竜と鬼、贄と咎
前回あらすじ:
「薬理の賢者」に会いに行くべく船に乗ったレイジたち。その島にたどり着く前に、ノンから告げられたのは——この旅をもって教会に戻る、ということだった。
「銀の天秤」たちがいる島に着くと、来るのを知っていたかのように待ち構えていた男に導かれ、レイジは島の中心部にある町へとやってくる。そこは「盟約者」の一族たる「記録する者」の町だった。
ダンテスと再会するも、彼らは「レイジが来るのを待てと言われた」という。
自分を待っている「薬理の賢者」はきっと、盟約絡みの話があるのだろう——そう思いつつ、レイジは賢者の待つ部屋へと入った。
通されたのはこぢんまりとした部屋で、書見台が置かれてあり、魔導ランプがほんのり明かりを点していた。
開かれた本は1ページが1メートルほどの正方形ですさまじく大きく、その前に、ちょこんと座っている人物があった。
ふっさふさの白髪は床に届きそうなほどに長く、眉とひげとが顔を覆い隠しており、表情が全然わからない。
着ている服は案内してくれた男と同じではあったけれど、両手両足にじゃらじゃらと巻きつけている金属の鎖がなんだか不気味だった——【森羅万象】によればその金属は、天銀を含む合金のようで、謎の魔力を放っていた。
「賢者様、お連れしました」
「…………」
男が言うよりも前から、その小さい老人——賢者様は僕を見つめていた。ふっさふさの眉毛の下から。
「レイジと申します」
「…………」
なにもしゃべらない。
男が部屋から出て行くと、賢者様は書見台のイスからぴょんと降りた。すたすたと歩いていく——書棚がある壁へと。
書棚と書棚に挟まれた幅2メートルもない壁面に手をかざすと、スゥと壁がなくなって道ができた。
ちら、と振り返っただけで賢者様は先へと進んでしまった。
「……ついて来いってことですか?」
僕の【森羅万象】は賢者様について奇妙な反応を示していた。
——「理解不能」と。
ヒト種族でないのは別にかまわないけれど、ライブラリアンのような反応でもなければ、ただひたすら「理解不能」というエラー判定を繰り返していた。
「だからって……ここで引き返すわけにもいかないよね」
僕は賢者様の消えた通路へと足を踏み入れた——。
「——え?」
気がつくとそこは草原だった。
外に出たとかそういうことじゃないのは、周囲一面が草原で、天を突くような山も、密林もないことからうかがい知れた。
異常なのは空だ。
雲ひとつない空には茜色と、青空と、夜の闇とが混在していたのだから。
見ていると不安な気持ちに襲われる空だった。
賢者様は草原をすたすたと進んでいた。僕がついてくると確信しているかのように。それは少々しゃくだったけれども、僕は賢者様の後を追った。
しばらく進むと草原の先にぽつんと、四角い布が敷かれてある場所が現れた。レジャーシートのようなそれは、モザイク模様に織られた色鮮やかな布だ。
賢者様によく似た服を着た老人がすでにそこに座っていたけれど、そちらの老人は白髪を刈り込んでいて、ヒゲもなければ眉毛はふさふさではなかった。
彫りの深い顔で、紫色の目がぎらりとしている。
だけれど特徴的なのは額、いや、生え際だ。
そこに2本の突起があったのだ——まるで「角」のような。
「……ここに連れてくるとはどういう了見だ」
しゃがれた声で、角の老人は言った。
僕の【森羅万象】はこちらの老人に対しても「理解不能」のエラーを吐いている——だけれど僕は、彼が、いや、彼らが何者なのか、すでに見当がつき始めていた。
「あなたは……ひょっとして、幻想鬼人ですか」
ああ、そうだよ、とこともなげに角の老人は言った。
★
「裏の世界」でヒトマネはこう言った。
——我らはこの世界の均衡を保つために生まれた……言わば柱よ。女神が分断したふたつの世界。この世界は、幻想鬼人に託され、彼奴らは我らを生み出した。
「調停者」と呼ばれる存在、黒い人型のヤツらは、幻想鬼人が生み出した自動人形であるという。
彼が幻想鬼人なのだとすると、もうひとりの賢者様——老人は。
「……座れ。もてなしは、できぬがな」
ふっさふさのヒゲの下にある口がもごもごと動き、言葉が発せられる。その口調は老人のそれだったけれど、その声は驚くほどに若かった。
僕は、いぶかしみながらも靴を脱いで敷物に座った。幻想鬼人は興味深そうに僕を見ていた——ちなみに彼も、賢者様も裸足だ。
「察しのとおり、我は竜だ」
「!」
