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「こっちだ、レイジ!」
ライキラさんが僕の腕をつかんで引っ張る。すさまじい勢いでふたりで横に転げていくと、直後には僕らがいた場所を一直線に炎が駈け抜けていく。日が出ている午前中だというのにさらに明るくなった直後、目が、明るさの変化について行けずに暗くなったように感じられる。
炎が焼いた石畳の地面は赤々としており、一部がどろりと溶けていた。
(これ、人間が食らったら一瞬で炭化してしまうのでは……)
僕はあわてて立ち上がろうとして——膝から崩れ落ちた。
「あ、あれ……?」
力が……入らない?
関節が壊れたかのように動かない。
(なんで、どうして!? これってもしかして……怖い、から……?)
僕はようやく思い知った。
今までの僕は、この出来事をどこか他人事のように考えていたのかもしれない。竜は災厄の象徴だけれど、僕には関係なく、強い誰かが戦って倒すのだろうと。それは僕の近くで行われるかもしれないけれど、僕が関与することはない。僕は転生者だし、手伝いはするけれど、この世界のことはこちらの住人ががんばればいい——。
屋根の上で竜を煽ったときにも心のどこかにそんな思いがあったんだ。だからあんなに大胆な行動もできた。
でも、竜は、完全に僕を殺す気で炎を吐いた。
このとき初めて僕は、竜が現実のもので、その殺意が僕に向いたことを知ったんだ。
「走れ! また来るぞ、レイジ!」
「…………」
「あとはオッサンや俺たちに任せて逃げとけ! ……おい、聞いてんのか!?」
僕は足が震えて立ち上がれなかった。
竜がもう一度口を開く——ところへ、
「おらぁぁっ!」
ヨーゼフさんが近づいて両手斧を振り下ろしていた。その一撃は竜の鱗にめりこむと、青白い火花を上げた。
「——クッソかてえ! 本気の一撃ぶち込んだのに、かすり傷か!」
「鱗の魔力を散らすんだ、ヨーゼフ!」
「どうやって!」
「魔法をありったけ撃ち込め!」
ヨーゼフさんとダンテスさんのやりとりを聞いた、魔法を使える冒険者たちが一斉に魔法を放つ。
赤、青、黄色といった様々な魔法が竜へと直撃する。それらが傷を与えることはなかったけれど、鱗にまとわりついていた魔力は消えて黄色の鱗があらわになる。
武器を手にした冒険者たちが殺到し、魔力の消えた場所へと斬り掛かる。すると鱗は、持ち前の硬度によっていくつもの攻撃を弾き返したけれど、いくつかは鱗を割って竜の体表から赤い血が垂れた。
「立って、レイジくん」
「あ……」
僕は両脇を抱えられて立ち上がらされていた。僕の後頭部に当たるやわらかな膨らみは、ふだんならばドキドキしたのだろうけれど、今はそんなことを考えている余裕もなくて。
振り返ると、ノンさんが真剣な表情で口を開く。
「ライキラさん、レイジくんは私が」
「頼んだ」
向こうでは竜が煩わしそうに身体を揺すると、尻尾を巻くように振り回し、冒険者たちをはね飛ばす。ヨーゼフさんはひらりとジャンプし、ダンテスさんは大剣を盾のようにナナメに立てて、尻尾の一撃を逸らして耐えた。
……あのふたりは次元が違う。
灰銀級になったという「永久の一番星」のメンバーも攻撃に加わっていた。他の冒険者たちよりは頭ひとつ抜きんでて強かったけれど、ヨーゼフさんたちにはかなわない。
「レイジくん、避難しましょう」
ライキラさんがジャンプする——その跳躍力は信じられないほどで、2メートルくらい跳んだと思うと竜の後ろ足を踏み台にしてまたジャンプ。
「オラァッ!」
炎を吐こうとしていた竜の顔を横から蹴り飛ばし、炎は不発となった。
だけれど、自動車ほどに大きな顔だ。ぎろりとにらみ、ライキラさんをターゲットとする——。
「レイジくん!」
肩を揺すぶられる。ノンさんが、いつもおっとりとしているノンさんが緊張をみなぎらせている。
「私たちは逃げましょう。ここにいても邪魔なだけですから」
「……はい」
そうだ。僕はここにいてもただの足手まとい。むしろ僕をかばってダンテスさんがケガをするなんてこともあるかもしれない。
