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オットー様——レフェリー様に連れられて光天騎士王国軍の駐屯地に入っていくと、そこにいるありとあらゆる騎士たちは、どのような作業中であっても、訓練中であっても、すべての動きを止めてレフェリー様を向き、直立不動、右肘を肩の高さまで上げて拳を右胸につけるという敬礼のポーズを取った。
レフェリー様が「楽に」と言うと彼らはポーズを崩して元の作業に戻るのだけれど、そのとき僕をちらりと見て、「なんだこの小汚い少年は?」という顔をした。
光天騎士王国はその名の通り「騎士」の国だ。これは「ナイト」の称号の話ではなくて実際に「馬に乗れる兵士」という意味の「騎士」であり、光天騎士王国の軍属はすべて馬に乗って戦えなければならない。
もちろん騎士には階級があり、僕は詳しくないけれどレフェリー様なんかはトップクラスの騎士なのだろう。
「楽に。楽に」
と言い続けて——3桁はいったんじゃないだろうか——僕はレフェリー様のものらしい天幕へとやってきた。大きなテーブルに簡素なイスが10あるだけの、さっぱりとした天幕だ。
イスを勧められて座ると、なんだかどっと疲れが出てきてその場で眠ってしまいたくなった。だけど最初に絡んできたヴィルヘルム様たちが天幕の入口にぞろりと突っ立っているので気を抜けない。
「前線ゆえ、もてなしはできないのだが。許してくれたまえ、客人」
「長居をする気はないので構いません」
僕が言うと、「レフェリー様の申し出を断るだと……?」と外野の人たちが殺気立つ。ほんとうにめんどくさい。
「スィリーズ伯爵は特別に『月下美人』に滞在であるというからな、使いを出してある。返事があるまで待てばよかろう」
「その間、ここで事情聴取ですか?」
「暇を持て余した老人のおしゃべりに付き合ってくれても罰は当たるまい?」
レフェリー様は魔道具で沸かしたらしいポットを持ってくると、そこからカップに茶を注いだ。えっ——と思ったけれど、そこから出てきたのは緑色のお茶だ。香りも日本茶のそれと同じだった。
そしてなにより【森羅万象】の分析があれは日本茶だとしている。
「クルヴァーン聖王国で飲まれる茶とは違うが……我が国の茶もなかなかよいものだよ」
ティーカップに注がれているのがミスマッチだけれど、僕の前に差し出され、湯気が立つその緑色のお茶。細かい茶葉が舞っている。僕はごくりとつばを呑んで、ティーカップを受け取った。
「この暑い日に熱い茶など、と思うかもしれないが、日陰に入り熱い茶を飲むのはよい。すっと汗が引くよ——ふむ? そんなに気に入ってくれたかね」
ほどよい熱さだったそれを一気に飲み干すと、鼻から清涼な香りが抜けていくのを感じた。ああ……緑茶だ。まさかこんなところで出会えるなんて。
「もう一杯いただいても?」
「もちろんじゃよ」
注がれるのを待って、僕は半分ほどまた飲み干す。
生きるのに必死だったからか、過酷な日々を過ごしたせいか、こちらの世界での生活が長かったせいか——日本食に対する郷愁は不思議とあまりなかったのだけれど、緑茶を飲んで、急激に和食が恋しくなった。
日本人の体臭は醤油のニオイだなんて話も聞いたことがあったけれど、醤油味のものを食べたいなあ……。
「十分なおもてなしをいただきました」
僕が緑茶を喜んで飲んだことで、レフェリー様もいくぶん気持ちが和らいだようだ。お茶っていいよね。
レフェリー様は僕の向かいに腰を下ろすと、
「ミュール辺境伯は息災か?」
「あの方は殺しても死なないほどに元気ですよ。ここに来たいとも言ってましたし」
「正直に言って、どうじゃね? ヴィルヘルムやその他の者と、辺境伯との力の差は」
「…………」
「率直に言ってくれて構わんぞ。それで気分を害したり、スィリーズ伯爵への橋渡しをするという約束を反故にしたりはせん」
「……はあ。そうですね。申し訳ありませんが、全然足りないかと」
「ほう」
レフェリー様は眉をひょいと上げて驚いたような様子を見せたが、天幕の入口に並んでいる人たちからまた殺気が飛んできた。気分を害したりしないんじゃないんですかねえ……。
するとレフェリー様が外野の人たちに言う。
