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限界超えの天賦《スキル》は、転生者にしか扱えない ー オーバーリミット・スキルホルダー  作者: 三上康明
エピローグ オーバーリミット・スキルホルダー

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エピローグ オーバーリミット・スキルホルダー

     ★  エヴァ=スィリーズ  ★




 クルヴァーン聖王国、スィリーズ伯爵邸には夜明け前から多くの人々の出入りがあった。

 屋敷内は夜通し明かりが灯され、今日という日の準備に追われている。

 主役であるエヴァ=スィリーズもまた夜明け前に起こされ、朝の沐浴、神への祈り、肌の手入れに髪のメイクアップと、大量のスケジュールをこなしていた。


「…………」


 メイドたちによって少しずつ、少しずつ、完成形(・・・)へと近づいていくエヴァ。

 彼女を見たメイドたちは「ほぅ……」とため息を吐いた。

 それほどまでに彼女は、今日の主役は、輝かんばかりの美しさだったからだ。

 ただ当の本人はそれほど自覚がないというだけで——。


(ようやく、今日が来たのだわ)


 この日が来るのをどれほど待ち望んでいただろうか。

 レイジと出会ったのは11歳のときだった。

 あのときはなんとも思わず——ただ「同年代の男の子を護衛だなんて、お父様はどうかしている」くらいにしか思わなかった。

 そんなレイジが使える(・・・)とわかったのは、彼が自分のワガママに応えてくれるとわかったからだ。

 木登りや下町の視察、それに奴隷商撲滅活動まで。

 こんなに便利な護衛がいてくれてラッキー! と思いつつ、一方で彼がどんな人間でどうやったらこの年でこんな力を身につけられるのかが不思議だった。

 不思議と言えば、彼は父のスィリーズ伯爵と対等(・・)に話していると感じたときだ。

 最初は「不思議」にしか思わなかったが、日を追うにつれて、なぜ父と対等なのがレイジで、自分ではないのかと思うようになった——それが「嫉妬」という感情なのだと気づくのには結構時間が掛かった。

 同時に、レイジを、ひとりの男の子として強烈に意識するようになっていった。

 その後に起きた「新芽と新月の晩餐会」、クルヴシュラト聖王太子の暗殺未遂、「天賦珠玉授与式」での調停者との戦闘、さらにはウロボロス災禍。

 すべての中心にレイジがいた。

 彼は、エヴァの想像を軽々と超えていく能力を発揮した。

 そうして——エヴァと父の間にあった秘密にたどり着き、契約魔術を破棄し、エヴァとスィリーズ伯爵をほんとうの意味で対等(・・)にし——。


(……聖王都を追われた)


 レイジは自分を、聖王都から連れ出してくれるのだと思っていた。

 それが突き放されたように感じた。

 レイジの言った、


『伯爵とあなたはたったふたりの父娘です』


 という言葉が胸に刺さった。

 そのとおりだった。対等になれた今だからこそ、エヴァが父のもとに戻らなければいけないことはわかっていた。

 だけれどエヴァはこうも思った。


 ——それならあなたは、ひとりぼっちなのだわ。


 と。

 でもそれを言ってはいけなかった。

 レイジがいつか連れ出してくれると「約束」してくれたからではなかった。

 レイジが、ようやく自分を対等の少女として扱ってくれたから。


(あなたのことを想わない日はなかったのよ)


 離れる、ということがつらいことを初めて知った。

 離れる、ということが不安になることだと初めて知った。

 離れる、ということがレイジへの好意を知るきっかけになった。

 それから世界では多くの事件が起き、レイジが「消えた」と聞いては我を失うほどに心配したし、レフ魔導帝国でひと目見られたときには心が躍って仕方がなかった。

 まあ、あんなにキレイな()がいるなんて知らなかったし、ハイエルフの王族なんていう少女がパーティーに加わったなんていうのもやきもきする原因にはなったけれど。

 そんな彼が——女神との戦いで昏睡状態に陥ったと聞いたときには、「信じられない」という思いが先に立った。

 レイジが目を覚ますまでの1年は、思い出そうにも記憶が抜け落ちているのではというくらい覚えていない。

 仕事に忙殺されていたとも言えるし、このままレイジが目を覚まさないのではという不安に押しつぶされそうだったとも言える。


(目を覚ましてくれて……ほんとうによかった)


