あのときと同じ顔で
ひとりで大丈夫だと言ったのは僕だ。
だから、ミミノさんとノンさんには町長、教会組織の幹部であるリビエラさんに話をすることをお願いし——僕はひとり、ラルクがいる宿へと戻ってきた。
これから僕はラルクを説得しなければならない。
彼女に【影王魔剣術】の天賦を戻し、その上で、それを破壊することを承諾してもらうのだ。
ラルクが眠っている隙にやってしまうことも考えたのだけれど、あまりに卑怯だし、どうしようもなく僕とラルクの仲が決裂したときの最終手段だと思っていた。
(ラルクにとって、【影王魔剣術】は鉱山を抜け出すための力で、僕よりもラルクはずっとずっと天賦珠玉が重要だということをわかっていた。だから彼女にとって……【影王魔剣術】は彼女自身そのものだ)
それを捨てさせることがどれほど難しいか。
「……だけど、怯んではいられない」
僕は宿に入った。
朝食、チェックアウトの時間帯を過ぎたカウンターは無人で、食堂に視線を向けると、ラルクの仲間であるクックさんがいた。
「アンタは——」
「おはようございます。ようやく戻りました」
「……パーティーの仲間は、ダメだったのか?」
僕が深刻な顔をしていたせいだろう、クックさんに聞かれ、
「あ……いえ、そちらは大丈夫です。全員無事に帰還しています」
「そうなのか? それじゃあ、賢者様との話し合いが……?」
「……ラルクの身体を元に戻す方法については、聞くことができました」
「なんだと!?」
「ただちょっと難しいので……僕からラルクに話をさせてもらえますか?」
「わかった。……すまねえな」
「どうして謝るんです。むしろ僕はクックさんに感謝しかしていないですよ」
鉱山を出たラルクがどうやってクックさんたちを仲間にしたのかはほとんど聞いていないけれど、孤独だった彼女に寄り添ってくれたクックさんたちに感謝こそすれ、謝られることなんてない。
「俺たちはお嬢に命を助けられた。だからお嬢になにかあったときは俺たちが命を張る番だと覚悟してたのに——なんもできなかった」
「そんなことは」
「アンタみたいな小さい弟に、全部任せちまったことが悔しくてよ……」
賢者様に会いに行くという段階で、クックさんたちも同行を希望したのだけれど、ラルクのそばに誰かがついていなければならないことと、純粋な戦闘能力で考えても「銀の天秤」には及ばないこと、それに時間もなかったことからクックさんたちには残ってもらったのだ。
そこまで気を配る余裕がなかったと言ってもいいかもしれない。
「……なら、お願いがあります」
少年の僕が下手な慰めを言っても、むしろもっと誇りを傷つけてしまうだろう。
「なんだ? 俺たちにできることならなんでも言ってくれ」
「ありがとうございます」
ほんとうに、ラルクはいい人たちと巡り会ったんだな。
「僕はなんとしてでもラルクの身体を治したいと思っています。そのとき、ラルクが僕を絶縁するかもしれません」
「なっ……なにをやる気なんだ」
「それはまだ言えません。ですが……僕を、ラルクが絶縁したとき、クックさんたちはラルクのそばにいてあげてください。お願いします」
「そんなことはお安いご用だが」
「絶対ですよ。絶対の絶対に、ラルクの肩を持ってください。必要とあらば僕に石を投げてください」
「アンタ……」
最終手段を執ったときに、ラルクは僕と絶縁するかもしれないし、その覚悟はしていた。
いや、今ようやく覚悟ができたと言うべきだろうか。
クックさんたちがいるなら、ラルクは大丈夫だ。
僕が絶縁されたとしても。
「……俺はよ、クソみたいな生き方しかしてこなかったと思ってる。必要悪だなんて言葉では片づけられん、他人様の財産を奪い、生活を脅かすことで生きてきた。お嬢に会ってから、ずいぶん変わっちまったけどな……とはいえ、そんな生き方をしてきたからこそわかることもある」
クックさんは手を伸ばし、僕の右腕をぽんぽんと叩いた。
「善く生きるということは苦しいんだ……アンタが苦しんでいる姿は、アンタがまっとうで、心の底から善人だからだ」
「……僕はそんないい人間じゃ」
