34
エヴァお嬢様は以前別れたときと変わらず、いや、あのときよりも美しさに磨きが掛かっているように感じられた。僕のそばにいるダンテスさんが目を瞠り、ノンさんが息を呑み、ミミノさんがあわあわと口を動かすのが感じられた。
お嬢様と別れてからせいぜい2か月だ。初夏が盛夏を過ぎて晩夏になる程度の時間でなにがどれほど変わるのだろう——でも僕は確かにお嬢様に変化を感じ取っていた。
レイジ、と声を上げたお嬢様は走り出そうとして、踏みとどまった。そして一流の貴族令嬢にしかできない完璧な一礼をすると、
「——久しぶりですね、レイジ。レッドゲートの災難はとても大きかったですが、あなたならきっと解決に導いてくれるのだと信じていましたわ」
花が咲くような笑顔を見せた。
やっぱり、お嬢様はお嬢様だ。僕の予想を簡単に越えてくる。
——お嬢様。ここで……お別れです。
あの日の夜、僕がスィリーズ伯爵邸を後にした夜。
僕は唐突に別れを告げて、お嬢様を無理やりお屋敷へと戻した。
——レイジ、わた、わたくしはっ、あなたとずっといっしょにいたかったの……! あなたが、どうして行かなければいけないの……!?
理由はいくつもあった。僕が「災厄の子」である以上、クルヴァーン聖王国で生きていくことは難しかったし、伯爵にこれ以上迷惑を掛けられなかったとかもある。
それになにより、僕のトラブルにお嬢様を巻き込みたくなかった。
——ほんとうに……これが最後のお別れではないのね?
お嬢様は完全に納得していなかったに違いない。
だけど僕の言うとおりにしてくれた。僕のワガママを聞いてくれた。
あれから——お嬢様がなにを考えていたのか僕は知らない。割り切れない思いを抱えていたのか、あるいはすっぱり気持ちを切り替えたのか。
ただ、今、お嬢様の背後にいるスィリーズ伯爵は僕が知っているとおりの伯爵なので、ふたりの仲は悪くないのだろう。それだけでも、僕がワガママを言った甲斐があるというものだ。
「エヴァ=スィリーズ様、しばらくぶりでございます。今は冒険者として活動をしています」
僕がその場に片膝をついて礼を取ると、お嬢様はほんのわずか、切なそうに表情をゆがめ、でもすぐに元の完璧な微笑を取り戻した。
僕はもうスィリーズ伯爵家の人間ではなく、むしろお嬢様と親しいことを主張するとクルヴァーン聖王国内では「災厄の子」とつながりがあると非難される原因となってしまう。お嬢様も、伯爵も、それを十分に理解した上でこうして話してくれているのだ。
そして——そうすることで僕を守ってもくれている。
つながりがあるとなれば、伯爵は僕を敵としなければならない。それは僕にとってとてもやりにくいことで、レフ魔導帝国の身分保証ができてしまった今はなおさらだ。僕らが今まで通りに会って、話せるのは、他人行儀のフリをするからなのだ。
「なぜレイジがここにいるのですか?」
「……お嬢様が『鼓舞の魔瞳』でラルクの治療をしてくださったと聞きました、ありがとうございます」
「なぜ……あなたがそれに礼を言うのかしら」
「ラルクは、僕の姉なのです」
「えっ——」
驚くのも無理はないよな、僕とラルクは全然似てないし。
「義理の、ですけれど」
「そう……なのですか」
僕が「六天鉱山」でラルクとともに過ごした日々のことを、お嬢様には話していない。クルヴァーン聖王国に来る前のことなのだろうとお嬢様は納得してくれたようだ。
「お嬢様、『鼓舞の魔瞳』、しっかり使えるようになられたのですね……がんばりましたね」
「!!」
お嬢様にとって「鼓舞の魔瞳」は、禁忌の中の禁忌だった。
生まれてすぐに実のお母様を暴走させ、失意のうちに死なせてしまった。
同い年だったルイ少年を暴走させ、星8つの天賦珠玉を取り込む結果となり彼を死なせた。
だけれど僕は魔瞳を忌み嫌って欲しくなかったから、お嬢様に言った。
