ある女の死
★ HCf!kM*J-y1 ★
昨日のことを思い出せと言われれば、かなり正確なことを思い出せるだろう。
1年前のことを思い出せと言われれば、詳細はともかくそこそこ思い出せるだろう。
10年前のことを思い出せと言われれば、印象的な出来事でなければ難しいだろう。
では100年前だったら。
1千年前だったら。
——ほんと、【HCf!kM*J-y1】さんってすごいですよね。
——うんうん。頼りになる!
——今度、また相談お願いしてもいいですか?
彼女の脳裏にかすかに残っているのは、同じ、黒髪黒目の、20年ほど生きた者たちに囲まれた記憶。
囲まれること。
頼りにされること。
それは、心を満たし、彼女を幸せな気持ちにさせた。
——また明日!
——【HCf!kM*J-y1】さん、ちゃんと寝てくださいね。昨日も残業だったじゃないですか。
——そうそう、がんばりすぎですよ!
彼らと別れ、その後、その後——なにが起きたのだったか。
彼女は気づけば違う世界に転移していた。
それは不運だったが、幸運もあった。
彼女には天賦が与えられたのだ。
森の真ん中に放り出された彼女を生きながらえさせるほどには十分な天賦。
明らかに地球ではないこの世界で、彼女が生きていく上で頼りにするしかない唯一の天賦。
【不撓不屈】
彼女の気持ちが強ければ強いほど、あらゆることが叶えられた。
1週間の飢えをしのぐことも。
不治の病という老人を治療することも。
「剣聖」と呼ばれた剣客を倒すことも。
彼女はかつて「日本」というところにいたときの記憶を思い返し、頼られた記憶、満足した記憶で自身を強くした。
人々を感動させ、人々に感謝されると、彼女の天賦はさらに強くなった。
他者の「思い」もまた自分の力になると知った。
彼女は寿命さえも超越した。
彼女はやがてウワサになり、伝説になり、物語になった。
しかしやがて限界を知った。
世界の人口が、一定の数値から増えず、むしろ減少傾向にあったのだ。
この世界は崩壊に向かっていたのだ。
彼女は世界を救う方法を模索した。
そこで、自分に与えられた天賦について研究した。
天賦を、宝玉に閉じ込める方法を編み出した——その所業はヒト種族の限界をはるかに超越し、まさしく神の領域に足を踏み込んでいた。
気づけば彼女は、人々の間で「神」のように崇められていた。
集まった力は大きかった。
彼女は乾坤一擲の策を実行に移す。
世界を、分割する。
世界を、再構築する。
そのために2種族をピックアップした。
「竜」は「記憶を引き継ぎ種として永遠である」という力を与え、「幻想鬼人」には「超長命である」という力を与えた。
この2種は「調停者」として活動することになる。
世界を2つに割った彼女は——神とすら崇められた彼女は疲れ果て、長い長い眠りについた。
2つに割られた世界は混乱し、彼女を愛する者は消え、やがて忘れられたのだ。
長い長い年月が過ぎた。
調停者は盟約者を見守り、介入することなく過ごしていた。
盟約者たちは己の使命を種族の記憶に刻まれながらも、世界を再構築するという最終目標を知らぬままに過ごした。
2つに割られた世界の住人は「天賦珠玉」を使って、厳しい自然を相手に生き延びていた。
人口は、片方の世界で増加に転じ、片方の世界で減少が進んだ。
減少ぶんよりも増加のほうが大きかったのは幸いだった。
長い眠りの中で、女神は歯がゆく思いながら世界の移り変わりを見つめていた。
たまに、人々の見る夢の中に現れるくらいのことはできたが、それくらいのものだった。
2つに割られた世界も少しずつほころびが生じ、崩壊に向かった。
もはやこれまでかと思ったが、イレギュラー……自分と同じ転生者が世界をかき乱し、やがて世界は再構築の道をたどる。
安堵しつつも、女神は決意していた。
——自分の手でコントロールしなければ……放っておいたら、無知なる人々はまた世界を崩壊させてしまう。
彼女はやがて世界が1つに戻ったときに、自分の力がある程度戻ってくるよう設計していた。
そして復活するや、自らが再度女神となり、人々の信仰を集めるのだ——以前よりも多くなった人口は、きっと自分の力になる。
予想外のトラブルは多かったが最初の目的、人口減少を防ぎ、頭数を増やすという目的は達成できた。
彼女は、自分に力があり、そして自分が君臨し続ければこの世界を守ることができると考えていた。
——ほんと、【HCf!kM*J-y1】さんってすごいですよね。
そうだ、私はすごいのだ。
私だけがすごいのだ。
盟約者も調停者も頼りにはならなかった。
——うんうん。頼りになる!
