56
アーシャは僕と冒険したいと言っていたのに、どうして王国へ帰ってしまったのか。
いや……僕はそうなることを心のどこかで予期していたような気がする。
彼女はハイエルフの王族で、王女で、殿下で、僕とは住む世界が明らかに違う。
彼女が望んでいたものは、「一時の冒険」でしかなくて、それは物語の世界の出来事に憧れるようなものなんじゃないか——と。
「あ……」
波の音が耳を打ったのを感じたときに、僕はようやく自分が港まで来ていることに気がついた。
さすがにここは人気がなくて吹いてくる風に潮の香りが混じっている。
アーシャが乗った魔導飛行船ははるか遠くにあって、その光もどんどん小さくなり、今や消えかかっていた。
「ああ……」
無力感と、浅はかだった自分への失望に、小さく息が漏れる。
そのままそこに座り込みたい——と思ったときだった。
「坊〜〜〜〜〜っちゃん」
「うわ!?」
いきなり肩に腕を回され、横にはゼリィさんがいた。
いまだに僕より全然背の高いゼリィさんの体温は高く、吐息は酒臭い。
「およ。いつもならあーしが近づくと気味悪いくらいすぐにわかるのに、今日はどうも無防備じゃないっすかあ」
「……なにか、用ですか?」
「用がなきゃ来ちゃいけませんか」
「今日はそういう気分じゃなくて」
僕は酔っ払いを両手で押しのける。
「はは〜ん。坊ちゃん、フラれましたか」
「……は?」
「まあ、ハイエルフなんて高嶺の花どころか、雲の上の星みたいなもんですから、忘れたほうがいいっすよ」
「違いますよ……アーシャはそういうんじゃないんです。ていうかアーシャを忘れるなんてできません」
「お? そうですか? そしたらお姉ちゃんへの禁断の恋ですか?」
「は!? ラルクに!? いや、なにバカなこと言ってんですか!」
「ほおう、ほっぺた真っ赤じゃないですか。ということはこっちが本命……」
「ち、違いますって。これはびっくりしただけですから」
「でも血はつながってないんでしょう? じゃあオッケーですって! ナハハハ」
「なにもオッケーじゃないですよ……大体、ラルクには『もう来るな』って言われたばっかりですし」
「なにがあったんで?」
「それは……」
僕は一瞬迷ったけれど、ゼリィさんに話をした。ラルクの天賦を取り上げたこと。それがあるからラルクは無理をしてしまうこと。だけど理解してもらえなかったことを。
もう、ゼリィさんとはだいぶ長いし、十分に信頼している……海坊主戦で盾にされたことは忘れてないけど。
「あ〜、そりゃ坊ちゃんが悪い」
「……やっぱり、事前の相談なしにそういうことしたらダメですよね……」
ちゃらんぽらんの代名詞であるゼリィさんだけど、そんな彼女であっても改めて言われると落ち込むよな……。
「違いますって。『強い女』を目指す女が、いちばん弱いところを惚れた男に突かれたら、どうしょーもないでしょ」
「……はい?」
「ラルクさんは強いっすけど、ありゃー目一杯無理してますからね。あーしにはわかりやす」
「い、いや、そうじゃなくて……なに、『惚れた男』って。誰のこと?」
「はぁぁぁぁぁぁ」
わざとらしく大きなため息を吐くゼリィさん。
「坊ちゃん……情緒がいまひとつ育ってないと思ってましたけど、ここまでとは。あなたですよあなた」
「は?」
ちょっと待って、どういうことだ?
