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ゼリィさんの言ったとおり、夜の森はひどい道だった。
いくら【夜目】の天賦を学習していたとしても光がまったくないところでは機能しない。だから【光魔法】を数秒おきにフラッシュのように焚けば、魔力も節約できるし【森羅万象】の完全記憶能力で問題なく進める——はずだった。
だけど実際には、
「うばあっ!?」
次のフラッシュを焚いた瞬間、目の前にコウモリがわっさーと飛んでいたり、
「うひいっ!?」
光の影になった場所に思いっきり凹みがあって転びそうになったりする。結局はチッチッチッと舌打ちをするのも併用しつつ、音の跳ね返りを【森羅万象】で分析しながら周囲の地形を把握しつつ走るという——そりゃ、まあ、消耗しますよね。
おかげで大きなケガもなく森を走り抜けられたのだけれど、身体中どろどろだった。
「でも……ようやく着いた」
草原が広がっていて、小高い丘が4つ並んでいる。その3つは柵で囲われていて兵舎が設営してあった。
だけど兵舎の数に比べて人気が少ないのは、多くが戦闘に出払っているからだろう。
「——あれか」
僕は額にくっついた葉っぱをベリッと剥がして歩き出す。彼方の空はいまだ暗雲に包まれていて、赤色の亀裂が空に入っている。【視覚強化】でも少ししか見えないけれど、モンスターはいまだに大量生産されて空から降っているようだ。
「ええと、まずはどうしようかな……『銀の天秤』と一度合流したいけど。ゼリィさんやユーアさんの話だと、行商人は1箇所に集められてそこで取引してるんだっけ。そこに行けば話ができるかな——」
こっそり忍び込むこともできるかもしれなかったけど、この日中だと見つかってしまう可能性が高い。だったら正攻法で正面からいったほうが……とか考えながら歩いていたのがいけなかった。
「そこの者、止まれ」
背後から鋭い声が聞こえた。
振り返ると、馬に乗った5人が僕を見据えている。
みんな同じ装備で、銀色の胸部鎧はよく磨かれており、肩や肘、膝から足首に掛けて同じ素材のプロテクターが使われていた。
白と赤と金色をベースにした戦闘服は一分の隙もなく整っており、それらは、
(——光天騎士王国の騎士だ)
彼らの身分をわかりやすく示していた。
戦場にあってもとにかく装備品の手入れをする。「騎士たる者、死に様さえも美しく」というのは彼らのモットー、というより国是ですらある。
現に5人の中にはヒゲを蓄えている人もあったけれど、そのヒゲは毎日整えているのだろうきっちりとしていた。
僕に声を掛けたらしい人物は5人の先頭にいた。
深い緑色をした長髪を後ろで縛っていて、涼やかな目元の瞳もまた緑。ほっそりとしたアゴや高い鼻は彼に女装させたら抜群に似合いそうだ。
まあ、訓練や行軍のせいだろう、肌は日焼けしているので女装するなら化粧しなければならないけど。
「その格好、どこぞの間者か」
女性に——それも美人——見間違われそうな騎士は、年齢も10代とおぼしい。その彼が誰何の声を上げて、彼の年齢の倍くらいはありそうな男たちが沈黙しつつ腰の剣に手を掛けているのは、彼がこの5人の中では位が上だからだろうか。
「……このようなみっともない格好でありますこと、お目汚しをどうぞお許しください。夜通し森を走り抜けましたので」
僕はその場に片膝を突いて頭を垂れた。エヴァお嬢様の護衛時代に学んだ礼の取り方だ。
クルヴァーン聖王国式の仕草が堂に入っていたからだろう、「ほう」とヒゲの騎士が小さく声を上げ、若い隊長が小さく手を挙げるのが影の動きでわかった。
警戒が解かれる。
「して、貴様は何者か」
男にしては透き通った声で、重ねてたずねられる。【森羅万象】がなかったら女性だと勘違いしていたかもしれない——だいぶ中性的な見た目だから。
僕は一瞬、どう名乗るのが正解か考えた。「銀の天秤」の名前は彼らも知っているかもしれない、なんせ「九情の迷宮」のひとつを踏破した冒険者パーティー名だから。でも、ユーアさんが言うにはルルシャさんは捕まり、「銀の天秤」もマズい立場にあるという。
なら、
「クルヴァーン聖王国、ミュール辺境伯から、スィリーズ伯爵への急ぎの使いでございます」
おふたりの名前、借りちゃいます。
「……ミュール辺境伯?」
気配が変わった。
……あれ? もしかして要らないこと言った? あるいは「すごいじゃん」っていう驚き? あー、もう、辺境伯だからどっちもありそうだなあ!
