真打ち登場
★ 教会 ★
苦悶の表情を浮かべるグレンジードが、いったいなにと戦っているのかはわからなかった。
彼の心にどんな想いがあるのかも。
だが——拮抗はやがて破られる。
ふっ、とステンドグラスの光が弱まったように感じられた。
それをきっかけにしたかのように、教会の司祭が叫んだのだ。
「女神様こそ至高!! 女神様こそ唯一の信仰!!」
すると司祭の付き人たちも口々に叫ぶ。
「女神様こそが我らを救われる!」
「女神様!」
「女神様!」
スィリーズ伯爵も、彼の娘であるエヴァも、教会関係者がこんなふうに叫ぶことは想定もしていなかった。
彼らは精神干渉を受けていないはずだ。
だけれど、彼らは——信じていた。女神を信仰することこそが教会の地位を押し上げることを。
教会こそが世界に君臨する最高の権威になれることを。
「口を閉じよ! 今は聖王陛下が——」
「——よい、スィリーズ伯」
低く、唸るようなグレンジードの声に周囲は静まり返った。
声だけではなかった。
グレンジードの瞳は赤く充血し、涙が一筋——血が、一筋、目から流れていた。
額には寄生虫でもいるかのように太い血管が浮かび上がってはどくんどくんと動き、脂ぎった顔は土気色になっていた。
「くだらぬ言葉に耳を傾けるところであった。警備隊よ、スィリーズ伯、その娘エヴァ、その仲間たちを捕縛せよ」
「!!」
スィリーズ伯爵はその瞬間に悟った。
かすかに残っていた、これまでのグレンジードの自我のようなものが——消えた。
警備隊はためらいながらも縄を用意してスィリーズ伯爵やエヴァたちを縛り上げていく。
「陛下……」
なんと声を掛けていいかわからない。
もう、後戻りできないところまで来てしまったのだと、それだけを感じた。
「スィリーズ伯。貴様は我が聖王国における最優先の事業である女神様の神殿建造計画を意図的にサボタージュし、のみならず娘を使って神殿予定地を毀損しようとした。この罪は重い。死罪を言い渡す」
「……陛下」
「そんな! お父様!!」
エヴァが声を上げたが、グレンジードは腰に吊った剣をすらりと抜いた。
芸術品のように美しい刃がステンドグラスの、七色の光を吸って輝く——。
「死ね」
スィリーズ伯爵がぎゅっと瞳を閉じた、そのとき、ステンドグラスに染みのようにできた黒い影。
振り上げられた刃。
影はだんだんと大きくなっていく。
さすがのグレンジードも「おかしい」と感じ、振り返ると——影が、ステンドグラスに激突し、内側にガラスが割れた。
「おおおおおおおおおおおおおッ!!」
「——ッ!!」
とっさにグレンジードはそちらに剣を振るったが、その人物は空中で身体をひねると剣の軌道をかわし、靴底をグレンジードの額に向けた。
ゴツッ、という音とともに蹴りが入ると、グレンジードは真後ろに叩きつけられるように倒れ、侵入者は【風魔法】を発動しつつふわりと着地する。
「女神の使徒がこんなところにいるなんて……って、あれ!? グレンジード公爵!?」
その侵入者は、黒髪黒目の少年は、ぎょっとしたように叫んだ。
★
「女神の使徒」、という言葉はずばりそのままの意味だ。女神のために生き、女神のために死ぬ。それを無上の喜びとする者のことらしい。
僕が「女神の使徒」だと知って攻撃を加えた相手はグレンジード公爵だった。
仮にも一国の王だった人に蹴りをくれて、背後にブッ倒して、気絶させるなんて——こ、これ、もしかしなくとも不敬罪で死刑だよね? 不敬どころか反逆罪? どっちにしてもヤバイ!