「これ、ワシの顔に泥を塗る気か。大体、完膚なきまでに負けた相手にそのように怒って見せたところで負け犬の遠吠えであろうに。——すまぬな、レイジ殿。彼らは優秀ではあるのだがやはり国外で戦った経験がほとんどなく、井の中の蛙であったのよ。今回のことはいい薬になったに違いない」
それは別にいいんだけど、関係ない僕をダシにしないでほしいと切に思います。はい。
「しかしレイジ殿はすさまじいな。あのヴィルヘルムの突きをかわせるとは」
「そもそもかわさなかったら僕死んでましたよね?」
「……ワシの制止の声はわずかに遅かったからのう。ヴィルヘルム、こちらへ来なさい」
ムスッとした顔でやってきた中性的な美形。ムスッとしても絵になるのだからイケメンはズルいと思います(スィリーズ伯爵に続いて2人目のズルい枠)。
「謝罪をしなさい」
「……しかし、レフェリー様」
言いかけた、ときだった。
「騎士たる者ッ、言い訳をするなァァッ!!」
立ち上がったレフェリー様は拳をヴィルヘルム様の頬に叩きつけた。
年寄りだ老人だと言っても、僕の目はごまかせない。レフェリー様は服の下に鋼のような筋肉を持っている。そしてその拳の大きいこと。鍛錬されてはいるもののいまだに若く、長身のヴィルヘルム様は一瞬宙を浮いて剥き出しの地面に倒れ伏した。
これにはみんなぎょっとしたようだったけれど、誰も動けなかった。
「も、申し訳ありませんでした……」
「ワシに謝ってどうする。謝罪するべきはレイジ殿だ」
「……申し訳、ありません」
殴られた頬を押さえながら、よろよろと立ち上がり、頭を下げられる。地獄のような沈黙がやってきて僕もなにも言えなくなる。
いや……そんなことされましても。どうしろっていうのよ、この空気。
「謝罪を受け入れてくれますかな」
「はい、受け入れます」
「よかったな、ヴィルヘルム。——下がっていなさい」
ふらふらと歩いていったヴィルヘルム様は、またも天幕の入口で直立不動になった。治療しないんだ。そこにいるんだ。
「まったく、レイジ殿が手加減して戦ってくださったというのに、それにも気づかず相手を殺すつもりで『瞬歩』を使うとは」
レフェリー様の言った「手加減」という言葉に再度外野の人たちはざわざわする。
手加減、というか、殺したり大ケガ負わせたら後腐れができるからしなかっただけではあるんだけどね。そこまでもうわかっていたんだな。
この人、あの謎の声のスキル——おそらく天賦だと思うけど——といい、自身の肉体といい、かなり強い。
でも【森羅万象】できっちり学習できたはずだから後で確認しておこう。いざってときに使えそうだ。あとヴィルヘルム様の「瞬歩」? とかいうのも。
「しかしのう、スィリーズ伯爵もなぜレイジ殿ほど優秀な護衛を手放してしまったのか。そうじゃ、レイジ殿は光天騎士王国に来る気はないか? ワシが身柄を推薦しよう。そうすれば騎士になるのはもちろん、高い役職にも就けるぞ」
「いえ、それはお断りします」
「それは冒険を続けたいからかね?」
「はい」
と言ってから、ハッとした。
「そうか。レイジ殿はやはり冒険者パーティー『銀の天秤』で活動していたレイジ殿と同一人物なのじゃな」
なにげないふうにレフェリー様は続ける。だけど、
「しかし妙じゃの。『銀の天秤』の少年は、レッドゲートの向こうに吸い込まれたと聞いておったが……こうして目の前にいるわけであるし。どういうことかね?」
それはすでに確信に満ちた口調だった。
この人は最初から知っていたのだ。僕が「銀の天秤」のメンバーであり、「辺境伯の使い」であることなんて「ウソ」なのだと。
キャラバンのユーアさんですらルルシャさんに協力した冒険者がいることを知っていて、彼らが追われていると言った。であればここにいる誰もが「銀の天秤」がレフ魔導帝国に追われていることを知っているはずだ。
先ほどとは違う空気が僕の背後にいる人たちの間に流れる。妙な動きをすれば一斉に襲いかかってきそうな、剣呑な空気だ。
(レフェリー様が老獪な人間だとわかっていたのに……この人は最初から、僕の口から「冒険者」だと言わせるためにここまで話を持っていったんだ)
やられた、という苦い後悔とともに、考える。
どう答えるべきだろう、僕は?




