罪と咎
★ ラルク ★
鉱山に「弟くん」が連れてこられた日のことは今でも覚えている。すべてをあきらめ、すべてに絶望し、うつむいていた少年。
彼を見たときに感じたのは「絶対に守ってやる」という思いだった。
そしてその思いが消えることは、これまで、一秒たりともなかった。
あの日——「六天鉱山」で崩落があった日、ラルクの精神を縛りつける契約魔術が解かれた。楔が外れて積んでいたレンガが崩れ落ちるようにラルクの心は広がっていき——急に目の前が晴れたような気持ちになった。
押さえつけられていた欲望が膨れ上がり、目の前にあった天賦珠玉【影王魔剣術★★★★★★】を手に取ると体内に取り込んだ。
全身で感じる全能感。
ラルクは自分へと襲いかかってきた兵士たちを次々と斬った。
そうして、はたと気がつく。
自分を見つめる視線に。
「…………」
彼はなにも言わなかった。言えなかった。
鉱山奴隷として生きていて、ラルクにとって唯一の心のよりどころであり、自分になにかあっても彼の命だけは助けようと思っていた——弟。
その彼が自分に怯えているのは一目でわかった。
全能感が急速にしぼんでいき、この数秒で「人殺し」に変容した自分に気づいて——自分が、たまらなく汚らわしい存在のように感じられた。
胸を満たしたのは「後悔」だ。後になってみれば「弟くんを助ける方法は他になかった」とわかるのだが、それでも、あのときのラルクは重い後悔によってつぶされてしまいそうだった。
——弟くん。
手を差し伸べた。
どうか、この手を取って欲しいと願って。
そうすれば自分は「人殺し」の罪を背負っても生きていけると思って。
——ひっ。
と、おののいた彼を見て、ラルクは手を引っ込めた。
そうに決まっている。欲望に突き動かされたやすく人を殺した自分が、誰かに愛されることなどあるはずがない。
ラルクは彼に背を向けて歩き出した。
彼の命を救うことができた。そのためになら死んでもいいと思っていたのは自分だ。だから、今は満足しろと自分に言い聞かせて。
それからのことはあまり覚えていない。
気がつくと鉱山の麓の町にいて、「奴隷が反乱した」だのいう言葉が聞こえてきた。自分の格好が鉱山奴隷のそれだと気づいて、服を売っていた店へ入り込むといくつか見繕って盗み出し、着替えた。食事も盗んだ。そうして町を転々として——やがて領都へとやってきた。
そこでまさか、彼に再会できるとは思わなかった。
だがその再会こそが、きっと最後に神様が与えてくれたチャンスなのだろうとも思えた。
自分は人を殺し、星6つという「値が付けられない」とヒンガ老人に言わしめた天賦珠玉を体内に取り込んだ。見つかれば確実に処刑。弟とともに行動していれば、弟も殺されるだろう。
ならば、彼とは離れて生きていったほうがいい。
ただそれでも——未練がましく「いつかどこかで」なんて文字を残した。彼が、目にするわけもないのに。
それからはいろいろなことがあった。
殺したぶんを取り返すかのように多くの人たちを救い、身体は不調に次ぐ不調で何度も血を吐いた。【影王魔剣術】のせいだろうとは気づいていたけれど使わないわけにはいかなかった。もはやこの天賦はラルクの身体の一部だ。そうして最後は「月下美人」まで盗み出した。わけのわからない亀裂が空に現れたりしなければ今ごろ身体の治療のために遠国にまで足を伸ばしていたことだろう。
(……クソッタレ)
レッドゲートから出現するモンスターとの戦闘は熾烈を極めたが、それでも、少しずつ、ほんの少しずつ、自分の心が軽くなるのを感じていた。少なくとも自分は今、誰かの役に立っている。ラルクの行動はすべて鉱山で殺した罪もない兵士たちに対する、罪滅ぼしだった。
(こんなことを思い返すってことは……あたしは長くないんだな……)
終焉牙を見た瞬間、「勝てない」と思った。だが「やらなきゃ」とも同時に思った。星6つの天賦を持ってしても勝てないような相手こそ、自分が命を懸けるにふさわしいと思えた。
背負った「罪」が「消えた」と自分で思えなければ——「いつかどこかで」、弟と再会することはできないと信じていたから。
それこそがラルクが、自身にあるのだと信じている「咎」だった。
この罪と咎は、自分が死ぬまで消えないということは薄々勘づいている。だとしても歩みを止めることはできない。
それはラルクが、彼の姉だから。
彼を守ろうと誓ったときからずっと、ラルクは思っている。彼の姉としてふさわしい生き様を送りたいと。
(……あたしは、弟くんに恥ずかしくない生き方をできたのか……?)
終焉牙を倒すことはかなわなかった。
運が悪かったとしか言えないが、今さらそれをとやかくは言わない。勝負は時の運だから。
ただこのままあの巨大種が解き放たれ、弟にまで危害を加えたらと思うと——それだけは悔やまれる。
自分を守ろうとした冒険者が吹き飛ばされ、終焉牙が近づいてくる気配を感じる。
(ああ……あたしは、今度は誰も守れなかったのか……)
だがなぜか、終焉牙は後ろへ飛びのいた。魔法が使われたらしい——。
「こんなになるまでがんばったんだな……」
ラルクは目を見開いた。
まるで鉱山にいたときのように貧乏くさい格好で、腰には道具袋までぶら下げている。剣だけは見慣れなかったけれど——それでもそれが彼だとはすぐに気がついた。
ウソだろ、とか、なんでここに、とかいう言葉よりも先に——出てきた感情があった。
差し伸べられた手は、あの日、鉱山で崩落があった日、ラルクが差し伸べた手と同じだった。
……あたしは、手を取って欲しかったんだ。
……弟くんだから、取って欲しかったんだ。
言いたいことは山ほどあった。
でもそんな恨み節は口を突いて出てこなかった。
いつの間にか弟は大きくなって、身長は抜かされているかもしれない。
触れた彼の手は大きくなっていて、引き寄せられ、抱きすくめられると——温かくて。
自分が守られる立場になるだなんて、考えてもみなかった。
「……大きくなったなあ」
ラルクの口から出た言葉はそれだけだった。
本話のサブタイトルは誤字ではありません。