戦闘現場に背を向けて、僕はノンさんとともに走り出した。
ノンさんは聖職者として働いていた人だけれど、この世界の聖職者は体力があってナンボみたいなところもあるので【森羅万象】でズルしている僕と同じかそれ以上には走れる。
周囲を見回すと、建物の窓は昼だというのに閉じられているのは中に避難しているからだろうか? 中に逃げ込むよりも遠くに離れたほうがいいと思うのだけれど、それを促す余裕も僕にはない。
非常時を報せるものなのだろう、ピリリリリリリリという笛の音があちこちで聞こえる。通りを走って逃げている人たちを領兵が誘導している。
——なにが起こったんだ。
——家よりデカイバケモノだ。
——どこに逃げりゃいいんだよ。
——知るか。なるべく離れろって。
青い顔で走っている人たちも多く、僕らはそこに紛れることになる。
「……レイジくん、よく聞いてください」
そこで足を止めたノンさんは、膝を折って僕と同じ目線になると僕の両肩をつかんだ。
「ここをまっすぐ行って、2つ目の交差点で右に行くと冒険者ギルドがあります。曲がったらずっと真っ直ぐ。いっしょに来たから、わかるでしょう?」
「……ノンさんは?」
それを言うということはノンさんとはここで別れるということに他ならない。
「私は戻ります。多くの人が傷ついているでしょうから、私のやれることをやります」
「でもっ」
「レイジくんはよくがんばってくれましたね。ここからは、大人の仕事です」
ノンさんはにっこりと笑ってみせた。
(なにが——大人だ)
ノンさんは僕が転生する前と同じ16歳だ。冒険者ギルドが10歳から登録できるように、この世界では10歳から働くのはわりとよくあることで、12歳ともなればふつうに働いて毎月給金をもらう。
16歳ともなれば立派な大人だ。お酒を飲んでも誰も文句を言わない。
(ノンさんが大人なら、僕だって大人だ)
そう言ったところで今信じてはくれないだろうし、ノンさんと違って僕が戦闘現場に戻ったところでなにができるのかということもある。
でも。
それでもさ。
ノンさん、僕の肩をつかむあなたの手が震えてるじゃないか。
「僕も行きます」
言うと、ノンさんはハッと息を呑んだ。
でも、彼女は、
「ダメです」
僕を引き寄せてぎゅっと抱きしめた。今までいちばん苦しいほどの抱擁だ。
「ひとつだけ言わせてください。私は、レイジくんが来てくれてよかったと思っていました……でもそれはレイジくんが考えているような理由ではないのです」
「……理由?」
「お父さん、ほんとうは石化の治療をあきらめていたんです。光天騎士王国のトップレベルの回復魔法使いでも治せるかどうかは難しいと、診断されていましたから」
「…………」
それは、そんな気がしていた。
ダンテスさんはどこか死ぬことを当然のものとして受け入れているように感じたことがあったからだ。今回の竜騒ぎでも、なんのためらいもなく立ち向かっていった。ヨーゼフさんみたいにこの街に守りたいものがあるとかそういうのじゃないのに。戦う理由なんてないのに。
「お父さんは、レイジくんが来てからというもの生き生きしていました。『あいつは物覚えがいい。教え甲斐がある』なんて言っていたんですよ? 私は同じようにうれしかったんです。レイジくんがいることで、お父さんが『生きる理由』を見つけてくれた気がして」
僕から身体を離したノンさんは、目尻に涙を浮かべていた。ああ——そうか。ノンさんもまた「覚悟」をしたのだ。戦闘現場に戻り治療を行うということ。それはいつ何時自分もまた死ぬかわからない場所に戻るということ……。
「ごめんなさい、レイジくん。私はあなたを利用していたんです」
「……これからももっと利用してください」
ノンさんは立ち上がった。
「2つ目の交差点で右です。いいですね?」
僕の言葉には、返事をくれなかった。
彼女は走り出した。ノンさんは向かったのだ、ダンテスさんが生き延びる可能性をほんの少しでも高めるために。
「冒険者ギルドで待っていますから! ずっと、ずっとみんなを待ってますからね!!」
僕は自分で自分を殴ってやりたかった。それしか言えない自分に。