僕が問うよりも先に賢者様が言った。
「この姿は、そう見せているだけ。詳しいことは説明する必要もあるまい」
「……ライブラリアンに竜の血が流れていることも、説明する必要はないのですか?」
僕は、ライブラリアンと呼ばれる人たちが、ヒト種族と違うところがある——竜のような気配を身に纏っていることに気づいていた。
「知っていたのか。彼の者たちは我についていきたいと言った。元はヒト種族であったが、適性があったゆえに、血を授けた。だがそれは些細なこと」
「些細な、というのは……僕がここに呼ばれた理由に比べれば些細だということですか」
賢者様は、ゆっくりとうなずいた。
「でも僕はただ、ラルクの——姉の治療薬を探しているだけなんです。『調停者』とは戦いましたけど、それは向こうが襲ってきたからで……」
「調停者」の話をすると、幻想鬼人は露骨にイヤそうな顔でぶつぶつ言った。「あれを1体作るのにどれだけ苦労すると……」とかなんとか。
そんなに大事にしたいのならしまっておけばいいのに。世の中を混乱させるようなことに使うから、こっちだって必死になって壊しただけだ。
「星6つの天賦珠玉を使い、その代償を払った娘か」
「賢者様はご存じなのですか」
「……こちらの世界の『調停者』は我だからな。天賦珠玉は世界を支える。力を持った天賦珠玉に注目するのは自然なこと」
「ラルクは、生命力が低下しています。どうしたらそれを上げることができますか」
「壊しなさい」
「……え?」
「星6つの天賦珠玉を破壊しなさい。そうすれば、天賦珠玉内に閉じ込められていた生命力が本人に戻る」
「でも、天賦珠玉の破壊はできないんじゃ……」
「そのための【オーブ破壊】の天賦だ」
「あ——」
そうか、天賦の取り付け、取り外しは【オーブ着脱】という天賦があるけれどこれはレアリティが高かったはず。
一方で【オーブ破壊】はさほど珍しくはないが——とは言っても【オーブ着脱】に比べればというだけで、ユニーク特性の天賦珠玉は基本的に珍しい——これは取り込まれた天賦を、選んで、破壊できる。
「本来、取り込んだ者が死ぬことでオーブは破壊される。だがそれでは意味がないのだろう?」
「はい……」
ラルクに【影王魔剣術】を取り込ませて、ラルクを殺すことで天賦を消滅させたら本末転倒もいいところだ。
でも【オーブ破壊】なら簡単に解決できる——。
(……問題は、ラルクがそれを承知するかどうか、か……)
ラルクとのケンカを思い出すと、僕が彼女を説得できるか、不安になった。【影王魔剣術】をあれだけ欲しがっていたラルクにそれを戻してあげて、その上で破壊させろ、だなんて。
「ではこちらの話だ」
賢者様は言った。
「『災厄の子』であるそなたに、力を貸して欲しい」
「力、ですか?」
「【離界盟約】の天賦珠玉を持っているだろう」
「……はい」
ウソを吐いても仕方がないので、僕は正直に答えた。【影王魔剣術】は港町ザッカーハーフェンにいるクックさんに預けてきたけど、【離界盟約】は僕しか扱えないので僕が持っている。今も、腰にぶら下げた道具袋に入っている。
「あの力を使い、ふたつの世界をつなげるのだ」
「——は?」
賢者様、いや、竜の言ったことはシンプルだった。意味も理解した。でも、まったくわけがわからなかった。
「おい、竜の。話を急ぎすぎるのはお前の悪い癖だ」
しゃがれた声で幻想鬼人が言った。
「ふむ……ならばお前が説明してみよ。元はと言えばお前の管理能力の問題だ」
「あ? ケンカ売ってんのか?」
老人にしては威勢よく、額に青筋を立てながら言う幻想鬼人に、
「と、とにかく、事情を説明してくれませんか。全然わかりません」
「……まあ、いいだろう」
そうして、幻想鬼人は語り出したのだ——僕が知らなかった、できれば知りたくなかった様々な事情を。
世界の歴史を。
★
女神によって分けられたふたつの世界は、「調停者」、「盟約者」、「天賦珠玉」によって支えられていた——というのはすでに【離界盟約】によって僕も知っていた。
だけれど、長い歴史で天賦珠玉が「表の世界」——僕のいる世界に偏ってしまった。
それで、世界のバランスが狂ってしまったのだという。
「特に、星の多い天賦珠玉だ。お前たちはそれらを【オーブ着脱】でもって引っこ抜き、なかなか消滅しないようにした。場合によっちゃ、倉庫にしまってあるものも多い」
お前たち、と言われても僕はまったく関係ないのだが。
まあ、それはともかく。