「ラルクは、姉なんだよ?」
「そりゃー、そういう建前でないと坊ちゃんのそばに近寄れないからでしょ。ラルクさんもだいぶ情緒が育ってないですからね。いったいどんなとこで育ったんです?」
奴隷が集まる鉱山です。
「坊ちゃん、確かラルクさんはやべーことを過去にやって逃げてんでしょ? だから坊ちゃんに想いを伝えるわけにゃいかないんですよ。だって、巻き込みたくないし」
「それは……」
「だから、姉だ姉だと言い続けることで、昔以上に距離を縮めたくないんすよ。それに、坊ちゃんから心配もされたくない。相談もせずに、レフ魔導帝国を逃げるように出て行ったのもそのためです。すべては、惚れた男のためだと思えばしっくりくる」
そんな……ことって。
ラルクが僕を大事にしてくれているのはわかっていたけど。
確かに、さっきもラルクは僕を「レイジ」と言わずに「弟くん」としか言わなかった。
「はぁぁぁぁ」
ゼリィさんがまたわざとらしいため息を吐く。
「だというのに、その惚れた男は、唯一のラルクさんのよりどころである天賦を奪っちまったんだから、ラルクさんも立つ瀬がないっすよ。あーしがラルクさんだったら怒りと、恥ずかしさとで、ブチキレます」
「……ブチキレられました」
ゼリィさんが「ほらぁ」という顔をするのが心底ムカつく。
ムカつくけど……今は、ゼリィさんが正しいような気がした。
「僕、ラルクに天賦珠玉を返してきます」
「それは止めたほうがいいっすよ」
「……え? なんでですか。僕が間違ってたなら、謝らなきゃでしょ」
「ほんっとーにわかってないんすね、坊ちゃん。女心ってヤツを」
「昼から酒飲んでる人に女心を語られたくはないんですけど……」
「酒は女のたしなみ」
ドヤ顔するな。
「あのね、坊ちゃん。今のラルクさんのことを考えてくださいよ。彼女は今、自分のためを思って行動してくれた坊ちゃんのことを思い出しているに違いないんです。で、そんな坊ちゃんにキツイ言葉をぶつけた自分を恥じて、消え入りたいほどの気持ちっすよ」
「……まるで見てきたように言うんですね」
「てゆーかこんなこともわからない坊ちゃんが悪いんです」
「うぐっ」
「そこへ坊ちゃんがやってきて『ごめん、僕が悪かった』なんて言ったらどうなります?」
「……ますます立場がない……」
「そーゆーことです」
えへんと腕組みして胸を反らすゼリィさん。
今回ばかりはゼリィさんが正しいような気がする。
「じゃあ、僕はどうしたら……」
「ちょっと時間を置きましょう。これはラルクさんにとってもチャンスなんですよ、坊ちゃんに対して素直になるチャンスです。それには時間が必要なんですよ。『強い女』になるためにゃ、『弱さ』を知らなきゃいけないんです」
「……わかり、ました」
このままラルクと会わないでいるのは心苦しい気もしたけれど、確かに、僕らは冷静になる時間が必要かもしれない。
「なので、坊ちゃんは『三天森林』に行ってきてください」
「わかりまし——は?」
「ハイエルフのお嬢様と話をしなきゃいけないのは坊ちゃんでしょ? これは坊ちゃんにしかできないじゃないですか」
「いや、でも、え? ラルクのことは……」
「——それは私たちに任せてもらえますか」
声がした。
振り返ったそこにいたのはノンさんだった。
その後ろにはダンテスさんとミミノさんもいる。
「『薬理の賢者』様に会いに行くのはお父さんとミミノさん、そしてゼリィさんの3人で問題ないでしょう」
「でもこれは僕の姉の——」
「レイジくん」
ノンさんが近づいてきた。
今はノンさんとの身長差も縮まってきたけれど、それでも少しだけノンさんのほうが高い。
「実は……先ほど連絡があり、私の魔法の師匠がここザッカーハーフェンに来るようです。師匠は【回復魔法】の天才なので、ラルクさんの回復に力を貸してくれるでしょう」
「そんな……いいのでしょうか」
「いいんです」
ノンさんが両手を差し出して僕の肩に置いた。
「すべてをひとりで抱え込まないでください。そしてすべてをひとりでやらなければいけないと、思い込まないでください。私たちを頼ってください。私たちは同じ『銀の天秤』のパーティーメンバーであり、家族みたいなものでしょう? ラルクさんがレイジくんの家族なら、私もまたラルクさんの家族です」
「ノン、さん……」
にこりと微笑んだノンさんが、僕の強ばった心を溶かしていく。
たぶん、僕は結構無理をしていたんだと思う。
人の命を救わなきゃいけなくて、そのために全力を尽くし続けなければいけなくて。
だけどほんとうに報われて欲しい人が報われなくて。
だから無力感が……キツくて。
「わたしもついてるべな!」
「俺もいる」
ミミノさんとダンテスさんが近寄ってきて、
「とーぜん、この頼りになるあーしもいますからね。借金の減額、期待してますよ」
ぱちりとウインクするゼリィさんがいて。
「はい……!」
僕は、じわりと熱くなった目元を袖で拭った。
「皆さん、お世話になります……!」
そう言った瞬間、確かに、僕の身体は——心までもが、軽くなったような気がしたのだ。
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