そうだ、私を崇拝すればいいのだ。
力はすべて私に集めればいいのだ。
——今度、また相談お願いしてもいいですか?
人々の願いを叶え、争いのない世界を作るのは——この私だ。
「これで、終わりだ」
少年の声が聞こえてくる。
(どうして……)
魔法の発動を感じる。
(どうして……こんなことに)
彼女の脳裏によぎったのは、ひとりの人物だった。
★
残りの魔力をすべて使って、僕は「火炎嵐」を放った。
すべてを焼き尽くすつもりで。
さもなくばまた復活しそうな……そんな気がしたのだ。
轟、という音とともに火炎の竜巻が発生する。
女は叫び声を上げることもなくその炎に飲まれる。
僕の肌もひりつくほどに熱い。
「……ァ……」
人の姿を保っていられるのは後どれくらいか……というところで、女は口を開いた。
「……オモイハ、ツウズ……を……くれ、た……神なら…………天賦を……与えた、私は…………神では…………ない、の………………」
オモイハツウズ……思いは通ず?
なんのことだろう。
「…………………………」
炎が消えていく。
彼女を塵にして。
すでに跡形もなくその姿はなくなっていて——灰だけが巻き上げられて空間を飛んでいった。
残り火が消えるとそれすらも見えなくなった。
「…………」
まだ、復活するのではないか。
ひょっとしたら取りこぼした女神神殿があって、力を溜め込んでいるのではないか。
僕の知らないなにか秘策があるんじゃないか。
「…………」
僕は警戒を崩さないままその場に立っていた。
だけれどこの暗闇ではなにも動くものはなく、ただ静まり返っていた。
どこかに空洞があるのだろう空気の流れる音だけが耳についた。
「……終わった」
ぽつりとつぶやいてみたけれど、それはひどく現実感がなかった。
——ドォンッ。
「!」
低く響く音とともに地面が揺れた。
この空間に衝撃が走ったのだ。
なんだ?
もしかして、自分が死ねばこの空間が崩壊するみたいなトラップが?
だとしたら——もう魔力も体力も残ってない僕には相当ヤバイぞ。
——ドォンッ!!
次の衝撃はすぐそこで起きた。パラパラパラと砂が落ち、次にはがれきが降ってくる。
「に、逃げなきゃ——」
——ドォォォォンッ!!!!
離れた場所の天井が崩落した。
太陽の光が射し込む——そこへ、ぬっ、と巨大な顔が現れた。
《レイジ!!!!》
大気を震わせるその大声を、僕は聞いたことがあった。
それは、鱗で覆われた顔から発せられていた。
巨大な、年老いた竜だ。
「『薬理の賢者』様……?」
竜の姿をした賢者様は、空間を滑空すると僕の前へと降り立った。その風に煽られて僕はぺたんとその場に座ってしまう。
《レイジ、無事か》
「はい……なんとか。でもどうしてここに?」
《神殿を破壊したあと、空に変化があってな……その変化をたどっていくと、この場所に着いた。かすかに、女神様の気配が感じられたのだが》
「……斃しました」
すると巨大な竜は、目を見開いた。
《……そう、か。斃したか》
「はい……」
《ありがとう、レイジ。だが妙だな……我は女神様の気配がまだ消えていないように感じるのだ』
「!? なんですって!?」
まだ、生きてるのか?
