29
残酷な表現があります。
「これで終わり」
いつの間にかクリスタの掲げていた火球は、自動車3台分ほどにまでなっていた。
竜は息も絶え絶えという感じで、ぐったりとしている。
「全員逃げろ! 巻き添えを食うぞ!」
ダンテスさんの声に僕はハッとする。これを叩きつけたら、確かに竜を倒せるかもしれないけれど僕らにだって被害が出る。
クリスタは冒険者や領兵の避難なんてまるで気にせず、竜に向かってその火球を放り投げる——瞬間、
「竜が!」
目を開いた。
カッ、と口から放射された炎はこれまでの何倍もの威力で——なんと竜自身の身体を前方へと突っ込ませたのだ。
「なに!」
それはクリスタがやっていたことと同じ、爆発による加速だ。だけれどなんのコントロールもなされていない爆発ならば当然、竜だって無事では済まない。
だというのに竜はその賭けに出た。
手負いの獣は恐ろしい——僕らが注意に注意を重ねてきたこと。
竜の身体は、クリスタが放ったばかりの大火球に激突する。当然起きる大爆発は竜もろともクリスタを包み込む——。
カッ、ととてつもない光がほとばしった。
衝撃波が走り、爆炎が領都を燃やす。
大爆発の直前に、僕は建物からさらに距離を稼いで離れていた。だというのに爆炎と爆風は建物と建物の間を伝い、僕の身体をすくい上げる。
「うわっ、たっ!?」
引火はしなかったものの爆風によって吹き飛ばされた僕は、5メートルくらい飛んでから石畳に激突。ゴロゴロゴロッと転がった。
痛い……手足がバラバラになったんじゃないかっていうくらいの痛みと、ジンジンするような麻痺を全身で感じる。僕はほんのわずかに回復魔法を発動させ——できる限り魔力を残しておきたかったからだ、重傷者を治療したほうがいいから——のろのろと立ち上がった。
耳が、キーンとして音を拾わない。鼓膜が破れたわけではないだろうけれど一時的に耳が利かなくなっていた。
石畳にはがれきが飛散していて煙と砂埃のせいで見通しは悪かった。僕がさっきまで隠れていた建物は半壊していた。
その建物をぐるり回って、戦闘のあった場所へ戻ってきた僕は——言葉を失った。
直径30メートルほどに渡ってクレーター状にえぐられ、地面が露出していた。
崩れた建物でわずかに残った壁面に、血反吐のようにへばりついているのは冒険者か、あるいは領兵の死体だろうか——見ても吐くだけだろうから僕はそちらを努めて見ないようにした。
離れた場所にはがれきが山のように積み上がっており、喉を反らせて竜が倒れている。鱗のほとんどは剥がれ落ち、その身体は血まみれだった。
「くっ、この、下等生物が……!」
僕はどきりとした。
耳がようやく音を拾い始めたと思うと、そんな言葉を耳にしたからだ。
声が聞こえてきたのは上空からだ。見上げると、ボロボロのマントをはためかせ、服も半分焼け落ち血だらけの肌を露出させたクリスタが落ちてくるのだ。
ボッ、と小さい【火魔法】を起動して着地の衝撃を和らげると、彼は地面に降り立った。瞬間、がくりと地面に膝をついた。髪も焦げ、顔も煤だらけ。もとの怜悧な美貌はどこにもなかった。
「はぁ、はぁ、はぁっ……最後の最後で自爆とは、ますますもって理解しがたい……! 竜など滅びてしまえばいいのだ!」
悪態を吐きながらクリスタはよろりと立ち上がると、倒れて動かない竜の前へ進む。
「まったく手こずらせて……私は『紅蓮の竜殺し』だぞ! このっ、この!」
振り上げた足で、竜の巨大な腹を蹴る。ただ壁を蹴っているだけにしか見えないけれど、クリスタにとっては相手が無反応であってもいいんだろう、ただの腹いせなのだから。
「ふー……領兵はどこだ? まったく、この程度の戦闘でいなくなるとは、情けないことこの上ない。私は二度と、こんな田舎での仕事を請けんぞ……は?」
そのときクリスタの身体はぴたりと止まった。
僕はその一部始終を見ていたけれど、声を上げることすらかなわなかった。
なぜなら、彼の動きはあまりに速く、そして僕もまったく予想していなかったことだったからだ。