星の多い天賦珠玉が回ってこなくなった「裏の世界」では、天賦珠玉を扱える種族が大幅に少なくなり、今、存亡の危機であるという。
「……もしかして、クルヴァーン聖王国で調停者が『盟約の破棄』にこだわっていたのはそれが理由ですか」
僕が仕えていたエヴァお嬢様が参加していた「天賦珠玉授与式」のことだ。
あそこで黒いドームに覆われ、調停者が出現し、聖王陛下に盟約の破棄を迫ったと聞いている。僕がぎりぎりでドームを破壊したのでそれは成らなかったのだけど。
幻想鬼人は渋い顔でうなずいた。
「あれはあの個体がだいぶ暴走してはいたが、使命として盟約をどうにかしなきゃならんとは与えていたからな。ある意味、想定内の行動だと言える」
「そんな! 星8つの、意味不明な天賦珠玉で生け贄を捧げさせるようなことをして、そんな要求までして……!」
「生け贄……まあ、生け贄ではあるわな」
幻想鬼人は、その盟約をそらんじた。
★盟約のための盟約(聖水人/地底人)
貴顕の血を捧げることで盟約を維持することができる。
調停者がこれを監視するが、調停者を害することはできない。
そう、このせいでクルヴァーン聖王国では天賦珠玉授与式まで貴族の子どもは天賦を持つことができなくなっていた。
「地底人は、毎回きっちり捧げている。盟約を反古にしていたのは聖水人——お前らのいうところのクルヴァーンとかいう国の王族だ」
「!」
「これによって盟約者を世界に記憶させ、ふたつの世界を維持することができる」
「でも……それは……」
「毎日大量の人間が死んでいるというのに、ひとりの命を捧げることを受け入れられんのか? だとすれば、それこそがお前の咎よ」
「咎……」
「ワシらは世界を維持するために死力を尽くしとる。そして『災厄の子』であるお前に目を付けたのだ……『災厄の子』はこれまでにも世界に混乱をもたらしてきたが、お前は少々違うと思っていたのだがな」
「災厄の子」、それは転生者だ。
人より倍の16枠、天賦を所持することができる——限界超えの天賦を扱える者だ。
この力は確かに、悪用しようと思えばいろいろなことができると思う。強大な権力が多くの人々によって監視されているのとは違い、たったひとりに依存する力は、使い手を——僕を勘違いさせてもおかしくはなかった。
つまり、僕は選ばれた人間、特別な人間なのではないか、という。
「僕は……『銀の天秤』の皆さんに、ミミノさんに、ダンテスさんに、ノンさんに、ライキラさんに出会えたから、この力に溺れずに済んだだけです」
そしてたぶん、エヴァお嬢様やアーシャ、ゼリィさん……ラルクに出会えたから、だろう。
そのとき初めて、ふたりの老人の目に——超越者としてではない、感情が宿ったような気がした。
「……前にいた『災厄の子』はな、お前のように敷物に座る前には靴を脱いでおった。だが何年もこの世界におると振る舞いが変わった……攻撃的になってな。結局、その子の咎を晴らすのに——つまるところその子を殺すのに、ヒト種族は数万という命を犠牲にすることになった」
数万という人命は、僕には想像しにくい、現実味のない話だった。でもこれは他人事ではないのだというのは、ふたりの老人の真剣な表情から伝わってくる。
それまで黙っていた賢者様が口を開いた。
「……我らに、女神の考えはわからぬが、お前のような転生者が現れるのはこういった事態を想定してのことかもしれぬ。星8つを超えた天賦が存在する理由だ」
そもそも、8枠しかスキルホルダーはないのにそれを超える天賦が存在するのはおかしなことだった。
16枠のスキルホルダーがなければ、扱えない天賦がある理由は——世界の崩壊を防ぐため。
女神様は、セーフティネットとして転生者を用意していた……。
僕のことなのに。実感がなさ過ぎて頭がくらくらする。
そんな僕を見た幻想鬼人は、
「いずれにせよ、お前に頼みたいのは【離界盟約】を用いて盟約を破棄すること。盟約者が破棄してくれても構わんが、説得するのは難しかろう。盟約者は、よほどのことがない限り盟約を維持するように気持ちが働くようになっている」
「……暗示のようなものですか?」
「まあ、そうだ」
「ふたつの世界がつながったらどうなりますか」
「ふむ……おそらく、だが、生命の密度が一時的に2倍になる。それぞれの生き物は死なずに維持され、ひとつの世界で暮らすことになる」