「……あれ?」
僕が降り立ったのは教会のど真ん中、よく見るとすぐそこにスィリーズ伯爵がいて——この人のぽかんとした顔は初めて見たかもしれない——しかも縛られている。
その向こうには多くの兵士と、
「お嬢様!? それにアーシャ、ゼリィさん——」
「ナイスぅ! 坊ちゃん!」
ゼリィさんが縛られているというレアな光景を目撃したのだけれど、それも一瞬のことで、ゼリィさんは袖に忍ばせていた隠し刃でロープをぶつりと切ると唖然としている兵士たちの間を縫うように走る。
剣帯を切って走れば吊り下げられていた剣が落ち、兵士たちは混乱する。
「はあああああッ!」
アーシャはと言えば縄を【火魔法】で焼き切って、エヴァお嬢様、スィリーズ伯爵の縄も同様に焼き切っていく。
このときになると兵士たちも一斉に動き出す。
「へ、陛下!?」
「侵入者を討て!」
「逃がすな!!」
「坊ちゃん! 一発ぶっ放して!」
ゼリィさんが教会の入口に到達して、ドアを開け放つとこちらに手を振る。
「あ、はい」
なにがなんだかわからなかったけれど、僕は【風魔法】を両手で展開した。
ゴォッ——と暴風が吹き荒れ、スィリーズ伯爵、エヴァお嬢様、アーシャ、その後ろにいる小柄の人から教会入り口までを無風にし、兵士たちを左右に吹き飛ばす。
中には【風魔法】で抵抗しようとした兵士もいたけれど、強引に魔力でねじ伏せた。
「・・・・・!?」
「・・・!!」
「・・・・・・・・・!!!!!」
密閉された空間だと風のコントロールが難しい。
兵士たちは柔らかな顔の表面を引きつらせ、まぶたがまくれ上がり、頬が膨らんで唇の横からヨダレを垂らし、なんとか踏ん張ろうとするが動けない。
「・・・・・・!?!?!?!」
空気の逃げ道である教会入口にいるゼリィさんの顔も大変なことになっているし髪の毛は全部逆立っていたが、見なかったことにしよう。
「逃げましょう! ……で、いいんですよね?」
「助かります、レイジさん。ですが」
「——伯爵?」
スィリーズ伯爵は教会の入口ではない、逆へと歩いていく。
そこにあるのは砕け散ったステンドグラスと、落ちた剣と、倒れ伏したグレンジード公爵だけだ。
伯爵はグレンジード公爵の横に落ちていた剣を、手にした。
「……お父様。お父様ぁあああああ!!」
エヴァお嬢様が絶叫する。
その直後、伯爵は剣を振り下ろした。
剣の切っ先がグレンジード公爵の首を斬る——寸前、剣が跳ねた。
熱いものにでも触れたかのようにスィリーズ伯爵の手も上へと上がり、指から離れた剣は遠くへと飛んでいく。
「な、なにが……」
「伯爵! 逃げますよ!!」
「あ、ああ……」
呆然とする伯爵の背中をつかむとぐいと引いた。
明らかに、ほっとしたようなお嬢様だけでなくみんなが一斉に走り出す。
ふらふらしている、誰だかわからないもうひとりの女性だけは僕が両腕で抱えて走る。
暴風に煽られて転がり出ていたゼリィさんの後に続いて僕らが続く。
【風魔法】を切って扉を閉じると、【土魔法】を展開して扉を塞いだ。
(どうして、伯爵はグレンジード様を殺そうとしたんだ……? それにあの、弾けるような障壁は……)
そうして——僕らは逃亡した。
教会を出ると数人の兵士が待機していたのだけれど、彼らはすでにツタで縛られて転がされていた。
「レイジくん! こっちだべな!」
「ミミノさん!」
警備隊の馬を強奪したらしく、それに飛び乗って僕らは走り出す。
お嬢様もアーシャももちろん乗れる。
ゼリィさんは僕が抱え出した女性とともにどこかに消えていたけれど彼女なら問題ないだろう。
ただ——ミミノさんだけは背が低く馬に乗れておらず、僕が手を伸ばすとそれにつかまった。彼女を引き上げて僕の前に座らせる。
「あ、ありがとう!」
「ていうか、どっちへ逃げれば!?」
「聖王都を出ます」
僕の叫びには伯爵が即座に答えた。
先ほどの動揺から一転して、冷静さを取り戻している。
「アテがあるのですか」
「そうです。——レイジさん、前方を蹴散らしてください!」
「!!」
聖王都を出てなにがあるのか、とか、そもそも今はなにが起きてどうなっているのか、とか、聞きたいことは山ほどあったけれどそれは後回し。
前方は柵でバリケードが組まれており、10人程度の兵士がいた。
(なんだなんだ。逃げられることも想定して防衛線が張られてたってこと?)
