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あまりにも複雑な思いがあふれてきて、僕はかろうじてそれだけを言うことができた。
よろり、とテーブルに手をついた伯爵は、小走りになって僕の前までやってくると、
「レイジさんっ! 君は、生きていたのですか……! よかった、よかった、ほんとうによかった……!!」
僕の顔を両手で包み込んだのだった。
「————」
この人が、こんなことをするなんて。
この人が、こんなに感情をあらわにするなんて。
この人が、僕に対してこれほどの——親愛の情を持っていてくれたなんて。
別れ方はけっしていいものではなかった。僕はエヴァお嬢様とともに伯爵の罪を暴き、そしてお嬢様を、たったひとりの伯爵の娘である彼女を「連れていく」と言って伯爵邸を後にした。
恨まれても仕方がなかった。
だというのに、僕の頬に伝わってくる伯爵の温もりは本物だった。
「ご心配を……おかけしました」
うるんだ伯爵の目を見て、思いがけず僕まで涙がにじみそうになったのをなんとか踏みとどまってこらえる。むしろ執事長のセバスさんがハンカチを取り出して目元を覆っていた。すべてにおいて伯爵が第一、という執事長は、伯爵がこれほどまでに感情的になっているのを見て感極まってしまったのかもしれない。
「……感動のご対面、となるとは思いませんでしたな」
ヴィルヘルム様が言うので、
「失礼——あまりに、驚いてしまったので。ヴィルヘルム閣下、なぜここにレイジさんがいるのかご説明をいただけるのでしょうか?」
「もちろんです」
それから僕らはテーブルのイスに腰を下ろして話を進めた。
ヴィルヘルム様は光天騎士王国の陣営近くに僕が現れ、その格好ではマズいぞとこうして伯爵との面会をセッティングしたという経緯を話した。「手合わせ」の件はすっぽり抜け落ちているのだけど、そこをつつくほど僕も非道な男じゃありません。
「なるほど……。確かに、『英雄武装』に関する事件があった今は、光天騎士王国の騎士として来てもらえたことは都合がよかったといえますね」
代わって伯爵が現在の状況を話してくれた。
ルルシャさんが「英雄武装」を発見し、それを各国に研究のための貸与をしようとしたこと。しかしそれらが消失したこと。ルルシャさんが「虚偽の報告をした」と訴える者がいること。
今、皇帝は態度を決めかねていて、「英雄武装」を実際に見ていないためにとりあえずルルシャさんが逃げないようにと身柄を確保しているところだという。「銀の天秤」も同様だったが、手配の最中で「犯罪者を捕らえる」というふうに曲解され、「銀の天秤」のみんなは逃げ出した。
(……ひどい話だ)
今はどうやって「レッドゲート」を閉じるべきかを考えなければいけないのに、欲深い人たちは「英雄武装」を自分の手元に置きたくてしょうがないのだ。
そんなことに巻き込まれたルルシャさんや、ダンテスさん、ミミノさん、ノンさんが不憫でならない。
ムゲさんなんて直接危害を加えられ、今は治療中だという。
(……許せない)
気づけば僕は、膝の上で拳を握りしめていた。
「こちらの状況は今お話ししたとおりです。それで……レイジさん。なにがあったのか話してくれるのでしょうか?」
「はい、もちろんそれは構いません」
「あなたといっしょに呑み込まれた方々、特にハイエルフのアナスタシア様はどうなりました?」
そこはかなり重要なポイントなのだろう、伯爵の声に力がこもっていたし、ヴィルヘルム様もわずかに身を乗り出した。
魔導飛行船を贈る見返りとして、エルフの森である「三天森林」からやってきたアーシャ。彼女は、森のあるキースグラン連邦とレフ魔導帝国をつなげる象徴的な存在でもあるのは僕も知っている。
そして森から出てこないエルフの中でも、ハイエルフという貴種。彼女が今どこにいるのか——それは今後の帝国と連邦の関係を考える上でも極めて重要な情報なのだろう。
「アナスタシア様は無事です」
アーシャ、なんて言えるわけもなく僕がそう答えると、おおっ、と騎士たちが小さく声を上げた。
「問題がなければ今ごろはミュール辺境伯領にいらっしゃるはずです」
「なんですって……?」
「!?」
さすがに予想していなかったのだろう、イケメン伯爵と中性的イケメン騎士のふたりはぎょっとした顔を見せた。僕が「辺境伯領から来た」と言ったのだからその可能性くらい考えていていいだろうに、ヴィルヘルム様は。
「もしやレイジさんも辺境伯領から?」
「はい」
「なぜレッドゲートに呑み込まれたふたりが——」
「伯爵、少々お待ちください」
矢継ぎ早に質問をしてくる伯爵に「待った」を掛けた僕は、
「あの、先に聞きたいのですが……エヴァお嬢様はこちらにいらっしゃるのですか?」
「あ、ああ……そうでしたね。エヴァはこの船に乗っていますよ」
どきり、とした。
あんなふうにお別れをしたお嬢様と、こんなに早く再会できるチャンスが巡ってくるとは思ってもみなかった。
「セバス、エヴァは来られるだろうか?」
「それは……今はお休みになっていただいたほうが……」
「エヴァお嬢様になにかあったのですか」
僕が問うと、
「実は、彼女にも役割がありましてね……今はかなり消耗しています。もちろん、ケガをしているとか病気だとかそういうことではないのですが」
「会うことは……?」
「それは構いませんよ」
聞いて、ホッとした。
「後でその時間を設けましょう。そのころには『黒の空賊』ラルクさんも戻られ、エヴァの役割も果たせるでしょうし」
「…………」
ぽかん、と口を開けてしまった。
今の言葉は聞き間違いだろうか。
「黒の空賊……ラルク?」
ラルク、って、あのラルク?
僕の姉のラルク?
そう言えば——そうだ。そうだそうだそうだ! ラルクはいたじゃないか。この「月下美人」に乗っていたのはラルクだった! なんでそんなことに気づかなかったんだろう。「月下美人」を盗んだのがラルクで、今、この飛行船を帝国が使っているのならラルクから帝国へと渡ったことになる。
「あ、あ、あの、ラルクは——」
お嬢様について聞いたときよりもずっとずっと心拍数が上がっていた。僕が腰を浮かせながら伯爵に問いかけようとしたときだった。
雷が聞こえたのだと思った。
飛行船の中、さらには遮音がしっかりされている会議室だというのに、すさまじい大音量の雷鳴が聞こえたのだと思ったのだ。
だけどそれは違った。
その直後に、「月下美人」を揺るがすほどの衝撃波が襲ってきたからだ。
「な、なにが——」
伯爵が周囲を見回し、ヴィルヘルム様たち騎士が一斉に立ち上がり剣に手を添えた。
そのときには僕はもう、
「——レイジさん!」
廊下へと飛び出していた。
衝撃に、へたり込んでいた案内役のレフ人がいる。僕は来た道をダッシュで戻り、一足飛びに階段を駈け上がり甲板へとやってきた。
「これは……!!」
真っ先に見たのは、レッドゲート。今やそれは昨日までの倍くらいに亀裂が広がっていた。
そこから身を乗り出していたのは巨大なモンスター。
紫色の毛並みに黒の縞模様。この紫が黄色やオレンジだったらすぐに想像がついたのだけれど——見たことのない色合いだった。
だけど顔は、虎だ。
「終焉牙!!」
「裏の世界」に棲息する8の巨大種のうちの1つ——虎の超巨大モンスターが、レッドゲートを無理矢理広げ、今、その身を宙に解き放ち——こちらの世界の大地に降り立った。