少しだけ、ホッとした。世界がひとつになることで犠牲が生じるというのなら、僕はできる限りその引き金を引きたくない。
「だが、お前も知ってのとおり、ワシの管理する世界のモンスターは凶暴に進化している。8の巨大種を生み出したがうまくコントロールできなかった。それらモンスターもまたやってくる。十分な対策を取っておかねば多くの犠牲が出る……それはワシらの望むことではない」
そうだ。向こうのモンスターがやってきたらこっちの住民だってひとたまりもない。
「結局、犠牲が出るのならやりたくないという顔だな」
「……それは、当然でしょう。誰だって当事者になんてなりたくないです」
「放っておいても世界は滅びるぞ」
「止められないんですか? たとえば、天賦珠玉の偏りを改善するとか……」
「お前が星5つ、6つの天賦珠玉を壊して回るのか?」
「…………」
無理だ。
星6つの天賦珠玉なんて国宝を超えるような代物だ。
それを「世界が崩壊しそうなので壊させてください」と言っても話を聞いてくれないだろう。
そうなると力尽くでやるしかない。
「世界が滅びるというのは……具体的にどうなるんでしょうか」
「ほう。自ら崩壊を望むか?」
「いえ、その……いろんな可能性を知っておきたいというか」
「簡単なことだ」
賢者様が言った。
「あらゆる生き物の生命活動が強制的に停止される。そして、無に還る。我と幻想鬼人は残るかもしれぬが、確証はない」
思っていた以上に切迫した内容だった。
「……タイムリミットってどれくらいあるんですか」
幻想鬼人は首を横に振った、わからん、と言いながら。
「明日かもしれんし、来年かもしれんし、100年後かもしれん。世界というものは様々な要素が循環しながら構成されておるが、ワシの世界は今、多くのポイントで目詰まりを起こしておる。極めつけは、聖水人の貴顕の血が提供されなかったことだ。予断を許さん状況だ」
「そんな……」
あのときの、クルヴァーン聖王国の「天賦珠玉授与式」でのことがそんなにも大きな影響を与えていたなんて。
「レッドゲートは……赤い亀裂でふたつの世界がつながったことはどうなるんでしょうか」
「ワシは、あれによっていくつもの目詰まりを解消できるかもしれんと感じた」
「あれは規定外のものだ。我は、むしろ崩壊を加速させると感じた」
老人ふたりの意見は逆だった。
だから調停者は亀裂から侵入しようとし、竜たちは亀裂を閉じようとしたのか。
「ワシと竜と、意見が一致している点は少ないが……だが、一致した点については確実だと考えておる。お前の提案したとおり、天賦珠玉を壊して偏りを正すのもいいかもしれんがそれでは間に合わん——時間がない、という意見は一致しておるのだ」
「…………」
実質的に選択肢はない、ということか。
「……多くのモンスターが現れることの警鐘を鳴らし、各国に戦闘準備を早急に整えてもらい、なるべく早いタイミングで盟約を破棄する……」
言っていて、あまりの難しさに吐き気すら覚えた。
「なんで……僕なんですか。なんで僕がそんなことをしなければいけないんですか。無理ですよ……できるわけがない」
誰もいなければ泣きたいくらいだった。
僕はここに、こんなことを聞くために来たんじゃない。
僕はただ、ラルクの身体を治してもらいたかっただけなのに。
たったひとりの姉の、健康を願うのはそんなに悪いことなのか。
「……幼いそなたに、あまりに重い荷物を背負わせてしまったな。よい。決めずともよいのだ。先ほど幻想鬼人が言ったとおり、この世界はまだまだもつかもしれぬ」
「竜よ、ずいぶんこやつに甘いのだな? 世界が滅びてもいいのか。大体こやつくらい力があれば、自分の仲間たちの命は十分守れるはずだ」
「仲間だけでない、見も知らぬ人々の命すら想像できるこの子は……やはりこれまでの『災厄の子』とは違う、あまりにも優しい子だ。よいのだ。そなたが背負う必要はない」
賢者様の手が伸びてきて僕の頭をなでた。
そのしわだらけの手は、人の体温を感じさせないものだったけれど、おっかなびっくり触れるような触り方に優しさを感じて——僕は絶対にこんなことで泣くものかと奥歯を噛みしめた。
いろいろと明らかになりました。
レイジの選択は、次回に。
またコミカライズ版オバスキの第2話が、コミックウォーカー、ニコニコマンガで公開されていますのでそちらもお楽しみください。
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