 報せを聞いて、灰色だった世界が急に色づいたように感じられた。

 レイジが生きていてくれる、それだけでよかった。

 ましてや自分に好意を伝えてくれるなんて——考えてもみなかった。


「——お嬢様、下準備が整いました。お食事の後に、婚礼ドレスにお着替えいただき、大聖堂へと向かいます」


 メイド長の言葉に、エヴァは立ち上がる。

 朝食の準備はすでに整っており、食堂に入ると父のスィリーズ伯爵が待っていた。

 父は、エヴァの姿を見てハッとしたような顔になったけれど、すぐに微笑んだ。


「……とてもきれいですよ、エヴァ」

「ありがとうございます、お父様」


 父と娘、ふたりの食卓は静かだったが、聖王国の政権中枢にいて多忙を極めるスィリーズ伯爵は、それでも、なるべく時間を作ってエヴァとともに過ごした。


「……アデールに、どんどん似てきますね」

「お母様に、ですか」


 エヴァの「鼓舞の魔瞳」が暴発したことで、母のアデールは赤ん坊だったエヴァに傷を負わせてしまった。それを苦にしたアデールは、もともと産後の状態も悪かったことから亡くなってしまった。

 一連の事件こそが父娘の間で契約魔術を使うことになった原因でもあったが——こうして父から、母の話を聞くことはめったになかった。


「私たちの結婚式もよく晴れていました。……まさかこうして、娘の結婚式を見ることになるとは。時間が経つのは早いですね」

「お父様はまだまだお若いでしょう」


 エヴァの目にはスィリーズ伯爵はまだまだ若く見えるし、それは貴族の社交界でも同じことを聞けた。「スィリーズ伯爵の若さの秘密は国家機密に値する」なんて言うマダムの多いこと。

 いまだにスィリーズ伯爵の後妻になりたいと願う令嬢も多いのだが、今まではエヴァがいたから遠慮していたフシがある。


「今後が心配ですわ」

「私の心配ですか? そうですか、エヴァに心配されるのも悪くありませんね」

「茶化しているのではありませんよ」

「わかっていますよ。……それよりもエヴァは、レイジさんを心配なさったほうがよろしい」

「…………」


 結婚式当日だというのに、レイジが聖王都に入ったという情報が入ってこない。

 優秀な連絡員(・・・・・・)が屋敷には常駐しているので、連絡漏れということはないだろう。

 レイジのことだからこういうことになるんじゃないかという気はしていた。

 その理由が、「聖王国僻地の開拓村を救いに行く」というのだから止めることもできない。


「大丈夫ですよ、お父様。レイジは必ず間に合いますわ」

「!」


 にこりと微笑んだ娘に、父は固まり、そして、


「……そうですか」


 寂しそうに微笑んだ。

 それは父よりも深い信頼を寄せる相手を見つけた、娘に対する寂しさかもしれなかった。




 聖王都クルヴァーニュの中心に聖王宮はあり、それを囲むように「1の壁」が存在する。壁は「8の壁」まであるが、「1の壁」と「2の壁」の間にある区画は「第1聖区」と呼ばれている。