「約束する。もしお嬢がアンタに石を投げるなら、俺も心を鬼にしてアンタに石を投げてやる。だけどそれから先、何年かかっても、お嬢の誤解を解いてやる。世界でいちばんお嬢のことを思って、愛してくれたのは、他ならぬアンタ——レイジだってよ」
それだけで十分だった。クックさんがそう言ってくれただけで、僕は最後の迷いを捨てることができた。
「行ってきます」
「ああ。行ってこい」
僕は食堂を出て、宿の2階へと上がっていく。
宿泊客がいないのか、あるいはみんな出払って活動中なのか、ひっそりと静まり返っていた。
開かれた窓から陽射しが射し込んで、かすかに舞い上がったホコリが見える。
ラルクがいるはずの部屋の前に立ち、ノックした。
「——なんだよ、クックか? あんま腹減ってねーから、パン持ってきても困るぞ」
声が聞こえた。
ぶっきらぼうで、女の子らしさなんて全然ないラルクの声。
僕と言い争ったときの悲痛な叫びじゃない、いつものラルクの声。
(ああ……よくなってる。最悪の状態は脱しているんだ)
そう思うだけで胸がいっぱいになりそうで、僕は奥歯を噛みしめ、自分のやらなきゃいけないことを思い出す。
「僕だよ。レイジだ」
はっ、と息を呑むような気配が感じられた。
これからラルクの口から出てくるのは、拒絶なのか、あるいは——わからない。あれからミミノさんがラルクと話してくれたみたいだけれど、ラルクは僕よりもずっとガンコだから、そう簡単に自分の考えを曲げるとも思えないし。
「な、中に入っても……いいかな?」
言いかけたときだった。
扉が外側に開かれて、危うく僕の顔にぶつかるところだったけれど——そこにはラルクがいたのだ。
薄手の、麻で織られた寝間着姿で、足元は裸足。病的なまでに白い肌はわずかに血色がよくなっていたけれど——確かにラルクがいた。
「弟くん……無事だったのか?」
「あ、うん」
この反応はあまりに予想外過ぎて、僕は間の抜けた返事しかできなかった。
「〜〜〜〜」
焦点が合わないラルクの目は、彼女の視力がいまだ回復していないことを示している。
だけどその瞳が潤んだと思うと、ぽふり、と僕の胸に右拳をぶつけた——とても軽く。
「バカ野郎……あたしのために無茶ばっかしやがって……」
そのまま倒れるように前屈みになったラルクの額が、僕の胸に当たる。
「……ごめんな、弟くん。あたしはいい姉じゃなかったよな……。あたしは【影王魔剣術】の力を、弟くんを守るために手に入れたのに……それなのに、あの力が自分のものだと勘違いして、今度はアンタを危険にさらしたりして……あたしは、アンタが生きていて、元気だったらそれで満足だったのに」
聞いて、僕はそれまで考えていた説得の言葉を全部忘れてしまった。
「ごめん、ラルク。僕もバカだった。僕の家族はラルクしかいないのに、僕が正しいと思ってることを押しつけようとした」
「……まだあたしを、姉だと思ってくれるのか……?」
「当たり前だよ」
「ありがとう……」
レイジ、と姉が小さくつぶやいた。
思っていたよりすんなりと、と言うより、僕の覚悟やクックさんに話したことがなんだったのかと思うほどに——あのときは僕も必死だったのだから仕方なかったのだけれど、案ずるより産むがやすしとはこういうことなんだな——ラルクは【影王魔剣術】の破壊を承知してくれた。
「お、アンタか。仲間はみんな呼んでおいたぞ」
そして僕をラルクの元に送り出したクックさんはと言うと、のんきな口調でそう言い、2階から戻ってきた僕を出迎えた。
スカウトさん、鍵屋さん、エンジニアさんの3人もいた。
「えっと……その」
「うまくいったんだろ? まあ、大丈夫だとは思っていたが」
「……そうだったんですか?」
「だけどアンタも本気の顔をしていたし、水を差すのも悪かろうと思ってそこに乗っかったんだ」
「…………」
マジか。
僕だけ覚悟損みたいなところあるよね、これ……。
「そうガッカリしなさんな。アンタの考えじゃ、最悪のケースもあったんだろ?」
「それは……まあ……」
「なら、上手く収まってよかったと笑いねえ」
「……それもそうですね」
スカウトさんたちも「よかったよかった」と笑っている。