僕が【土魔法】で地面を隆起させ、バリケードを破壊しようとするとそれに対抗するように【土魔法】が掛けられ、一瞬拮抗する。
「ここはわたしの出番べな!」
僕の前に座っているミミノさんが魔法を展開する——それは【花魔法】だ。
バリケードに使われている木々がにょろにょろと伸びて兵士たちに巻き付いていく。
魔法使いの集中力が途切れたのだろう、僕の【土魔法】が勝って地面の隆起とともにバリケードや兵士たちが左右に流されていく。
ゴッソリえぐれた地面を、馬が跳んで渡っていく。
「伯爵家の急ぎの使いだ! どけどけどけぇ!」
【風魔法】にのせて大声を発すると、ハッとした往来の人たちがどいていく。
僕らはその調子で各街区の門を抜けて聖王都の郊外へと脱出した。
「はぁ、はぁ、はぁっ……」
全員、疲労困憊という体ではあったけれどここにぐずぐずしているわけにはいかない。
(なんせグレンジード公爵……先代聖王に危害を加えた犯人がここにいるんだから)
えっ、もしかして悪いのって僕だけ?
いや、そうするとスィリーズ伯爵が逃げることの意味もわからないし、なんかロープで縛られてたし……。
「……皆、こちらです」
伯爵に連れられて向かったのは、さらに馬を出して1時間ほどの距離にある——森だった。
森の内部には小さな小屋があり、手入れがされているのか清潔だった。
隠し棚があって、そこを開けると遠距離通信用の魔道具が鎮座している。
スィリーズ伯爵はそれを使う必要があるということなので僕らは小屋の外で待機することになった。
「——レイジ!」
「レイジさん!」
右からお嬢様、左からアーシャが僕に飛びついてくる——正確にはお嬢様はぎりぎりのところで止まって、貴族の令嬢らしく微笑んだのだけれど、アーシャはタックルするように僕にぶつかってきた。
「レイジさん、レイジさん、レイジさん……ご無事だったのですね……! うっ、うぐっ、うわああぁぁっ……」
「アーシャ……」
こらえきれないというように泣き出した彼女の肩に、そっと手を載せた。
「……ごめんなさい、しばらく留守にしました」
「い、いいのです、ただ、レイジさんがご無事だったのなら、それだけで……」
ぎゅううと強く強く抱きしめられる。
どうしよう。
アーシャってこんなに情熱的な子だったっけ。
いや、こういうところもあったね。あったよね。
「……レイジ」
「ハッ」
凍えるような声が聞こえたと思うと、それはもちろんエヴァお嬢様のものだった。
「ずいぶんと親しそうなご関係なのだわ?」
「お、お、お嬢様っ、これは……!」
怖っ! 完璧な笑顔なのがまた怖い!
お嬢様、貴族として立派になられて……じゃなくて怖いよ!
「レイジくんはモテモテだべなぁ」
「ミミノさん……からかわないでください」
「あははは。アナスタシア、エヴァお嬢様も、今はなによりもお互いの情報交換と、これからどうするかを決めるときだべな」
「……それは、はい」
お嬢様が渋々うなずいたが、アーシャは離れない。
「アナスタシア」
「……う、はい」
ミミノさんに重ねて言われるとアーシャはのろのろと僕から離れた。
その瞳は濡れていたけれど、僕に背を向けるとハンカチで目元を押さえる。
「——お帰りなさい、レイジさん」
振り返ったアーシャに言われ、僕はお嬢様を見て、ミミノさんを見て。
「ただいま戻りました」
少しだけ、気持ちが落ち着いたのだった。
ちなみに、ここにいるのはお嬢様とアーシャ、ミミノさんだけだ。
さっきいたもうひとりが魔道具師だということだけれど、彼女はゼリィさんが手引きして逃がしたようだ。今回のゼリィさんは有能だな。
あとダンテスさんもいると聞いて、無性に会いたくなったけれど、ダンテスさんはお嬢様の護衛騎士であるマクシム隊長たちとともに聖王都内にいるのではないかということだった。
今日のことをマクシムさんに伝えなきゃいけないし。
なんとかして合流できればいいんだけど。
「今までのことを話すのだわ」
それから僕はなにが起きていたのかを聞いた。
行方不明になった僕を捜すためにお嬢様が国を出てレフ魔導帝国まで向かったこと。
クルヴァーン聖王国でクーデターが起きてグレンジード公爵が再度聖王を名乗ったこと——つまり僕は現役聖王陛下に蹴りをくれてしまったわけだ。
(……これ本格的にヤバイやつでは。ん、でもグレンジード公爵はクーデターを起こした悪人だし、セーフなのか? でも先代の聖王であることは間違いないし……)
