辺境伯領の安定
前回あらすじ:
未開の地「カニオン」にいるレイジは、「カニオン」のあまりの広さに自分がどこにいるのかわからなくなってしまっている。
そんななか「裏の世界」のエルダーホビット種族と出会った。彼らは「女神」に対して深い恨みを抱いており、盟約者でありながら調停者の幻想鬼人ともまったく接触を持たずに過ごしてきたという。
エルダーホビットの皆さんは威勢良く「女神の悪行を許さない!!」なんて叫んだものの、
「ひ、ひぃぃっ」
「声を出すな、静かに、静かにだべな……!」
「た、た、助けてくれ、神様」
「あんなクソ女神に祈るな!」
怯えて震えていた。
それは僕がこの集落にやってきて5日後のこと、とりあえず周囲の地理を確認するべく僕があちこち飛び回っていると(魔法を使って飛行しているので文字通り「飛び回って」)——はるか地平線のあたりで、ずしん、ずしん、と大地を震わせながら歩いている存在があった。
僕はすぐにそれを報告し、エルダーホビットの斥候部隊もそれを確認。
結果としてその巨大生物が「封印亀骨」であることが判明。
「隠れろ、隠れるんだべな……そうすれば過ぎ去る……!」
巨大種相手にはなにもできないらしく、集落の建物の中に避難したエルダーホビットたちは、封印亀骨が地平線の向こう、見えなくなるまで震えているだけだった。
そして亀が去った夜、
「ふー。ヤツも我らに気づかぬとは、所詮亀だな!」
「そうだべそうだべ!」
「今日は宴会じゃー!」
「うおおおおおお!!」
脅威が去ったということで備蓄を解放して酒盛りして盛り上がっていた。この集落の備蓄はたいして多くはなく、備蓄だけで生きようとしたらぎりぎり1か月食いつなげるか、という程度しかなかった。
(だ、大丈夫かなぁ……)
綱渡りの生き方してるなぁ、と思いながら、僕は備蓄庫になっている倉庫の前でたたずんでいた。
小さい集落内での犯罪は起こりようがなく、扉もカギもついていない。
月光が射し込んで中のものがはっきりと見える。
カゴに入った稗のような穀物と、乾燥肉が積まれている。果物は豊富に採れるようでドライフルーツにしたものがあり、果実酒の甕も並んでいた。
「なにしてるべな?」
「——あ、ヤンヤ」
ひょっこりやってきたのは、僕が初めて出会ったエルダーホビットのヤンヤだった。年齢で言えば彼女のほうが年上なんだけど、ヤンヤもヤンヤで「さん付けなんて止めてくれ!」と言うのでなんとなく呼び捨てになっている。
「いや……こんなに備蓄を食べちゃって大丈夫なのかなって」
「? 大丈夫だべ。だって、あんな巨大種が出てくるのなんて年に1回もないぞ」
年に1回もないかもしれないが、その1回という数字は巨大種の気まぐれによって左右されるんじゃないだろうか……。
「——レイジ。そーんな難しい顔すんな!」
「うわっ」
僕が考え込んでいると、ヤンヤが手を伸ばして僕の眉間を親指でもみほぐす。
彼女の手からはフルーツの香りがした。
「これでみんな気持ちよく、明日も働けるんだから、いいべ?」
「あ……」
僕は納得した。確かにその通りだと思えたのだ。
外敵の恐怖は常にある。であればそれを乗り越えたときに、純粋に喜び、その恐怖を引きずらない。いちいち怯えていたら、年がら年中暗い顔をして過ごすことになってしまう。
それはエルダーホビットの処世術なのかもしれない。
「……わかりました。そのとおりですね」
「うむうむ。素直な子にこそエルダーホビットの加護が与えられるべな。女神なんかよりずっと強い力があるんだぞ」
「そ、そうですか」
あのアホみたいな存在感を放っていた女神より強いとはあまり思えないけれども。
「信じてないな!? ヤンヤだってあの黒い血塗られた化け物に遭遇しても生き延びた加護なんだべ!」
その禍々しい感じの生き物は僕です。
「信じてます。信じてますって——それよりヤンヤに聞きたいんですけど」
「ん?」
「明日から、僕も狩りに参加してもいいですか?」
ここの食糧事情が気になるのは、変わらないのだ。
「狩りにぃ? レイジが? 狩りってのは危ないものだべな」
「心得てます」
「うーん。それじゃヤンヤもいっしょに頼んであげるけど、怖くなったらすぐに言うべな?」
「はい」
一応僕だって許可をもらって森の中を歩き回っていたんだけどな。
まあ、いいか。
当面の食料に困らない程度、それにめぼしい脅威を排除しておこう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「——とりあえず今日の猟果はこんなところです」
翌日の夕方、唖然とした顔の長老以下多くのエルダーホビットたち。
ニシキヘビを10倍くらいにした大蛇は、魔法で頭を吹っ飛ばした。
先日倒した巨大イノシシの仲間みたいなのもいたので、しっかり仕留めておいた。