これでいいのだろう。
「そんで、お嬢は治ったのか?」
「いえ、これからです」
僕はやろうとしていることを説明した。
星6つの天賦珠玉を破壊すると告げたときにはさすがのクックさんも口笛を吹き、エンジニアさんは「お、お、お、おう……お嬢が助かるためならしょうがないよな……しょうが、うん……」と目を泳がせていた。
それくらい星6つの天賦珠玉は貴重だからね。
だけどクックさんは革袋にしまわれていた【影王魔剣術】を僕に渡してくれた。
「あともうひとつ頼みがあるのですが——」
天賦を破壊する【オーブ破壊】の天賦がどのように作用するのかがわからなかったので、「確認のため」と称してクックさんに付き合ってもらって「天賦破壊屋」というそのものずばりの店へと向かった。
この【オーブ破壊】の天賦は「ユニーク特性」で、取得や使用については国に届け出が必要になっている。【オーブ着脱】に比べればレアリティは低いとはいえ、管理が必要なものではあるのだ。
「……とまあこんな感じらしいが、大丈夫か?」
「はい」
クックさんが持っていた【腕力強化★】を破壊するプロセスを見せてもらい、僕は【森羅万象】でこれができるようになったことを確信した。
「じゃあ、ラルクを連れて行ってきます」
「おお……。俺たちは、まあ、お邪魔のようだな」
「いえ、そういうわけでは。終わったらすぐに戻りますので」
「ああ」
宿に戻り、僕はクックさんたちにそう言うと、ラルクの部屋へと向かった。
僕が天賦を学習できることは説明できないので、一応、外に連れ出すフリが必要だ。
「ラルク、入るよ——」
彼女の部屋に入ると、ベッドには普段着に着替えたラルクがいた。
男のようなシャツにズボン。動きやすい服装は空賊時代の服だ。
ラルクはこれから先、切った張ったの戦場に行く必要もないから、町で暮らすことだってできるはずだ。
だけどそれを話すのはまだ先でいいだろう。
「…………」
「……髪、乱れてるね」
「ああ……」
さっきはうなずいてくれた天賦珠玉の破壊も、いざこれからやるとなると緊張するのか、ラルクの表情は暗かった。
だけれど体調が戻れば、気持ちもきっと変わるはずだ。
僕は櫛を使ってラルクの髪を整える。長い毛を梳ってひとつに束ねていく。鉱山にいたころ——鉱山での貧しい食事をしていたあのころでもラルクの髪は美しさを持っていたけれど、今はバサバサで艶がなく、枝毛ばかりで生命力が感じられなかった。
(でもそれも……すぐに元に戻る)
飾り紐でくくると、多少は見られるようになった。
「……悪いね。髪なんて気にしなかったから。治療に来ていたリビエラさんはやたらとあたしに『着飾れ』だの『髪は女の命』だの言ってきたけどさ」
ベッドから下りて立ち上がろうとしたラルクは足元がふらついて倒れそうになる。僕はそれを腕で支えながら、
「ラルク、目が見えるようになるまでの辛抱だから」
「……あ? ちょ、おいっ、弟くん!?」
ラルクを両腕で持ち上げて抱えた——お姫様抱っこというヤツだ。
「バカ、止めろこんな恥ずかしい」
「今は目が見えないんだよね? じゃあ恥ずかしくない」
「そういう問題じゃねえ!」
ラルクは文句を言ったけれど、僕の腕から逃れるほどの力すらなかった。
階段を下りていくと食堂にいたクックさんたちが目を丸くする。
「ヒューッ。いいねえ、こうして見るとお嬢もちゃーんと女の子だ」
「スカウト、後で覚えてろ」
「そんなこと言えるくらいにはお嬢も回復したんだなあ」
口笛と拍手に冷やかされながら僕らは宿を出た。
さて——と。
「ラルク。それじゃ行くよ」
天賦を破壊する店にわざわざ行く必要はないし、その店主が【オーブ視】みたいなものを持っていたら困ることになるので念には念を入れて僕は丘に向かった。
ラルクを抱きかかえているからだろう、なんだか微笑ましいものでも見るような目で見られるけれど、気にせず進んでいく。
【補助魔法】を使う必要もないくらいラルクが軽かったのが、悲しかった。
丘は一応町の内部になっているのだけれど、町を見下ろせるところで、とりたててなにがあるわけでもない場所だった。