「第1聖区」は国の中枢である施設が多いために貴族と、そこで働く者の出入りしかできない。

 そのためにふだんは閑散としているのだが——今日ばかりは多くの馬車でごったがえしていた。

 各地から貴族が集まっているのだ。

 国内だけでなく国外からの賓客も多い。

 聖女王の信頼厚く、内務大臣を務めるスィリーズ伯爵の娘にして、聖王国社交界の「華」とも言われるエヴァ=スィリーズ。

「五英雄」のひとりにして各国上層部ならば知っている女神討伐の立役者レイジ。

 このふたりの結婚式が行われるというのだから。

 だが、その結婚式が行われる大聖堂内部は外の喧噪も届かず静かだった。


「あわわわわわ、エヴァ様、おおおおおきれいですすすすう〜〜!」


 控え室にいたエヴァのところへとやってきたのは、ミラ=ミュール。「熊辺境伯」と名高いミュール辺境伯の娘だ。

 目をキラキラさせて、婚礼ドレスに着替えたエヴァへと駈け寄っている。


「……ミラ、あなた、また転びますわよ。落ち着きなさい」


 呆れた顔をしているのはシャルロット=フレーズ。

 フレーズ侯爵家の娘で、エヴァ、ミラとともに「新芽と新月の晩餐会」に参加した同い年の少女だ。


「いや、ほんとうにおきれいだべな」

「……あ、と、入ってもよかったかな?」


 それに続いたのは同じく同年齢のハーフリング、エタン=エベーニュに聖王太子クルヴシュラトだった。

 ここにロズィエ公爵家のルイがいれば「新芽と新月の晩餐会」に参加し、同じテーブルを囲んだメンバーと同じになるのだが——彼はすでに亡くなった。

 5年以上も前のことで彼らは思い出すこともあまりなくなっていた。

 彼らは成長し、背も伸び、大人びた装いに身を包んでいる。

 そして関係性も変わった。

 シャルロットはエタンと婚約をしているし、クルヴシュラトは「聖王太子」の肩書きを返上し——これはルイが死んだことと関係しているかもしれなかったが——今では地方貴族として活動している。

 変わらないのはミラだけで、辺境の地で、相変わらず暴れ回っている父の手綱を握っていた。


「もちろんですわ。あとは時間を待つだけですから」


 にこりと微笑んだエヴァに、エタンは一瞬目を奪われ、シャルロットからひじ鉄を食らっている。


「け、け、結婚しちゃうんですねぇ……」

「ミ、ミラ様、涙を拭いてくださいませ。せっかくのお化粧が台無しになってしまいますわ」

「……ときにエヴァ様。『天銀勇者(ミスリルブレイヴ)』殿の姿が見当たらないようですが……」


 クルヴシュラトがきょろきょろすると、


「まだ来ていませんわ」

「え……? 式はそろそろ始まるのでは……」

「ごめんなさいぃぃ! パパの動きが遅いばっかりに……帰ったら叱らなきゃ」

「だ、大丈夫ですわ、ミラ様。ミュール辺境伯にはモンスター討伐後の後始末をお願いしているので……討伐に向かったのはレイジの希望でもありますから」


 レイジが戦っていたのは辺境ではあったがミュール辺境伯領ではなく、その隣だった。

 だが機動力の高い部隊を持っているのはミュール辺境伯しかおらず、「銀の天秤」はあらかじめミュール辺境伯に戦闘後の後始末を依頼していた。

 ちなみに言えばそういうときに動けるのがダークエルフ部隊だった。

 彼らは武闘派で鳴らす辺境伯領にありながらめきめきと頭角を現し、今では領地まで与えられている。


「結婚式直前までモンスター討伐かぁ……」

「英雄の名は伊達ではないんだべな」

「あら? エタン様も研究の虫でわたくしへの手紙の返事もほとんどくださらないではありませんか?」

「あ、あははは……」


 結婚前からエタンはすでにシャルロットの尻に敷かれているようだった。

 とはいえ女神騒動では聖女王支持に回ったエベーニュ公爵家のエタンと、財力のあるフレーズ侯爵家のシャルロットのふたりの婚約は、貴族たちにとってもビッグニュースだったりする。