「見つけたぜぇ……クリスタ=ラ=クリスタァ……!!」
クリスタのお腹を串刺しにして、1本の腕が生えていた。
毛むくじゃらのその腕は——ついさっき、僕の頭を抱え込んで「サンキューな」と言ってくれたライキラさんのものだった。
物陰に潜んでいたらしいライキラさんは、この瞬間をずっと待ち続けていたんだろう。クリスタが竜を倒すのを。そして慢心し、油断するのを。
仲間の仇を討つチャンスを——。
「ごぼっ」
クリスタの口から血があふれ出る。【森羅万象】を通して見なくとも、もはやクリスタは死の数歩手前であることは明らかだった。
「ライキラさん!!」
だけれど僕は叫んでいた。
ライキラさんがやってしまったことを咎めるためじゃない。
僕の【森羅万象】はもうひとつのことも報せてくれていたからだ。
「レイジ……俺は」
「竜はまだ生きてます——」
僕を見たライキラさんの顔は、なんて言ったらいいだろう。間違いを指摘されて戸惑う少年のようでもあり、やらなければならない勤めをすべて果たした修行僧のようでもあり——なぜだろう、救いを求める罪人のようですらあった。
竜の前足が、ライキラさんとクリスタの身体をふたつまとめて引きちぎり、ふたりの上半身は吹っ飛んだ。
僕は叫び出したかった。どうすればこのバカみたいな悲劇を避けられたのか、自問自答したかった。誰かの胸にすがりついて泣き出したかった。
でも僕はそのどれもできなかった。
「い、や……」
がらがらがらと、がれきを崩して起き上がった竜は、
「いやあああああああっ!!」
最も近くにやってきていたハーフリングを見た。
その人は、買い物帰りなのだろう、両手にいっぱいのカゴを持っていた。保存の利く食材や、香辛料の入った瓶が積まれている。これからの旅路に必要なものがめいっぱい詰まっていたのだ。
だけれど彼女は——ミミノさんはそれを取り落とし、叫んだ。ライキラさんの最期を目の当たりにしてしまったショックで。
竜の気を惹くには十分過ぎた。
ミミノさんは竜にも気づけないで、頭を抱えてしゃがみ込む。竜の口が開いても、その奥に光が集まっても気づかない。
ミミノさんが、焼かれてしまう。
「う、おおおおおおおおおお!!」
僕は走り出した。【疾走術】では間に合わない。でもこれを助走として、【火魔法】を足元で爆発させると信じられない加速が生まれる。周囲の景色が溶けたと思うと目の前にはもう竜の顔があった。
これを、自由自在にやってのけたのだから天銀級冒険者はすごい。
「だあああ!!!!!!!!」
僕の動きはライキラさんが見せた動きの完璧なコピーだった。蹴りが、竜の顔にめり込んで、さらには追い打ちで仕掛けた【火魔法】が自動車サイズのその顔を向こうへと吹き飛ばす。
僕の足に、ヒビが入ったらしいと【森羅万象】が教えてくれる。
《……お前は、屋根の上にいた……?》
体力は、ほぼ限界だ。魔力も今のでほとんど使い切った。
「ミミノさん……ミミノさん!」
「……レイジくん?」
「お願いです。逃げてください。あなただけでも、お願いだから……」
僕は彼女の前で、両手を広げた。こんな薄い身体で守り切れるわけもないことはわかっている。でも、それでも、やらなければならなかった。
「だ、ダメだべな、レイジくん! 君が逃げ——」
「竜はあともう少しで倒せると、援軍に伝えてください」
最後に残っていた魔力を使って【火魔法】を発動させた。ボンッ、という音とともにミミノさんが吹っ飛んで、僕の身体は逆に——竜のほうへと転がった。
「レイジくん——!!!!!」
「離れて、ミミノさん!」
ノンさんの声が聞こえた。近くに、いたのかな。ミミノさんを押さえてくれたのなら万々歳だ。
正真正銘、もうすっからかんだ。
だけれど僕はやりきった。
《……お前の身体に星10の天賦が……? いや、構うものか。ここで息絶えよ、小さく、勇敢な者よ……》
竜が口を開いたときには、僕の意識は闇に落ちていた。
やりきったのだ。
きっと、僕の最期は笑顔を浮かべていたに違いない。