日中の丘には人気がほとんどなく、僕はラルクを連れて見晴らしのよい草原へとやってきた。
沖合にせり出した岬の、小高い丘と灯台が見える。
風が吹き抜けて、草の匂いが鼻を抜ける。
僕は彼女を草の上に下ろした。
「なんだここ、草っぽいとこじゃねーか。なにすんだよ」
「ラルクに話していなかったことを……話すよ」
「…………」
僕が言うと、ラルクの背筋が少し伸びたように感じられた。
「でもその前に、身体を治そう。【影王魔剣術】……入れるよ」
「あ、ああ」
革袋から取り出した星6つの天賦珠玉を、ラルクの両手に押し当てる。
僕は【オーブ着脱】の天賦も学習しているので相手に天賦を与えることもできる。
「ん……あっ、ああ、ああああああああっ!!」
ずぶりとラルクの身体に吸い込まれた天賦珠玉が、彼女に吸収されていく——それと同時に、色を失っていた彼女の瞳が光を取り戻す。
「……見える」
彼女は周囲をきょろきょろと見回した。
眼下にはザッカーハーフェンの町、遠くにはきらきらと陽射しが波間に照り返す港があり、ウミネコが飛んでいくのが見えたはずだ。
「弟くん……いや、レイジ」
「うん」
「アンタはあたしが、天賦珠玉を返してもらったらこの力を使って逃げ出すとは思わなかったのか?」
「思わなかったよ」
「どうして。あたしがあれほど、【影王魔剣術】を欲しがっていたことは知ってるだろ。そのためにならウソのひとつやふたつ吐くかもしれない——」
「思わなかったよ。ラルクはそんなことしない」
「どうして」
「ラルクはラルクだから」
「…………」
「ラルクは、ずっとラルクのままだから。僕の姉のラルクだから」
「…………」
僕を見つめていたアメシストのような紫色の瞳は、ふいっとそっぽを向いた。
「……かなわねーな、弟くんには。あ、いや、レイジか……」
「いいよ、『弟くん』で。僕はラルクの弟だもん」
「…………」
ぽりぽりと首筋をかくラルクの耳が真っ赤だ。心拍数の上昇、体温の上昇——【森羅万象】さん、そんなこと教えてくれなくったってわかるよ。
「じゃあ、天賦、消すよ……」
「ああ」
今度は僕の目をしっかりと見つめて、なんでもないように——まったくたいしたことではないかのように、ラルクは返事をした。
彼女は目を閉じる。
そんなに簡単に割り切れたのだろうか。
あれほど必要としていた天賦を消すというのに。
大体どうやって天賦を消すのかも説明していないのに。
それとも僕を——信頼しているから、すべてを任せるのか。
(こんな感じなんだ……)
ラルクの手を握って目を閉じると、彼女の身体の中に強烈な光が見える。これが天賦なのだろう。
それはごわごわとしたような触感があるのだけれど、力を込めると、みしりとした手応えがあり、次にガラスのように砕け散った——雪玉が砕けたようにちらちらとした光が舞って、闇に溶けて消えていった。
「……終わったな」
僕が目を開けると、うっすら瞳を開けたラルクがいた。
天賦が失われたことがわかるのだろうか。
「目はどう?」
「見えるよ。体調も悪くない……」
風が吹いてラルクの長い髪を揺らした。彼女は視線を町へと、海へと向けた。
悪くない、の後になにか言葉が続きそうだった。「だけど」という言葉とともに。
でも彼女は言わなかった。それなら僕も聞かない。聞いても仕方がない。
賢者様の言ったとおり彼女の体調は戻った——もちろん健康体からはまだまだ遠いのだけれど、ここからは少しずつ戻していくことはできるだろう。少なくとも寝たきりになるようなことはもうない。
「……ラルク。話があるんだ。ちょっと長くなる」
「聞くよ。今のあたしにはだいぶ時間があるしね」
ラルクの隣に腰を下ろして、僕は今まで起きたことを全部話した。
生まれの秘密や天賦の秘密を聞いても、ラルクは特別驚いたような感じもなければ感情的になったりもしなかった。
最後まで聞き終えて、彼女は僕の頭に手を伸ばした。
そして僕の頭をくしゃくしゃとやった。
がんばったんだな、弟くん。
そう言ったときのラルクは、鉱山にいたときの顔と同じだった。
姉と弟、ようやく心を通わせることができました。
ここまで長かった……。