 ゴーン……ゴーン……。


 鐘が鳴る。

 いよいよ、聖堂が解放され、多くの客が入場してくる。


「——聖女王陛下おなり——」

「——エベーニュ公爵家当主——」

「——キースグラン連邦ヴァルハラ市長——」

「——ヴァルハラ市ギルドマスターグルジオ様おなり——」


 来客を告げる声がここまで聞こえてくると、クルヴシュラトが頬を引きつらせた。


「す、すごい人たちが来ていますね」

「ええ。すべてレイジの……『五英雄』の威光によるものですけれど」

「そんなことはないでしょう。聡明なエヴァ様がすでに我が国の政治において重要な役割を果たしていることは、貴族なら誰しもが知っています」

「ふふ。フォローありがとうございますわ。ですがレイジの活躍にすこしでもあやかろうという動きがあるのは事実ですわ。それにわたくし、それくらいでいいと思いますの」

「……え?」

「プレッシャーを感じるくらいが……追いかける背中があるということは、それだけで燃えますから」


 そのとききらりと光ったエヴァの瞳に、クルヴシュラトは一瞬見とれた。

 きっとスィリーズ伯爵がここにいればこう思ったに違いない——何年も前の、そう、レイジと出会ったときのエヴァの顔に戻っていると。


「やあ、ここにいたのか。今日の花嫁は美しいですな」

「! これは……!」


 思いがけぬ来客が控え室に現れ、エヴァは立ち上がった。

 でっぷりと太った、司教の格好をした老人だ。


「トマソン枢機卿、本日は式の執行をお引き受けいただき誠に……」

「ああ、ああ、いい、いいから。顔を上げなさい。こんな老人にへいこら頭を下げるものじゃないよ」


 トマソンは教会に籍が戻っており、教皇たっての希望で枢機卿にまた着任していた。

 そんな彼が、レイジとエヴァの結婚式を執り行う神父をやると言い出し、持ち前の実行力でここにいるというわけだった。


「たまには現場の仕事もせんと、聖句も忘れてしまうからな」


 相変わらずのざっくばらんな言い振りだったが、トマソン枢機卿とあまり接点のなかったエヴァはもとより、教会のナンバー2である彼を前に同い年の4人は緊張している。


「それより——まだ来とらんのか? 君の花婿は」

「はい」

「ふうむ、こんなに美しい花嫁を心配させるとは。説教のひとつもせねばならん」

「いえ、心配はしておりませんわ。レイジは必ず(・・)来ますから」

「……ほう」


 確信めいた物言いに、トマソン枢機卿は目を瞬かせた。

 そこへ、


「——お嬢様〜。エヴァお嬢様〜」


 走ってくる、声。

 エヴァや他の貴族子女だけでなくトマソン枢機卿にももちろん護衛がついており、彼らが警戒心をみなぎらせる。


「問題ありませんわ。あの方は、当家の有能な連絡員(・・・・・・)ですから」

「連絡員?」


 ミラがきょとんとすると、


「ええ……なにかいい報せだと思いますけれど」


 部屋に飛び込んで来たのは礼服を着てはいるものの、着崩している女性。

 あわてふためているところは、なんというかいつもどおりの——ゼリィだった。


「エヴァお嬢様! 連絡きたっすよ、坊ちゃんから!」

「レイジはいつ到着すると?」

「そ、それが——」


 ゼリィは人差し指を上に向けた。


「もう来てる、って」

「……もう? どこに?」

「さ、さあ、それは……」


 ゼリィもまた首をかしげたときだった。

 部屋が不意に暗くなった。


「あ、あれを見るベな!?」


 エタンが窓から外を見て叫ぶ。

 そこには——聖王都上空には、巨大な影があったのだ。




 エヴァは走った。

 あそこにレイジがいるのは間違いないと信じていた。

 聖堂から外に出ると、馬車で混み合っており、降りた貴族たちもかなりの数だった。

 そんな彼らは一様に見上げていた——巨大な影、魔導飛行船を。


「『豊穣ノ空』……!」


 エヴァも、乗ったことがある。

 行方不明になったレイジを捜しに向かったレフ魔導帝国で。

 帝国が今もなお誇る、世界最大の魔導飛行船が「豊穣ノ空」だ。


「……ふふふ」

「エ、エヴァ様?」


 思わず笑い出したエヴァに、追いついたミラが首をかしげる。

 周囲ではあれが「敵襲ではないか」として大騒ぎになっているのに。


「ミラ様」

「は、はい」

「確かに……我が夫となる人物は、英雄と呼ばれるのにふさわしいかもしれませんわ」


 だって、とエヴァは付け加える。


「『豊穣ノ空』を馬車代わり(・・・・・)に使える者なんて、この世界に何人いるでしょうか」



     ★  ラルク  ★



 懐から懐中時計を取り出し、確認した少女は——強い風に長い金髪をなびかせていた。


「お嬢〜。そんな寒いところにいねえで、焚き火に当たったらどうだい。こんなに冷てえ風は身体に毒だ」

「……そうだね。っていうか『お嬢』はもう止めろっつの。あたしだってもういい年なんだぞ」


 そこは山肌の露出したとある山脈だった。

 彼女、ラルクが見つめていたのは東——クルヴァーン聖王国のある方角だ。


「あ、今日はレイジの結婚式か」


 ふと気づいたようにクックが言った。

 山の洞窟は風よけにはちょうどよく、焚き火が燃えている。

 仲間たちがお茶を淹れていた。


「……ん、まあな」


 今ごろ、式が始まっているだろう。

 ラルクもレイジから式への参列を誘われていたけれど、こうして遠く離れた場所に、今、いる。


「行きゃよかったのに。そんなに寂しそうな顔するくれえなら」

「うるせえ、黙ってろ」

「へいへい」


 クックが離れると、焚き火の前でラルクは座り込んだ。


 ——ノリ悪いぞー! つまんなーい!

