23
大きくなった——その声を耳にしたとき僕はこの4年に起きたことが身体に一気に流れ込んできたように感じられた。
4年だ。
長かった。
僕が大きくなるには十分な時間で、ラルクが天賦を使った反動で命を磨り減らすにも十分な時間だった。
「……ちょっと待ってて、姉さん」
話したいことはいくらでもあった。でも、今は——目の前の問題に立ち向かわなければならない。
姉さん、と僕が言ったとき、ラルクの身体がピクリと動いた気がした。彼女をその場に座らせる。ダンテスさんのことも気がかりだったけれど、気を失っているだけのようなのでとりあえずは大丈夫だろう。
今は——。
「終焉牙をどうにかしなきゃ」
僕はラルクから離れて数歩進む。終焉牙は魔法を警戒して飛びのいていたけれど、あの魔法程度で退けられるような相手じゃない。
戦って勝てるか?
「裏の世界」でフォレストイーター、ヒトマネと見てきた僕からすると単独で勝てる確率はほとんどない。先ほどの攻撃で終焉牙もダメージを負っていたけれど、多少の傷という程度だ。大体、8の巨大種は種族の存亡を懸けて攻略するような相手だ。アーシャみたいに規格外の魔力を持っていたとしても倒しきれない相手だ。
なら、できることは少ない。
僕は——「説得」に一縷の望みをかけた。
「終焉牙……と、呼んでいいのかはわからないけれど、話を聞いて欲しい」
【風魔法】を使って終焉牙へ向けて声を送る。終焉牙の反応はないが、逆に言えば動きもなく、3つの目を吊り上げた怒りの顔をこちらに向けている。
「……弟くん、なにをしてるんだ? モンスターに話なんて通じない」
「大丈夫だから、ここは任せて」
ラルクの忠告はもっともだったけれど、僕はヒトマネとすでに会話しているのだ。
「僕はあなたたちの世界で、フォレストイーター、ヒトマネと遭遇しました。ヒトマネはフォレストイーターのことを『大ヤギ』と言っていましたが……あなたも『星刻語』を使うことはできませんか?」
『……………………』
沈黙だ。答える気がないのか、話せないのか、あるいは——聞こえていないのか。
「あなた方は『幻想鬼人』によって操られています」
そのとき初めて、終焉牙の表情に変化が現れた。かすかな変化だったけれど——ようやく僕の言葉に耳を貸そうとしているかのようだった。
行けるかもしれない。
幻想鬼人がなにを考えているかはまだまだわからないけれど、こちらの世界を害そうとしていることは明らかだ。
終焉牙を操ってレッドゲートを広げ、襲撃する——フォレストイーターやヒトマネが暴走していたことを思えば十分にあり得る。
『…………我は——』
終焉牙の瞳が右を向き、左を向き、そうしてわずかに星刻語が発せられたときだった。
「——弟くん!」
ラルクの声に振り返った僕は、
「あ……」
その空に、黒い影を見た——何隻もの軍事魔導飛行船がこちらへ向かっているのだ。
そして砲台がチカッ、チカッと光ったと思うと、黒の砲弾が終焉牙目がけて降り注いだ。
ドッ——ドドドドドッ————。
攻城戦の兵器ともなり得る砲撃の衝撃はすさまじく、終焉牙だけでなく周囲の建物に当たるや貫通して地面に落ち、爆発する。
終焉牙は踊るようにそれをかわすが、数発が被弾する。
『グルルルアアアアアアアアアア!!!!!』
砂塵が舞い上がり、咆吼が音圧となって僕の身体にぶち当たる。
「くそっ……あと少しで話ができそうだったのに!!」
「逃げろ! 早く!」
ラルクが叫んでいる。
終焉牙は憎々しげに空を見上げる——もうダメだろう、また終焉牙の思考は怒りに染まってしまった。
僕は振り返るとラルクを抱え上げ、走り出した。
「バカ、あたしはいいから!」
「…………」
「あたしはいいんだ! 弟くんだけでも逃げて——」
「——黙って。集中できない」
「集中ってなんだよ!?」
思い出していたのはヴィルヘルム様の動き。
レフェリー様が「瞬歩」と呼んでいたあの移動方法だった。
(踏み込んで——飛ぶ)
それはぎょっとするような体験だった。簡単に言えば、目の前の風景が一瞬で切り替わる。確かに移動したはずなのに僕は空気抵抗も感じなかった。
「うおあ!? なにしたんだ!?」
腕の中のラルクも驚いている。
だけど説明している余裕はないので、そのままダンテスさんのそばまで走った。
「う、うぅ……レイジ、か?」
「気づきましたか」
「今、どうなってる……」
「飛行船から終焉牙を空爆しています。ダンテスさん、一度ラルクと避難してもらえますか」
起き上がったダンテスさんは僕と終焉牙を見て、うなずいた。
この人はさすがだ。今なんの情報が必要で、なにをするべきか、こんな状況でも瞬時に判断できる。
「わかった。——来てくれるな、ラルクさんよ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 弟くんはどうするんだよ!?」
「僕はまだ戦います」
「そんなの——」
「——ラルク、後で話すから。あの終焉牙は僕がどうにかしなきゃいけない……気がするんだ」
するとラルクは黙り込んだ。ダンテスさんが手を差し伸べると、
「大丈夫……ひとりで歩ける」
とその手を断った。
「……レイジ、っていうんだな」
僕はうなずいた。
名前のこともあとで説明しなきゃ。
「僕はレイジで、冒険者で、ダンテスさんと同じ『銀の天秤』のパーティーメンバーで……それで、姉さんの弟なんだ」
ああ、ほんとうに、話さなければいけないことがあまりにも多い。
「だから、行ってくる」
ふたりに背を向けて僕は走り出した。




