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クラゲの生態は地球のそれですらわからないことが多いというのに、この異世界でどんな生態なのか、については【森羅万象】頼りになってしまう。
切り裂いた触手については与える影響としては低かったけれど、毒は有効であったことから今回の作戦を選んだ。
クラゲは死ぬと、海水に溶けるみたいだ。そのとき毒は海に流れ出す。
とはいえ猛毒ではあるけれど、さすがに量がそこまで多くないので——むしろこの量でよく海坊主を仕留められたなと感心すると同時にミミノさんが怖くなったけど——海坊主が死んだあとは、広い海に拡散して無毒化するだろう。海洋汚染なんてレベルにはもちろんならない。
「——坊ちゃん!」
魔力切れで脱力している僕の身体を引き寄せてくれたのはゼリィさんだった。こう言うと怒られそうだけど、腕利きの冒険者としても活躍しているゼリィさんの腕はたくましく、僕は安心する——安心すると眠くなるので、気をしっかり持つ。
晩夏とは言え太陽の陽射しはぎらついていて、僕の目を焼いた。
「無茶ばっかりして……しっかりつかんでください」
船へと泳いで戻りながらゼリィさんが言う。僕をマントのように背負いながら平泳ぎで進むその姿は、自己申告通りかなりの水泳上手っぽい。
「へへ……すみません。でも長引いたら魔導船がもたなさそうだったので……」
先ほどまで波を立てていた巨大生物海坊主は沈黙しており、海底へとゆらゆら沈んでいく。海面に漂うように伸びた触手は、沈む本体に引きずられてするすると落ちていく。
「……それを見てなきゃなんない、人たちのことも考えてくださいよ……。レッドゲートが出てきたときからかれこれ、坊ちゃんはむちゃくちゃしすぎです」
珍しく真剣な口調で言われて、僕はハッとした。軍船の縁で僕の名を呼んでいるミミノさんの目に、涙が浮かんでいるのがこの距離でも確認できる。
「……すみません」
心配してくれることのうれしさと、申し訳なさとで胸が一杯になって、僕が言えたのはそれだけだった。「わかってくれたんなら、いいっす」とゼリィさんは小さく言った。
「ところで」
しんみりした空気を吹き飛ばすように明るい声でゼリィさんが、
「あの海坊主は結局なんだったんです? こんな化け物見たことないっすけど、毒は効いたんですねえ」
僕はクラゲについて説明しようと思ったけれど、どう言ったらいいんだろうか。
「不思議っすよね〜。わざわざ船を襲ってくる生き物なんてのも」
「……そうですね。気が立っていたんでしょう」
「人間みたいに感情があるんすか?」
「それはわかりませんが、ちょうど、そういう時期だったんじゃないかと」
「……時期?」
僕がさっき、船室で町長やダンテスさんに言おうと思ったこと。
なぜ、海坊主がこの大陸棚なんて場所にやってくるのか——。
まず目撃例が少ないのは海坊主が出たら逃げるように言われているから仕方ないにしても、どうしてそこまで生態が不明で謎のヴェールに包まれているのか?
それは近づいた船はことごとく沈められたからで、ゼリィさんの言ったように、海坊主は「わざわざ船を襲った」のだ。
「推測にしか過ぎませんが……海坊主が沿岸に近づく理由は、『産卵』ではないかと」
大陸棚があるような浅めの海底に卵を産む。産んだらまた沖に戻る。
産卵は体力が必要なので食欲が旺盛であり、さらには神経質になるので気が立ちやすい。そんなところへ船が来たら襲いかかる——というわけだ。
「はぁ……なるほど。坊ちゃん、よくそんなこと思いつきますね?」
日本のテレビではよくそういうのやってましたから、と言えれば楽なんだけどな。
「……坊ちゃん? どうしました?」
僕はそれよりも、気になることがひとつ。
クラゲが産卵するのならそれはそれでいい。確か、受精卵を抱えて幼生になってから放出するようなものもいれば、死んだあとに若い個体に生まれ変わる「不老不死」みたいなのもいるはずだ。まあ、毒で死んだら生まれ変われないだろうけど。
問題は海坊主が有性生殖なのか、無性生殖なのかということだ。
「……ゼリィさん、急いでもらえますか?」
「え。結構急いでますけど」
「全力で。僕、なんかイヤな予感がするんです」
無性生殖ならば勝手に卵を作って勝手に子を生み出すだけだ。長い人生……クラゲ生の果てに海坊主クラスになるものもあれば、小さいうちに魚に食われたりもするのだろう。
でも、問題は、この海坊主が——有性生殖だった場合だ。
「——レイジくん、後ろ!!」
ミミノさんの、悲鳴のような声が聞こえた。
そのとき僕は自分の「イヤな予感」が的中したことを知る。
「ゼリィさん、急いで!」
海面が盛り上がっていくのを感じる。波が起きているのだ。
振り返った僕は見る——死んだ海坊主の向こうに、もう1体の海坊主が現れたことを。
有性生殖のためにやってきた、つがいとなるべき、もう1体の海坊主だ。
「で、で、で、出たにゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!?」
「ゼリィさん全力! こういうときだけ猫っぽいフリしなくていいから!」
「坊ちゃんがいなければもっと速く泳げますけど!?」
「借金踏み倒す気ならこのままゼリィさんを沈めますからね!」
僕の魔力もほんのわずか戻っており、【水魔法】で水流を作りだし僕らの身体を前へ前へと進めていく。
海面に現れた海坊主は、周囲を見回すように窪みの奥のほのかな光を明滅させる。僕にはそれが、死神の乗った潜水艦がレーダーでも照射しているようにしか見えなかった。
ぴたりと海坊主の動きが止まる。なんだと思っていると、ざざざざざざと海面が膨れ上がり——青黒く変色した、僕が毒殺した海坊主を、触手を使って持ち上げたのだ。
2体目の海坊主の、緑色が斑に赤黒く変色する。
これを「怒り」と表現せず、なんと言うべきだろう。
クラゲには脳がないから感情なんてない、と言うなかれ——この世界のクラゲにはあるかもしれないし、大体地球のクラゲはレーザーを撃ったりしない。
「げっ」
魔導船までの距離は30メートルほどになっているけれど、海を進む速度では、その距離は気が遠くなるほどに遠い。
海坊主の周囲に青白い燐光が集まってくる。
「——撃ってくる気だ」
「ぎゃー! 坊ちゃん! 盾になってぇ!」
「ちょっ、ゼリィさん!?」
ぐるりと振り向いたゼリィさんは僕の腕を振り払い、海坊主へと僕の身体を向けた。この人、本気で僕を盾にする気だ……!?
だけどもう魔力は足りない。ミミノさんの「魔法複製薬」ももうない。
これは本格的に打つ手がない——めまぐるしく頭を回転させていた僕は、ふと、照りつける太陽の陽射しが陰ったことに気がついた。
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