——お嬢様はその魔瞳を使いこなせる人物になってください。
と。
父の伯爵が使える「審理の魔瞳」は相手がウソを吐いているかどうか確認でき、貴族社会ではとてつもなく有用なものだ。だけれど、お嬢様の「鼓舞の魔瞳」はもっと違うことができる。
だから、使えるようになって欲しかった。
そうすればお嬢様は自分の過去を乗り越えられるから。
その魔瞳に、付加的な効果——生命力を回復させるようなことができたというのはお嬢様が真剣に魔瞳と向き合った結果だということは明らかだ。
「はい……わたくし、がんばりましたの」
「ほんとうに、すばらしいですね」
「心からそう思っている?」
「もちろんです。この短い時間でそこまで成長なさったことが、僕はとても誇らしいです」
「……ふふ。レイジ、もっと褒めてもいいのだわ」
お嬢様の口調が柔らかくなった。その目に浮かんだ涙は、魔瞳と向き合うことがどれほど大変なことだったのかを僕に知らせる。
「それで——ラルク様がいなくなったと聞きましたけれど」
これ以上話しては感情を抑えつけられないと思ったのか、お嬢様は僕から視線を逸らしてベッドを見やった。
「はい。いろいろあって、逃げるように出て行ってしまいました」
「そう……。あなたが、我が国を出て行った理由はラルク様のことがあったから?」
僕はお嬢様との別れ際に、次に会ったときにクルヴァーン聖王国を出て行かなければならない理由について教えると言っていたっけ。
逃げ出す理由ではなく、いつか出て行かなければいけない理由を。
「いえ、ラルクと出会えたのは偶然でした。実は僕の恩人の孫娘さんがレフ魔導帝国にいて……」
ルルシャさんについて少し話すと、お嬢様は納得したようにうなずいて、
「義理堅いところはレイジらしいですね」
と、また完璧な貴族令嬢に戻って小さく笑った。
「ラルク様を追うのですか?」
「はい、そのつもりです」
「…………」
少しだけ訪れた沈黙で、お嬢様はなにを思ったのだろうか。
「……まだ、あなたに渡す天賦珠玉を見繕っていませんの」
「いつでも、待っていますよ」
「でもあなたがどこにいるかわかりませんわ」
「それは……冒険者は旅の空ですしね」
とそこへ、ぽん、と手を叩いてスィリーズ伯爵が割り込んできた。
「そうだ、いいことを思いつきました。レイジさん、定期的に我がスィリーズ邸に手紙を出してくれませんか? そうすればあなたに連絡を取りやすくもなる」
「え……しかし、僕からの連絡は、聖王国内でも問題になるのでは。僕は『災厄の子』ですし」
「その程度では文句を言われない程度に、力をつけていますよ。——エヴァはどう思いますか」
「はい。そうしていただければすばらしいですわ。お父様、よい提案ありがとうございます」
大丈夫なのだろうか、という心配よりもむしろ——なんだろう、スィリーズ親子によって首輪をつけられたような気持ちがする。
まあ……それはそれで別にイヤな気持ちではないのだけれど。
なにも知らずに心配だけしているお嬢様のことを思えば、僕が手紙を出して安心できるならたいした手間でもないし。なんだかんだ言いながら伯爵も僕を気にしてくれているのだし。
「……そろそろ行かないといけません。ラルクがいなくなって、時間が経たないうちに捜しに出たいので」
礼を取るのを止めて立ち上がった僕へ、
「わかりました。……レイジ。落ち着いたらまた聖王国に——」
お嬢様はなにかを言おうとし、小さく首を横に振った。
「——手紙、待っていますわ」
「必ず、冒険者ギルドを通じてお送りしましょう」
「ええ、きっとよ」
お嬢様が右手を伏せ、人差し指と中指をくっつけて差し出した。僕はお嬢様に近づいて、その手をそっと握る。
「また約束が増えてしまいましたね」
するとお嬢様は小声で、
「……もっといっぱい約束が欲しいのだわ」
と可愛らしいワガママを言ったのだった。