「……それを証明するものはあるか?」
「はっ。剣を外すので、どうぞ警戒なさいませんよう」
僕は腰のベルトに固定した短刀を外し、地面に置いて3歩下がった。
ミュール辺境伯からもらった剣はだいぶガタが来ていたけれど、辺境伯家に2日間厄介になっていたとき、新品をくれたのだ。辺境伯は気前がいい……と思っていたら「我が家のためにここまで働いてくださったのですから、当然のことです……」と申し訳なさそうにミラ様が言っていたっけ。
どうやら、渡せるお金はないけど、渡せる武器はいっぱいあるということで。
「ヴィルヘルム様、ここは私が」
「うむ」
ヒゲの騎士が馬から降りると、僕が地面に置いた短刀を検める。
最初の短刀はきらびやかなものだったけれど、今回のは簡素な飾りだった。「お前なら持てるだろう」と刀身が太くなり、頑丈になったぶん重いのだけど。
いわば「質実剛健」を地で行くような武器で、柄の部分にひっそりと「辺境伯位ミュール家」の文言が彫られてある。
その文字を探すのに苦労していたようだけれど、ようやく見つけると、
「ううむ、この『名前などどうでもいい』と言わんばかりの文言は、確かに『辺境の暴君』ミュール家のもので間違いないでしょう。第一、好き好んであのミュール家の名前を騙るとも思えませぬ。露見すれば、ミュール家の暴れ馬たちが地の果てまでも追いかけてきますからな」
……辺境伯、なんかすごい言われてますよ?
確かにあそこのムキムキゴリラ——失礼、家臣団の皆様は武器と見るや振り回し、新手と見るや「手合わせ!」「手合わせ!」ってうるさかったよね……。
魔法なしで戦ったら僕に勝てる目はなかったと思う。大体、筋肉の鍛え方が違う。
「ほう。すると、その格好では想像もつかぬほど、貴様も手練れということか?」
きらり、と中性的な男子ヴィルヘルム様の目が光った。
……ん?
「左様ですな。あの家が筋肉のない子どもをただの使いとして出すわけがありませぬ。森を抜けてきたとさらっと言いましたが、夜の森を抜けるなどただの子どもにはできませぬ」
さっきから子ども子ども言われるのが気になるのだけど、そんなことより雲行きが怪しくない?
「……ということは、だ」
返された短刀を身につけている僕を、じっと見つめるヴィルヘルム様の目が怖い。
ヒゲの騎士に、こう問いかける。
「ヨハン。この者は、何者か」
「……短刀を見ただけではわかりませぬな」
——はい?
「そうか、そうか。なれば己の手で自らを証明するしかあるまい」
「いや、待ってください。さっき確認しましたよね?」
「我ら光天騎士王国の騎士が、ウソを吐いたと申すかッ!?」
うお、ヒゲの騎士がツバを飛ばしながら怒鳴ってきた。怖い。
「そう、声を荒げるではない、ヨハン。——そこの者。ミュール辺境伯家の者であれば相当の実力者であろう。つまり、この私と手合わせをし、力を見せてくれればそれでよい。スィリーズ伯爵の元へ責任をもって連れて行こう」
頭が痛くなってきた。こいつも辺境伯と同じ「手合わせ!」「手合わせ!」の人か。グループ「辺境伯」でタグ付けしておこう。
「……いや、そんなヒマはないのですが」
「自信がないと? ああ、いや、貴様は夜通し森を走ったと言っていたな。であれば我らが光天騎士王国の寝台を貸そう。飯も食っていくといい」
「いや、ですから、僕は先を急いでいるのです」
「我ら光天騎士王国の申し出を断るのかッ!?」
ヒゲの騎士がほんとに鬱陶しい。
「……じゃ、もういいです。今からやりましょう」
僕は膝をつくのも止めて立ち上がった。
「おお! そうか。それでは私が——」
「いやいや、ヴィルヘルム様、ここは私が」
「なにを言う。あのミュール辺境伯家の者と戦えるチャンスぞ! ここは私のほうが」
「いや、すでに馬を降りている私が」
「こらヨハン、お前は辺境伯家の剣を触ったではないか」
やいのやいの言い出している。
はぁ〜〜〜〜〜辺境伯家の名前を出したのは失敗だったな……。
「早くしてください。一度に全員掛かってくればいいでしょう?」
僕が言うと、ぴたり、と全員の動きが止まった。
「……今、なんと?」
ヴィルヘルム様の目がぎらりと光った。
「さっさと来いと言ってるんです。それとも光天騎士王国の人たちは、たったひとりの子どもを相手に怖じ気づくのですか?」
右手を前に出し、くいっくいっ、と僕は手招きした。
「開始の合図を。こっちはいつでも臨戦態勢なんですよ?」
ナンバリング間違ってました。ご指摘くださった方ありがとうございます。内容的には問題なかったようです。