 ——いやそんなわかりやすく唇を尖らせられましても。

 ——見たくない? 見たくない?

 ——わかったよ、わかったわかった、見たい見たい、見たいからこめかみに拳を当てないで。ぐりぐりしないで。痛たたたたたっ!?

 ——ふふっ、素直がいちばんよ、弟くん。


 目をつぶって思い出されるのは、いつだって、ふたりが「姉弟」として暮らしていた鉱山でのことだった。


「……今さら、姉ってガラじゃないよ」


 鉱山を出て、レイジと離れて過ごす時間が長くなって——再会したときにはレイジはすっかり大人びていた。

 うれしさよりも、彼の周りにすでに多くの人間がいることに嫉妬した。

 だから、だろう。

 自分をもっと見て欲しくて、自分にもっと頼って欲しくて、ラルクは肉体に深刻な負担があるのを知りつつ【影王魔剣術】を使った。


「……最後はその弟くんに救われたんだから、笑えないよなぁ……」


 天賦を引き抜いて、代わりに視力を失った。

 それから視力を取り戻すことができて——あの港が見える丘で、レイジを見たときに初めて自分の想いに向き合った。

 もう、弟くんは弟じゃない。

 ひとりの男としてしか見られなかった。

 だけれどその想いを伝えるには、「姉弟」というつながりが重かった。

 レイジがエヴァを選んで——「悲しい」よりもどこかホッとしている自分もいたのだ。

 でもホッとした自分に腹が立って、次は寂しくなって。

 自分を持て余したラルクはこうして世界各地を回る旅に出た。


「お嬢、ゴルちゃん呼んでもらえます? もうちょっと『カニオン』のほうを調べたいんすよね」

「あ、ああ……いいよ」


 ゴルちゃん、とは金色の竜——ゴールドドラゴンのことだ。

 あれからラルクと行動をともにするようになり、今もこうして旅に付き合ってくれている。

 もの好きなヤツだとラルクは思っている。

 どうせ旅をするのならついでに——と、ラルクたちが今やっていることがあった。

 未開の地「カニオン」を含む、未探査地域の測量だった。


「ちょっと待ってな」


 ラルクは立ち上がり、温まった身体で外へと出る。


「おーい、ゴル!」


 遠くを悠々と飛んでいる金色の竜に、ラルクは手を振った。


 ——今から弟くん(・・・)のところに連れてってくれ!


 と、言えるようになるのは——まだまだ先だろう。

 ラルクの感情が、想いが、落ち着いてからのことになるはずだ。


「……まあいいさ。あんなクソッタレな鉱山で出会ったあたしたちだ。いつだってまた会える」


 つぶやくと、こちらへ向かって飛んでくる人なつっこい竜に、ラルクはもう一度大きく手を振った。



     ★



「ほ、ほんとうにここから行くんですか!?」

「あ、はい。お世話になりました、ルルシャさん、アバ局長」


「豊穣ノ空」の甲板に人はいない。

 それもそうだ、今、この巨大魔導飛行船は航空中なのだから。

 びゅうびゅう吹きつける風のために、渉外局の局長——今年副局長から昇進したという——アバさんに支えられながら、ルルシャさんは心配そうな顔をしていた。

 まあ、そりゃね。

 ここから飛び降りる(・・・・・)って言ったらね。


「……レ、レイジ、俺たちは後からゆっくり行くぞ……?」

「お父さん、今さらなにを言ってるんですか。聖王都郊外に着陸していたら何時間もかかりますよ」

「し、しかしだな、こんな格好で飛び降りるなんて……」


 僕は婚礼用の礼服、ダンテスさんやノンさんも武装を解いてドレスを着込んでいた。


「ミミノさんをしっかりお願いね」

「わ、わかったよ、ノン……」


 高所恐怖症のミミノさんはすでに気を失っており、ダンテスさんの背中にくくりつけられていた。


「——行きましょう」


 アーシャは落ち着き払っていた。

 彼女は【火魔法】以外にも魔法を使えるようになっていて、今は簡単な【風魔法】で空気の流れをコントロールしているために、彼女の長い髪はそよそよとなびいているくらいだった。


「皆様、ありがとうございました!」


 大声を上げて、ブリッジからこちらを見下ろしている人たちに頭を下げる。

「豊穣ノ空」の最高司令官に、その他クルーたち。

 さらには老齢の帝国皇帝もいた。

 いやぁ……ほんとうは、こういうこともあろうかと事前に「魔導飛行船、借りられませんか?」とお願いしていたのだけれど、まさか「豊穣ノ空」が来るとは思わなかったし、さらには皇帝陛下もいらっしゃるなんて……。

 アバさんからは「陛下の名代も結婚式には参列するから頼むよ」なんて言われるし。

 まあ、こんなこともあろうかと礼服一式をすぐに魔導飛行船に送れるように手配しておいた僕は成長した……成長、なのか? ますますよくない方向にいってないか?