僕がそんなことでくよくよ悩んでいると、お嬢様の説明は先へと進む。
お嬢様が聖王都に戻り、教会の女神神殿改装を阻止しようとしたところ、グレンジード公爵にバレて捕まった。
そこへ僕が飛び込んで来たと……なるほど。
「それで、レイジはどうしてあの教会に? それに今までどこに?」
「今までいたのはお嬢様の推察通り未開の地『カニオン』でしたね。あそこを出られたのはほんとについ最近で……それで教会に飛び込んだのは、グレンジード公爵が『女神の使徒』になっていたからです」
使徒について少し説明をした。
「レイジはその、『女神の使徒』がどこにいるかわかるの?」
「いえ、実は僕ではなくてですね——これはステンドグラスを割って入ってきたことにもつながるのですが」
と言いかけたときだった。
「——皆さん、少しお話があります」
スィリーズ伯爵が小屋から出てきた。
その表情は緊迫している。
自然僕らも無言になり、伯爵のそばへと近づいた。
「実はここは、ミュール辺境伯と連絡する手段として残しておいたものです」
ミュール辺境伯……グレンジード公爵の盟友で、熊の毛皮をかぶっていたあの人だ。
娘のミラ様はエヴァお嬢様と仲良くしていたっけ。
「辺境伯はいまだ領地に戻っておられず、ふたつ隣の領地であるエベーニュ公爵家に滞在しています。エベーニュ公爵は聖女王派です」
エベーニュ公爵はミミノさんと同じハーフリング種族で、腹黒の当主とは裏腹に、息子のエタン様は純朴そうな方だった。
僕がお嬢様の護衛を辞めて聖王都を出るときに、兵士を率いてきたときっきりだけれど、元気かな? あのとき捕まりそうになったことには恨みとかはあんまりなくて、むしろ僕がやり過ぎて兵士さんたちをたたきのめしてしまったし、親の命令に従わざるを得なかったエタン様にはちょっと同情しているくらいだ。
「他の公爵家がグレンジード様を推しているので、エベーニュ公爵はなぜそのような動きになったのか独自で調べておられて……ようやく、その情報の一端がつかめたようです」
「お父様、なにがあったのですか。5大公爵家が聖女王を裏切るというのはよほどのことだというお話でしたよね」
「はい。グレンジード様はクーデターが成功した暁には公爵家の数を半分にし、その利権をすべて渡すと言っていたようです」
「……なんと。忠誠心を、利権に替えたのですか」
「それほどに公爵家の力は大きいということです。単純に力が倍になるということではなく相乗効果もあり、さらには公爵家が減ることでその発言力も高まる。大きな権力を持てることでしょう」
「その約束をあきらめさせることができるのでしょうか」
「いえ、その手の攻略はあきらめたようです。代わりに……エベーニュ公爵はミュール辺境伯、ルシエル公爵と手を組みました」
ルシエル公爵は5大公爵家のひとつであり、エベーニュ公爵と同様に聖女王を裏切らなかった公爵家だ。
「聖王都を、再度奪還するために挙兵します」
「!!」
お嬢様が固まる。
戦争——いや、伯爵たちは内戦を決意したということだ。
「……勝算はあるのですか」
僕の問いに、ハッとしたようにお嬢様がこちらを見る。
お嬢様はひょっとしたらなんとかして戦いを避ける方法を考えようとしたのかもしれない。だけれど、内戦は最終手段だ。ここに至るまでにいくつもの選択肢を考えては消していたはずだ。
であれば——もう、やるしかないのだ。
「あります」
伯爵はうなずく。
「……レイジさん、あなたにはやるべきことがあるのでしょう?」
「はい」
僕は迷いなく答えた。
それは——この世界を元に戻すこと。
「世界結合」以前に戻すということじゃない。
女神による精神干渉や監視が完全にこの世界を覆う前に、そんなものがない世界にすること。
女神は神殿を通じて精神干渉や監視を行っていることは、ここに来る前に聞いた。
僕の思いを伯爵がどこまでわかっているのかは知らないけれど、
「レイジさん、その前に少しだけ、力を貸してくれませんか。あなたの力が必要です」
「わかりました。もちろんです」
僕は請け合った。
僕の目的を果たすには、女神神殿がひとつでも少ないほうがいい。
スィリーズ伯爵は小さく息を吐いた。
心底——助かった、とでもいうふうに。
「聖王宮から聖女王陛下を連れ出してください」
依頼はなかなかに、難しいものだった。
いよいよコミカライズ1巻が発売となりました!
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