聖王陛下がスィリーズ伯爵を「懐刀」にするのは「審理の魔瞳」があるからという側面はきっとあるのだろう。逆に言うと「嘘発見器」的なものが天賦では再現できない……あるいはものすごく難しいか希少だということになる。
もちろんこういった魔瞳は、人口全体で見れば極めて少ない数だと聞いたけど——それでも使いようによってはとんでもなく有用なものであることは確実だった。僕は伯爵にウソをつけないわけだしね……。
すると玄関が騒がしくなったのを【聴覚強化】で鍛えられた僕の耳がとらえた。
日の出とともに出かけ、日が暮れる前に帰ってきたことのない伯爵が、今日ばかりはお嬢様のおめかしが終わったタイミングで帰ってきたのだ。
メイドや執事たちが一斉に頭を下げ、僕もそれに倣って頭を下げていると伯爵はお嬢様のところへ歩いていく。
「エヴァ。今日は楽しんでくるといい」
「……はい」
え、それだけ? ここはこう、もうちょっと褒めるところでしょ。ただし「棒読み」はダメだし「ストレート過ぎる言い方」もダメだよ?
「……レイジさん、ちょっと」
頭を下げていた僕の表情は見えなかったはずなのに伯爵に呼ばれた。ぎくりとして顔を上げ、来い来いと手招きされて部屋の隅へと向かう——全員が僕らの背中を見つめているのを感じる。
「……なにか?」
「……娘の機嫌が少々悪いようです。あなたがなにかしでかしたのですか?」
ちょっとちょっと僕のせいですか?
「……いいえ? 僕の振る舞いには心当たりがありませんね」
「……残念ながらそれは真実のようですね」
そこで「審理の魔瞳」を使わないでよ!
「……ではいったい娘はどうしたというのです?」
「……さあ。護衛の仕事には含まれませんので」
「……娘の心の健康を守るのも護衛の仕事でしょう」
初めて聞いたよそんなこと。護衛の守備範囲が広すぎる。
……まあ、お嬢様が心配そうな顔をしているから答えを教えてあげましょう。
「……ちゃんと褒めてあげてください」
「……褒める?」
「……お嬢様、着飾って美しくなったでしょう?」
すると伯爵は、白皙の美しい顔をかしげる。
「……そのような当然のことを口に出すのですか?」
これは親馬鹿なのか、本気なのか、冗談なのか、判断に困るところだ。
「……閣下は女心がわからないと言われませんか?」
「……相手がウソを吐いているかどうかはわかるので、望むものを差し上げたことは何度もありますよ」
「審理の魔瞳」が有能過ぎる。
「……『望むもの』が有形ではなく無形の言葉であることも多々あるのです。騙されたと思ってドレスアップしたお嬢様を褒めてあげてください」
「…………」
目に魔力が宿りました。はい。「審理の魔瞳」をそんなことに使わないように。
「……わかりました」
納得した伯爵はくるりときびすを返すとお嬢様のところへと戻っていく。この人の本性が、間が抜けているのか冷血なのか親馬鹿なのかという究極の三択の答えがわからないけれど、この人の動作がいちいち絵になるのがズルイと思う。転生するならイケメン伯爵になりたかった。いや、護衛の苦労を考えたらそうはなりたくないな……。
「エヴァ。君のために仕立てたドレスは、君が持つ本来の美しさに比べれば引き立て役に過ぎないけれど、改めて君の美しさがわかったよ。君はスィリーズ家自慢の娘だ」
「あ、あわわわ」
褒められ慣れしていないお嬢様はあわあわしていた。助けを求めるように僕へと視線を送ってくるので、うなずいて差し上げると、頬を紅潮させて伯爵へと「ありがとうございます」と返していた。
うんうん、いい感じじゃないか。お嬢様が今僕に助けを求めたことで、伯爵が僕に不機嫌そうな顔を向けていることをのぞけば。
先ほどの究極の三択は、今のところ3番の「親馬鹿」が有力候補です。
お嬢様を晩餐会の会場へと運ぶのは伯爵家の馬車だった。こういった「ハレの日」に使うための馬車は各貴族が用意しておくもののようで、スィリーズ家のものは「魔瞳」を象徴するような緋色の布が張られた馬車だった。巨大な車輪は鉄製でピカピカに磨かれており、屋根の上に載せられた金色のオブジェは、三日月に剣が2本——スィリーズ家の家紋である。
魔導ランプが4か所吊り下げられ、温かなオレンジ色の光を放っていた。
「レイジも乗りなさい」
「……はい」
シンプルながら豪華——そんなインパクトのある馬車に少々気後れしていた僕は、お嬢様の言葉に背中を押されるように馬車へと向かった。
マクシムさんが僕に「目を通しておくように」と今日の晩餐会の出席者一覧を渡してきた。今日の今日まで参加ができるかどうかわからない貴族もいるので、配布が当日になるらしい。なんと迷惑な。こちとら上流階級とは無縁な庶民派護衛なんですよ!
マクシムさんも含む、騎馬が10騎、馬車を取り囲んでいる。小窓を開いて外を眺める。いつもは貴族御用達の商人馬車や荷運びでにぎやかな通りも、今日は静かだ。今日が貴族たちにとって重要な日だということは一般国民にも知れ渡っており、出入りが制限されている。
こういうイベント時には、国民にも施しが行われるらしい。お金を渡す、ということではなくて大規模な工事の発注や大量の物資調達など、購入を通じてお金が行き渡るような仕組みだ。工事はともかく物資は購入してもあぶれてしまう。それらは教会を通じて孤児院や貧しい人々に配られるのだという。
(意外とちゃんとしてるんだよね……聖王の統治は。それでもお金が足りない人が出るから、奴隷まがいの身売りのニーズは減らない)
原因はいくつかあると思う。ひとつは、この国は貧富の差が激しい。多少国が施しをしたところで埋まるようなものではないのだ。
貴族という特権階級が美味しいポジションを全部押さえているのが最初にあって、次にその貴族にぶら下がる商人たちが大金持ちになる。貴族にぶら下がって成り上がろうなんていう人たちが「公平無私」であることなんてほぼあり得ないので、貧乏人からお金をむしるようなことも平気でやる。
(お嬢様は「構造的な問題」って言ったけど……まさしくその通り。でも、やっていることは「奴隷商潰し」なら意味がない。まあ、そこまで言うのは護衛の仕事じゃないから言わないけどね)