野犬もはぐれの1頭程度ならともかく、50頭くらいの群れがいたので半分を仕留め、残りはエルダーホビットを二度と襲わないようニオイを散々嗅がせてから追い払った。
他にも鹿や小型の獣は山ほど獲った。
狩りに同行した狩猟部隊の皆さんは、最初こそ驚いたけれど、だんだん驚きは薄れ、無感動になり、最後は他の狩猟部隊も呼んで淡々と獲物を運んでくれた。
「長老、明日以降も周囲の脅威は追い払っておきます」
「……あ、ありがとう……」
女神に対して敵対している彼らの前で、実力を隠す必要はない。
僕はエルダーホビットのために働くことにした——ここが「カニオン」のどこにあり、どの方向へ行けば戻れるのかを確認できるまでは。
事態が動いたのは、それからさらに半月後のことだった。
「大変だ!」
夜間の斥候部隊の人が、早朝に大声を上げて戻ってきた。
「空に巨大な影が! あんなでっかい鳥、見たこともねえべ!」
★ クルヴァーン聖王国 ミュール辺境伯領 ★
鬨の声が響き渡るその草原には、大量のモンスターの群れが倒れ伏していた。
勝利したのはミュール辺境伯軍。
「世界結合」で大量に発生したモンスターだが、それは辺境伯領とはいえ例外ではない。
ただ、ミュール辺境伯軍はクルヴァーン聖王国内でも屈指の強さを誇り、街の周囲に出現したモンスターは即座に、領内の辺鄙な場所に現れた群れですらも1か月と経たずにこうして滅ぼした。
「ふぅ——一通り、領内の安定は確保できた。助力に感謝する、ノック殿」
ミュール辺境伯は熊の毛皮を相変わらず頭からかぶり、大人が数人がかりで持つような重さのバトルアックスを振り回し、誰よりも多くのモンスターを屠っていた。
その辺境伯に負けず劣らず倒したのがダークエルフのノックだ。
「なに。ふだん飯を食わせてもらっている礼ダ」
「ふはは。飯を食わせるだけで八面六臂の活躍をしてくれるのならば、お前らの引く手は数多だぜ」
「飯は中身ではなく、誰と食うかダからな……呼ばれても行かぬ」
そんなふうに気取ったことを言ってはいるが、確かに辺境伯自身も認めるように、これほど迅速に多くのモンスターを掃討できたのはダークエルフの助力によるところが大きい。
彼らは辺境伯の騎士たちよりも強く、さらにはモンスターとの戦い方に慣れている。
ただ、
「俺がいちばんダ!」
「俺ダろ!」
「違う、俺ダ!」
ちょっとズレているのは、こうしてモンスターを倒した後だというのに誰がいちばん重いモンスターを運べるかを競争している。
食肉になるものであればちゃんと確保しておかなければならないので、戦闘後だというのに動き回れるダークエルフたちは疲れ果てて休んでいる軍の兵士と比べて明らかに異質だった。
彼らにとってはこの持ち運びですら「筋トレ」の一環なのだ。
「……部下が騒がしくてすまん」
「なぁに。うちの騎士どもにもいい刺激になってるさ、お前たちが来たことすべてが。それに——」
「それに、なんダ?」
「いや……なんでもねえ」
辺境伯は言い淀んだが、
「レイジのことダろう」
「……ちっ、わかってんなら聞くんじゃねえや」
ミュール辺境伯は娘であるミラの、貴族社会デビューのために聖王都クルヴァーニュを訪れていた。
それが、レイジとの出会いだった。
そのときに見た、少年ながら底知れない戦いのセンスに驚き、彼を気にかけるようになった。
いろいろな行き違いもあって彼はクルヴァーン聖王国を離れてしまい、その別れ方については辺境伯も心底から悔やんだのだが——彼は予想外の方角から再度辺境伯の前に現れた。
別の世界から来たという。
その後、ダークエルフの集団がこれほどやってきてしまえば信じざるを得ない。彼らは、あり得ないほどに強かったのだから。
「では先に帰る。我らを導くアナスタシア様のところへ」
「……わかった」
ダークエルフたちはノックに率いられ、去っていく。
「……アナスタシアか」
辺境伯は思いを巡らせる。
今回の「世界結合」について聖王都から報せが届いてからというもの、辺境伯は愚直なまでにその指示に従った。結果として世界は結合され、モンスターはあふれたのでこれでよかったのだと思うが——問題は、その後だ。
レイジの消息が不明となった。
さらには、聖王都では先王グレンジードが中心となり、「女神」なる存在への忠誠を誓い、モンスターを撲滅するよう貴族に強力に働きかけている。
(モンスター討伐は構わねぇが、勝手に貴族をまとめられると困るのは聖女王陛下だ)
グレンジードの娘にして現在の王である、聖女王からは内々にミュール辺境伯へと連絡があった。
——父の様子がおかしい。くれぐれも辺境伯は取り込まれませんよう。
聖女王は今のところグレンジードのするがままにさせているらしい。やっていることはクルヴァーン聖王国にとって利益であるからだ。
グレンジードの手綱を強く握ってしまうことで貴族たちが割れるのを危惧しているという。