(まあ……考えたところでしょうがないか)


 結婚式に遅れるわけにはいかない。

 それには空を飛ぶしかない。

 お願いできるのはレフ魔導帝国だけだった。


(……しょ、しょうがないよな)


 眼下の聖王都では騎士たちが走り回っているような気配があるし、事前通達をしていなかったせいか聖王国の発着場から魔導飛行船が2隻ほど離陸しているけれど——しょうがなかったこと、ということにしよう。

 僕らは甲板の手すりを超えて縁に立った。


「じゃ、魔法をかけますね」


【風魔法】の応用でアーシャが作ったものよりも強い——バリアのような空気の膜を作り出す。


「すごい……やっぱりレイジさんの魔法は私よりもずっと繊細で美しいですね」

「そんなことないですよ。アーシャほど魔力がないから工夫をしているだけで」

「レイジさん」

「はい?」


 アーシャはにこりと微笑んだ。


「私はレイジさんよりもずっと長生きをします。何百年も。もしかしたらもっと先まで。だから、私が寂しくないように……たくさん子どもを作ってくださいね?」

「ブッ」


 突然の言葉に思わず噴き出した。


「け、結婚式直前にそんなこと言わないでくださいよ」

「ふふふ。行きましょう」


 ぴょん、となんでもないことのようにアーシャは飛行船から飛び降りた。


「ちょっ、先に行かないで!? ノンさん、ダンテスさん、行きましょう!」

「はい」

「あ、ああ……」


 僕がアーシャを追って飛ぶと、ノンさんがダンテスさんの手を引いて飛び降りる。

 振り返ると、ブリッジの人たちが大騒ぎしている。

 ほんとうに飛んだのか? とか、すごい、とか言っているのだろうか。

 皇帝陛下だけは落ち着いてじっとこっちを見ていたけれど。


(おお……)


 眼下に広がっている聖王都。

 そして聖王宮の周囲に森がある。

 ウロボロスの出現によって破壊された場所はとっくに復旧されているけれど、まるで古傷が残っているかのようにそこだけ一直線に、不自然に、新しい建物が並んでいた。


(いろんなことがあったなぁ……)


 ほんとうに、いろんなことが。

 まさか自分が、17歳の花嫁を迎えることになるとは思わなかったけれど。

 これからもきっといろんなことが起きるんだろう。


(つらくて苦しいことも多いけど、僕は……転生してよかった。この世界に来られて、よかった)