なんてしぶとい!
顔を上げた僕に、賢者様は言う。
《我の背に乗れ、レイジ。その場所へ向かう》
「は、はい!」
わずかに回復した魔力もすぐに【回復魔法】に使うと、僕は賢者様の背に乗った。
崩落した天井から外に出ると、そこは山岳地帯だった。
山腹がえぐれているのは、賢者様が破壊したからだろう——よくよく観察すると石造りの古い神殿跡のようにも見える。
「空が……!」
先ほど賢者様の言っていた空の異変、というものがなんなのか、わかった。
黒い雲が立ちこめて、雷鳴が雲の間を走っている。
雲の切れ目は赤く、まるで血のように染まっている。
(女神は斃したのに……どうして……。もしかして斃せていないのか? いや、【森羅万象】も女神の存在は消えたと判断していたし……)
今、僕は自分が大陸のどこにいるのかわからなかったが——すぐにそれは知れた。
遠目に見えるのは巨大な湖、そして破壊された軍船。
湖畔にあるのは城のような大聖堂。
ブランストーク湖上国だ。
大聖堂のあちこちから、黒煙が立ち上っている。
《あそこだ。あの場所から女神様の気配を感じる》
「あ——」
僕は、気がついた。
そういうことか。
女神が、あの女がこだわっていたヒト種族があそこにいる。
「教皇聖下……!!」
地上に現れるときの依り代でもあった教皇聖下。
万が一があったときのために、彼女になにか仕掛けを施していたのなら——。
(また復活する気なのか!?)
執念。
思いは通ず、と言っていた。
背筋が冷たくなる。
ひょっとしたら、あの存在を斃すのは不可能なのかもしれない。
「——『銀の天秤』のみんなだ。あそこに降ろしてもらえますか!?」
《承知した》
湖畔の草原ではすでに戦いが終結していた。
黒い魔導生命体が影竜と戦うことを止め、逆に協働するようになれば、影竜たちを止められる者は神殿騎士にはいなかったのだろう。
騎士や警備兵はすでに武装解除され、影竜ににらまれ、心細そうに突っ立っていた。
その横にいたのが「銀の天秤」のみんなだ。
「ダンテスさん! ミミノさん! アーシャ!」
「薬理の賢者」様に乗って僕が降りていくと、また竜が増えたのかと神殿騎士たちがぎょっとしたような顔をする。
「レイジ! 無事だったか!」
「レイジくん!」
「よかった……!」
草原に降りると、足がふらついたけれど駈け寄ってきたダンテスさんが支えてくれた。
「レイジくん、ぼろぼろになって……これ飲んで、な?」
ミミノさんからポーションをもらって飲み干すと、身体がだいぶ軽くなる。
「ダンテスさん! 教皇聖下はどこですか!?」
「せ、聖下か? 中にいらっしゃるはずだが——」
「そちらに向かいます!!」
僕が走り出すと、ダンテスさんもついてくる。
「どうしたんだ。確か、エヴァ嬢も教皇聖下を確認すると言って中に行かれたぞ」
「!」
そうだ、ここにはエヴァ様とマクシム隊長たちがいない。
僕らは城門をくぐって敷地内に入った。
女神の影響が解けたのだろうか、呆然と立ち尽くす者、きょろきょろ周囲を見回す者も多い。
「あっちじゃ」
「!?『薬理の賢者』様!?」
地上1メートルくらいをツィーと滑るように浮きながら飛んできたのは、人型になった「薬理の賢者」様だった。
白髪とヒゲをなびかせて飛んでいる。
賢者様が指差したのは——この中心、大聖堂。
盟約を破棄したあの場所だった。
「わかりました……!!」
僕らは入口へと続く階段を駈け上がる。
すでに大きく開かれていた扉から、ホールへと飛び込んだ。
「——あ」
そこで、僕は見た。