(冷静極まりねえが、こういうときに強く出られねえのも困ったもんだ)
聖女王はグレンジードにまったく似ず、冷静沈着で常に何手も先を読んで行動するタイプだ。
だがこういう混乱期に、聖女王の動きは他の者から見ると「遅い」と思われがちだ。
(うまくいかねえもんだな……グレンジードが聖王だったときは安定期で、混乱期に冷静な今の聖女王が王位に就くってえのは)
ミュール辺境伯は考えながら、戦場を後にする。
とにもかくにも、辺境伯領はこれで落ち着いた。
隣の領地や国境を接している隣国の光天騎士王国などではモンスター侵攻による被害が出始めている場所もあるという。
「——お父様、お帰りなさいませ」
屋敷に戻ると娘のミラが待ち構えていた。
ミラは聖王都のヴィクトル=スィリーズ伯爵の娘エヴァと——レイジの主人だった彼女と、文通友だちになっている。エヴァはすでに父を手伝って中央の実務に携わっているようで、なにくれとなくミラにも情報を漏らしてくれていた。
今はそれがありがたい。
「ミラ、レイジの行方は?」
「……まだ、まったくつかめていないようです」
「ふーむ……ヴィクトルにもわからんとなるとよほどだな」
「で、でも、エヴァ様はあきらめていません! だから私たちも——」
「わぁってる。ちゃんと手伝うさ」
ダークエルフのノックと交わした約束があった。
それは、辺境伯領が落ち着いたらレイジ捜索に手を貸すこと——である。
「世界結合」のときに、ブランストーク湖上国にいたアナスタシアは、レイジが行方不明だとわかると大急ぎで辺境伯領に戻ってきた。そして事情を話すと、レイジを捜したいと言った。
辺境伯は、モンスター退治に手を貸してくれるのならいいぞと請け合ったのだ。
(アナスタシア嬢はあまり語りたがらなかったが、どうもハイエルフは彼女を手元に置いておきたいようだな)
ダークエルフたちは精強だが、彼らはアナスタシアを崇拝している。
だからこそ最初は冗談だろうと辺境伯も思ったのだが、ノックは真面目な顔でこう言ったのだ。
——アナスタシア様は我らよりも強い。
と。
それが、類い希なる彼女の魔力量によるものだとわかったのは、アナスタシアもまたモンスター討伐に参加してから、である。
彼女の【火魔法】は、雨の日限定で大活躍した。雨でなければ延焼を起こして大火事になってしまうのである。
雨であっても、100人の軍隊よりも早く、犠牲もなく、モンスターを薙ぎ払う彼女の魔法は、歴戦の猛者たる辺境伯といえど背筋が凍った。
そんなアナスタシアを知っていれば、ハイエルフも手元においておきたくなるのだろう——シルヴィス王国は、先代王が存命であるにもかかわらず半ば強引に、ユーリーというハイエルフの女性が王位に就いたと聞いている。
ユーリーは女神信仰を始めた。
それはさほど珍しいことではなく——いくつかの国家でも同様に女神を主神とする信仰の変化を受け入れ、教会と歩調を合わせてその勢力を拡大しているという。
「ったくなにが起きているんやら……」
こう言った情報も、手紙を通じて中央のエヴァからもたらされるのだから、娘のミラも辺境伯にとっては重要な部下となっている。
「あのね、お父様。お願いがあるのだけど——」
「ダメだ」
「え、ええっ!? まだなにも言ってないよ!?」
「どうせ、聖王都クルヴァーニュに行きてえとか言うんだろう。ここで肉体労働にいそしんでいる父を放っておいて」
「うぐっ」
正解らしい。
スィリーズ伯爵は、精力的に活動するグレンジード公爵の下でかなり忙しく働いているらしく、エヴァも同様に振り回されているという。
そのエヴァの力になってやりたいとミラは考えたのだろう。
「で、でも、こういうときに手伝ってあげられなくて、なにが友だちかってお父様なら言うでしょ!?」
「まあな」
「じゃあ——」
「待て。待て。あわてるな……くくっ、意地悪が過ぎたな」
「は?」
「俺を放っておいて行くな、と言ったんだ。俺もいっしょなら問題ねえ」
「え……お父様も? 行くの? 聖王都に?」
「そうだ。幸い、どこもかしこもモンスターでおおわらわだ。国境を守る辺境伯がいる必要は、当面ない」
ミュール辺境伯は、レイジに「バーサーカー」と内心で呼ばれていたその凶悪な顔をゆがめて、笑って見せた。
「アナスタシア嬢と、ダークエルフの腕利きを何人か連れていくぞ。それでグレンジードの顔を拝もうじゃねえか——いったいどんなツラして、『女神様』だなんて言ってるのかをよ」
こうして、大陸でも例を見ないほどにモンスターの問題を早期に解決した、ミュール辺境伯は領地を離れ、一路聖王都クルヴァーニュを目指すことになった。
街の外も大方掃除してしまった辺境伯はやっぱりバーサーカー。
4/27発売の電撃大王にてコミカライズ第6話が掲載されます。
最後の、最後のカットが、クソカッコイイ……!