 中央聖堂の建物がはっきり見える。馬車が右往左往しているのが見える。

 エヴァが——僕の花嫁が、まぶしそうにこちらを見上げているのが見える。

 こっちの世界でも婚礼用のドレスは純白なんだよね。

 髪をひとまとめにして、みずみずしい白の花で飾りつけている。


 ——無毒性。食用も可能。


【森羅万象】がそんなことを教えてくれる。

 食べられるんだ、いや、そんなことより。

 大きな赤い瞳。

 うっすら化粧をして、にこりと微笑んだエヴァ。

 ……可愛すぎないかな? うちの花嫁は。


「【風魔法】」


 上空50メートルくらいまで降りてくると、上昇気流を発生させて落下速度を遅くする。

 ノンさんもアーシャも、スカートの裾を押さえていて優雅ですらある——ダンテスさんは青い顔だけれど。


「——誰だあれは!?」

「——『五英雄』だ!!」

「——天銀がないぞ」


 僕らを中心にドーナツ状の空間ができていた。

 僕はそこに降りたって、服を整える。

 そしてエヴァのところへ——今日ばかりは世界一美しい、なんて言っちゃってもいいだろう——花嫁のところへ歩いていく。


「お待たせ」


 僕が言うと、エヴァは笑った。


「ええ、待ったのだわ——4年もね」

「行こうか」


 僕が腕を差し出すと、そこにほっそりとした手を絡めてエヴァが歩き出す。


「エヴァ様ぁ〜〜」


 なぜか(ほんとになんでだ?)泣いているミラ様が、ゼリィさんに支えられながら拍手をすると、その拍手の輪は広がっていった。

 みんな、中央聖堂へ向かう僕らのために道を空けてくれる。

 以前、僕が聖王都を出るときには力ずくで道を開いた。そうして僕は追放されるようにここを出て行った。

 今日は違う。みんなは今日僕を、僕たちを祝福してくれる。

 聖堂の入口にいたスィリーズ伯爵が難しい顔をしているけれど、間に合ったので許して欲しいところだ。

 僕は……ほんとに、結婚するんだなぁ。


「……ねえ、エヴァ」

「なにかしら?」

「幸せになろうね」

「!」


 横目で見ると、目を見開いた彼女は——頬を染めて、


「……当然、よ」


 と言った。

 正直、それだけで僕は十二分の幸せを感じたのだけれど——僕の人生はここでゴールじゃない。

 今日もまたひとつの始まりなんだ。

 晴海礼治としての記憶を思い出した鉱山事故とラルクとの別れ——あの日もひとつの始まりだった。

 ダンテスさん、ミミノさん、ノンさん、ライキラさんに出会った日も。

 ゼリィさんとともに街から逃げた日も。

 お嬢様と出会った日も。

 アーシャと出会った日も。

 すべてが始まりなんだ。


「緊張してる?」

「いいえ。どうしてかしら——あなたといっしょにいるから?」

「きっとそうだよ」


 僕とエヴァは聖堂へと足を踏み入れた。

 前途を祝福するかのように、聖堂内には午後の陽射しがさんさんと降り注いでいた。



     ★



     ★



     ★



 それからのことを——それよりずっと後の世界について、少しだけ記そう。

 スィリーズ伯爵家は子宝に恵まれ、多くの子孫がクルヴァーン聖王国に留まらず大陸の各地で活躍している。

 特に未開の地「カニオン」の調査では目覚ましい成果を見せたのだが、そんな彼らがバイブルとして扱っていたのが「カニオン調査記」というあるチームによる測量図だった。

 チームの中心人物はラルク=ハルミと名乗り、彼女たちの測量図によって「カニオン」の調査は数百年分前進したという。


 世界は安定しており、モンスターは相変わらず多いものの、暮らす人々との戦力は拮抗しており偏りは見られない。

 種族間の壁も高くはなくなり、交流も進んでいる。

 時折、黒髪黒目の赤子が生まれることがあった。

 いまだに、片田舎ではこういった特徴を持つ子を「災厄の子」だとして忌み嫌う偏見があったのだが——次第にそれも薄れていった。

 なぜかと言えば、黒髪黒目を持つ子が生まれた……というウワサが広まると、どこからともなく「精霊女王」という異名を持つハイエルフの女性が現れ、その子に祝福を与えるからだった。

 そして黒髪黒目の子が、男の子であれ女の子であれ、成長するまで陰ながら見守っていてくれるという。

 黒髪黒目の子は、他の子と変わらないふつうの子であることが多かった。

 だが100年に1度くらい——明らかに異質な子が現れた。

 人智を越えるような能力を持っていたのだ。

 この世界に、天賦珠玉がなくなってから久しい。

 スキルの枠が8つある、なんていう知識すらほとんどの人々が知らない。知る必要もなくなっている。

 だというのに人々は、そういった黒髪黒目の子をこう呼んだ。


 ——限界超えの天賦を(オーバーリミット・)扱える者(スキルホルダー)と。


 ハイエルフの女性は、こういった子をしっかりと導いて、世界を陰から支えられるような大人に成長させるべく協力を惜しまなかったという。


終わった……。結局最終話も1万字超えてるやんね。オーバーリミットノベルであったな(特になにも超えてない)。

長い間のご愛顧、誠にありがとうございました。

あと新作「メイドさん」も公開してるので読んでね。リンクは下にあります。

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― 新着の感想 ―
ラルクの場合、最初に姉弟分のレイジを切り捨てたから恋愛に発展しない
一気読み!楽しく拝読させていただきました。 三上康明様の益々のご活躍を祈念致しております!ありがとうございました。
[一言] 追い付いたと思ったら終わってた(笑 お見事でした。
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