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「……3つ目は、今言った2つの内容に関して、誠実に情報収集に努め、僕の質問にはすべて正直に答えること。そしてこれを契約魔術によって縛ること」
これが一番の難題だろうと思っていた。
契約魔術は、僕が奴隷として鉱山にいたときに掛けられていた魔術だ。
お互いの納得があれば多岐にわたって相手の行動を縛ることができるし、鉱山奴隷なんかは天賦を取得できないようにすることさえできた。もちろん、天賦を発動させないことだってできるだろう。
そんな魔術を、貴族という地位にある人間が呑むのか——僕は平民だ。しかも、下流の。
思わず左手首の辺りを僕はさすっていた。
ここに入れ墨は——もう、ないのに。ヨモギモドキを塗り続けたおかげでだんだん薄れ、およそ1年で完全に見えなくなったのだ。
「いいでしょう、呑みましょう」
「え、いいんですか?」
「構いませんよ。契約に背いた場合は私の行動自由は奪われ、秘密金庫の解錠方法をあなたにだけ伝えるようにしましょう」
「い、いや、そこまでは……」
「私は一度死んだようなものだと言ったでしょう? それに、これくらいしなければ契約魔術なんて意味がありません。いいですか、レイジさん。あなたに頼みたい護衛とは、今の条件など温すぎるような環境なのです」
「……なるほど」
「あとひとつ、重要な条件が抜けていますよ」
「なんですか?」
伯爵はため息を吐いた。そして呆れたような顔でこう言った。
「給金の額です」
「あ、そうでしたね」
ふつうはそこがいちばん大事だよね……。
ここは強気にふっかけてみるかな。
「では、給金は月に金貨2枚とし、衣食住は伯爵家のほうで手配してください」
金貨2枚はおよそ40万円。衣食住を出してもらって40万円とかめちゃくちゃ好待遇のはずだ。
ふふん、どうですか、伯爵。僕だって強気に出るんですよ。
「はぁ……」
あれ? 伯爵が額に手を当ててうなだれている?
「衣食住がこちら持ちなのは当然です。給金は年額で聖金貨3枚、それを月割りとします」
「へ……?」
聖金貨、って確か……金貨25枚分だよね……?
それが3枚。
年俸せんごひゃくまんえん!?
「雇用は年間契約とし、毎年継続可否を見直しましょう。また護衛として娘のそばにつく以上、最低限の貴族社会の知識や礼儀作法を学んでもらいます。いいですね?」
「は、はい……」
「では、今日からこの屋敷に住んでください。聖王騎士団には私から連絡しておきます」
「は、はい……」
あれよあれよという間に、すべて決まっていた。
これがお貴族様の駆け引き……!
そんなこんなで僕はエヴァお嬢様の「護衛」として雇われることになった。
初めてお嬢様に会ったとき、こんなに可愛らしい人が世の中にいるのかというショックに襲われた。貴族という贅沢な環境が生み出した可憐な生き物だと思った。街中には絶対に存在しない温室栽培のひとつぶウン万円のイチゴみたいなものだ。
僕の驚きなんて知らず、お嬢様は最初からお嬢様だった。
「レイジは強いの?」
自己紹介が終わったあとの最初の言葉がこれで、僕は「そこそこ」とだけ答えると、
「ならお父様の騎士と戦ってみせるのだわ!」
次に出た言葉がこれだからね。「遠慮します」「できかねます」「お断りします」「やりません」「いやです」「絶対いや」とまで順を追って拒否したのだけれどお嬢様は聞いてくれなかった。最終的には騎士側も乗り気で——騎士の中には深夜の襲撃は僕が手引きをしたんじゃないかとか言い出す人もいたので——伯爵邸の中庭で手合わせを行うことになってしまった。
敷地は高い壁で覆われていて、外から中をのぞき見ることはできない。だけれど3階建て以上の建物ならば当然壁より高いので、屋根に上れば見ることができる。
僕は離れた建物の屋根に、怪しげな影を見つけたので——あとでその建物の場所を報告させられた——伯爵に許可をもらって中庭の四隅でたき火を行い、煙を【風魔法】で循環させて大きな目隠しを作り上げた。
中庭は足元が芝生で、長さも均一でキレイに刈られている。ふだんは点在しているテーブルとイスは1セットを残して撤去され、代わりに騎士たちがぞろぞろと庭を埋め尽くす。
使用人たちも「なんだなんだ」と見に来たものだから屋敷の人間大集合である。
「全員、ちゃんと見届けてください」
伯爵はどうしてお嬢様といっしょに、1つだけ残ったテーブルセットでお茶をしているのかな?
「私はスィリーズ家武官筆頭マクシム=デュポンである!」
眉の太い、ちりちり髪の毛の男性が名乗りを上げた。
一般市民は家名なんて持たないけれど、貴族は当然として、貴族が認めた人間は家名を持つ……らしい。らしい、というのは僕の旅の連れ合いであるゼリィさんは全然そういうことに興味がないから知識が怪しいのだ。
マクシムさんは30代前半という人物で、後頭部が薄くなっているのを気にしているムキムキマッチョだ。金属鎧にマントという騎士としての標準装備で武器は大剣だった。
一方の僕は、支給されたダークスーツに緋色のヒモを襟に通したポーラータイ。留め具は伯爵家の家紋である三日月に2本の剣が彫り込まれている。
「あ、レイジです。よろしくお願いします」
「……その軽装でよいのか?」
「動きやすいほうが僕向きなので……」
「そうか、ならばよい」
マクシムさんの偉いところは僕が13歳の子どもだというのに一切手加減せず、しかも油断していないところだった。
「では始めよ」
伯爵が、開始の合図をした。
「どりゃああああ!」
でも——遅い。踏み込みから大剣の振りまで、半身が動かなかったダンテスさんよりわずかに遅いくらいだもの。こう思うとダンテスさんってすごかったんだな。
「うわあ、すごいぃ」
僕はぎりぎりのところでかわしていく。なんとか穏便に済まそうと思っているのだけれど、ちらりとテーブルを見やると伯爵が「真面目にやれ」という顔でにらみつけてきた。怖いよ冷血卿。隣にいるお嬢様を見なよ。ハラハラした顔でハンカチをぎゅっと握りしめているじゃないか。
「お父様、ごめんなさい。今すぐ試合を止めましょう。これではレイジが死んでしまいます」
「大丈夫です、エヴァ。むしろちゃんと見なさい。あと5秒で終わりますよ。5、4……」
はい、あと「5秒で終わらせろ」ということですね。わかります。
「3」
「ぬうん!」
縦に振り下ろされた大剣を僕は身体半分ひねってかわすと、剣は地面にめり込んだ。キャァ、という悲鳴はメイドさんたちから上がったものと、芝生を管理する庭師から上がったものとの2種類があった。
「2」
「失礼しまーす」
僕はマクシムさんの懐に飛び込んだ。
その接近を易々と許すマクシムさんでもない。すぐに剣から手を離すとプロテクターのついた腕を振ってパンチを見舞ってくる。
「1」
僕はそのパンチを両手で——もろに受け止めた。
う、すっげぇ力……。
僕の身体は人形でも放り投げるように横へと吹っ飛ばされる。お嬢様が甲高い叫び声を上げる——のだが、僕は両手を地面に突いて側転してキレイに着地した。
「いっつう……しびれたしびれた」
「…………」
マクシムさんはきょとんとした顔で僕を見ていたけれど、その顔のまま横へと倒れ、動かなくなった。
保育園の登園自粛により、我が家は今大混乱です(車に避難して在宅ワーク)。




